「えー、もう私で五話目ですね。霍青娥ですわ。どうぞよろしくお願いいたします。
突然ですが皆さん、寿命と聞いて、どのような考えが浮かびますか? ここにいる方はまだまだ意識などしていないか、さもなくば悲しい概念、そんな風に考えていらっしゃると思います。
近しい者の永遠の別れはとてもつらいものです。他人ならば天命だと諦める事も出来ますが、身内ならば心の中の支えが消えるといっても過言ではありません。
大袈裟に聞こえますか? しかし、一度でも経験するとそうも言えなくなります。心に隙間風が吹き抜けるように、その人が泣いても笑っても戻って来ないという事を、否応なしに実感するのです。
ここで皆さん、仙術をやってみませんか? 不死をも可能にする魅惑の力、大好きな方と修行したらそれこそ二人で永遠の時を・・・・・・・・・。
冗談ですよ。
しかしこう言っておいてなんですが、そう寂しいばかりでは語れないのも事実です。
なんせ人間の寿命は短いですからね。死人に権利はないとばかりに遺してくれたものを搾り取り、後は放ったらかしなんて話をよく聞くのです。その姿を死体を漁るハゲ鷹だなんて形容する方もいますが、私はピンと来ないのですわ。
あれこそ人間。死に心の底では怯えて少しでもこの世の享楽を貪ろうとする、浅ましい本来の姿です。仙人になってみて、多少は冷めた目で見れるようになりました。今はもう笑い話としてさえ躊躇いなく披露できますよ。
その中でも飛びっきり愉快な話をいたしましょう。大丈夫。あなた方には身に積まされる事など欠片もないでしょうから・・・・・・・・・
―
ある日、太子様と一緒に人里に繰り出した事がありました。特に目的もありませんが、お互いブラブラしながら人々の生活に目を通すのが好きだったのです。
しばらくは挨拶してくる子供たちと戯れたり、甘味処で新商品に舌鼓を打ったりと呑気に過ごしていたのですが、夕暮れに差し掛かった頃でしょうか。
街道で声をかけられたのです。
『やあ、そこにいるのは太子様と仙人様ではございませぬか!』
いやに上機嫌な声に振り向くと、人間の中年の男が早足で駆け寄ってきます。今までもままあったように有名人に会って無邪気に近付くような・・・・・・いえ、むしろ目的があってそれが叶いそうだと歓喜しているような、煩く光るような風情のない笑顔を浮かべておりました。
『何かご用でしょうか』
ただ、私の印象はともかくも、太子様は流石の冷静さ。負の感情の欠片も見せない菩薩の如く笑みを浮かべて応えます。
『急に呼び止めてしまい、申し訳ありません。実は以前より、どうしても貴殿方に会って頂きたい方がいるのです』
男の方もさるもので、およそ庶民には似つかわしくない文句をスラスラと述べます。『どのような方でしょう』と聞くと、男はペコペコと憐れな仕草を交え、表情をころりと悲しく一変させました。
『私の父親なんです。寄る年波には勝てず、年々体を弱らせております。どうか有難いお言葉の一つでも、かけていただけませんでしょうか』
男の台詞はますますスラスラと、芝居がかってさえいる口調で続けられました。そこに何か胡散臭さを感じて太子様の方を見ると、やはり私にチラリと、白けた目線を向けていました。
しかし男はそれに気付かないのか、卑屈な笑みを張り付けながら太子様の機嫌を伺っています。太子様が『分かりました。どうぞ喜んで』と答えると、喜び勇み小走りで私達を案内しはじめました。
いくらか里を歩き、やがてありふれた長屋よりは相当大きな屋敷が見えてきました。所々古臭くて年季が入っていましたが、探せば目ぼしい物が見つかりそうです。
『さあさあ、こちらへ』
導かれるままに上がり込むと、廊下の向こうからご夫婦とおぼしき男女が歩いてくるのが見えました。最初に会った男よりは幾分若く、子供などの近い間柄にも見えません。
『あ、こんにちは』
『お邪魔します』
夫婦はこちらを見るとにこやかに挨拶してくれたのですが、男とは一言も喋ることなく、それどころか憎たらしそうに睨みあって去っていきました。
不思議に思ってしばし背中を見つめていると、男がまた『さあさあこちらへ』と急かすように言いました。
しばらく長ったらしい廊下を歩いていると、奥の小ぢんまりした部屋に通されました。男が襖を開けると、布団に寝かされた一人の老人がいました。
その人は白い髭を蓄えたお爺様で、簡素な白い着物の下には痩せ衰えた体が覗いています。
部屋をそれとなく見渡すと、一見高価そうな壺や掛け軸があり、貧しさとは無縁で満たされたように見えます。服や布団、部屋も隅まで清潔で、最初は慕われている方なのだと思いました。
しかし、少し経つと部屋の奥から陰気な、冷えた空気が漂ってきます。表情を観察すれば微かに開いた目には光がなく、警戒したように男と私達に視線を泳がせていました。
男の芝居がかった態度といい、さっきの廊下で会った夫婦といい、この家で会った人々にはどこかギクシャクした、素直に触れ合えていないような印象がありました。
『御父さん、里で噂の道士様です。きっと気持ちを穏やかにして下さいますよ』
そう言って男は老人の脇に座り、しかし老人本人には目もくれずに私達に頭を下げました。
『お願いします』
御父さん、と呼ばれた方は一言も喋りませんでした。ただ、顔だけをこちらに向けて仏頂面をするばかりです。
男の媚びた雰囲気、裕福そうな大きな屋敷、仕草から見えるよそよそしく冷たい空気、目の前の見るからに寝たきりの老人とそれを丸っきり無視する男・・・・・・
点と線が繋がり、男がどういう目的で自分達を招き入れたのか、段々と見えてきました。恐らく死にそうな老人を前に遺産の取り合いでもしていたのでしょう。私達が死ぬ前に有難い説法でも聞かせればさぞ好印象だろうと、さもしい計略をしたに違いありません。
私はつまらぬ時間を使ったと後悔していました。神妙な顔でいる振りをして、いっそ目の前でくたばれば面白いのに。そんな風に考えておりました。
太子様も色々とその時点で察していたとは思いますが、嫌悪の色などおくびにも出さずに仏教の死生観など説いておりました。
その中身を今ここで解説するつもりはございません。一つ言えるとすれば、欠片も心に響いてはいなかっただろう、という事ぐらいです。
ともかく話を終え、男の相変わらずペコペコするお礼を流して屋敷を出た頃には、すっかり日も暮れていました。
里から仙界へ入り口をくぐり、周りに誰もいなくなった所で、太子様と自然に顔を見合わせました。二人とも顔をしかめ、不機嫌です。
最初に口を開いたのは私の方でした。
『・・・・・・あの方、舐めた真似をしてくれましたわね』
『物騒なことを言うものではありません』
口では窘められたものの、太子様の口調にも刺々しさが混じっておりました。肉親を道具のように利用したり、自分達を安い目的のダシに使ったことは間違いなく不興を買ったと見えます。
私は言葉を選んだ上で、あの男に戒めを送るように、こう焚き付けてみました。
『太子様、しばらくあの家を見張りませんか?
万が一身内の揉め事などで私達の名前を出されては、名誉に傷がつきます』
太子様が私の意図に気づかなかった、という訳ではないでしょうが、それでも表情は穏やかに、しばらく沈黙した後に小さく頷きました。
『・・・・・・良いでしょう。私の説法がどの程度の意味があったのか、見届けるのもまた一興』
あくまで男の無粋な目的を見抜けない振りをして、太子様は笑っていました。
・・・・・・それから、里をいつものように歩きながらあの屋敷をこっそり観察する日々が始まりました。しばらくは屋敷から不機嫌そうな人が二、三人出入りするだけだったのが、やがて老若男女がぞろぞろと纏まって訪問するようになっていきました。恐らく死期がとうとう近づき見舞いと称して遺言を聞き出そうとした、そんな所でしょう。
表向きは愛想よく接したのかも知れませんが、ろくに動かない自分の周りにワラワラと集まる面々は、お爺様にどう見えたのでしょうねぇ。
ともかく、私達は遠巻きに屋敷を見張るに留めました。お爺様に会おうとする人々の心中には興味があり、特にあの男がどんな面で過ごしているのか知りたくはありましたが、ただノコノコと顔を出すだけではまた卑屈に取り繕い、喜んでみせるに決まっています。
本心が少しでも露になるタイミング、狙っていたその時は案外すぐにやってきました。
ある日、屋敷の周りにはいつもと違い人だかりが出来ておりました。誰も彼も黒い服を着て、よく見れば頭を丸めたお坊さんと喪服の大勢の方々がごった返しています。
お葬式でした。ちょうど解散の時間だったのか、人が少しずつ散って帰路についてゆきました。
その中には、帰る人々に頭を下げるあの男も。私達は顔を見合せ、早速偶然を装って男の前に現れました。
『お久しぶりです』
男は私達の顔を見ると一瞬キョトンとし、すぐにあからかまな作り笑いで駆け寄ってきました。
『おお、太子様と仙人様! いつぞやはありがとうございました!』
『この度は御愁傷様です。すぐに駆けつけられたら良かったんですが・・・・・・』
『いえいえ滅相もない! 御父さんも喜んでおりましたよ。安らかな最後でした』
喜んでいた、そんな訳はないと思うのですが、私はハッキリとは指摘しませんでした。自分から場を悪くするつもりはありません。ですのでさり気なく、首を傾げてみせました。
『そうですかねぇ、お役に立てました?』
『勿論です! 連れてきてくれてありがとうと言っておりました。
遺産も私に殆ど譲ってもらえて・・・・・・』
案の定、聞いてもいない遺産の事を喋ってくれました。ご本人が亡くなって気が抜けていたのでしょう。思わず金銭欲を表に出したその時、表情も確かに人の良い仮面が剥がれ、どす黒い私欲が浮き出ていました。
さぁて、これでコイツは悪人確定だ。そう思って隣の太子様にしてやったりと振り向くと、太子様はいつの間にか黙って俯いておりました。
私ばかり喋っていたので気づきませんでしたが、太子様はお気に入りの耳当てを触りながら、騒音を煙たがるようにじっとしていました。
周りは参列者で多少賑わってはおりましたが、そこまで気にする程ではありません。それに彼女は人前で急に黙りこくってしまうなんて、あまりする人ではありませんでした。
『太子様?』
『あ、ああ』
そっと呼びかけてみると、太子様は戸惑った様子で生返事をし、男に頭を下げました。
『このような日に長居も何ですから、そろそろ失礼いたします』
『へ? はい。・・・どうも』
男も若干不思議そうにしていましたが、太子様は私を引っ張ってスタスタと去っていきました。私はいよいよ男に鉄槌を下せるとワクワクしていたのですが、どういうつもりなのかイマイチ分かりません。
人の居ない場所まで一言もなしに歩き続け、太子様は急にクルリと振り返りました。その顔は相変わらず、不快に感じさせない冷静な笑みが浮かびます。
『明日、また来てみますか』
来てみる、それだけなら単なる訪問です。もっと思い切った事はしないのか、そう訪ねようとした私を、太子様は手で制します。
『まあまあ、その内分かりますよ』
いやに穏やかな、未来でも見通すような言い方でした。私はつまらないと思いつつ、その日は何事もなく床につきました。
・・・・・・しかし、その不満は明日になり、すっかり消え失せました。
ちょうどあの葬式の日の夜、例の屋敷で大火が起こりました。あの男の家族含め、都合が合い通夜に参加していた人々、全員が焼死したんだそうです。
里に行った時に見た焼け跡は凄惨なものでした。どれ程栄華を極めようが、呆気なく価値が無くなる事があるのです。
しかし、驚きはそれだけに留まりません。里の人に聞くと、私達と話していたあの男が、ただ一人逃げ出したというのです。里の端の、貧民窟の方に走って行ったといいます。
ただ、教えてくれた住人はそこまで言うと口をつぐみ、どうにも言いにくそうな顔でこう仰りました。
『でも、会わない方がいいと思うなぁ、あれは・・・・・・』
顔をひきつらせる住人にどういう事かと聞こうとすると、また太子様が笑顔で言いました。
『教えていただき感謝します。それでは』
相手の表情など意に介さない様子で、また私を引っ張って里の寂れた方に歩いていきました。今度は火事の手前、黙ってついてゆきます。
しかし、いったい太子様は男が生きていたのが嬉しいのだろうか・・・。飄々とした背中を見ながら心中を掴みかねていると、ふと前方から声が聞こえました。
『あー・・・あー・・・』
確かにあの男の声です。しかし妙に間延びした、震える情けない声です。
何事かと思い太子様の肩越しに目を凝らしました。すると見えたのです。
あの男が、所々焦げたぼろ切れを身に纏い、舗装もされていない雑草だらけの道端に座り込んで。
『あはは・・・おはよう、今日は寝坊したな。通夜、お疲れ』
道端に小銭を並べ、それに話しかけていたのです。火事の時に持ち出していたのでしょうか。男が着物の袖から掴んで取り出し、焦げた穴からもチャリチャリとお金がこぼれ落ちていきます。
しかし男は気にせず、小銭をつまみ上げては人形に話しかけるように、言葉をかけては笑っていました。
見ない方がいいと言われた理由が分かりました。
それから連日、その男を観察してみました。妄想は収まるどころかエスカレートし、五十銭を見ながら『飯はまだか』と言い、一銭を見ながら『寺子屋は楽しいか』と言い、五厘を見ながら『やあ、おねしょは卒業だ』とはしゃいでいました。
時には小銭に紛れていたのかおはじきを取り出して五厘の上に置き、『飴だぞ、大事に食べなさい』と言って、五厘と舐めて無くなる訳もないおはじきを、晩までじっと眺めている事さえあったといいます。
そんなある日、男が追い剥ぎにあった事がありました。おかしくなっていたとはいえ金を堂々と、貧民窟の往来に広げていたのです。遅かれ早かれそうなるのは当然でした。
それからの男の行動はますます狂気を孕みました。本気で小銭を家族に見立てていたのか、妻や息子二人の名を叫びながら、裸で辺りを走り回りました。私達が見たときには、口からヨダレを垂らし、体はいつか見たお爺様そっくりに痩せ衰え、最初の面影は殆どありません。
一度だけその彼に見つかった事がありました。私達の顔は覚えていたのか、姿をみるや目を爛々と光らせ、フラフラと近寄ってきました。
私は気味悪くて避けようとしたのですが、太子様が顔色一つ変えず、男と向かい合いました。
『あ・・・・・・』
男は不気味ながらも太子様を見るとニッコリと笑いました。皮肉にもあの卑屈な笑みよりもマシに見えましたわ。
太子様もニッコリと笑い、懐から紙の束のような物を差し出しました。
それを見て仰天しました。百円札です。幻想郷では滅多に見ない大金でした。どういうつもりか太子様は分厚いその束を押し付け、無言で踵を返します。
あわてて後を追いました。途中で一度だけ、チラリと振り返ると、男は束を掲げ、既に暗くなり始めた里の一角で奇声を上げながら踊り狂っていました。
―
そして、しばらくして・・・・・・
また二人で同じ場所に行ってみました。果たして男はあのお金をどうしたのか。ひょっとしたら元手にして立ち直るように太子様は願ったのか。色々考えを巡らせながら、あの貧民窟の一角に足を踏み入れました。
・・・・・・居ました。あの時と全く変わらない場所に横たわっています。死んでやしないかと近づいて覗きこむと、男が大事そうに何かを抱いています。
あの百円札でした。変わらない分厚さのまま、少しも乱れずに男の手の中にあります。
その気になれば何でも買えたでしょうに、男は枕にしてぐっすりと寝ていました。
怪訝な目でじっと眺めていると、男がフッと目を開けました。ぎょっとしてのけ反りましたが、男の視線はすぐ近くの札束に注がれていました。立ち上がり手を伸ばせば届く距離にいるのに、私達に気づく様子もありません。
男は札束を見たまま、頬がこけた顔で笑うと、消え入りそうな声でこう言いました。
『ああ、道士様だ。道士様がいらっしゃる・・・・・・』
そうして、また目を閉じ、手足を力なく地面に這わせました。
私が何も言えずに突っ立っていると、太子様が呟きました。
『バカな人だ。折角のチャンスを』
そう言って、男をまるで無視するように札束を拾い上げました。恐らく、もう死んでいたのでしょう。
太子様は一言も喋らず、表情一つ変えずに立ち去ろうとしました。その背中に、一つだけ聞いてみます。
『太子様、何かしたんですか?』
彼女はピタリと足を止め、振り返りました。眉をひそめる私に向けてゆっくりと首を横に振り、耳当てに手を添え、こう答えました。
『いいえ・・・聞こえませんか? 怨霊の嘲り嗤う声が・・・・・・』
私にはそよ風の音しか聞こえませんでした。しかし、太子様の顔はいつも通り冷静で、陰りのない完璧な笑顔に見えたのが、ずっと記憶に残っています。
―
・・・・・・あの出来事が、果たして死んだ老人の祟りだったのか、まだ私には分かりません。
・・・・・・しかし、皆さん覚えていますか? あの男とその家族以外にも、里には一族の方々がまだ生きているのです。
本当なら巫女に伝えねばならないのでしょうが・・・・・・。言っていませんよ。これから果たしてどうなるのか、興味がありますから。
これで私の話は終わりです。次で、六話目ですわね」