幻想郷の怖い話   作:ごぼう大臣

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六周目・レミリア・スカーレットEND-『御阿礼の子の復讐』 中編ノ二

 阿弥達の未練が記された本を閉じ、しばらく呆然としていた。

 

 御阿礼の子の生まれ変わりとして、また次の代に生まれ変わるまでの記録を任された人間たち。その間に様々な望みを持っていた。

 

 自分は世界にたった一人しかいない。誰もが人生で一度はそう言う。しかし、稗田の私達がそれを言ったとして、果たして人々はどう受け取るのだろう。記憶も容姿も姓も、役割も受け継いだ私達を。

 

 『こう望んで死んでいった。もう二度と戻らない』。

 

 そう理解してくれる人がどれだけいるだろう。もし、『次の代に代わっただけ』としか思われなかったら。

 

 死に際にもない私が言って良いかは知らないが、きっと悔しいだろう。そんな恐れを抱くのは怖いだろう。悲しいだろう。

 彼らへの同情が心に枷を嵌めていく。それでも体は勝手にズルズルと動いた。殺される度胸もない。迷いの生まれた足取りのままで私はいつの間にか庭の方に出ていた。

 

 

 

 

 屋敷を出ると、遠くから母屋とは別の離れ、そして蔵と厠の建物が見えた。ああ、あそこも探さなきゃいけないのか。面倒だなあ・・・・・・。

 思えば私はなんでこんな必死になっているんだろう。どうせ自分も数十年で転生する運命にあるというのに。

 阿未や阿爾は他人を想ったり心配したり出来る人だった。阿一だって落ち着けば良いところが見えて来るかもしれない。

 彼らの企てを打ち破れば、私は今日の事も単なるトラブルとして記憶し、残りの短い生涯を記録に費やすのだ。

 ・・・空しくなってきた。

 

 

 タメ息をつき、気がつくと厠の前に立っていた。後ろ向きな思考が知らず知らず影響したんだろうか。今の私になんとなくお似合いの場所に思えた。

 戸をガラガラと暗い音を立てて開け、マッチを擦る。元々物を持ち込むような場所ではなく、一畳そこらの広さに汲み取り式の穴と備え付けの紙、あとは小さな小窓があるだけ。いっぺん見渡しただけで変わった物はないと分かった。

 

 無かったならさっさと他を探さねばならない。しかし相変わらず体が動いてくれない。この暗く狭い空間で、もうしばらく何もせずにいたい気分だった。

 ほう、とまたタメ息をついた直後。

 

 ひゅう、と風のような音がしてマッチの火が消えた。ぎょっとして真っ暗闇の中を見渡したが、戸口の方角からはそよ風すら入ってこない。

 中には私以外に誰もいない。じゃあ誰が火を消したんだろう? 目が慣れない中ソロソロと後ずさると、耳に小さな、すきま風のような震えた声が響いた。

 

「赤いチャンチャンコ着せましょか・・・・・・赤いチャンチャンコ着せましょか・・・・・・」

 

 冷たい女の声だった。最初は空耳かと疑ったが、その方角は今まで見過ごしていた、" 天井 "から聞こえて来ていた。そんな場所に一体誰が、と焦りながらその声の主を見上げる。

 

 ・・・・・・鬼人 正邪が、天井に足を着けて逆さに立ち、赤い目で真っ直ぐ私を見下ろしていた。口からは長い舌が覗き、手元には包丁がギラリと光る。

 見つめあった目が、にぃーっと鋭く、愉快そうに細められる。

 

 悲鳴をあげそうになった時には、落ちる勢いで迫ってきた正邪が音を立てて私を床に押し倒していた。後頭部にガツンと衝撃。視界が一瞬チカチカと明滅する。

 

「よくここまで来たね。阿求さん」

 

 思ったより柔らかい声色。そうか、こいつの正体は阿悟だった。男子の中では比較的大人しそうだったが、包丁を片手に跨がられた今となってはとてもそうは思えない。

 

「厠まで来たら自然と気を抜くだろうと思ったんだ。待っていた甲斐があった」

 

 既に私が動いてから二時間以上経った筈だが、考えがあっての事ならコイツはずっと厠で待ち伏せしていたんだろうか。ご苦労な事だ。

 

「悪いけど、すぐに終わらせてもらうよ。天邪鬼ってそんなに強くないみたいだし」

 

 ぺらぺら言いながら阿悟が包丁を振り上げる。この体勢から押し退けるのは無理だ。

 ・・・・・・ここまでか。

 銀色の先端が迫り、ぎゅっと目をつぶった。ほんの一瞬の最期の痛みを覚悟する。

 

 ・・・・・・・・・

 

 ・・・・・・が。

 

 いつまで経ってもその瞬間は訪れない。最初はまぶたの裏の闇がいつ永遠の闇に変わるかと思っていたが、意識はいつまでも途切れない。瞬きをしてみると、慣れてきた目にちょくちょく色が入ってくる。

 

 恐る恐る目を開けてみた。一番間近にあったのは、視界の隅の、首もとに突きつけられた包丁。それを掴む手は腕に、腕は肩口に繋がって伸びている。そして肩から首、首の上の阿悟の顔はじっと私に向けられている。

 目線をそっと包丁に向ける。もう数センチで首を切り裂ける筈なのに、何故か寸前で止まった刃は動かなかった。

 

 心の中でいぶかしんでいると、阿悟が口を開く。

 

「そ、そうだ、首とお腹どっちが良い? それくらい選ばせてあげる」

 

 なぜか吃りながら両手を広げる阿悟。心なしか笑顔がひきつっている。

 

「どっちだって同じじゃないですか」

 

「いやその、なんだ、首だとすぐ死んじゃうし、苦しむ姿を見るのも悪くないから・・・・・・。

 知ってる? お腹に逆さまに刺して回すと助からないって」

 

 そんな事は知らん。さっきからぺらぺらと言葉面は残忍だが、どこか表面的な脅しだった。目を泳がせたり、しきりに手汗を拭いたり。

 

「やるなら早くして下さい。焦らすなんて悪趣味な」

 

「ち、違っ・・・・・・! そんなつもりじゃ」

 

「何なんですか一体」

 

「う・・・・・・うぅー・・・・・・」

 

 妙におどおどした仕草で話すから緊張感が抜ける。

 逆に私が苛立ってきた。つい睨み付けると、阿悟は目を見開いて固まった。小さく弱った声を出しながら、怯えた子犬のように体を震わせ始める。

 それでも目を離さずにいると、終いには丸くなった目の端を潤ませたかと思うと、肩をすぼめて頭を垂れ、こんな事を呟いた。

 

「出来・・・・・・ない」

 

「は?」

 

「出来ないよぉ・・・・・・!」

 

 情けない声をあげ、両手で顔を覆い泣き出す阿悟。私は戸惑い、白けるしかなかった。さっきまで私に刃物と脅迫を向けていたではないか。こんな追い詰めた状況になって、今更なんだ、その台詞は。

 下敷きにされたまま口を挟めない私をよそに、阿悟は絞り出すように泣き続けた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「ひ、ひくっ・・・・・・」

 

 しばらく泣いてしゃくりあげる阿悟を見ながら、恐る恐る問いかけてみる。

 

「・・・・・・なんでこのゲームに参加したんですか?」

 

「・・・・・・だ、だって、皆怖いし・・・・・・」

 

 正邪のスカートを押さえながら、阿悟が目を逸らす。お前だって怖いわ、と口をついて出かけたが、なるほど今の態度を見ればあの連中に迫られて断れなかったんだろう。あの時のせせら笑いも連中に合わせての事か。

 

「あなた、わざわざ作戦立ててここにいたんでしょう? 本当は乗り気だったんじゃないですか?」

 

「ううん、厠ならもしかしたら・・・かち合わずに済むかも、って・・・・・・」

 

 念のための確認にも阿悟は弱々しく首を振る。私が殺す気でかかるのを恐れて先手必勝とサイコの振りをしていたのか。

 随分と小心者に思えたが、いつ殺されるか分からないという条件自体は同じなのだ。何度も相対して感覚がマヒしかけていたが、これが案外普通なのかもしれない。

 

「あの、とりあえず、退いてもらえませんか? 体が痛くって」

 

「へ? あ! ご、ごめんなさい!」

 

 狼狽えて物凄い勢いで飛び退く阿悟。とりあえず最初の殺気は確実に演技だ。ヤレヤレである。

 

「えと、見逃してもらえるなら私はもう行きますよ」

 

「あ、待って!」

 

 体を起こすと、今度は阿悟が膝立ちで目を合わせてきた。今度は何だ?

 

「・・・・・・薬、見つけられそう?」

 

「いえ、それはなんとも」

 

 阿悟が心配そうに覗き込んでくる。対して、私は何故か感謝も焦りもさして湧かなかった。毒が回れば自分が死ぬ。死なない道を選べば阿弥達はいなくなるのだ。目の前の阿悟も含めて。

 今となっては、ますます決心が鈍る。

 

 しばし目を伏せて黙り込んでいた。阿悟も何も言わないのでチラリと顔をあげると、何やら天井を睨んで小さく唸っている。

 そして誰もいない周囲をキョロキョロ見渡すと、声を潜めて囁いた。

 

「あのね、これは内緒だけど・・・・・・

 薬の場所・・・・・・」

 

「えっ!?」

 

 思わず言葉を遮り、身を乗り出してしまう。薬の場所、確かにそう言った。阿悟は慌てて口に指を当て、言いにくそうに口ごもりながら、また下を向いた。緊張の為か、何度も唇を舐めて濡らしている。

 

「あ、あのね」

 

 またしかめた顔を上げる。そしてしばし目を泳がせると、打って変わって軽い口調でこう言った。

 

「阿求も仲間に入らない? 十代目が生まれたら、その子を狙うんだ。

 僕から阿弥に話してあげる。そうしたらキチンと転生するまで待つ筈だから」

 

 心なしか早口で、本心を誤魔化す時の話し方にそっくりだった。最初になんと言いかけたか気になったが、それより阿悟の申し出を聞いた時、私は確かに内心でこのまま流される事に違和感を感じた。段々と、それは口に出せる形を成していく。

 対して阿悟は見ているこっちが気の毒になりそうなくらい真っ青な顔をしている。とりあえず答えにくいので、少し話を逸らしてみた。

 

「良いんですか? そんな事してもらちゃって・・・・・・」

 

「うん、僕としてもそっちの方が・・・・・・。あ、でも・・・・・・」

 

 首肯しかけて、阿悟の視線が私に向けて一点に留まる。何だと思って自身を見ると、さっきドタバタしたせいで襟元が少しはだけていた。

 ・・・・・・まさか、そう思って阿悟に向き直ると、ハッとなって縮こまり、今度は顔を真っ赤にする。お前はリトマス試験紙か。

 これだから男は。

 

「・・・・・・た、タダじゃダメって言ったら・・・・・・」

 

「従うしか無いですよ。有利なのはそちらです」

 

「じ、時間は・・・・・・」

 

「さあー、あんまり無いんじゃないですかー?」

 

 わざわざ時計を確認するのもアホらしく思えた。大体、死後に、自分が絶対的優位に立ってから、おっかなびっくりに要求するのがそれか。後の代として情けないぞ。

 ・・・・・・と言いたいのをぐっと堪え、一つ条件を出した。

 

「出来たら正邪の・・・・・・女の子の姿でいてくれますか」

 

「あ・・・・・・そ、そうだよね。分かってる」

 

 何が分かったのかは聞こうとも思わないが、阿悟はしょんぼりした様子で頷いた。・・・・・・どこまで期待したんだろう。

 

 ふん、と鼻を鳴らし、ゴロリと体を横たえる。その視界に阿悟の顔が現れた。

 

「ちょ、ちょっとだけ・・・・・・」

 

 うわ言のように呟く阿悟の表情を正邪の顔を通して眺める。見ただけだと完全に乙女だった。禁忌を犯すかのような、ただならぬ興奮が伝わってくる。

 そのせいだろうか。私が正邪の姿でいろと頼んだ真意も、見抜けていないようだ。このまま誘いに乗る気も、いつまでも下手に出る気もない。

 阿悟の手がこわごわと肩に触れる。その腕を掴んで、強引に引き寄せた。ビクリと震えた阿悟の体がそのまま落ちてくる。

 耳元で阿悟の熱っぽい息遣いが聞こえた。私のすぐそばにも、妖怪特有の長い耳がある。垂れてくる髪がこそばゆい。

 この期に及んで密着しそうになる体を片手で辛うじて支える、文字通り耳まで真っ赤になった阿悟。少し力を入れれば簡単に壊れそうな彼の耳元で、そっと、こう囁いた。

 

「・・・・・・大好き」

 

 その瞬間、阿悟の体が弾かれたように飛び上がった。私が囁いた耳を困惑した表情で押さえている。

 

 天邪鬼となったからには、好意を示す言葉は毒だ。私から油断しきるように誘いをかけたお陰で、阿一と同じく忘れていたのだろう。

 

 すかさず脚を振り上げ、阿悟のお腹を蹴りつけた。慌てていた阿悟は呆気なくよろけて、そのまま後ろに引っ張られていく。

 

「わっ、たっ、た!!」

 

 首から下があっという間に吸い込まれる。必死で腕で床に掴まり、阿悟は汲み取り式便所に落ちそうになりながら涙目になっていた。

 御札を取り出して近づく。こちらを見上げる表情は、まだパニックが解けていない。

 

「耳、耳が・・・・・・痛いよ、痛いよ・・・・・・」

 

「はいはい、少し黙ってて下さい」

 

 泣きそうになって訴える阿悟の頭に札を押し付ける。姿が戻り、阿悟がキョトンと目をしばたかせる。

 

「落ち着きました?」

 

「あ、ありがとう・・・・・・ってひゃあ!」

 

 阿悟の言葉も遮り、落ちていた包丁を突きつける。またしても困惑する阿悟に向けて、努めて強い言葉で問いかける。

 

「じゃ、薬の場所を教えて下さい。今すぐに」

 

「な、何で・・・・・・」

 

 阿悟が気弱そうな声と瞳で問い返してきた。私の態度の変わりように驚いたか、好意を撥ね付けられてショックなのか・・・・・・。少しばかり胸が痛んだが、そうしなきゃいけない理由がある。

 

「私が仲間になれば、また次の代を狙うのでしょう。他人に理不尽を強いてしまう。

 ・・・・・・そんな事は、するもされるも御免です」

 

 じっと目を合わせて語気を強めると、阿悟はう、と短く呻いた。ちょうど痛い所を突かれた子供のように。

 上目遣いに阿悟が私を見上げる。しばし未練がましくチラチラと表情を窺っていたが、やがて諦めたように俯き、言った。

 

「・・・・・・離れに行って」

 

「離れ? そこに薬が?」

 

 私が念を押すと、阿悟は頷く。

 

「僕、見ちゃったんだ・・・・・・。阿弥ちゃんが離れの方角から歩いてくるの。

 詳しくは分からないけど、あっちにあるのは多分、間違いない」

 

 ぎゅっと目をつむり、押し殺すように話す阿悟。奴等への裏切り行為だ。相当勇気が要ったんだろう。

 

「・・・・・・ありがとうございます」

 

 腕を掴んで引き上げようとすると、阿悟は首を横に振る。

 

「僕は放っておいて」

 

「でも」

 

「良いから」

 

 少しだけ強い口調で言われる。無言で頷くのを見て、包丁を持ち、背を向ける。

 

「ここから動かないで下さい。必ず戻ってきますから」

 

 飛び出して戸を閉める。すると、扉越しに阿悟の独り言が聞こえてきた。

 

「・・・・・・エッチな事考えたから、バチが当たったんだ」

 

 大袈裟な、と少し笑いそうになった。紫が来たら、彼らを助けられないか聞いてみよう。彼女や周辺の妖怪なら、魂を清浄な場所に導けるかもしれない。

 その為にも生き残らなければ。殺されてやるのは彼らにとって救いでもなんでもない。

 

 決意を新たに、離れに向かって飛び出した。

 

 

 

 

 未だ闇の中に沈む稗田邸の敷地内。厠を出ると、左手に蔵、そしてその向こうに離れが見える。

 あの中に薬があると言った。残り時間も少ない。さっさと行かなければ。

 

 離れに向かって駆け出す。すると、蔵を横切った所であるものが目に入り、足が止まってつんのめった。

 

「これは・・・・・・」

 

 明滅する光の壁のようなものが見えた。最初は見間違いかと思ったが、その壁の根本を見れば御札が点々と地に並べられている。

 ・・・・・・結界。奴等の中でこんな事をするのは限られている。恐らく・・・・・・

 考えながら後ろを振り返る。月の光に照らされて、母屋の屋根から飛び立ち空を滑空する影があった。次第にそれはハッキリとした色を帯びていく。

 赤と、白。

 

「阿七!!」

 

 名を呼んだ瞬間、霊夢さん得意の針の弾幕が発射される。あまりの速さに光線にも見えるそれは、私が飛び退いた直後に音を立てて地面と結界に突き刺さり、針鼠のような跡を残し、或いは弾けとんで消えた。

 

 相手も見ずに必死で逃げ回った。後ろではひっきりなしに針の刺さる音が、弓矢の如く低く響いている。豪雨に追いかけられているみたいだった。しかも狙いは私の命。少しでも動きが鈍れば一瞬で蜂の巣だろう。

 

 来た道を振り返ると厠が見える。しかし阿悟を巻き込む訳にはいかないと辛うじて思考が動き、反射的に蔵の扉に取りすがる。

 

 取っ手に手をかけるとガタガタと扉は引っ掛かったように開かない。手元に目を凝らすと小さな錠がかかっていた。

 こんな時に、と阿七を睨むと、彼も何か懐を探っている。どうやら弾切れらしい。

 一瞬でも遅れを取れば良い的だ。血相を変えて持ってきた包丁を叩きつける。鈍い金属音がして手に振動が伝う。何度も繰り返すと手が痺れてきた。やがて包丁が根本から折れ、同時にガチャンと音がして錠の一部が壊れる。すぐさま戸を引いて中に飛び込んだ。

 

 私がちょうど扉の陰になった瞬間、扉に一斉に針がぶつかり、揺れる。すぐさま閉めたが、錠は外側のものしか無かったらしく、内鍵が見当たらない。

 踵を返して蔵の奥に逃げ込む。幸い中は煩雑に散らかっていたので、ガラクタの山の陰に身を隠した。

 

 戸口の方から乱暴な音と共に月明かりが射し込んでくる。そっと顔だけを出すと、阿七が飛んで上から探しだしたのが見えた。蔵は古いだけあって広く天井も高い。屋内にも関わらず空を飛べるというアドバンテージが発揮できるのだ。

 ゆっくりと浮遊しつつ、隙のない目で隅々まで見通す。手には御幣。霊夢に狙われた妖怪はこんな気持ちなのだろうか。冷や汗が止まず、息遣いさえ聞こえやしないかと気を揉む。

 逃げ出す隙を窺いたかったが、いざこの状況になってみると厳しいものがあった。もし阿七の目を盗んで戸口に向かったとしよう。駆け出せば早いが、音も立ち、気づかれる。かといってこっそり行けば長時間見つかるリスクを犯す。見下ろし視点で飛び道具を使ってくる相手だ。如何に素早く逃げようが巧妙に隠れようが見つけるなり射殺されるに違いない。

 ならば速急に倒してしまうより他ないが、何しろ私ではジャンプでも届かない。一か八か、物でも投げてみるか・・・・・・

 

 考えている内に阿七がこちらに向かってきた。とにかくこの場からは動かなければ。そう思って音を立てないよう身を捩った。

 

 その時、ガラクタが背中にぶつかる感触がした。ハッとなって上を見ると、積み上がった様々な物品の山。見るなりこれだ、と体が動いた。

 

 体全体を押し付け、迫りくる阿七に向かって山を揺らす。頂上が引っ張られるように揺れると、連鎖的に他の積まれた物たちも次々と均衡を失っていく。

 

「うわっ!?」

 

 阿七が驚いて体を捻ると、すぐそばに雪崩のようにガラクタが崩れ落ちる。さっきまであった場所のすぐ前に突っ伏した形の山が出来、床が抜けてもおかしくないような音がして、もうもうと埃が舞う。

 

「・・・・・・けほっ」

 

 阿七が咳き込む。普段誰も立ち入らないだけあって、視界を白く染める程の埃。私にとっても邪魔に違いないが、それは狙っていた好機でもあった。

 目が痛いのも構わず御札を持って走り出す。前傾した山を駆け上がり、狙うは阿七一直線。

 

 阿七が顔をしかめながら振り返り、驚愕の表情を浮かべた。私は出来る限りのジャンプをして飛びかかる。阿七に組み付いて御札を貼り、互いに御阿礼の姿で飛ぶ力のないまま空中を落下していく。

 

「ぐあぁっ!」

 

 木の入れ物や古い金物、使わなくなった火鉢に水瓶、陶器、焼き物。

 

 耳にやかましい破壊音、身体中に重い鈍痛。様々な物にぶつかりながら転がり、阿七を上から押さえ込む。私と同じく体を打ったのだろう。抵抗する力はいやに弱かった。

 

「阿七! もうやめにして下さい。でないとこれ以上の目に合いますよ」

 

 首に腕を押し付け、締め上げる。阿七は呻いて血を吐いた。それでも嫌らしく歯を見せる。

 

「よく言うぜ、まさか諸共に叩き落とすなんて・・・・・・」

 

 まだ意気は挫けていない。だがどうにかして分かってもらいたかった。私が消えて欲しいなんて思っていないことを。

 今までのように縛って放っておくのは簡単だ。でも阿悟に戻ると約束した手前、彼らの意思で殺し合いをやめて欲しい。あの雑記帳の事もある。

 

「・・・・・・約束します。あなた方の魂はキチンと弔いますから、もう大人しくして下さい。

 こんな事、間違っています」

 

「あぁ?」

 

 阿七が凄む。傷だらけで額から血が流れ、目力が増して見える。

 それでも瞳の奥に、罪悪感を示すような暗い淀みが見えた、ような気がした。それを信じて、目を離さずに語りかける。

 

「私が生きたいのもあります。けど、御阿礼の子として生きて残したいものも、あなた方が遺した、もっと知りたいものもあるんです。

 ・・・・・・・・・今まで、蔑ろにしてきた分」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 阿七が訝しげに私を睨む。しかし紛れもない本心だ。彼らのこの仕打ちが正当だなんて勿論思わない。でも先代の事を真剣に考えようと思った。阿一から阿弥まで一人一人の犠牲や悲しみの上に自分が立っているという実感。それは確かに足りなかったかもしれない。

 

 見つめ合って数分、鋭かった阿一の目が段々と穏やかになり、ばつが悪そうに目を逸らした。分かってくれたのだろうか。警戒を続けながら、少しだけ姿勢を変える。

 

「まず話をすると約束して下さい。迷うのは当たり前でも、考えてもらえたら・・・・・・」

 

 言いながらゆっくりと拘束を解く。すると、ぼんやりと天井を見上げていた阿七が、不意に顔を歪めた。

 

「くっ・・・・・・くく・・・・・・」

 

 小さい引き笑い。眉をしかめると、阿七がひねくれた笑顔のまま私を見た。

 

「おい」

 

「な、なんです?」

 

 再び強気な口調。まさか罠か、と一瞬身構える。しかし次の瞬間阿七の口から出た言葉は、意外なものだった。

 

「離れた方が良いぞ」

 

 え? と言いかけて気を抜いた瞬間、阿七が体を起こし、私を掴んで投げ捨てた。

 

「きゃ!」

 

 肩肘に痺れた感触が襲う。身体に意識がいかず、目だけを前に向かって剥く。そこにあった光景に、思わず息を呑んだ。

 

 阿七の真上、さっきまでの私の背後に、ムラサキ色の裂け目があった。見間違う筈もない。紫の、そして阿弥のつくる空間。

 そこから手が伸び、薄ら笑いを浮かべる阿七の首を掴むと、瞬く間に阿七を空間に引きずり込む。後には、阿七も裂け目も何もない。暗く散らかった、それでいて音だけは何もない空間が広がるばかりだった。

 

「あれ・・・・・・?」

 

 二、三度瞬きする。目の前で起こった事が信じられなかった。阿七が消えた。恐らく、阿弥の手によって。

 

 私ごと始末するつもりだった、とも考えたが、それなら今立て続けに引きずり込んでしまえばいい。いや、そもそもあんなに呆気なく決着がつくなら最初にやってしまえば良いではないか。今までに何度もチャンスはあった筈だ。

 

 ・・・・・・今まで・・・・・・

 

 縄をほどかれてからの記憶が甦る。

 

 阿未の錯乱ぶり。

 

 阿一の悲壮な表情。

 

 阿爾の自らを責めるような謝罪。

 

 阿悟の大袈裟に思えた後悔。

 

 みんな、『後が無いから』だとしたら。

 

 今まで考えもしなかった現実。私が彼らを下す度に阿弥が始末していたとしたら。

 私が救いたいと思った彼らは、もうどうにもならなくなったのか。

 

 ・・・・・・ああ、バカだ。バカだ。バカだ私。

 

「クソッ!」

 

 毒づいた瞬間に壁を蹴飛ばしていた。こんなズタボロの体でも気持ち次第で動くものだ。いや、むしろ怒りと共に身体中に熱がふつふつと沸いてくる。

 

「離れだ・・・・・・とにかく離れに行かないと」

 

 そこに薬はある。こうなったら意地でも私だけは生き延びなきゃいけない。阿弥は最後に出てくるだろう。その時は・・・・・・

 

 さっき蹴った拍子に穴が開いた壁。そこに何気なく目を落とす。壁に横向けに、長い二つ折のはしごが掛けてあった。ちょうど、離れの屋根に届くくらいの全長。

 

 普段なら『そんな都合よくいかない』と思うだろう。しかし、その時はそれに賭ける気になったのだ。まるで阿七が差し出してきたように思えた。

 

 

 残る時間は、五十分。

 残る刺客は、あと二人。

 


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