幻想郷の怖い話   作:ごぼう大臣

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六周目・レミリア・スカーレットEND-『御阿礼の子の復讐』 後編・エピローグ

 蔵の中の荒れようを気にもせず、梯子を手に離れに向かう。普段なら苦もなく持てるであろう梯子がまるで鉄の重りのように体にのし掛かる。それでも無言で、ただただ薬があると言われた建物に向けて歩を進めた。

 

 ・・・・・・少しして離れの前に立つ。母屋より小さく、使われる事も少ないからか寂しい雰囲気が漂う。もし誰かが夜に通りがかり、この中にポッと明かりが灯ったら、物の怪を疑うかもしれない。

 しかし、今の私はもっと差し迫った危機の中にいる。明かりがあれば敵がいると確信し、無ければ敵が潜んでいると疑い、そうでなくても気を抜く訳にはいかない。時間にだって限りがある。

 

 そこはかとなく不気味な外観に思いを馳せる思考をシャットアウト。梯子を真っ直ぐ伸ばし、屋根に立て掛ける。ちょうど届く高さだったので、周りに誰もいないのをもう一度確かめてから、ゆっくり梯子に手をかける。

 

 一段、二段と登ってゆき、顔を出すとなだらかな瓦屋根が見えた。空との境界には滅多に見ない屋根の頂上。地上から見上げるでも、母屋の二階から見下ろすでもない、不思議な光景だった。

 

 瓦は暗い藍色。隙間の陰は黒い線を入れたようだ。立ち上がって見る姿勢だと見つからないかもしれない。じっと目を凝らし、梯子から身を乗り出すようにして屋根を端から手探りで探していく。

 緩やかな山なりになっている屋根を這うようにして、気づけば梯子には足を引っかけているだけになった。

 中途半端な姿勢で危なっかしかったが、下手に屋根に体を預けるとずり落ちてしまいそうで、足元、胴体、手元、視界、様々な場所に神経を使う。

 

 そうして規則正しく並べられている瓦に視線をじっと巡らせていると、頂上近くの一点が目に留まった。

 一枚だけ、少し欠けている瓦。その隙間に、微かに煌めくものが見えた。その一点を、今度は穴の空くほど見つめる。黄色く、ガラスのように反射する小振りの物体。

 

「あった!!」

 

 間違いない、あれが解毒薬だ。咄嗟に体を前に引きずろうと、足が梯子を蹴った瞬間だった。

 

 ふっ、と足元から感触が消えた。反射的に足をばたつかせて屋根を登る。梯子を誰かが動かした、そう直感すると同時に、地上から金切り声が響いた。

 

「キイイイィィーーーッ!!」

 

 直後に、梯子が屋根に叩きつけられる音。そしてガタガタと梯子を登ってくる。あの声は聞きおぼえがある。早苗だ。阿余に見つかった!

 

 解毒薬を拾って立ち上がり、梯子とは反対側に走る。後ろからの叩き割るような音に振り返ると、屋根の頂上から這いずる蛇のような姿の阿余が顔を出した。

 

 思わず後ずさろうとして、屋根から足を踏み外しそうになる。下にはギリギリ飛べるかどうかの遠さの地面。今の体では耐えられるか分からない。

 

 前からは目を鬼のように光らせながら近づいてくる。もう手の中に薬があるのに、ここまできて!

 どうする、戦うか? しかし私が正面切って勝てる可能性はゼロに近い。それにもし薬の瓶が壊れたりでもしたら本末転倒だ。

 

 なにか、弱点でもあれば。阿余だけの・・・・・・。

 

 ・・・・・・・・・阿余だけ?

 

 そうだ!

 

「これを見なさい!」

 

 懐からある物を掲げる。阿余の目が一瞬それに向くと、すかさず言い放った。

 

「療養の部屋で見つけた、あなたの日記です!」

 

 阿余の目が丸くなる。信じられないという表情で、私と手の中の手記を何度も見た。やがて嘘ではないのを察すると、おろおろと震えながら立ち上がり、乞う。

 

「か、返して! 私の大事な・・・・・・」

 

「来ないで!」

 

 叫んで制すと、近づこうとした足を止めてへたり込んだ。予想しなかった事態に驚いている。平地じゃなく歩きにくくもあるだろう。

 だが、それだけじゃない。

 

 彼女は足を怪我していた。それも赤黒く治癒しかけの傷。恐らく阿未が同士討ちした時のものだろう。下手に動かれては、阿余に万が一があるかもしれない。

 

「私が薬を飲んだら、お返しします。それまで大人しくしてください」

 

 言いながら手記を瓶と一緒に持ち、もう片方の手で蓋を開ける。微かに薬品の匂いがした。それを口許まで持っていく。

 

 その瞬間。

 

「うわあああぁぁっ!!」

 

 阿余が躍りかかってきた。驚いて避けると、手から手記が滑り落ちる。阿余は空中のそれに手を伸ばしながら、脚をもつれさせて落ちていった。

 

「あ―」

 

 何も言う暇は無かった。引っ掻かれた手記が散らばり、阿余は前のめりになって視界から消える。

 直後に、ごきりと嫌な音がした。

 

 走り寄って下を見ると、地面に倒れた阿余が、元の姿に戻る所だった。当たり所が悪かったのだろう。血に染まったその体は動く気配がない。その体の上にパラパラと手記の頁が覆い被さっていく。

 

 死ぬまでの気持ちを、誰にも見せないつもりで書いた日記帳。それでも本心は塗りつぶされていた。

 ほんの少し前の弱った顔を思い出す。あの私を殺そうと血走った目は果たして自然な姿であっただろうか。

 苦しくはなかったか、言いたいことはなかったか。

 

 今となっては何度問いかけようが答えてはくれない。死に顔は遠くから見ても、皮肉なまでに穏やかだった。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 手の中の薬に目を移す。幸い中身は無事だった。何故か感動も緊張もなく、私はそれを絆創膏でも貼るかのように飲み干す。

 

 そのまま屋根に座り込む。もう毒は消えた。敵も殆どいない。そう思うと強烈に虚無感が襲い、私は何もせず、腰を下ろしたままボンヤリと空を眺めていた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・どのくらいの時間が経っただろう。いつしか太陽が顔を出し、空は白みはじめた。思い出したように時計を見ると、ちょうど五時間が過ぎたところだった。もう確実に毒は心配ない。

 後は、敵が一人だけ。

 

 梯子を降りて、反対側に回る。阿余の死体はとうに無くなっていた。奴が片付けたのだろう。

 周りには血の染みが付いた頁がそのままになっていた。阿余が最期に遺したもの。奴にとってはどうでも良かったのか。

 

 唇を噛んで、一枚ずつ頁を拾い集める。きちんと日付けの順番通りに。

 生きて持ち帰らねばならない。私は、彼らの恨みを忘れられない。幻想郷に帰って生き続けるなら、同時に背負わねばならない。

 

 日記を纏め、庭を歩き出す。その足は、自然と正門へと。

 

 毒が消えたなら、紫の救助が来るまで待つという選択肢もあった。しかし、周りから隠れようもない正門の前に立ち、虚空に向けて言い放った。

 

「逃げても、無駄なのでしょう?」

 

 その瞬間。目の前にがばっとムラサキ色の裂け目が現れ、紫―の姿を真似た阿弥が顔を出した。あの見下ろす舐めきった目付き、忘れる筈もない。

 

「はぁ~い、ご機嫌いかが?」

 

「・・・お陰様で最悪です」

 

 ぼそりと飛び出す言葉。少しでも気を抜けば、胸の奥のどす黒い感情が噴き出していきそうだった。

 知ってか知らずか、阿弥はにんまりと笑う。

 

「まさか連中がやられちゃうなんてねぇ。しかも解毒まで済ませちゃって」

 

 からからと笑い声をあげる阿弥。明るくはあったが、感情のこもっていない冷たい笑い。

 その笑いの主に、一つ問う。

 

「聞いても良いですか」

 

「ん、何? スリーサイズ?」

 

 無邪気な、しかし張り付けた笑顔。それが変わることを願って、真剣な眼差しに変わるように祈って問いを口にする。

 

「・・・・・・何故、彼らを殺したんです? 

私を憎む同士ではないんですか?」

 

 目をじっと見つめると、阿弥は一瞬意外そうな顔をした。そしてすぐに訳知り顔で頷く。

 

「・・・・・・ああ、あなた、あれを見たの」

 

「見ましたよ。みんな、普通の悩みを持っていました。あなたと同じように。

 なのに何で・・・・・・」

 

 喋るうちに涙声になっていた。皆を先導し、誰よりも彼らの気持ちを分かってあげられただろうに、何故踏みにじるような真似をしたのか。私なんて、最初は一つも心当たりが無かったのに。

 

「ふーーん・・・・・・・・・」

 

 阿弥はしばらく神妙な顔で唸っていた。そしてつまらなそうに私を睨み、こう聞き返してきた。

 

「ねえ、私の時代の妖怪たちって、今どうしてる?」

 

「へ?」

 

 よく分からない。妖怪ならばまだ生きている者も多いだろう。雑記帳の阿弥の欄にも『また会いたい』とあった。

 

「生きている方もいますよ。それが何ですか?」

 

 急かすように言うと、阿弥は眉間に小さくシワを刻んだ。

 

「そう、生きている・・・・・・。いつも通り、平和にね」

 

「だからそれが・・・・・・」

 

「私のいた席を、あなたが埋めて」

 

 私の言葉を遮って阿弥は語気を強める。そして堰を切ったように激しい口調で話し出した。

 

「私の記憶が、阿求の記憶に塗りつぶされるのを目の前で見せつけられる気持ちが分かる?

 あなたの幻想郷縁起、私の知っている子がいた。私の知らない知識があった。それを目の当たりにした時の気持ちが、あなたに分かるの!?」

 

 体を震わせ、吠えるように阿弥は言った。その気迫に気圧されかけたが、まだ疑問は解けない。

 

「・・・・・・私を阿弥の再来のように思う人は、確かにいるかもしれません。

 けど、それが何故全員を消す理由に」

 

「私は、たった一代前」

 

 阿弥が呟くように言う。すぐに意味が飲み込めずに口をつぐむと、阿弥は低い声で続けた。

 

「私の事なら、きっと皆覚えてくれているわ」

 

 両手を広げ、天を仰ぐ。その目は一見穏やかになったかに見えたが、目尻が変に下がり、夢の中に向かって喋るような虚ろな瞳だった。

 

「たった一代前だもの。紫も、幽々子も、藍も、文も、阿弥だって言えば、きっと抱きしめてくれるわ」

 

 阿弥の目から涙が流れ出る。それは歓喜の印か、自分の中の狂気を嘆いてでもいたのか。

 

「阿一? 阿未? 阿余? あんな奴等の時代はとうに終わってる。未練を晴らすためだけに動く、下らない亡霊よ」

 

 その言葉にぞくりと寒気が走る。阿弥のぞんざいな話しぶりは、目の前の私だけじゃなく自分以外の全てを見下すような響きがあった。

 

「その亡霊を仲間にしたのは、あなたじゃないですか」

 

 目一杯声を張り上げた。阿一たちに同情する気持ちと、ふと芽生えた疑念に押し潰されそうになる。

 ・・・・・・『そんな事』あってはいけない。

 

 恐れる気持ちと怒る気持ちがない交ぜになり、阿弥の返答を聞き出そうと耳がざわつく。知らず知らず呼吸が荒くなっていた。

 阿弥はそれを見て、愉快そうに首を傾げる。

 そして、言った。

 

「仲間? 冗談! 奴等は『駒』よ。そして、あなたへの憎しみを出汁に集めた『エサ』」

 

「え・・・・・・エサ?」

 

 阿弥が先代を何とも思っていなかった事実に、目の前が暗くなりかける。気になる最後への疑問を口にした時には、その言葉は消え入りそうな程小さくなっていた。

 それでも阿弥には聞こえていたのか、それとも見せるつもりだったのか。襟をずらし、服に隠れていた部分を、ほんのちょっと露にした。

 そこから覗いたものを一目見て、背筋が凍る。

 

 胸元が青白く変色し、黒い穴が開いている。心なしか皮膚の上とは思えない凹凸があった。それが蠢き、ぼこぼこと襟元から這い出そうとする。

 その拍子に、穴がもう三つ現れた。合わせて数は四つ。心なしか、目鼻と口のようにも見える。そいつが阿弥の体から飛び出そうとするかのようにキィキィと鳴いた。

 

「人面疽・・・・・・?」

 

「まだ上手く馴染んでくれないのよ。エネルギーが足りないと、幻想郷でも存在を保てないのに」

 

 阿弥は財布の中身でも見るかのような口調だった。まさか、あの人面疽が先代の成れの果てなのか? 阿弥は、彼らを取り込んだとでもいうのか?

 悪寒と吐き気が込み上げる。震えて歯を鳴らす私に、阿弥はにたりと気味悪く笑った。

 

「あなたが最後よ。阿求。私はきっと皆の所に戻る」

 

 阿弥が両手を掲げる。取り落としそうになりながら御札を取る。もう残りも少ない。あの紫の能力を相手にどう立ち向かおうか。

 上半身だけを乗り出して、腕を伸ばす阿弥。真っ直ぐ飛び込むのはまず論外だ。どんな術を使ってくるか分からない。加えて、あのスキマがあれば逃げるのも自由自在。その気になれば四方八方から体のパーツ一つ一つを出し入れ出来るのだ。迂回や死んだ振りなんて小細工も悪手だろう。

 

 ・・・・・・・・・どのように隙をつくか、正直な所思い付かない。可能性があるとすれば、阿弥の両手から何が飛び出すか分からない点だろう。それを凌いで、状況次第で出方を考えて・・・・・・・・・

 

 恐怖で停止しそうな頭をフル回転させる。目は阿弥に釘付けだった。ほんの小さな動きも見逃さないつもりで・・・・・・―

 

 瞬間。背後からドン、と押される感覚があった。

 突然の事に頭が真っ白くなり、その直後に頭が勝手に分析を始めた。

 

 まるで蹴られたような感覚。そして見えていた阿弥の体は腰から上だけ・・・・・・

 

 そうか、足だけを後ろに・・・・・・!

 

 結論が出た頃には、両手を広げた阿弥が目の前にいた。

 有無を言わさず飛んでいた体を受けとめ、抱きすくめられる。息が出来なくて、必死に顔だけを引き離すと、阿弥の手が上から頭を掴んだ。

 

 力はそれほどでもなかった。しかし、頭の中に割れるような痛みが走る。そして今まで阿求として歩んできた人生が次々と思い起こされる。

 

 生誕を皆が祝ってくれて、新聞にも載ったこと。藍さんが大人っぽく、橙がすくすくと成長していた事。紅魔館の吸血鬼が契約というものを幻想郷で結んだこと・・・・・・

 脳にもし「記憶用」の器があるとしたら、それを掻き回された気分だった。

 

 そしてその中に新しいものが入れ込まれる。知らない記憶。知らない時代。知らない人。

 ああ、先代の記憶。

 

 友達が目の前で妖怪に食われて。

 

 型通りの記録ばかりして、他人との触れ合いが感じられなくて。

 

 好きな人より先に死ぬのが悲しくて。

 

 もう一度だけ外を思いっきり走り回りたくて。

 

 周りに良い顔ばかりして、『模範的な記録者』として死んだのが悔しくて。

 

 知り合いが死ぬのを見て、自身の短い生涯が怖くて。

 

 里の中で稗田より貧しい子供を目にしても、記録者としてしか働くのを許されなくて。

 

 文が『阿求が生まれたら会いに行く』と言ったのが最期の別れになって。

 

 こんな時に、と映像を振り払おうとしたが、涙が溢れて動けなかった。悲しみの感情が流れ込んでくる。その悲しみを背負う彼らを食い物にしたのは、他ならぬ阿弥なのに。

 

 頭を掴む手に力が込められる。このまま握りつぶす気か。

 死ねば、私は彼らと同じ場所に行くんだろうか。それも良いかもしれない。もうどうにもならないのだ。下手に望みを抱くより、彼らを慰める事を想いながら逝く方が幸せかもしれない。

 こっそりと、最期に阿弥の顔を見上げる。少しだけ、悔やんでいるように見えた。これが終わったら、幻想郷に帰った阿弥は私達を覚えてくれるだろうか。

 いや、きっと大丈夫。死の間際になって、奇妙なまでに安らかな気持ちに包まれる。諦めたら、全てが終わる。そう思って瞼を閉じた。

 

 その時である。

 

『諦めないで』

 

 頭の中に女の子の声がした。妙にエコーがかかり、耳に届いた声にしてはおかしい。じゃあ阿弥か? それにしては不自然な言葉だ。

 考えているうちに、瞼を閉じて真っ暗な筈の視界に白い光が浮かび上がる。それは次第に人の形になり、おかっぱの女性のシルエットになった。

 

『あなたは、ここで死んじゃいけない』

 

 今更だ。誰だか知らないけど、無茶なことを言わないで欲しい。生きていたらいずれ、あの哀れな先代と同じ道を・・・・・・・・・

 

『思い出して。あなたが会ってきた人々を』

 

 誰かは思考を遮るように言った。その言葉で、急に映像が色鮮やかになる。

 

 恐ろしくも頼もしく、それでいてものぐさな巫女。汚い部屋で実験ばかりして、異変の時はいっとう輝く魔法使い。

 

 彼女らを軸に、幻想郷の様々な住人が人々を賑わせた。

 

 湖畔の赤い館の吸血鬼。冬をいつまでも長引かせた亡霊のお嬢様。人知れず隠れていた名医に忍者そっくりの不死者、山に突如乗り込んできた神々と風祝・・・・・・・・・

 

 数え出せばきりがない。相変わらず適当な理由で騒ぎを起こし、ここが神と妖怪の楽園だと思い知らせてくれる。かと思えば、最近では人妖の平等を望む者が蘇り、才能に溢れた方が幻想郷の在り方を考えたり、平和を好みひっそり生きる妖怪達が表に出たり、新しい風を吹き込んでくれることもある。

 

 やっぱり見たい。幻想郷の行く先を。僅かな間しか生きられないとしても、恨みを抱えて苦しむより、自分だけの思い出を持って死にたい。

 それに、小鈴・・・・・・。危なっかしくて軽はずみだけど、気の置けない友達だ。纏めた怪談も、縁起も、秘密の創作小説だろうが、彼女が喜ぶなら見せてやりたくなる。

 

 他人がどう言おうと、私が培ったものは、大事な宝物なんだ。

 

『あなたはただ一人の、大切な・・・・・・』

 

 

 

 

 右手で、阿弥の腕を掴んでいた。どのくらいの時間が経っていたのだろう。意識はまだハッキリとしている。目を開けると、阿弥が信じられないという目で見下ろしていた。

 

 掴んだ腕に力を込め、阿弥の手をじりじりと引き剥がす。阿弥も歯を食い縛り抵抗したが、どんどん私の手が押し返していく。

 不思議だ。傷だらけだった筈なのに、今は全身から力が溢れてくる。地に足を踏み締めると、阿弥が怯えたように後ずさった。

 

「あなたは・・・・・・」

 

 息を荒げながら阿弥が言う。知っている筈だ。私は、お前と同じ顔だが一人だけ。

 

「・・・・・・を」

 

 残った手で拳をつくる。腕力に自信など無かったが、異様に力強い。

 

「私を・・・・・・」

 

 一歩足を踏み込む。阿弥の体がぐっと近くなる。拳を振りかぶり、全力の誇示の台詞と共に、迷いなく振るった。

 

 

「稗田阿求を舐めてんじゃねえっ!!」

 

 

 振り抜く拳に重い衝撃。食い込むような感触がして、阿弥が吹っ飛んだ。間抜けな声をあげて、いやに呆気なく地面に転がる。

 

「こ、この・・・・・・っ!」

 

 阿弥が上半身だけ起こして睨んでくる。しかしそれは悔しがる子供のようで、私を動じさせるものでは到底なかった。

 殴られた頬を押さえたまま、阿弥が立ち上がった。よろよろと、支えてやりたくなる程に弱々しい歩み。その目に浮かぶ涙が見える距離まで来た所で、阿弥が突如仰け反って叫んだ。

 

「ぎっ・・・ヒイーッ!痛い・・・・・・イタイィ・・・・・・・・・っ!」

 

 何事かと注視すると、阿弥の髪の色が、どんどんムラサキ色に戻っていく。ちょうど頬を押さえる部分から化粧が剥がれていくように、瞳の色や顔つきまで、元の姿に戻っていくように見えた。

 

「阿求ウゥ・・・・・・!」

 

 まだら模様の顔を怒りに歪め、阿弥が手を伸ばしてくる。次第に体も骨が軋むような音を立てながら、小さな背丈に変わっていった。紫の服がばさりと音をた立てて霧散し、元の阿弥の着ていた着物が小さな体を包む。小柄になりながらよろめいて近づいてくる彼女は、酷く哀れに見えた。

 

「逃がさない・・・・・・私は・・・・・・」

 

 獣が唸るような声で、阿弥が目の前に来た。恐怖は湧かない。もう何も出来そうに見えなかった。乱れた髪の奥の目だけを鋭く光らせながら、腕を前のめりに目一杯伸ばしてくる。

 

 その途端、ばたりと地面に突っ伏した。

 

「な、何・・・・・・」

 

 阿弥が振り返ると、彼女の足に何かが掴まっていた。地面から開いたあのスキマから、ムラサキ色の頭の子供が足にしがみついている。

 

「な、なんで、出てきて・・・・・・っ!」

 

 阿弥がひゅう、と息を吐いて、這いつくばって逃げようとする。その周囲、四方八方にスキマが開いた。そしてそこから御阿礼の子達が何人も、阿弥に群がり、押さえつける。

 

「いや、いやアァーーッ! 離して、離してよぉ!! 私は帰る、幻想郷に帰るんだから・・・・・・!!」

 

 阿弥は半狂乱になってもがくが、七人も束になった彼らを振りほどける筈もない。手足や体の節々を押さえつけ、着々と身動きをとれなくしていく。

 そして、がんじがらめになった所で、とうとう阿弥の真下に全員を呑み込む程のスキマが現れた。その無数の目が剥いたこの世ならざる空間に、阿弥の体が沈みはじめる。

 

「ひっ・・・・・・」

 

 眼下にどんなものが見えたのかは分からない。阿弥は色の抜けたような顔をして、私の方をすがるように見た。

 

「あ、阿求・・・・・・助けてよ、お願い。何でもするから。謝るから。逃げないでよ、阿求!!」

 

 底無し沼に嵌まるように、全身を徐々に引き込まれながら阿弥は叫ぶ。目の前の事について行けず、木偶のようになった足を必死で踏み出した。

 

 すると、突然辺りに、ガラスが擦れる音を何倍も大きくしたような怪音が響いた。

 

「!?」

 

 思わず体を強張らせる。辺りを見渡すと、今度は色褪せていた景色が白黒になったり虹色になったり、明らかに変調をきたしている。

 

 そこで思い出した。阿弥が全員を倒せば空間を出られる、と言ったこと。最期に阿弥が一人で出ていくにしても、空間を操作する権利は阿弥達か、全員を倒した者に限られるのだろう。

 

 しかし、こんな状況は想定していただろうか? 全くの別物と化した彼らに、空間を創った最後の主が殺されたら。

 

 この空間は、消えるだけで済むんだろうか。

 

 そう考えついて、一瞬体が停止する。すると、背後から誰かが強く腕を引っ張った。

 

「来なさい!」

 

 振り返ると、鬼気迫る表情の紫がいた。阿弥じゃない本物だ。彼女は有無を言わさず自身のスキマに引き込もうとする。

 

「でも、阿弥が・・・・・・」

 

 ポツリと漏らすと、紫は撥ねつけるように大声で私を叱りつけた。

 

「馬鹿! 死にたいの!?」

 

 体ごと宙に浮かんでスキマの中に。阿弥の方を見ると、顔が沈む所だった。スキマから口を何度も浮き上がらせ、阿弥は私を見たまま途切れ途切れに叫ぶ。

 

「やだ・・・・・・おいてかないで・・・・・・・・・」

 

 スキマが閉じられたのは、そのすぐ後だった。

 

 

 

 

 

 

 

「ほえー・・・・・・これはまた大層なホラー風ファンタジーね」

 

 私の激闘の記録を読み終えた小鈴は、ペラペラと頁を読み返しながら『この子、馬鹿ねえ』なんて言って笑っている。退院したての体が、少し痛んだ。

 

「馬鹿にしないで。死ぬかと思ったんだから」

 

「いやー、あんたがいきなりコレを見せたら『遂におかしくなったか』って思うけどさあ」

 

 懲りもせずケラケラ笑い、椅子にとすんと腰を降ろす。鈴奈庵に客がいないせいか、軽口に遠慮がない。

 その後、ふっと表情に影が差す。

 

「あれ、見ちゃったらね」

 

 ・・・・・・あれから私が目覚めたのは、永遠亭のベッドの上だった。聞けば何日も気を失っていたらしい。体は全くと言って良い程動かせず、永淋先生は御阿礼の子に記憶喪失を心配していた。

 

「ミイラかと思ったわ、最初」

 

「あはは、その時動いたら面白そう」

 

 私が言うと、今度は小鈴が目で嗜めてくる。実際の所死んでも不思議じゃなかったらしい。目が覚めた時は上へ下への大騒ぎ。泣きはらした小鈴なんてのを初めて見た。

 

「でも、紫さんも詳しくは知らなくて、あんたから聞くまで不安だらけだったのよ」

 

「私が口で話したら、更に心配してたじゃないの。しかも頭の」

 

「だぁーって起き抜けに話すのがホラー風ファンタジーなんだもの。

 これが事件の状況説明に見える? 自分で推敲してリアリティー見直しなさいよあっきゅん」

 

「ちょ、痛い痛い」

 

 小鈴は原稿を丸めてポカポカと頭を叩いてくる。頑張って書いたホラー風ファンタジーに何をする。

 一頻りじゃれる。すると思い出したように小鈴が尋ねてきた。

 

「冗談はともかく・・・・・・その亡霊って大丈夫?」

 

「へ?」

 

「いや、置いてきぼりにしちゃったんでしょ?」

 

「ああ・・・・・・」

 

 ・・・・・・・・・先代達は、あの後紫と幽々子が二人がかりで探し回ったけれど、結局は行方不明だった。予想だと今も、憎悪に塗れたまま何処とも知れない世界を漂っているらしい。それを伝えると、小鈴は苦い顔で頷いた。

 

「・・・・・・私があの時、無理にでも・・・・・・」

 

「あんたのせいじゃないよ。勝手に他人を呪ったんだもの。仕方ないって」

 

 自己嫌悪に陥りかけた私を、小鈴は止めてくれる。しかし、実際入院中も何度も悔やんだ。あの時の、最後の助けを求める顔が頭に焼き付いて離れない。

 

「ま、あんただけでも助かって良かったけどさ」

 

 小鈴は明るい口調で言って、うんと背伸びをする。がたりと椅子を揺らしてから、なおも無言の私にまた尋ねてきた。

 

「そういやさ」

 

「・・・・・・ん?」

 

「最後の奴って誰よ? その、謎の女の子は」

 

 私が阿弥に取り込まれそうになった時、励ましてくれた誰か。正直、正体は未だに分からない。分かっているのは、どうやら性別は女性であるという事と、阿弥の変身を解いた神聖な力。私の味方だとは思うが、私は何せ現実の存在として見聞きした訳ではないのだ。

 

「分かんないなあ・・・・・・」

 

 手のひらを見つめながら呟く。しかしすぐに「でも多分」と付け加える。あの光のシルエットは。

 

「阿礼さん・・・・・・だと思う」

 

「阿礼? 阿一より前の?」

 

 私は頷く。私にまで受け継がれる完全記憶能力、『求聞持』を生かして縁起を最初に書いた人だ。

 

「なんとなくだけど・・・・・・あのシルエット、私達にそっくりだった気がする」

 

 もしそうなら、御阿礼の子の断絶を防いだのだろう。これからも移り行く幻想郷の様を、後世に伝えてくれと。お陰で今、私はここにいる。御阿礼の運命に耐えられなくなった子達の襲撃から逃れて。

 ・・・・・・これからどんな事があるかは、まだ分からないけれど・・・・・・

 

「じゃ、さ」

 

 思いに耽っていると、小鈴が一つ咳払いをする。そして思いっきり私の背中を叩いた。

 

「ケホッ!」

 

 むせかけた私の目の前に、人差し指をピンと突き付ける。

 

「いーかげんシャンとしなって。阿礼さんが頑張れって言ってくれたんでしょ?」

 

 少し強く言った後、おどけるように例の原稿を素早くめくる。

 

「こんだけ私の事熱く語っておきながら、私の前でしょげてどうすんの。それで先代さんが喜ぶの?」

 

 ・・・・・・阿弥達の事をまた思い出す。後悔を残し、自分を受け入れられずに八つ当たりした彼ら。

 他人事じゃない。だからこそ分かる。他人が苦しむのを見ても気持ちが晴れたりなんてしない。

 

「・・・・・・喜ばない」

 

「そゆこと」

 

 私に出来るのは、過去を大切にしながら、後悔しないように生きる事だけだ。だとしたら、やっぱり友達に心配はかけられない。

 「ありがとう」。そう言った直後。

 

 外で巨大な花火のような轟音がした。しかし今は昼間だ。二人で顔を見合わせる。

 

「何かあったかな?」

 

「また騒ぎみたい」

 

 誰かが弾幕ごっこを始めたらしい。小鈴が顔を輝かせて出口に駆け出す。

 

「私見てくるね!」

 

「野次馬か」

 

「店番お願い!」

 

「なんで私が!」

 

 病み上がりの体で駆け出すと、また小鈴が興味津々の子犬のように走り出す。幻想郷では騒ぎを楽しめないのは損だ。神仏妖怪摩訶不思議、何が起きても不思議じゃないから、何でも楽しんだもの勝ち。塞ぎこんでいる暇なんかない。

 

「わぁっ・・・・・・」

 

 街道に出て空を見上げた小鈴が感嘆の声をあげる。巫女と誰かがきらびやかな弾幕を撃ち合い、昼間の色とりどりな星空を作っている。

 

「片方は知らない顔だわ」

 

 小鈴が言う。確かに新顔らしかった。また取材にいかなきゃならない。また1ページ、幻想郷の住人が増える。

 

「嬉しそうね」

 

「え?」

 

 小鈴が笑う。新しい子は、果たしてこんな笑顔で接してくれるようになるだろうか。

 ・・・・・・きっと大丈夫。そう思っておこう。これからも。

 

「だって、嬉しいんですもの」

 

 大変な事もある、誰もが幸せでもない幻想郷だけど。

 

 退屈せず、常に心が踊る。もしまた夏の夜にでも暇を持て余すという連中がいたら。

 また七不思議大会を開いてみよう。ひょっとしたら、幸せな幻想郷を彼らに見せてあげられるかもしれない。

 

 その時は精一杯生きて、笑って会おう。

 

 

 

 幻想郷の怖い話

 

          完




とりあえずくぅ疲、完結です。今までありがとうございました。
多分あると思う次回作にご期待下さい!

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