アリスさんの話が終わり、しばらく経つ。部屋にいる面々は話題も尽き退屈そうに壁に寄りかかり、家人の霊夢さんも帰ってくることはなく、変化のない沈黙が流れるのみ。
「なんか喉乾いたなー」
正邪さんが呟く。そういえば皆が話す間中、飲み物の一つも出していなかった。暖かくなってきたこの時期には意外と堪えたのか、皆がチラチラと顔を見合わせる。
「なあ天子、裏の井戸から水汲んできてよ」
正邪さんが顎でしゃくりながら命令する。言われた当人は不機嫌そうに眉をひそめた。
「嫌よ、なんで私が。自分で言って飲んでくれば良いじゃない」
「気が利かねえな、皆の分も要るだろ?面倒臭いからさ」
舌を出して天子さんをコキ使おうとする天邪鬼。天子さんの口元が歪んだ。
「何よ、重たいから私にやれっての?」
「私じゃ桶ひっくり返しちまうよ」
「お断り。なんで天人たる私がそんなこと」
「・・・つまらんプライド 意固地な態度 井戸より浅いぞ器の程度♪」
「・・・・・・・・・」
天子さんがツカツカと詰め寄る。成る程、少しうざったい。
と思っていたら、正邪さんがあっという間に胸ぐらを掴まれてしまった。
「あんたねぇ、井戸に放り込むわよ!」
「うわぁ、水飲み放題だー浮かばれねー」
「ちょ、ちょっと!」
慌てて止めに入る。正邪さんはヘラヘラ笑っているが、天子さんは割りと本気でイラついている。下手したら喧嘩にもなりかねない。
誰か手を貸してはくれないかと周りを見るが、レミリアさんと青娥さんなどは声を押し殺して笑っていた。妖怪の間に割り込むなんて相当覚悟がいるのに、この人達ときたら。
額と額がぶつかり合うかと思うほどににらみ合う二人。私など目もくれないばかりか、片手間に振り払われそうだ。
気迫迫る表情を間近で見ていられず、目をつぶり祈る。神様、仏様!
その瞬間。
「じゃあ、私が行くわよ」
そう言ってスッと立ち上がる影があった。アリスさんだ。
「あら、いいの?」
傍観していたレミリアさんが素知らぬ顔で言う。アリスさんはニッコリと頷いた。
「私も手伝いましょうか?」
「いいのよ、皆お茶で良い?」
「任せますわ。出されたものは漏れなく頂く主義ですの」
立ち上がろうとする早苗さんを止め、きびきびと準備に入るアリスさん。気を配れる人がいて良かった。座りっぱなしで体が凝ったのか、無駄にセクシーなヨガなんか始めている青娥さんを見ると、余計そう思う。
―
しばらくして、盆に湯気の立つ湯飲みを六つ乗せてアリスさんが現れた。
「はい、どうぞ」
分ける時まで自分で、皆の前にお茶を置く。つくづくいい人だ。対して他の面々は受けとるなり無遠慮に口をつけていた。
内心少し呆れつつ、私も一口。すると、独特の味と香りがした。
「あれ、なんか変わった味がしますね」
青娥さんが首を傾げる。するとアリスさんは照れ臭そうに笑った。
「ごめんなさい、日本のお茶って少し不慣れで」
そうか、彼女なら西洋、或いは魔界の嗜好品の方が馴染みが深いのだろう。
「貴女、一体どんなもの嗜んでいるの? 興味あるわ」
レミリアさんが子供っぽく目を光らせると、アリスさんはしばし宙を見上げ、流暢に話し出した。
「そうねぇ・・・・・・レミリアは知っているだろうけど、紅茶かなあ。こういうのとは違って、苦味や渋みが少ないの。色は本当に茶色」
「ダージリンやアッサムは良いわよ。ジャスミンは少し癖があるけど、スーッとする香りは好きな人は本当に好むわね」
アリスさんの語りに便乗してレミリアさんが熱弁する。話したがりの子供みたいだ。
やれやれ、と正邪さんが肩を竦めたのを見て、アリスさんが苦笑する。
「もっと以前だと魔界だからね・・・・・・。変なのが一杯よ」
「あ、それ興味ある!」
天子さんが身を乗り出すと、アリスさんが遠慮がちに一つ頷いた。
「・・・芋虫のムースとか、蛇の佃煮とか、猫の肝鍋とか・・・」
「うひゃあ、悪趣味・・・・・・」
早苗さんが笑顔をひきつらせる。彼女にはさぞかし刺激が強いだろう。アリスさんはそれを見て、フッとわざとらしい笑みを浮かべ、一拍置いてこう言った。
「・・・人の生き血を混ぜたワイン・・・とか」
瞬間、一同が息を呑む。しん、と冷たい空気が部屋の中に流れた。
早苗さんが生唾を飲み込み、冗談めかして問いかける。
「マジ・・・ですか」
「本当よ。つい最近も飲ませたもの」
答えるアリスさんの声はいつの間にか、平坦で低く感じた。さっきまで浮かべていた社交的な笑みは消え失せている。
「飲ませたって、一体誰に・・・・・・っ!」
言いかけた早苗さんが、ビクンと体を突っ張らせたかと思うと、糸の切れた操り人形のように畳に体を投げ出した。
ほぼ同時に、酷い頭痛が襲い、視界が歪む。その中で一人、二人と皆が倒れていく。たった一人、アリスさんが涼しげに正座したままお茶を飲んでいた。
酔ったような視界のせいで、どんな表情をしているかは分からない。
まさか、このお茶、混乱する思考の中、まだ感覚の生きている耳に、この部屋への廊下を渡る足音が聞こえた。霊夢さんじゃない。もっと小さい、子供の足音。
「代用品じゃ限度があってね」
廊下の方を向いたアリスさんが呟く。ガクリと視界が揺れ、畳に体を打ち付ける。
同時に、ガラリと襖が空いて、小袖を着た子供の足下が覗いた。
「もう、呼ぶまで来ちゃダメって言ったじゃない」
叱るようなアリスさんの呑気な声。知っている相手なのか、この状況で驚きもしないなんて、一体誰?
力を振り絞って顔を上げる。霞んでいく目に、黒髪を伸ばした小さな女の子の見下ろす顔が映った。
「毎回こうは行かないからね。今日は特別よ」
「うん、お母さん」
ああ、そうか、この子は。
ようやく全てを理解した直後、私の意識は闇の中へ、深く、深く沈んでいった。
血をすすり貪る音を微かに聞きながら・・・・・・・・・