「いざ尋常に……勝負!」
交わす言葉は少なく、されども、乗せる心は多く。
ナルトはネジへと気迫をぶつけた。
だが、ネジはそれを流麗に受け流す。いや、受け流すことすらしていない。
ネジの心は動かない。彼は正面からナルトの気迫を受け止め、そして、それを完全に無視した。
「来るなら来ればいい」
不遜に言い放ったネジは顎をしゃくる。
言外に“掛かって来い”と合図するネジに向かってナルトは声を張り上げる。
「征くぞ!」
それからは一瞬だった。瞬きをする暇もなかった。視界にはしっかりとナルトの姿があった。
しかし、ネジは反応できない。随分と頭の回転が遅い……いや、速過ぎるとネジは感じていた。脳は反応していても心が反応できていない。ネジは今にも自分に振り切られそうなナルトの拳を避けるという心構えが出来ないままであった。
「ぬん!」
「ッ!」
しかし、過負荷が掛かった脳の処理は時に奇跡を
心を置き去りにして、ネジの脳と直結している体は最適な行動を示す。それは即ち、眼前に迫るナルトの拳という驚異から逃れるという行動だ。
一旦、体を捻り最小限の動作でナルトの攻撃を躱したネジの体は全力で地面を蹴り出す。大きくバックステップを何度も取り、ナルトから距離を稼いだネジの体であったが、そこで、彼の心が彼の体に追いついてきた。
──リーの標準スピードと……ほぼ互角だと!?
その心の名は“驚愕”である。
どうして、自分が認めた班員と同等の速さをルーキーであるナルトが出せるのか? あれは、過酷な修行を越えた者だけが手に入れることが出来る速度だ。まだ、忍になって間もないナルトが出していいような速度ではない。
「クッ!?」
その驚愕がネジの足を
しかし、彼を笑うものは一人としていない。それどころか、声すらも誰一人として上げることはない。高い観客席に座る全ての者は
シンと静まり返った会場。
沈黙の中、呼吸音が大きく響いた。ナルトが大きく、そして、長く息を吐き出している。
「ハッ……ハァッ! ハァ……」
そこで、ネジは自分が息をしていなかったことに気が付いた。
一瞬の連続の中、現実を前に深呼吸を続ける。されども、警戒は緩めずに、テンションをニュートラルに、ネジは自己を取り戻す。
──今まで戦った全ての者の中で一番、強い。
彼の背中に流れる冷や汗の量が感じる脅威を端的に示していた。
自分が知る中で最も強いと考えていた担当上忍であるガイとの手合わせの時以上のプレッシャーをネジは感じていた。相手がガイよりも強い?
それは違う。実際、ガイ以上の速さも技もない。ガイはより速く、より鋭く、拳を放つ。
だが、一つだけ。たった一つだけ、相手はガイ以上の“モノ”を持っている。
──やはり……筋肉か。
それこそが、ガイ以上のプレッシャーの原因なのだろうとネジは納得した。だが、その程度……その程度である。
「火影になる……か」
「む?」
脳細胞が一つずつ潰されていくようなプレッシャーの中、ネジは毅然とした態度でナルトを見つめて言葉を放つ。
「これじゃ、無理だな」
「……」
確かにナルトは強い。
だが、既に底は
この男の夢は叶わない。火影になど、到れる訳がない。何か一つ人より抜きん出た程度、その程度で、どうして里のトップに立てるというのか?
ネジはナルトの夢を否定する。
「大体、分かってしまうんだよ、この眼で。生まれつき才能は決まっている。言うなれば、人は生まれながらに全てが決まっているんだよ」
「……」
「火影になる者はそういう運命で生まれてくる。なろうとしてなれるものではなく、運命で、そう決められているんだよ。人はそれぞれ違う逆らえない流れの中で生きるしかない」
そう言ってネジは一つ呼吸をした。
「ただ一つ……誰もが等しく持っている運命とは……」
ネジの脳裏に過るのは幼い自分の頭を優しく撫でてくれた父の在りし日の姿。
「……死だけだ」
頭が作り出す残酷なイメージ──変わり果てた父の姿──から目を逸らしたネジはナルトへと目を戻す。
「忠告する。これから、オレは本気でお前を潰しに行く。そうしないとお前には勝てない。だが、そうしたなら……ナルト、お前は再起不能の障がいを負うだろう」
会場内に冷えた空気が広がる。例えるならば、冬の夜の墓場。そのような空気だ。
だが、冷たい空気があれば、熱い空気もあるのが必定。
「ネジの勝利宣言! しかし! その冷酷な宣言に一瞬、オレもしょんべんチビるかと思ったぜ! ルールなしの中忍試験。なんでもござれの試験だ! 下手を打てば死ぬ。そうでなくとも、仲間を失う、自分の手足を失う、誇りが汚される。それが忍の戦い。さあ、乗るか反るか、引くか押すか、逃げるか出るか? ナルトはどうする!?」
「無論!」
ザジの声を後ろにナルトはネジに向かって宣言する。
「真っ直ぐ自分の言葉は曲げぬ。己の……忍道だ!」
今度は会場内が熱で沸いた。
熱い歓声が響く会場の中心で再びナルトとネジは睨み合う。
「……どうなっても知らんぞ」
「どうなるかは神のみぞ知る」
「……」
「セイッ!」
先に踏み出したのは、やはりと言うべきかナルトであった。先ほどの焼き直しのようにネジへと向かって右腕を猛然と突き出す。
「フン……」
しかし、ナルトの右腕は何にも当たらない。
ネジは天才である。長い日向一族の歴史の中でも彼ほど神に愛された者はいない。白眼の使い方、日向流体術の会得速度といった戦闘センスはもちろん、心理面に置いてもネジは優秀だ。常に冷静沈着、例え、心を乱したとしても数秒で心を落ち着かせることが出来るほどのメンタルコントロール。
戦闘に置いて彼は確かに天才であった。だからこそ、ナルトの下忍では有り得ないほどの速度で放たれた拳を“二度”も避けることが出来たのだ。
そして、二度、起きたことは三度ある。
ならば、三度あることは?
砂塵舞う会場の中心で橙色の軌跡が白色の軌跡を追っていた。橙色は二方向から白色を襲っている。
「ラッシュ! ラッシュ! ラアアアアアアアッシュウ! 見えねーぐらいの速さで繰り出されるナルトの拳! 名付けるなら……うずまきナルト連弾ってとこかァ! だが……なんてこったい! ネジはうずまきナルト連弾を全て紙一重で躱す! この速さ、この手数。それを見切るネジの洞察眼は並じゃねェ!」
ザジの解説を聞き流しながらネジは唇を歪める。
ネジに接近したナルトは何度も拳を振るうが、その速度は先の一撃よりも遅かった。一度見た攻撃よりも遅いものが幾ら飛んでこようが、既に慣れたネジは、うずまきナルト連弾を看破していたのだ。
これが我愛羅を除く他の下忍であれば、手数の多さで攻められようが、接近戦になった時点でネジの勝利は確定していた。白眼を使うことができるネジの洞察眼はザジが言うように並ではない。
白眼を持つ日向一族は洞察力に優れると言われるが、ネジのそれは一族の他の人間の先を行く。透視による人体のチャクラの流れは勿論、チャクラの流れをコントロールする点穴さえもネジの眼には写っていた。その点穴を突けば、相手はチャクラを練ることが出来なくなる。
相手が動き続ける戦闘中でどうやって点穴を突くのかという問題はある。しかしながら、ネジはこの問題をもクリアしていた。彼の担当上忍であるガイは木ノ葉で、いや、他里にも名が知れ渡るほどの体術のエキスパート。ガイ班に入って一年、徹底的に鍛えられたネジの体術は彼の才能も相まって中忍……下手をすれば上忍にも届き得るほどの実力となっている。
だからこそ、体術の真価が問われる接近戦において、ネジは絶大な自負を持っていた。半径2m。その位置に相手を捉えたならば、勝利は確定。相手が速くともカウンターを合わすことができる自信があった。我愛羅のように全身を覆う防御術を有していない限りは彼の勝利が揺らぐことなど有り得なかった。
「八卦掌……」
「あれは!?」
ナルトの攻撃を躱しながらネジは小さく呟く。
ネジの全身から放出したチャクラを上から見た観覧席の一人が顔色を変えた。顔色を変えたのは、日向家の現当主である日向ヒアシであった。彼の表情は目の前の光景が有り得ないと叫んでいたが、それに気づく者はいない。ヒアシの隣に座っている次期当主の座を約束された彼の娘である日向ハナビすらも気が付かない。
隣の人間の表情を気に留める余裕すらない。それほど、会場の全ての人間はネジの“技”に見惚れてしまっていた。
「大回天!」
ネジから放出されたチャクラはその規模を広げ、ナルトの拳を絡め取った。と、同時にナルトの体勢が崩れる。
八卦掌回天という柔拳の技がある。全身からチャクラを放出し、回ることによって360°全ての方向からの攻撃を防ぐ技だ。それにより、ほぼ全ての物理攻撃を完封する。
──何ということだ。
ヒアシは喉を鳴らす。
回天は日向宗家のみに代々口伝される秘術である。分家の人間であるネジは回天の存在は知っていたとしても、決して教えられることのない技。それを独自に作り上げたネジの才能に日向家当主であるヒアシはネジの末恐ろしさに再度、生唾を飲み込む。
独自に回天を習得した。それですら、有り得ないことであるのにも関わらず、今し方、ネジが使ったのは通常の“回天”以上の規模を持つ“大回天”という技。秘術を発展したネジの才能はこれまでの日向の人間、全ての上を行くものだとヒアシは背筋を震わせた。
だが、彼の驚愕はこれで終わらない。
「終わりだ。柔拳法……」
「む!?」
ネジの大回転で吹き飛ばされ、地面を転がされたナルトだったが、すぐに立ち上がりネジの姿を探す。だが、ナルトが気づいた時にはネジの姿はなかった。既にネジはナルトの懐へと潜り込んでいたのだから。
「……八卦二掌!」
ネジの指がナルトの肉を穿つ。
「四掌」
さらに倍。
「八掌」
その倍。
「十六掌」
また倍。
「三十二掌」
終わる事のない連撃がナルトの体を襲う。
「六十四掌!」
だが、ナルトもさる者。体幹を動かすことなく連撃を耐えるが、真っ向から受けた衝撃は逃がすことができない。ネジの連撃はナルトの巨体すら動かし、相撲でいう電車道を会場の地面に作る。
「八卦……百二十八掌!」
──分家の者が宗家を越えた、か。ヒザシよ。やはり、日向の家はお前が……。
上で見下ろすヒアシは唇を後悔に噛み締め、言葉を心の中で吐き出した。それは彼の双子の片割れへの言葉だ。
「ネジが何をしたのかエリートのオレにも分からねェーが……ただ、ネジの技がナルトに残らずヒットォオオオ! これじゃ、無事ではいられねェ!」
勝負は決まった。日向始まって以来の天才、ネジの勝利だ。
そうヒアシは考えていた。そして、解説者であるザジ、彼の言葉を聞いた観客席のほとんどの人間もそう考えていた。
だが、そう考えない者もいた。
「ヒナタ、よく見とけ」
「キ……キバくん?」
自分は負けたとはいえ、本選の行方が気になったのだろう。観客席の中、普段の忍装束とは違い、普段着を身に着けたキバが同じようにラフな格好をしたヒナタに声を掛ける。
ネジの力をよく知っているからこそ、自身で受けたからこそ、ヒナタはネジの攻撃を受けたナルトから目を逸らしてしまっていた。
しかしながら、キバはナルトの力をよく知っているからこそ、自身で受けたからこそ、ヒナタを叱咤する。
目を逸らすな、と。
逃げるな、と。
想いを受け取れ、と。
「……何を?」
キバとヒナタから離れた席。そこにいるヒアシはネジの困惑した声で会場に立っているナルトへと不審な視線を遣る。
そこで、初めてヒアシはおかしいと感じた。そもそも、全身の点穴を突かれれば立つことすら出来ない。それが彼の常識だ。だが、目の前の光景は彼の常識を否定している。
八卦六十四掌、いや、念には念を入れたネジの百二十八掌を正面から受けてもナルトは笑みを浮かべているではないか。
それは追い込まれた者が浮かべる笑みではなかった。
「何を……何をしたァアアア!?」
ネジの絶叫が会場内に響いた。
「悲しいぞ」
絶叫に応じて響くは静かな低音。ナルトの声だ。
「己は修行の間も延々と貴殿のことを考えていた。どのようにしたら、貴殿に勝てるのか? どのようにしたら、点穴を突かれても闘えるのか? だが、貴殿は己のことを一つも考えなかったと見える。先のヒナタとの闘い、その時の闘い方と同一だ」
「答えになっていない! 一体、何をした!?」
「それが悲しいのだ」
ネジの催促を聞いているのかいないのか。ナルトは自身のペースで言葉を続ける。
「常に全力を。それが己の矜持。そして、己が考え、出した答えは一つ。力を入れても貴殿の技が上回るならば……」
ナルトは背筋を伸ばし、宣言する。
「……己は負けぬように全力以上の力を全身に入れればいい」
「お前は何を言っている?」
ネジは毒気が抜かれたかのようにナルトに尋ねる。試験だということすらも忘れ、純粋な疑問をナルトにぶつけたネジだったが、まともな答えが返ってくることなど有り得ないと悟っていた。だが、どうしても聞かずにはいられなかった。
「全身に力を、気力を、パワーを! 全力以上に入れたのだ!」
ネジの班員、テンテンは観覧席で目を丸くする。
ネジの白眼の最大視覚はほぼ360°……つまり、自分の周囲は全て見通せるわ。そして、その白眼で相手の攻撃を全て感知。ここから、ネジの防御法、八卦掌回天は始まる。攻撃を受ける瞬間、体中のチャクラ穴からチャクラを多量放出。そのチャクラで敵の攻撃を受け止め、自分の体を
考えを纏めたテンテンは知らず知らずの内に身を乗り出していた。
そして、テンテンの視線の先にいる彼女の班員であるネジは、ナルトの余りの答えに上を見上げる。綺麗な青い空が見えた。遠くに鳥が飛んでいる。
──つまり、力を入れれば百二十八掌を防ぐことが出来たという訳か。
ネジは理解することを放棄した。
もし、ネジがもう少し筋肉について理解があれば、ナルトがした行為は理に適っていたことを理解できていただろう。
腕でも足でもいい。力を入れ続けると筋肉は震える。筋肉を緊張させ続けると不随意に全身が震えるという経験がないだろうか? それにより、ネジの点穴を突く攻撃は全て少しずつズレていた。結果、全身に全力以上の力を入れたナルトの点穴を閉じることは出来ていなかったのだ。
もちろん、ナルトはそこまで考えていない。力を入れて防げないのならば、より力を入れれば防げるだろうという単純明快な考えの元、実行された手段はネジの切り札を完封することに偶然ではあるが成功した。
「さて、ネジよ」
空を見ていたネジへとナルトは声を掛ける。
「闘いを続ける前に一つ貴殿に問いたい」
「何?」
「貴殿の技術を受け、己は貴殿の才を認識した。貴殿は強い」
「何?」
「故に分からぬのだ。努力を続けたヒナタの心を何故、追い込んだ? それは強者の行いでは……決してない!」
ネジの眉が動く。
闘いの最中にされる質問ではない。その上、自分が嫌悪している者に対した行為の是非を問われている。端的に言えば、ナルトの質問はネジにとって面白くなかった。
「お前には関係のない話だ」
もう話は終わりだと言外に語るネジだが、ナルトの視線はその逃げを認めていなかった。
「……」
「……」
視線の応酬。
先に視線を逸らしたのはネジだった。これ以上、黙っていたとしても話は進まない。
そう判断したネジは白眼を収める。
「……いいだろう。そんなに気になるなら教えてやる」
ナルトを通して宗家を見るネジの目はどこまでも冷たかった。
「日向の憎しみの運命を」