ナルトの自来也との修行は早くも三週間が過ぎた。
中忍試験本選まで与えられた猶予期間、その半分以上を使い切っている状況だ。
「口寄せの術!」
煙が上がり、そして、晴れる。口寄せの術で呼び寄せられたのは橙色の両生類である。
「……」
言われてみれば、蛙に近い。しかし、蛙ではない。四肢は生えそろっているものの、その手足は脆弱という言葉を形にしたかのように弱々しく細いものであった。そして、蛙との大きな違いとして、ナルトが口寄せの術で呼び寄せた両生類には尻尾があった。
形は蛙に近いが、その尻からは尻尾が生えている。まだ成体に成り切れていない蛙の幼体だ。
これはそう、失敗である。
「口寄せの術!」
何度、繰り返してきただろうか?
着実に一歩一歩進んできたナルトの修行であるが、そのスピードは遅々としたもの。このままのスピードでは、中忍試験本選に間に合う事はないだろうとナルトを傍で見守る自来也は考えていた。
チャクラを練ること自体は出来ている。然れども、それを最適な量にコントロールすることが出来ていない。
──思うに……大量のチャクラを使うことに拒否感があるんだろうのォ。
口寄せの術の会得難易度はそう高いものではない。体術しか鍛えていない忍であろうが、ある程度の修行を行えば出来るようになる術である。習得が遅い者でも一週間あれば出来るようになる術だ。更に言えば、その“ある程度”という修行も今、ナルトが行うような何日も休みなく印を組み続けるといった過酷な修行は必要ない。精々、任務の後、3時間ほどの修行を一ヶ月続ける程度で習得することが出来るような術である。
しかしながら、ナルトは習得できなかった。
練り上げたチャクラだけで、油断していたとはいえ歴戦の忍である自来也を吹き飛ばすことが出来るほどのチャクラ量をナルトは持っている。術の発動のためのチャクラは十分ある。ならば、あとはチャクラのコントロールのみ。そして、そのコントロールは座学だけでは到底、到達することができない“経験”によってのみ獲得することができる。
『ならば』と、これからの修行の方針を固めた自来也はナルトに視線を向ける。
だが、自来也の視線のナルトは倒れ伏していた。
自来也は履いている高下駄の歯を石に当てて音を鳴らす。
とうとう気を失ったか。無理もない。この21日間の修行、根性だけで続けとるよーなもんじゃからのォ。望むときに巨大な“九尾のチャクラ”を引っ張り出し利用する。確かに、このコントロールは難しい。そもそも、九尾をコントロールできたのは長い忍の歴史の中でも数人しかいない。
頭の中で考えを纏めた自来也は動かないナルトの元へ、ゆっくりと近づく。
──身の危険や感情の昂りが九尾のチャクラを引き出す鍵なら……その鍵の使い方を体で。
「……」
──覚えさせる……。
「……」
──そう、覚えさせる……。
「……」
──覚えさせる……までだ……っておッもッいのォ、コイツ!
「……チッ。口寄せの術」
一つ舌打ちをした自来也は大蝦蟇を時空間忍術で呼び寄せ、蝦蟇の背にえっちらおっちらとナルトの体を乗せる。
弟子より先に諦めることは有り得ないと考えている自来也であるが、これは諦めたのではなく効率的な方法を採っただけのことと自分を納得させた彼は蒼天を仰ぎ見る。
──そうだろう? 四代目よ……!
+++
「む!?」
目を開けると同時にナルトは機敏な動作で立ち上がる。人前では決して疲れを見せないナルトは体が悲鳴を上げていることを認識していないかのように動く。
「師よ、済まぬ。少し寝てしまっていたようだ」
「……」
「すぐに修行を再開する」
「いや、待て」
「どうされた?」
「……修行は今日までだ」
「愛想尽きた、ということか。いや、尤もである。全ては覚えが悪い己の責任。今日まで付き合って頂き感謝する」
「……。死にたくなかったら自分でなんとかしろ……のォ……」
話が通じていない。
そうナルトが感じたと同時に引き締まった大胸筋下部が押された。普段ならば、多少押されたところでビクともしない。巨石を連想させるナルトの大胸筋であるが、今の彼は非常に危うい状態となっていた。例えるならば、切り立った崖の端に置かれた巨石。
21日間、休むことがなかったナルトの体調は最低と言ってもいいほどのものであった。
そして、自来也の一押しは崖から巨石を突き落とす結果となった。
「!?」
自来也の押す力を受け止めることができなかったナルトの体は下へ下へと落ちて行く。
自身の逆立った髪が風に煽られ、上へと流れて行くことを感じながらナルトは落ちて行く。
──さて、お前に与えられた力が本当にお前のためのものかどうか……見ものだな。
小さくなっていくナルトの体を崖の上から見下ろしながら自来也は険しい表情を浮かべていた。
小さくなっていく自来也の体を崖の下から見上げながらナルトは険しい表情を浮かべていた。
──このままでは……死ぬ。
右手に渾身の力を籠め、ナルトは手を伸ばす。彼の手が向かう先は崖から伸びた岩である。水や空気の浸食で円錐状となった岩が無数に突き出ている崖の表面。ナルトの手が岩へと当たる。
「む!?」
だが、力が入り過ぎたようだ。
ナルトの体重を受け止めることができなかった岩はあっさりと崩れ去り、石となる。上から手を叩きつけたせいで落ちるナルトよりも先に下に向かう石。
“死ぬ”
そう言葉では理解していても、今までは実感が足りなかった。崖下へと速いスピードで落ちて行く石を見て、そこで初めてナルトは実感した。
──このままでは……死ぬ!
自分の体のどこかが蠢いた感覚を最後にナルトは現実から切り離された。
「……む? むむ!?」
廊下だ。
ナルトの視界が一瞬にして変わっていた。
確か、自分は崖の上から落ちていたハズだとナルトは小首を傾げる。ここは一体どこであろうかと辺りを見渡すが、見えるのはコンクリートで出来た廊下だけだ。
ナルトは下に視線を移す。自分の顔が見えた。水だ。水が溜まっている廊下の床が自分の顔を映している。
ナルトは上に視線を移す。自分の顔が見えた。パイプだ。銀色のパイプが自分の顔を映している。
全く知らない場所。
ここはどこだと問い掛けることが出来るような人間もいない。
そう、人間はいなかった。
「オオオオオオ!」
物悲しい、獣の鳴き声がナルトの耳に届いた。間髪入れず、ナルトは獣の声が聞こえた方向へと向かう。
どこかで悲しむモノがいる。それが人でも、例え、獣でも見過ごすことは出来ない。それはナルトが己に刻み込んだ漢の矜持。
そう、禍々しいチャクラを発していたとしても悲しむ声がある限り、ナルトは助力を惜しむことはない。
ある部屋に入った瞬間、ナルトの感覚器官全てが冷たさを感じた。
しかし、全身の肌が粟立つような冷たいチャクラの中に全身を浸そうがナルトは進むことを止めない。
かくして、ナルトの足が止まったのは冷たいチャクラが湧き出る源の前。それを隠すように存在しているボロボロの檻の前であった。
その檻の中の獣が自分の前に立つナルトの姿を見て、目を細める。
「小僧ゥウ。もっと近くへ……来い」
「窮屈そうだな。出そう」
「やめろォ!」
一瞬の躊躇いもなく、檻に手をかけるナルトに向かって檻の中のモノは叫ぶ。
まるで、自分を檻から出すなというような獣に向かってナルトは疑問を口にする。
「何故? 貴殿は辛くはないのか?」
「辛いなど……ワシにそんな感情が在る訳なかろう」
「強がらなくてもよい。己が来たからには大丈夫だ。出そう」
「だから、やめろと言っている!」
「しかし……」
「ワシをここから出せば……」
獣は檻の中、闇の中で歯を剝き出した。
「お前は死ぬぞ」
「む!?」
思い出した。
崖から落ちていることを。
思い出した。
あの日の言葉を。
『ナルトの正体がバケ狐だと口にしない掟だ』
思い出した。
恐怖を。
『つまり、お前が──イルカの両親を殺し──里を壊滅させた九尾の妖狐なんだよ!』
──違った。
ナルトは檻の獣に視線を注ぐ。
──己は九尾の妖狐などではなかった。
鋭い爪、鋭い牙。
──九尾の妖狐。それは……。
橙色の巨大な体。
「貴殿であったか。九尾
薄暗い闇の中で九尾の狐はニタリと口角を上げた。
「随分と頭の回転が鈍いな、貴様は。あと、九尾“殿”とつけるのは止めろ。気色が悪い」
「では、狐殿と」
「……」
これ以上の問答は無駄だと感じたのだろう。九尾の妖狐は沈黙を返す。
沈黙を受諾と受け取ったナルトは息を整え、唇を噛み締める。それは、ナルトにとって苦しいこと。これから行う頼みは最早、九尾の妖狐に対する強迫に近い。そのことをナルトは理解し過ぎている。例え、ナルトの頼みによる結果が九尾の妖狐の命を救う事であろうとも、そのための過程を無視することなど到底できるハズがなかった。
だからこそ、ナルトは痛いほどに唇を噛み締め、請うのだった。
「狐殿。頼みがある」
「なんだ?」
「チャクラを借り受けたい」
「何故だ?」
「生きるため」
「何のために?」
「決まっている」
ナルトは大きく息を吸い込む。
「貴殿と己は一蓮托生! 今、向かうは絶望! だが、ここに在るは希望!」
檻に隔てられている九尾の妖狐の圧力に負けないようにナルトは自身を自身の声で鼓舞する。
「力を合わせ、掴み取る! 我が命、そして、貴殿の命! ここに“
ナルトは檻の中へと右腕を入れた。
今はこの距離がナルトの九尾の妖狐との限界値。これ以上、踏み込むことは九尾の妖狐の心に土足で上がり込むようなものだとナルトは無意識の内に理解していた。
だからこそ……。
「フン……。ワシの命を救う、か。確かに、このまま崖の下に落ち、貴様が死ぬとワシも死ぬ。そう、脅せばいいものを……」
九尾の妖狐はナルトの大きな拳に自らの拳を当てる。
「……やはり貴様は度し難い」
……彼は力を貸す気になったのだろう。
自分の体のどこかが蠢いた感覚を最後にナルトは現実へと引き戻された。
「……む? むむ!?」
──力が漲る!
意気軒高と言わんばかりにナルトは親指を噛む。亥 戌 酉 申 未と印を組む。ナルトは確信する。
流した血が、これまでの汗が、21日間の時間が成果を形作ることを。
「口寄せの術!」
空間に術式が浮かび上がる。次いで上がる大量の煙。
「……良くやった」
上で見下ろす自来也は満足げに頷く。
眼下には確かにナルトの修行の成果が顕れ出ていた。家と比べても尚、大きい。巨大な蝦蟇がナルトを頭に乗せて、崖の両端に両手両足で下に落ちないように踏ん張っていた。
「感謝を……狐殿」