ナルトを見つけた敵対者の耳に入るのは『セイヤッ!』という囃子と太鼓の音。
──幻術? いや、これは殺気……かしら?
先ほど、自分がサスケたちに殺気だけで死をイメージさせたように、仁王立ちの男もまた立ち振る舞いだけでイメージを引き起こさせたのだろうと敵対者は当たりを付けた。
敵対者は目を細める。
背は高く、横幅は広く、実に逞しい。はち切れんばかりに伸ばされたシャツとズボンの間に見える肌色の腹筋は見事なシックスパックを作っている。腕や脚も、一本一本の筋線維が自らを主張しているかの如く盛り上がり、実に見事なものだ。
──悪くないわね。
見つめ合う両者。品定めをするが如く、敵の姿を目に焼き付け、脳へと情報を送る。
検分が終わり、先に視線を外したのはナルトだった。
「済まぬ、サスケ。合言葉は……忍歌『忍機』までしか覚えられなかった」
「ナルト!」
ナルトの他者の心を沈める深い音色の声でサクラは動きを取り戻した。喜びの声を上げるサクラ。だが、彼女とは対照的にサスケの声は固かった。
「ナルト! こいつは次元が違い過ぎる! 逃げるぞ!」
「……逃げる?」
「ああ、そうだ!」
妙に理解の遅いナルトに苛つくサスケは思わず声を荒げる。
「そのようなことが通用する相手ではないだろう」
動くこともなく、再び敵対者に視線を遣るナルトを見たサスケは埒が明かないと判断した。
──これしか、方法はない。
写輪眼を元の黒真珠のような黒色へと戻したサスケは腰のポーチから巻物を取り出す。それは“天”と大きく書かれた巻物。第二の試験の合格条件の片方だ。
「巻物ならお前にやる。頼む、これを持って引いてくれ」
「サスケくん!?」
それは降伏を宣言する行為だ。巻物争奪戦である限り、巻物を一本も持っていない者たちと戦う理由はない。どちらかと言えば、巻物を持っていない者と戦うのはスタミナとチャクラと、そして、時間の無駄だ。だからこそ、サスケは巻物を敵対者に渡すことで、自分たちと戦うメリットを無くそうと考えたのだ。
敵対者は表情を変えることなく、サスケが持つ巻物に視線を注ぐ。本物だと確かめたのだろう。ゆっくりと頷きながら、敵対者は唇を歪めた。
「なるほど、
「受け取れ」
敵対者の発言に被せるようにサスケは言葉を続ける。そして、サスケは天の巻物を敵対者に向けて投げ渡す。
──これで危機は脱した。
それが甘い考えだったと気づくのは、自分と敵対者の間に影が割り込んでからだった。
ナルトだ。
サスケが敵対者へと放り投げた巻物をナルトが捕まえていた。あまりにも愚かなナルトの動きにサスケは激高し、ナルトを怒鳴りつける。
「テメェ! 余計なことするな! この状況が分かってるのか!?」
「落ち着け、サスケ」
「何、言ってやがる! 巻物を奴に渡せ!」
「落ち着くのだ」
ナルトはその大胸筋へとサスケの頭を押し付ける。
「!?」
優しく温かな母の腕とは違う。厳しくも暖かい父の腕とも違う。当時は心から尊敬していた兄の腕とも違う。が、その腕の温度はサスケに安心を与えた。
サスケが腕の中で静かになったことを確認したナルトはサスケから敵対者へと再度、視線を向けた。
「この者は……違う」
「違う?」
状況について行こうと頑張るサクラ。
彼女は何とか自分がツッコむことができるナルトの『違う』という発言を繰り返す。正直、サクラはもう一杯一杯だった。恐ろしく強い敵が現れたかと思ったら、狼狽することなどあり得ないと思っていたサスケが敵の強さに狼狽え、遅れてやってきたナルトがサスケを抱き締めている。
『いや、ホント、どういうことなの? 分からないわよ、本当に!』と目の前の状況を無視して、気が狂ったように叫んで現実を否定したかったサクラだ。だが、サスケから褒められた分析力を活かすためにも、現実から目を逸らしてはならない。そのちっぽけな、だが、確かな矜持だけがサクラを現実に繋ぎ止めていた。
そんなサクラを尻目にナルトは敵対者から目を離さず、口を開く。
「貴殿の目的は巻物ではないだろう?」
「あら。何でそう思うのかしら?」
「勘だ」
「あらあら……」
クスリと笑った敵対者。と、敵対者の表情が変わる。
「正解よ」
次の瞬間、底冷えするような笑みを浮かべた敵対者はナルトの言葉を肯定した。サクラの顔が引き攣る。先ほど、敵対者の殺気を受けただけで体が動かなくなったのと同等の狂気をサクラは感じたのだ。
だが、その狂気を一身に受けたナルトは眉を少し顰めただけだった。
「貴殿の目的は?」
敵対者が醸し出す冷酷な雰囲気を気に留めることもなく、ナルトは敵対者へと尋ねる。
「そうねぇ。色々あるけど今、私が欲しいのは……闘いよ」
「……サクラ!」
「は、はい!」
「サスケを」
ナルトは震えるサスケを己の腕から解放して、呼び寄せたサクラへと彼を預ける。進み出たナルトは、一人、敵対者と向き合う。
交差する瞳。先に口を開いたのはナルトだった。
「名は?」
「大蛇丸」
「己は……」
「知ってるわよ、ナルトくん」
「……征くぞ」
「来なさい」
それが合図だった。
「キャッ!」
轟音と共に飛び出すはナルト。肌色が、そして、サクラの叫びが後ろに流れるほどのスピードで大蛇丸へと迫ったナルトは渾身の力を籠めた右フックで大蛇丸を殴りつける。が、煙を立てた大蛇丸の姿が丸太へと変わる。変わり身の術だ。
だが、ナルトとしても、この程度は下調べでしかない。拳を丸太に減り込ませながらナルトは腕を振り抜く。
「!?」
ミシリと嫌な音が森に響いた。
細い大蛇丸の目が大きく見開かれる。
変わり身の術でナルトの拳を避けた大蛇丸は隙を突くべく、彼の後ろへと回り込んでいた。口寄せの術で呼び寄せたのだろう。銀色に煌めく刀を振り上げた大蛇丸は後ろからナルトへと切りかかろうとしていた。
大蛇丸にとって、圧倒的に有利な状況。敵の拳は変わり身の丸太を破壊こそしたものの、彼の前にある大木に当たり、拳は動きを止めると大蛇丸は予想していた。そこから、腕を引いて自分へと攻撃を加えるまでに、こちらの刀がナルトを切り裂く。
──マズイわね。
だが、大蛇丸が予想していた状況など、そこにはなかった。まず、大蛇丸は前提からして間違っている。敵対している者を“ただの”体術に秀でた忍であると想定していた大蛇丸は、“ナルトの拳が大木”に阻まれると予想したのだ。
それは間違い。致命的な間違い。
大蛇丸はこう考えるべきだったのだ。
“異様に”体術に秀でた忍であると想定し“ナルトの拳は大木を折り、そして、体を回転させ自分へと攻撃を加える”と。
大木の幹に当たったナルトの右フックは、それに動きを妨げられることなく半回転し、大蛇丸へと向き直る。飛び散る木片、鋭い眼光。大蛇丸の前にいる忍は阿修羅の如き様相であった。
固く握りしめた拳が大蛇丸の体を捉えた。
「ふん!」
ナルトの拳が炸裂した瞬間、大蛇丸の体は弾丸のような速さで地面に叩き付けられ、そこに彼の体よりも一回りほど大きなクレーターを作り出した。陥没した地面の中心で横たわりながら大蛇丸は目を開ける。
「!?」
黒い影が自分へと一直線に落ちてくる。舞う砂塵を開き、自身へと向かって来るナルトの姿。
「オォオオオッ……ンッ!」
大蛇丸の体は迎撃も出来ぬまま二度目のナルトの拳を受けることになった。響く打音。地面の陥没が更に大きくなる。
ナルトが拳を引くと、そこには血塗れの大蛇丸の姿があった。腹は背と合わさるかと思えるほどに凹み、吐血が白い顔を赤く染めている。一目見て、オーバーキルだということが分かる。だが、ナルトは警戒を緩めない。
──殺気は消えていない。
ナルトは前後左右、全てに視線を遣る。回る視界の中、ナルトは第七班を率いる隊長の言葉を思い返していた。
『忍者は裏の裏を読め』
再度、響くは打音。
此度もナルトの拳は大蛇丸の体へと突き刺さった。五体が散り散りになる大蛇丸の体。そして、更に大きく、今度は地割れを伴いながら拡がるクレーター。
罅割れた地面の隙間から覗くのは、蛇の如く縦に割けた瞳孔。大蛇丸の顔だった。
「見つけたぞ」
猛虎の如き覇気を身に纏い、ナルトは大蛇丸へと迫る。
ナルトの事情、彼が九尾の狐を封印された人柱力だと知っている大人たちは、所詮、虎の威を借る狐と断じるだろう。
大蛇丸はナルトが九尾の人柱力だとは知らない。正確に言えば、彼は九尾の人柱力を木ノ葉隠れの里が保有していることは知っていても、九尾が誰に封印されているのかは知らない。
だが、大蛇丸の長い戦闘経験から導き出される勘は迫る拳、そして、彼が放つ気合いは彼自身の内より出されるものだと言っていた。変わり身の術で逃げたとしても、すぐに追いついて来ることは用意に想像できた。
だからこそ、先ほどの様に大蛇丸しか使うことのできない変わり身の術で避けることは意味がないと判断したのだ。
「口寄せ 羅生門!」
大蛇丸が印を組むと同時に大量の煙と、そして、鐘が鳴るような音が響いた。音は森を揺らし、木の葉を木々から奪う。
ハラハラと木の葉散る森の中、ナルトが突き出した拳は異なるものに防がれた。煙を上げて現れるは、およそ常なるものではない。刹那の内に現れたるは門だった。それも、大門。城にあるほど巨大な鋼鉄造りの門だ。門扉に怒り顔が描かれたおどろおどろしい造形。
──広い門の下には、
その名は羅生門。
時空間忍術で
ナルトの全力の拳を受けて尚、罅一つ入らない羅生門は大蛇丸が扱うことのできる術の中でも最高峰の防御性能を持つ。
「ハァッ!」
だが、拳を一回止めただけで何を誇ることができようか?
ナルトの左の拳が空気の渦を作りながら羅生門に突き刺さる。次いで来るは、右手の拳。二度、三度、四度。ナルトの拳が羅生門に当たる度に轟音が森を揺らす。
羅生門は考えた。己には、クナイを射出する能力がある。それで、己を殴り続ける人間を排除しよう、と。だが、羅生門は動けない。元々、攻撃性能は低く、自ら動くことも難しい羅生門だ。クナイを射出するためには、一瞬ではあるが、溜めが必要となる。
そして、その溜めを行うには自身の巨大な体に漲らせているチャクラを、クナイを射出する霧除庇に集めなければならない。
だが、そこにチャクラを集めるならば、人間の殴りでチャクラによる強化を失った体に傷が付けられるだろう。
だからこそ、羅生門は動くことができなかった。
無言で殴り続けるナルトと無言で拳を耐え続ける羅生門。
このような言葉がある。
“攻撃は最大の防御”と。
殴る拳が羅生門の体に当たる度、そこから煙が上がる。チャクラによるものではない。何度も繰り返し打たれる運動エネルギーが熱エネルギーに変わったせいだ。
羅生門の体はナルトの拳から繰り出される運動エネルギーを一身に受けていた。動くこともなく、耐えることができた羅生門は天晴れと言える。だが、耐えることができたせいで、ナルトの拳は羅生門の身を焼くことになってしまったのだ。
赤熱する羅生門の体。
ナルトの拳が当たる箇所を中心に赤く光る羅生門は自分の運命を悟った。
「ぬッおうッ!」
羅生門の意識が飛んだ。
一際大きなナルトの掛け声と共に繰り出された拳は羅生門に深く深く突き刺さり、熱を辺り一面に撒き散らす。羅生門の姿は煙と共に消えた。
スチームのように熱を持つチャクラを基にした煙。
ナルトは拳を突き出したまま残心する。油断は微塵もない。羅生門など、ただの前座。本命は羅生門の奥にいる者。
「フフフ……」
大蛇丸は自身の僕である羅生門がナルトに倒されたというにも関わらず、薄く笑っていた。
「久し振りに……」
舌なめずりをする大蛇丸の瞳は狂気に歪んでいた。
「……火が点いちゃったわ」
火が点いたのは大蛇丸だけではなかった。
正々堂々、闘う姿は見る者に勇気を与える。
ドクンと心臓が高鳴る音を聞いたサスケは目に力を入れて写輪眼を発動させた。次いで、彼は自分を抱き留めているサクラの手に己の手を乗せ、真っ直ぐサクラの翡翠色の目を見る。
「……サクラ」
「どうしたの?」
「……征くぞ」
それは簡潔な言葉。サクラには、それだけで十分だった。
「うん!」
頷き、二人は立ち上がる。
──戦う。
ナルトに触発された二人は今、覚悟を決めた。