「フン……どこの雑魚だ?」
「……」
電光掲示板に表示された名の持ち主は対照的だった。
動と静。
ザク・アブミと油女シノ。
先に動いたのは、やはりと言うべきか“動”であるザクだ。足音を鳴らしながらザクは階段を降りる。それに続くシノ。
階段を降りた二人は自然と試験場の中心に距離をとって向かい合う。
二人の準備ができたと判断したのだろう。ハヤテは両手を腰の辺りの高さまで上げる。
「えー、では、これから第二回戦を始めます」
睨み合うザクとシノ。
どちらもナルトたちとは縁がある。ザクは言わずもがな、第二の試験でサクラを襲った忍だ。そして、シノの方はナルトたちとは同期の木ノ葉隠れに所属する忍。
ナルトたちを友好的に見るシノとは違い、ザクとナルトたちは怒りという縁で繋がっていた。憎しみではない。怒りだ。自分をコケにした者たちに対する純然たる怒り。その怒りはナルトたちと同じ里の忍であるシノへも飛び火した。
──まずテメェを血祭りに上げる。
ザクの気持ちに気付いたのだろう。シノと同じ班のヒナタは不安そうに呟く。
「シノくん、大丈夫かな?」
「あいつは強えーよ。オレもあいつとだけは闘り合いたくねェよ」
ヒナタに言葉を返すのはキバだ。彼もヒナタと同じくシノと同じ班に属する木ノ葉の忍だ。
だが、ヒナタとは対照的にキバには不安はなかった。消極的で悲観的な考えをするヒナタに比べて、キバは積極的で楽観的な考えをする人物だ。
キバはシノが負けるという姿が想像できなかった。
「おっ、始まるぞ」
「うん……」
ハヤテの動きに着目したキバは息を止める。
ややあって、ハヤテが薄く唇を上げた。
「……では、始めてください」
ハヤテが始まりを告げた。
それと同時に仕掛けたのはザクだ。
──負けられねェ……!
彼の脳裏に浮かぶのは第二の試験での戦い。自分の顔に頭突きを食らわせた生意気な女、サクラと自分の腹に一発入れるだけで戦闘不能に陥らせたスカしたガキ、サスケの姿だ。
そして、目の前にいる根暗なガキはサクラとサスケと同じ里の出身であることが着けている額当てから察することができる。
ザクの頭には惨たらしく目の前にいる“木ノ葉”の忍を倒すことしかなかったのだ。
対して、ザクを迎え撃つシノは虚無を感じさせる雰囲気を醸し出していた。事実、彼は何も感じていない。恐怖も昂揚も、憎悪も誇りも。戦闘に対する心持ちとは言えない。どちらかと言えば、作業をする心持ちに近い。
ただ、彼にあるのは勝利という二文字だけ。彼は自分が勝つことを全く疑っていなかった。そして、その自信に見合う実力をシノはつけていた。
「無駄だ」
ザクが振り被った左手の殴打をシノは事もなげに軽く曲げた右手で受け止める。だが、それは悪手だった。
ザクはニヤリとほくそ笑む。
「喰らえ! 斬空波!」
ザクが叫ぶと同時にザクの掌にある小さな孔からチャクラが放出された。人一人を吹き飛ばすには十分過ぎるほどの威力を持つ空気の塊がシノを襲う。
成す術もなく地面に転がされるシノ。
「なにッ!?」
そして、勝利を告げられると信じていたザクは目の前で起きたあり得ないことを瞬時に見極めることができなかった。
自分の斬空波によりダメージを与えたシノの体が黒くて小さいものに覆われていく。完全にシノの体が黒いモノに覆われた後、ザクは気が付いた。
──蟲、だと?
忍の業は多種多様。五大属性である火、水、風、土、雷。それ以外にも特殊な血筋の者が扱うことのできる氷や結晶などの血継限界。だが、ザクの目の前にいるシノは、チャクラをある属性に変換することで得られる性質変化とは全く違う術を使っていた。
蟲使いの一族。それが油女一族だ。
油女一族は産まれた時に蟲に己の体を巣として貸し与えることで戦闘に蟲を使うことができる術を持つ一族。特殊な体質が必須とされる秘伝忍術の使い手、それが油女シノだ。
蟲を武器として扱うことができるとは初見では、まず思い至ることはない。そして、それを予測できるための経験がザクにはなかった。だが、ザクとて忍。敵の術をむざむざ受けるほど間抜けではない。
ザクは両手を突き出し、高く立ち昇る蟲の大群へと照準を定めた。
──最大出力……!
「斬空波!」
ザクの叫びと共に、彼の両手からは凄まじい勢いでチャクラが放出される。空気を揺らしながら蟲の大群へと向かうザクの術は防がれることなく、蟲たちを吹き飛ばす。当たり前と言えば、当たり前だ。突風に対して何もできずに飛ばされる無力な小さな虫。自然現象ですらそうなのだ。人為的に突風を超える規模の攻撃を起こせるザクの両腕には小さな蟲たちは敵わなかった。
「ハアッ……ハアッ……ふー」
体中のチャクラを絞り出して威力を最大に発揮した斬空波だ。術者であるザクへの反動は大きかった。チャクラは元より、彼の腕にかかる負担は相当なもの。腕が震えて、クナイすら持てない状態だ。
だが、それほどまでに自らの体を酷使した成果はあった。
ザクは疲れを顔に示しながらも、得意気に前を見る。大きく破壊された試験会場。ザクの斬空波の影響下にあったコンクリート製の地面は罅割れ、そして、そこに居るハズのシノはいなかった。斬空波の範囲外にいたのだろう。蟲が数匹飛び回っているが、術者であるシノがいないことで、どうすればいいのか分からずオロオロとしている様子が見て取れた。
──跡形もなく吹っ飛びやがったか。
そもそも、斬空波の最大威力は大人一人を粉々に砕くことのできる出力を持つ。まだ12歳ほどの子どもであるシノが耐えきれるものではない。
ザクは自分の勝利を確信した。目を閉じ、大きく息を吐いて呼吸を整えるザクは試験官であるハヤテの指示を待つ。
ザクの最大の攻撃を正面から受けた場合、シノは耐え切れない。
とはいえ、それには“当たれば”という注釈が着く。
「次はオレの番だ」
「!?」
後ろから聞こえてきた声にザクの顔が強張る。ザクは後ろからの濃密な殺気により動くことができなかった。例え殺気による萎縮がなくとも、チャクラを使い切ったザクに、腰に回されたシノの腕を振り払うことはできなかっただろう。
そう、悪手だったのはザクの方だ。シノを吹き飛ばした斬空波によって、シノの体を見失ったことがザクの敗因だ。
吹き飛ばされたシノは地面に転がりながら、ザクを欺くために二つの策を講じていた。まず一つは、自身の体から蟲を出すことで、ザクの視界から自分を外すこと。これが一つ目の策。
そして、もう一つの策が変化の術で蟲に変化した状態で行動し、ザクの攻撃を避けたこと。これが二つ目の策だ。
この二つの策によりシノはザクのバックを取る事ができた。そして、忍にとって、後ろを取られるというのは命の取捨選択の権利が相手に移ったことと同義だ。生かすも殺すも自在。
そして、シノが選んだのはザクにとって最も残酷な選択肢だった。生かさず殺さず、痛みと恥辱に塗れさせる行為だった。
シノは後ろからザクの腰に回した手に力を籠める。体勢は低く、そして、力を全身に漲らせ、シノは身を仰け反らせる。地面からザクの足が離れる。
「くっ!?」
内臓が上から下に向かう感覚、その一瞬後にザクを襲うのは上から下へと内臓が向かう感覚だ。天地が逆になった視界の中、ザクは頭から地面へとフォールされた。
ジャーマンスープレックス。
プロレス技の代名詞とも言えるほどに有名な技だ。相手の腰を掴み、体を仰け反らせることで相手を頭から地面に叩き付ける技。テレビで“よい子は真似しないでね”というテロップが間違いなく表示されるほど危険性が高い。
そして、体をそれなりに鍛えている忍と言えども、ジャーマンスープレックスによるダメージは看過できない。コンクリートの床に叩き付けられたザクの頭部は血に染まっていた。
カウントを数えるまでもない。
そう判断したハヤテは勝利者の名を宣言しようとする。
「まだ……だ」
「!?」
思わず、ハヤテは息を呑んだ。まさか、動けるとは思えない。そして、そう思うのはハヤテだけではなかった。この場の全ての人間、三代目火影はもちろん、“音”の額当てをつけた上忍でさえも身を乗り出してザクを見つめていた。音の上忍は長い舌で自分の唇を嘗める。
「こんなとこで……負けられねェ……」
『見込みあるわね、君。私のところに来れば、もっと強くなれるわよ』
ザクの頭に響くのは大蛇丸の声。
「こんなとこで……期待を裏切れねェ……」
『私の為に闘いなさい。そうすれば、もっと強くしてあげる』
意識を精神力で繋ぎ止めているザクのふらついていた頭が止まった。
「こんなとこでッ! ……終わらねェ!」
頭から血を流しながら、鼻から血を流しながら、口から血を流しながら、それでも尚、ザクは拳を握り締める。
彼を奮い立たせるのは大蛇丸への忠誠心。それだけではない。絶体絶命の状況の中、ザクは相対したサクラの姿を今の自分の姿に重ねていた。
自分たち三人に向かって、臆することもなく立ち向かってきた年下の少女。絶体絶命の状況の中、傷ついた体を意志の力で動かす少女の姿だ。
──負けたくねェ……。
ザクは拳を握り締める。
「分かった。後悔するな」
「上等だァアアア! アアアアアアアッ!」
一瞬、意識が飛んだザクだったが、それでも彼は足を止めようとはしない。更に声を出して自分を鼓舞する。全ては目の前の敵を自分の拳で倒すため。だが、ザクの意識が飛んだ一瞬。コンマ2秒ほどの短い時間。その一瞬が致命的だった。いや、致命的だったのは、シノと戦ったこと自体かもしれない。
ザクの意識が飛んだ瞬間、彼の膝は曲がっていた。それをシノは見逃さなかった。彼らの間の距離は短い。一般人よりも遥かに速く動くことができる忍にとっては猶更だ。
曲がったザクの右膝に左足を乗せたシノは左足を軸に体を回転させる。回転したシノの左半身に続いて来るのは彼の右半身、そして、右足だ。ザクの膝を足場とすることでシノの右足の進行方向にあるのはザクの顔だ。
シノの右足は吸い込まれるようにしてザクの頬に減り込んだ。シャイニングウィザードを決めたシノは地面に転がされたザクに向かって平坦な声で告げる。
「今は偶々、オレの方が強かった。それだけだ」
「勝者! 油女シノ!」
ハヤテが勝者の名を宣言した。だが、シノは特にリアクションを見せない。一つ頷いたかと思うと、彼は踵を返して階段を上がっていった。
シノが階段を上がった先にいたのは、彼の班員であるヒナタとキバ、そして、担当上忍である紅だった。
「シノ、おめでとう」
「うむ」
紅へと頷いたシノは顔色一つ変えることなく、キバとヒナタの間に体を滑りこませた。
「あ、シノくん。お疲れ様」
「やったな、オイ!」
「うむ……お前たちにも期待してるぞ」
「くっ!」
こいつ、チームのリーダーみたいなノリで帰ってきやがって、くそっ!
──オレの試合は……まだかよ。
闘いの中で自分の力をシノに、そして、木ノ葉の同期に、ここにいる全員に見せつけてやりたい。そのように考えるキバであったが、電光掲示板に表示された文字はキバの名を示すものではなかった。
ツルギ・ミスミ VS カンクロウ
次の試合は、砂隠れのカンクロウと木ノ葉隠れの剣ミスミの対戦だった。ミスミは伸縮自在な体でカンクロウの動きを絡めとったものの、ミスミが捕らえていたのはカンクロウの姿をした傀儡だった。傀儡に不用意に近づいたミスミを荷物に変化していたカンクロウが見逃す訳もなく、傀儡による抱擁により体の骨を折られたミスミの敗北で決着が着いた。
危なげなく駒を次に進めたカンクロウを見て、ナルトは目を細める。
──あの者……強い。
それは初めてカンクロウと出会った時から分かっていたこと。カンクロウが繰り出したチャクラ糸により、自分の動きが少しとは言えども抑えられたことを思い出したナルトは拳を握り締める。
──闘いは……まだか?
電光掲示板に目線をやるナルトであったが、そこに表示されていた文字を見て口を真一文字に結んだ。
ハルノ・サクラ VS ヤマナカ・イノ
ナルトがよく知る二人の名前がそこには表示されていた。