朝日が木の隙間から差し込む。日が昇ってそう時は経っていない。夜露が足を濡らす時間だ。濡れた足に気を向けることもなく、一人の少年が早朝の林を歩いていた。
長い黒髪に女物の着物。見目麗しい少年だ。彼の名は白という。名は体を表すというが、なるほど、彼の肌は新雪のように滑らかで白い。
女性と言われても納得してしまうほどに美しい少年は草を摘む。彼が草を摘む目的は体の痺れを和らげる効用を持つ薬草を集めるため。
一般には、あまり知られていない草が持つ効用。その知識は、彼が霧隠れの忍としていた時に叩き込まれた知識の一つだ。
彼が手に下げる籠の大体半分ほどだろうか。
草を集めた少年は耳を澄ませる。爽やかな朝には似つかわしくないドタバタという音。立ち上がった少年は音の方向へと足を向けた。
少年が目を凝らすと、朝靄の中に一つの大きな人影があったことが確認できた。人影は手を使わずに足だけで木を登る。上へ上へと登っていくが、途中で足が滑り人影は地面へと叩きつけられる。
木の中腹、大体3~4mほどだろうか。その高い位置から地面へと背中を叩きつけられた人影は何ともなかったように、また立ち上がる。そして、人影はまた足を木に着けて、垂直に登っていく。だが、また落ちる。
あまりにも痛々しい。例え、本人は痛みを感じずとも周りで見ている者の方が痛みを感じてしまう。そのような常軌を逸した拷問とも呼べることを人影は何度も繰り返していた。
見ていられない。少年は足元の草を踏みしめて音を立てる。彼は音を立てて人影に自分の存在をアピールしたのだ。
そこで、やっと大きな人影は少年の存在に気が付いたようだ。
「貴殿は……?」
「通りすがりの者です」
大きな人影、ナルトは音がした方向に顔を向け、そこにいた少年へと視線を注ぐ。柔和な雰囲気を醸す線の細い人間。
ナルトは少し眉を顰めた。
例え、修行である木登りに集中していたとしても気配に勘付かない訳がない。
以前、ナルトは精神修行のために山籠もりをしていたことがあった。その時に様々な技術を身に着けたナルトは周りの気配に非常に敏感である。
だからこそ、獣じみた気配察知の能力を持つナルトの鋭敏な感覚をやり過ごした目の前の人物は唯者ではないと、ナルトは感じ取っていた。
とはいえ、殺気は全く感じない。
清廉な空気を漂わせる人物が自分を、そして、周りの人を傷つけることはないと確信し、ナルトは口を開いた。
「しかし、貴殿はこのような早朝から何用でここにいるのだ?」
「それはアナタもでしょう?」
「む? これは一本取られたな。では、まずは己から説明させて貰おう。己は自らを鍛えるためにここにいる」
「鍛えるため、ですか」
「うむ。して、貴殿の方は?」
「この薬草を取っていたんです。そしたら、こちらの方から音がしていて」
「五月蠅かったか? 済まない」
「いえ、それほどではありません」
『杞憂で済んだか』と声に出したナルトは少年へと近づく。
「貴殿を手伝おう」
「いいんですか?」
「無論。子女を助けるは己が道」
力強く頷くナルトへ少年は雪の結晶のように美しく笑うのであった。
+++
彼らは薬草を取るため、場所を移していた。光が差し込む林の中の広場。
「貴殿も朝早くから大変だな」
「アナタこそ。そういえば、アナタはここで何をされていたんですか?」
「修行だ」
「修行……ですか?」
「うむ」
頷くナルトへと少年は問いかける。
「何で修行なんかしているのですか? アナタは既に十分、強そうに見えますけど」
「いや、己はまだまだ至らぬ未熟者、故に修行を続けなければならぬ。それに、己を鍛え上げるは自然なことであろう?」
「普通の人は必要に迫られなければ、そこまで筋肉をつけないんですけどね」
小さく笑った少年だったが、一転、真面目な顔を作る。
「……何のために、アナタは強くなろうとしているんですか?」
「里で一番の忍となるためだ。後は……世界を諦めている小さき者に素晴らしさを教えるためだ」
少年は口に手を当て、上品に笑う。笑みを浮かべながら少年は再びナルトへと問いかけるのであった。
「アナタには、大切な人がいますか?」
少年の目が昏くなる。光を映さない黒い目。少年は自分の身に起きた出来事を思い返してしまっていた。
自ら思い返すことを忌避するほどに冷たく、そして、絶望に押しつぶされるほどの過去。その中で現れた確かな光。その光の後についていく自分の姿を瞼の裏に収めた少年は、現実の、目の前にいるナルトに真っ直ぐな視線を向けた。
「人は……大切な何かを守りたいと思った時に、本当に強くなれるものなんです」
「然り。貴殿の言うことは金言だ。改めて胸に刻みつけよう」
『既にアナタは知っていたんですね』
笑顔を浮かべる少年は言葉を飲み込んだ。伝える必要もない言葉だからだろう。
おもむろに、少年は立ち上がる。
「アナタは強い人だ。またどこかで会いましょう」
少年はナルトへと振り向くことなく歩いていく。
「あ、それと……」
振り向くことはなかったが、少年は足を止めた。黒く長い髪を揺らしながら、少年はナルトに訂正を行う。
「……ぼくは男ですよ」
「む!? それは済まなかった、謝罪する」
「ふふ……では、また」
去りゆく少年を見送りながら、ナルトは確信していた。少年と同じように、また、すぐ、どこかで会うだろうことを。
+++
修行開始から七日目の朝。
「ナルトの奴、どこ行ったんだ? 毎日、夜まで出かけて無理しやがって」
「いつもなら、もう帰ってきてる時間なのに。それに、サスケくんも」
朝食の時間になっても帰ってこないナルトとサスケを心配したカカシとサクラは木登り修行の場所に訪れていた。
「カカシ、それに、サクラか」
突如、上から聞こえてきた声。サスケだ。
カカシとサクラは声がしてきた方向、サスケがいつも登っていた木の上へと目をやる。
「まさか、な」
「嘘でしょ……」
サスケは昨日の時点でチャクラコントロールによる手を使わない木登りは完成していた。だから、サスケが木の天辺に足を着けていること自体は驚くことではない。しかし、問題はその横だ。
「カカシ先生よ。己も……ようやく至った」
サスケの隣の木の天辺。そこにいるのはナルトだ。両足を木の梢に着け、そして、地面と平行にカカシたちを見下ろしている。
腕を組むナルトを見て、カカシは眩しいものを見るように目を細めた。
「よし、それじゃあ、次の修行だな。水面歩行の業だ……と、言いたい所だが、あれからもう七日経つ。再不斬が生きていれば、いつ動き出してもおかしくない頃合いだ」
「では、修行は?」
「ここまでだな。と言っても、お前らは優秀だよ。サクラはチャクラコントロールで身体強化、サスケは水面歩行、そして、お前は木登りが出来た。正直な所、一週間じゃ三人とも木登りが精一杯だと考えていたからな。期待以上だ」
カカシが『降りてこい』と合図をすると、ナルトとサスケは木の幹に足を張りつかせながら地面へと歩く。
二人の様子を見ながらカカシは更に目を細めた。
──たった七日でここまで……。
中忍レベルの術を使うことが出来ていたサスケはまだしも、チャクラをまともに練ったこともないナルトがここまで出来るとは、ね。
──あまりにも人としての枠から外れている。
カカシは戦慄していた。
ナルトの睡眠時間は約1時間。その程度であれば、通常の忍の任務、Bランク以上の任務ではあるが、偶にある。睡眠時間がほぼ取れない状況で監視対象を監視し続ける任務などはカカシも数多く行ってきた。
だが、その任務は体力を使わないように身を潜めることが最優先される任務だ。だからこそ、ほぼ休むことなく体力を極限まで使い切るような修行をするナルトは異端だった。
ナルトが修行を休む時は食事や睡眠といった生理現象から生ずる時のみ。それ以外の時間は全て修行の時間だ。ナルトは休憩することもなく、ただ木に登り続けていたのだ。それがどれほど過酷なことなのか、上忍のカカシですら想像もつかない。
ただ一つの単純作業を七日間貫き通した精神性は、山に籠り何日間も動かない仙人と同様。10年と少ししか生きていない少年が、その境地へと至っている。
木の梢に立つナルトを見上げながらカカシは思う。
ひょっとしたら、ナルトの言う夢が叶うのかもしれない、と。
+++
ナルトが木登りを達成した、その日の夜。
「さぁ、じゃんじゃん食べちゃって!」
「ツナミ殿、感謝する」
詳しい修行法はカカシから伝えられなかったツナミではあるが、自分の家に泊まっているナルトの様子から、尋常ならぬ修行をしていると感じ取っていた。その修行が終わったと聞き、ツナミは豪勢な料理をナルトのために作ったのだ。
朝は自分が起きるよりも早くに出かけ、食事の時だけ帰ってくるとはいえ、夜は自分が寝た後に家のドアを開ける。
体にも悪いだろうとツナミはナルトの体調を心配していたものの、自身の父親であるタズナを守るためと聞いていた彼女は止めることができなかった。
そんな心中の中、ナルトの過酷な修行が無事に終わったと聞き、ツナミは胸を撫で下ろすのだった。そして、彼を労うために腕によりをかけた料理を振る舞う。
タズナを護衛した初日よりも豪華な料理に木ノ葉から来た四人は、物価が高い波の国で振る舞われる大盤振る舞いに目を丸くしたものの、そこはツナミの交渉力で席に着かせることに成功した。タズナもまた、自身の娘であるツナミと同じ気持ちだったのだろう。
『じゃんじゃん食え』という家主の鶴の一声でナルトたちは箸を伸ばすのであった。
テーブルに所狭しと置かれた料理が消え、食後のほうじ茶を啜りながら、ナルトは考える。
好きに食べていいチートデイではないとはいえ、料理を作って待っていてくれたツナミ殿の好意を無碍にする訳にもいかぬ。明日はチャクラコントロールの修行だけではなく、筋トレもしっかり行うべきだな。
明日の筋トレの予定を頭の中で組み立てるナルト。彼の心を知ってか知らずか、帽子を目深に被った少年、イナリの目から一筋の滴が流れた。
「なんで、そんなになるまで必死に頑張るんだよ! 修行なんかしたってガトーの手下には敵いっこないんだよ! いくらカッコイイこと言って努力したって、本当に強い奴の前じゃ弱い奴はやられちゃうんだ!」
一度、火がついた感情は止められなかった。涙を流しながら、激情に身を委ねながらイナリは感情をナルトへとぶつける。
「お前、見てるとムカツクんだ! この国のこと、何も知らない癖に出しゃばりやがって! お前にボクの何が分かるんだ! 辛いことなんか何も知らないで、いつも何も感じないような顔をしているお前とは違うんだよォ!」
「……貴殿の言う通り、己は何も知らぬ。だが、それでも己は命を懸けて貴殿らを守る」
「綺麗事なんか言うな!」
「約束だ。貴殿らを守ってみせよう」
力拳をイナリに見せながらナルトは宣言した。
ナルトの静かな、だが、力強い声にイナリは息を呑む。
「逆境にあっても、己の信念を貫き通すは漢の道。その途中で命を落とそうが信念は譲らぬ。そして、その信念は己を活かす糧となる」
『辛くても、悲しくても……頑張って頑張って……例え、命を失うようなことがあったって、この二本の両腕で守り通すんだ』
「イナリ、貴殿はまだ雛だ。貴殿は己の背を見ていろ。漢の花道が何かを、己は貴殿に説いてみせよう」
──全然、違うのに……。
イナリの目が映すナルトの姿はある人物と被っていた。それは自らが敬愛した人物の姿。
そのことが認められず、イナリは逃げるように駆け出したのだった。
イナリが部屋を出ていく様子を見送ったナルトは立ち上がる。
「ナルト、どこ行くの?」
「……今日は三日月だ。月を愛でるのも、偶にはいいだろう」
「全く……少しは休みなさいよ」
同じ班になってから短いとはいえ、サクラはナルトがこれから行うことに気が付いたのだろう。軽く笑みを浮かべてナルトへと声を掛ける。
「……善処しよう」
「フン……」
「ってサスケくんも?」
「……散歩だ」
出ていく二人の後姿。
きっと、二人は木登りの修行をしに行くのだろう。なら、自分は……。
サクラの目がナルトの荷物の横に置いてあったダンベルに止まる。
「ナルト。これ、借りてもいい?」
声を掛けるが、そこにはナルトの姿はなかった。声はない。だが、サクラは魂で感じ取っていたのだ。ナルトなら、自分がダンベルを使うことを歓迎したであろうことを。
サクラはナルトが置いたままのダンベルを持ち上げる。
「って、重ッもォ!?」
──15kgのダンベルを持ち運ぶなんてバカじゃないの!?
サクラは言葉を飲み込んだ。言っても、聞く人は既にいない上、言っても聞かない人であろうことに気が付いたのだ。
+++
リンゴが潰される。
滴る果汁が流れるは再不斬の掌だ。
「大分戻りましたね」
再不斬の横に控えるは見目麗しい少年。そう、ナルトと薬草を取っていた少女のような少年だった。
「よし、そろそろ行くか」
再不斬は横に控える少年の名前を呼ぶ。
「白」
「はい」
少年の手には面が握られていた。その仮面は再不斬の首に千本を刺した人物が被っていたものと同一のもの。カカシの予想が的中した。追い忍の少年は再不斬の味方だった。
体の痺れが完全に抜けた再不斬は、己の獲物である
再不斬は再び牙を剥いた。