苦手な方はご注意下さい。
・・・・・・頭が痛い。
私はあれから気を失ったのだろうか。後頭部を殴られてからの記憶がない。
瞼がいやに重い。視界は暗いままだ。ここはどこで、私はどうなっているのだろう。
体を動かそうとすると、ギシギシという音がして体に痛みが走った。この感触は縄だ。膝に擦るような不快感。ふくらはぎから足先は折り畳まれて窮屈なばかり。どうやら今、柱のようなものに縛り付けられ、膝立ちになっているらしい。
なんだ? 私は何をされた。パニックになって身をよじる度に、腕に縄が食い込み、ズリズリと足が畳を滑る。
いったい誰がこんな事をしたんだろう。気を失うまでのあの出来事が夢じゃないというなら、周りの状況も十中八九ろくなモノではないだろうが・・・・・・
このままでは埒が開かない。意を決して、そっと目を開ける。
―
眩しさが一斉に襲ってくる。顔をしかめて瞬きをすると、段々と視界が色彩を帯びてきた。
周囲は和室。あの六人が集まった大広間に似ているが、襖の柄など、細かい部分が違う。未だにボヤけた頭ではハッキリと分からないが、見覚えがあった。しかしまだ目が慣れていないのだろうか。やけに目に映るもの達の色がくすんで見える。
そして目の前に、じっと私を見下ろす奴等が五、六・・・八人もいる。うち六人はすぐに分かった。さっき・・・・・・いや、気絶する直前まで顔を合わせていた連中。やはり仕組んでいたのか。
しかし、残りは何故いるのかが思い当たらず戸惑ってしまう。
「おはよう、よく眠れた?」
私が何も言わずにいると、金髪をかきあげ、前に進み出る人がいた。
八雲 紫(やくも ゆかり)だ。今日の語り部を集めてくれた天才妖怪。急に現れたり神出鬼没なのはいつもの事だが、あんな事をされた後だと否応なしに警戒してしまう。
少しでも離れようと体が勝手に引こうとする。すると頭が柱にぶつかり、ガツンと間の抜けた音が響いた。
それを見て、紫の隣にいる人物が吹き出した。
「何やってんだよお前。まだ寝ぼけてんのか?」
博麗 霊夢(はくれい れいむ)。怪談の場所を提供してくれた博麗神社の巫女。しかし、こんな男の子みたいな口調だっただろうか。表情など私を見下ろして嫌らしい笑みを浮かべ、いつも幻想郷の為にと働く姿とは別人のようだ。
「アッハッハッハ! まるで事態が呑み込めてないみてぇだな、養豚場の豚そっくりだぜ!」
後ろにいるレミリアが指をさして笑ってきた。明らかにおかしい。こんな粗野な言葉遣いをする子じゃなかったのに。
まさかお芝居か? 私を驚かそうと口調まで無理をして、壮大なドッキリにでも嵌めようとしているのか? しかし、面々を見渡すと、愉悦の色こそあれ穏やかでは到底ない。引きつる顔に無理に笑みをつくり、目の前の紫に問い掛ける。
「ゆ、紫さん、冗談はよして下さいよ。まさかこれが七話目だなんて言わないですよね。
もう十分ですから。縄をほどいて下さい。苦しいですって」
声が震えて上ずった。しかし紫は私の頼みに一瞬鼻白むと、ふん、と鼻を鳴らす。
「あなた、まだ分からないの? 怖い話なんてどうでもいいのよ。今までの話も全部でたらめ。
あなた、まさか本気で信じていたの、くくっ、ふは、アハハハハ! これは傑作ね! ほら、皆も笑ってあげなさい!」
紫がそういうと、部屋の全員が声をあげて笑う。大口を開けて白い歯を見せ、おかしくて堪らないという風な大きな笑い声。誰も彼もまるで別人のように、私を見せ物のような目付きで見る。
最初に感じた恐怖が薄らいで、代わりに理不尽への怒りがふつふつと沸き上がってきた。
「ふざけないで! こんな悪趣味な真似、許されると思っているのですか!?
何の目的があって、こんな事を!」
息を荒げて捲し立てる。すると、皆は笑いを止めると顔を見合わせた。そしてレミリアが薄ら笑いを浮かべながら言う。
「最初から決まっていた。六人目は誰であれアンタを連れ出して気絶させる。
もちろん理由があっての事さ」
「だから、それを聞いているんです!」
レミリアが一旦言葉を置き、少しだけ低い声で言う。
「これはな、復讐なんだよ」
部屋が一瞬静まり返る。レミリアはいつの間にか責めるような目付きで、口を結んで私をじっと見つめている。他の皆も未だ笑みを残してはいるが、目の奥には私を蔑むような冷たい光があった。
しかし、復讐? 私は復讐されるおぼえなんか無い。大体が屋敷に籠って本ばかり書いていた私に、彼女らがどんな恨みを持つというのだ。
黙ってにらみ返してやると、天子がやれやれと首を振る。
「ね、紫。正体を見せたら、少しは思い当たるものがあるんじゃない?」
正体? 一体何の話だろう。首を傾げたが紫は訳知り顔で、扇子を口に当てて『ああ』と頷いた。
「それもそうね。驚くでしょうけど」
紫が皆に目配せする。その途端、全員の姿がユラユラと揺らめきだした。人の形が完全に崩れ、ムラサキと黒とピンクの混じりあった気味の悪い光に包まれる。
息をのみ、目を疑った。光は大きさも伸び縮みし、大体子供くらいの大きさになると、また人の形を取り始めた。
噂で聞いた、妖怪の変化の様子に似ている気がする。こけしのような塊に四肢が生え、目鼻ができ、髪が生える。その髪はどれも紫色だった。
やがて、全員が同じ背格好の、同じ人間になって変化が終わった。その姿を見て言葉を失う。
「・・・・・・私・・・・・・?」
前に立つ八人は、私が鏡でしか見たことのない筈の、自身と同じ姿だった。私には代々兄弟はいない。お⚪️松くんじゃあるまいし、こんな大人数尚更あり得ない。何度も瞬きをしていると、紫の位置にいた誰かが慌てたように手を振る。
「やだ、混乱しすぎじゃない? あなたの知らない人物じゃないわ。・・・ただ、ある意味怖いかもしれないけど」
私の知る人物・・・・・・そりゃあ自分なんて知ってて当たり前・・・・・・
いや、違う。よく見たら髪型や服装が微妙に違う。更に分かりづらいけど男の子も混じっている。
男女入り交じった、私にそっくりの、八人・・・。・・・・・・八人?
「気づきましたか? "九代目" 」
早苗さんの位置にいた子が笑う。そうだ。私を入れて九人。まさか。
「御阿礼の・・・・・・?」
私が呟くと、青娥の位置にいた子が満足そうに頷いた。
「そう。あなたの先祖、代々の御阿礼の子がここにいるのです」
「馬鹿な! 八代目までは死んでいます。だから私がいるんじゃないですか!」
我らの稗田家では、幻想郷の記録係として初代の阿礼から、私こと阿求まで記憶を受け継ぎ転生し続けてきた。当然先代たちはこの世にいない。生きている内に関わった人々と、私の頭の中の残骸、それら記憶の中にしかいない。残りは義務として残した面白くもない書物の隅に名が記してあるだけだ。
「呑み込みの悪い人だ。生きている人間がこんな事出来るわけないでしょ」
正邪に化けて戻りながら、男の子がため息を吐いた。続けてレミリアだった子が得意気に前に進み出て、言った。
「順番に自己紹介させてもらおうか。
俺が初代御阿礼の子、レミリアこと稗田阿一」
「二代目、アリスこと稗田阿爾」
「三代目、天子こと稗田阿未」
「四代目、早苗こと稗田阿余です」
「僕が五代目、正邪こと稗田阿悟」
「六代目、稗田阿夢ですわ」
「・・・七代目、稗田阿七」
「そして私が八代目。紫ことあなたの先代、稗田阿弥」
確かに、稗田家のご先祖様の名前。じゃあ、この場にいるのは正真正銘、私の先代たちの亡霊なのか? でも何故私にこんな仕打ちを?
「上手く誘いに乗ってくれたわ。偽者とは知らずに・・・・・・」
「さて紫、自己紹介も済んだし次に進めましょうよ」
阿爾がぼそりと進言した。
すると阿弥は卑劣な笑みを引っ込めるとピシッと背筋を伸ばし、こう叫ぶ。
「それでは、判決を申し渡す!」
続けて親指を立て、私に向けて一気に指を下に向ける。
「死刑!!」
「異議なし!!」
そっくりな顔をした裁判官たちが一斉に親指を下ろす。私の側に弁護士は一人もいない。皆の賛同に阿弥は満足そうに笑うと、紫の姿に変わり、人差し指でつい、と虚空を引っ掻いた。
途端に、空間に裂け目が走り紫色の世界が覗く。スキマだ。こいつら、姿だけじゃなく能力まで真似られるのか。
紫モドキはその中に腕を突っ込むと、なにかの丸薬の入った瓶を取り出した。一粒取り、私に向けて腕を伸ばす。
「はい、あーん」
丸薬を口許に押し付けられる。必死で顔を背けるが、頬を掴んで無理やり放り込まれてしまった。喉を転がり、胃までするりと落ちていく。
「う、うぇっ・・・・・・けほ、な、何を・・・」
えづきながら問い掛けると、阿弥は姿を戻し、とても愉快そうに顔を歪める。
「それはねえ、毒薬。放って置くと死んじゃうわ。すぐって訳じゃないけど、胃液で溶け出すまで・・・・・・五時間程度かしら」
頭の中がさぁっと冷たくなる。私の命が、あと五時間? こんな訳の分からない復讐とやらで私は死ぬのか?
「数時間で死ぬってのはどんな気分? 寒気がする? 鳥肌が立つ? 目眩がする? ふふ、ひひひひひ」
は、は、と呼吸が乱れていく。息もろくに出来ず、脂汗が滲む。それを見て、阿弥は飽きもせずへらへらと笑った。
「心配しないで。毒を持っているからには、解毒薬もちゃんとある。ほら、ここに」
阿弥が懐から小瓶を出す。黄色い液体が入っていた。阿弥はそれを目の前で振って見せる。
「これを飲んだらあなたは助かる。どう? 欲しい?」
「ほ、欲しい!」
思わず犬のように顔を近付けると、阿弥はひょい、と小瓶を遠ざける。
「欲しい? 欲しいじゃないでしょ?
いただけませんか、阿弥さま。そう言ってみなさい」
・・・・・・どこまでおちょくるんだ。いや、ここは我慢しなければ。下手に機嫌を損ねたら未来はない。
「い、いただけませんか、阿弥さま・・・・・・」
「ふふ、良くできました。じゃあ屈服の証に、私の足を舐めなさい」
阿弥が足袋を脱ぎ、白い足を突き出してきた。歯を食い縛り、恐る恐る舌を出して、這わせる。遠慮がちに触れると、「ほら、もっとしっかり」と押し付けてきた。
舌の上に苦い味が広がり、涙が浮かぶ。私と同じ顔で、そんな破廉恥な表情をするな。
「じゃあ、私のも舐めて下さいよ」
「・・・・・・・・・・・・」
阿余がウキウキとした表情で足を差し出す。ゲンナリする思考をシャットアウトし、舌を這わせようとした。
「そうだ! 全員の足を舐めてもらいましょうよ! 慣れれば喜んでくれるかもしれないわ」
阿未がとんでもないことを抜かし、思わず舌を噛んでしまう。慣れてたまるか。喜んでたまるか。私の思いを他所に代々の御阿礼の子は足袋を脱いで準備しだした。ああ、夢ならば覚めてくれ。
―
・・・・・・ひたすら足を舐め続け、面々は満足したのかまた阿弥を残して後ろに下がる。私は屈辱の味を堪えるのに精一杯で、涙が伝うのもしばし忘れて俯いていた。
「や、約束です・・・。解毒薬を下さい・・・」
やっとの思いで掠れた声を絞り出す。阿弥は「ああ」と詰まらなそうにいうと、刹那に豹変し、残忍な笑みを浮かべる。
「や、だ❤️」
「あぁーーーっ!??」
叫んでも遅かった。阿弥は薬の栓を開け、ゆっくりと傾けたのだ。私の目の前で液体はなすすべもなくこぼれ落ち、ボタボタと音を立てて畳にシミをつくっていく。
やがて音がしなくなると、瓶の中は空になり、畳に黒々とした大きなシミが残されるのみとなった。
「ど、どうして・・・・・・」
シミを見つめながら勝手に情けない声が出た。阿弥は瓶をポイと放り投げ、私の顎を掴む。
「みっともなく慌てちゃって。解毒薬はまだあるわ。あと一つだけ」
まだ薬はある。反射的に阿弥の目を見据えると、阿弥も私を見つめながら言う。
「その場所は私しか知らない。でも教えない」
「どうして?」
「あなたに探してもらうのよ」
阿弥は立ち上がり、両手を広げる。
「この屋敷のどこかに薬はある。私達は見つけるのを邪魔する。それを倒して薬を見つけ出せば、あなたの勝利」
いよいよという感じに、面々が笑顔を見せ合う。こいつら、なんて奴等だ。ひ弱な人間の私を遊び道具にして、いたぶって楽しもうというのか。
「私達全員を倒さなきゃ、屋敷の外には出られないわよ。紫や霊夢が来るにしても・・・・・・五時間じゃバレないでしょうね」
・・・・・・倒す? 曲がりなりにも妖怪の力を使える連中が、面白い冗談を言ってくれる。しかも私が薬を見つけなければ救出も間に合わないということか。
「最後に時間が分かるように、私の秘蔵の懐中時計をあげましょう。良い? これから五時間だからね。
さあ、縄を解くわ。行きなさい!」
阿弥に背中を押され、私は廊下に飛び出す。後ろでは奴等の喝采が響く。
「走れ!」
「走れ!」
「急がないと死んじゃうぞ~っ!?」
阿悟がランニングの真似をして囃し立てる。襖を閉めて遮断。目の前の光景に気を配る。
明かりがなく暗いが、やはり床板も襖や天井も、一面の色がくすんで見える。まるでこないだの、幻想入りした古い映画に飛び込んだような気分。出られない屋敷というのは、満更嘘ではなさそうだ。
まだまだ分からない事はある。が、敢えて思考を振り払った。今一番重要なのは、薬を見つけなければ私は死ぬということ。
懐中時計に目を凝らす。ここから五時間。それを過ぎれば全て終わり。時計を懐にしまい、一つ深呼吸。
「・・・・・・さて」
走り出す。やられるものか。絶対に奴等の鼻を明かしてやる!