「ああ、もう私で六話目ね。アリス・マーガトロイドよ。よろしくね、皆。
・・・七人目はまだ来ないのかしら?トリを務める程の自信はないんだけど・・・・・・
まあいいわ。私ね、知ってると思うけど人形作りが趣味で、人里で人形劇やったり、たまに注文受けたりもするの。
当たり前だけど、大抵は子供向けのもの。武器に使ったりもするけど、それは自分用だけで、危ないし他人に寄越したりしない。
言ってしまえば、小さい年頃の子が、『自分の世界』の中で他人に見立てて遊ぶものだからね。ごっこ遊びに使ったりして、後は忘れ去られるのはおかしくもなんともないのよ。そういう玩具。
・・・・・・ただ、やっぱり人間の形を模しているせいかしら。時々とんでもない事が起こる。
少し前にも一大事になって、その話をしても良いかしら?
―
あれは、私が人里での公演を終えて、里の帰り道を歩いていた時だった。街道で急に、後ろから大きな声で呼び止める声がしたの。
『人形師さん! ちょいと待っとくれ!』
甲高い、必死な声。ちょっぴり普通ではない感じで嫌な予感がしたんだけど、呼ばれてつい振り向いてしまった。
『ああ、良かった、貴女に頼みたい事があるのよ』
そう言って息を切らして駆け寄ってきたのは、四十代くらいの人間のおばさん。
一見普通にみえるけど、目がギラギラと光って、顔のシワは深く、笑みは口角をやけに上げてひきつっている。髪の毛はボサボサで表面が汚ならしく光って、乱れた生活を窺わせた。
一瞬うへぇと思ったんだけど、おばさんは逃げる間もなく私の手を取って、唾を飛ばしながらこう言った。
『私の家に来てちょうだい! とにかく話だけでも聞いて』
返事も聞かずにおばさんは私の手を引っ張って走り出した。逃げることも出来ずに、妙な事に巻き込まれるのかなぁ、とその時は思ったわ。
・・・・・・夕暮れの頃、里を走っていたおばさんは一軒の家の前でやっと止まった。木造で心なしか薄暗く、外郭の隅に虫が巣くっている。
『入ってください。お茶でも飲みながらゆっくりと』
おばさんは上機嫌で私を中に招き入れた。部屋の様子はやはりというか散らかっていて、生乾きの洗濯物が落ちていたり、生ゴミがそのままだったり、そんなものが積み重なって畳が殆ど隠れている、酷い状態だった。
おばさんはそれを乗り越えて、奥の襖を開けてその向こうでゴソゴソ何かを探しだした。玄関先から目を凝らすと襖の陰から少しだけ、大きな黒い箱のようなものが見える。
何だろあれ、って首を傾げていると、おばさんが一枚の写真を手に戻ってきた。差し出されたそれを見ると、目の前のおばさんが少し若くなったような女の人と、隣には柔らかい雰囲気で笑う男の人、そして二人に挟まれるように無邪気に微笑む小さな女の子が写っていた。
その写真を眺めていると、おばさんは笑顔は変わらないものの、僅かにしみじみとした表情で話し出した。
『この子ね、私達の娘なのよ。二ヶ月前に死んじゃって・・・・・・』
・・・襖の陰の箱は、仏壇だったのだと気付いた。
娘さんが死んで、さぞかし落胆したんでしょう。部屋の乱れようも、そう考えると理解できた。
そして、おばさんが私を呼んだ理由も想像がつく。
『・・・・・・私に、娘さんの人形を作って欲しいと?』
『そうなのよ。写真がそれしか無くて悪いけど、そっくりなのをお願い』
おばさんは笑みを顔に張り付けながら言った。死者の人形なんて、冷静に考えれば気が重い上に薄気味悪い。だけど写真を私に押し付けてからのおばさんの顔はまた目を光らせて、断れば豹変しそうなただならぬ雰囲気があった。
どうしようか、私はしばらく迷っていた。おばさんに娘の身代わりとして人形を作っても、この人の救いには恐らくなり得ない。一時的に喜んで、現実から逃げ続けるか、二度と帰らない娘に絶望するか・・・・・・
ろくな結末が浮かばない。本来私がそこまで考える義理も無いんだけど、悪い方向にきっかけを与えちゃうのは怖かったのね。
おばさんが笑う前で考え込んでいると、おばさんはそれを見て何を考えたか、部屋の隅の箪笥に飛び付くと金属の束のような物を差し出した。
それがお金だと気づくと同時に、おばさんは必死さを増して辛うじて笑顔のまま詰め寄ってきた。
『タダでなんて言わないわ!お金ならあるわよ、幾らでもあげるから!』
長い小銭の束は見ただけで大金と分かった。みた感じ裕福な家には見えない。にも関わらずおばさんは躊躇いもなくお金を押し付けてくる。
後先の事なんて考えちゃいない。ただただ娘への妄執で、この人は家庭の今後すら見えなくなっている。
この人の言う通りにしちゃいけない。そう思って出口の方に目を向けると、ガタガタ、と戸を鳴らして男の人が入ってきた。
『あ・・・・・・』
慌てて挨拶しようと体を向けた。けどその人は私を一瞥すると、おばさんをキッと睨んで部屋に踏み込んできた。
『・・・・・・おい、この人は何だ』
男はじっとおばさんを睨んでいる。よく見たら、やつれてはいたけれど写真に写っていた夫だった。おばさんは微かに肩をすぼめ、あからさまな作り笑いを浮かべた。
『アリスさんよ。知っているでしょ?あの子の人形を作ってもらおうと・・・』
そこまで言って、夫が言葉を遮り、烈火の如く怒りだした。
『まだそんな事を言ってるのか! アイツはもう死んだんだぞ!』
怒鳴り声が家中に響いた。私もびくついて止めようとしたんだけど、それより先におばさんが怒鳴り返す。
『知っているわよ! だから人形で我慢するんじゃない!』
『そういう問題じゃない! いつまで引きずるんだと言ってるんだ!!』
私を蚊帳の外にして、怒鳴り合いはエスカレートする。段々と家庭内の不満まで飛び出してきた。
『いくら辛いからってなぁ、掃除も洗濯もせずに塞ぎ込まれちゃ迷惑なんだよ!』
『酷い! じゃああなたは何とも思ってないっての?!』
『だったらどうした!? 俺は働いてるんだ、葬式にいくらかかったと思ってる!?』
罵り合いは止む気配がない。それ以上その空間にいるのが耐えきれなくて、私は無言で家を飛び出した。おばさんが何か言ったような気がしたけど、無視したわ。
外はもう暗くなっていて、足下もろくに見えない。立ち止まったら真っ暗な景色の中にあの怒鳴り合いの光景が浮かんでくるようで、目の前だけ見て振り返りもせずに里を抜け、家に向かって走り続けた。
魔法の森に入り、我が家を見つけて飛び込み、蝋燭に火をつける。するとぽっ、と柔らかい光が部屋の中を照らした。
そこでやっと帰ってきた感覚がして、ベッドに座り込んで一息つく。
すると、自分が手に何かを持っている事に気付いたの。
『あら』
それは、あの親子の写真だった。そういえばおばさんに押し付けられてから返すのを忘れていたの。
・・・・・・しばらく写真の中の幸せそうな家族を眺めて、おばさんの事を思い返していた。
気の毒だとは思う。でも正直、頼みを受ける気にはなれなかった。おばさんの押し付けがましい笑み、その下に隠れた悲壮感に溢れる素顔、それを怒鳴って撥ねつける夫に、心を映すかのように荒んだ汚い住まい・・・・・・
関わりたくない、そう思わせる嫌悪感がありとあらゆるモノから溢れていた。
人形は断って、その折りに写真も返そう。そう考えて、その日はさっさと疲れた体をベッドに横たえた。
・・・・・・でも、驚いたのはここからだったのよ。
―
寝入ってからしばらくして、私は急に目が覚めた。体はベッドの上で、視線は天井に釘付け。とっさに起きようとしたけど手足一つ、眼球一ミリ動きはしない。
金縛り。まさか妖怪でも出たかと寝たまま焦っていると、耳にざわざわと小さく、何かが這いずるような音が聞こえた。
次第に音が近づき、視界の端にチラリと、髪の毛の先のようなものが覗いた。音の源はあれか、と動かない目を無理やり、関節を逆に曲げるような感覚で動かす。
そしてついに、耳障りな音の正体が見えた。
あの写真、机の上に置きっぱなしだったそれから、髪の毛の束のような、あるいは虫の群れのような黒い何かが広がって壁を伝い、私に迫ってきていたの。
ひぅ、と出せない声の代わりに小さな息が漏れる。黒い何かは私に覆い被さるように天井を遮り、視界一杯に広がると、ざざ、と灰色の砂嵐のような奇妙な光景を私の目の前に映し出した。
あのおばさんの顔。
あのにやついた顔がユラユラと歪み、狂気を孕んだ表情に変わった瞬間、ぶつりと意識が途切れた。
・・・・・・目が覚めると、いつもの朝の風景があった。白い壁には染み一つないし、写真は相変わらず同じ場所にある。
『夢かぁ・・・・・・』
そう腑抜けたように呟いて体を起こし、ある方面に目を向けてぎょっとした。
自分が作った人形を飾っている棚。そこに座らせてある筈の、金髪の少女の人形達が。
何が起こったのか、一つ残らず黒髪で、老け込んだ女の・・・・・・あのおばさんの顔に変わっていた。体は人形のまま、顔だけ型を取ったみたいに細かく、気味悪い位にそっくりだった。
あのシワの深い顔が、何列にも整頓され、ズラーー・・・・・・・・・っと。
昨夜見た幻影は嘘じゃないと気づくと同時に、私は観念するしかなかった。
要するに人形を作れ、って事よ。
それから、部屋から殆ど出ることもなしに苦しむ日々が始まった。たった一枚の写真を元に幼子ほどの大きさの人形を作り上げる。背の高さも、お腹周りの造形も写真から推察して割り出すしか無かった。髪の毛も香霖堂から黒髪のカツラを取り寄せて、なるべく似せる。
家族から詳しいことを聞けたら良かったんだけど、私としては訪ねるのは御免だった。ただでさえあのおばさんは毎晩毎晩、金縛りと幻影を繰り返し見せてきていたの。まるで完成を急かすかのように。
何日かして、寝不足と緊張で私は立っていられない程だった。それでも座ったまま作業の手は止められない。
もう殆ど人のような見た目の人形を眺めながら、それまでの精神がすり減る日々を思い返し、吹き出しそうになった。
(これだけ生霊まがいの執念にさらされたんだから、人形まで魔性を帯びたりして)
そんな冗談を思い浮かべ、ふっと目を逸らした。その瞬間・・・・・・
『いたっ』
指先に何かが食いついたような痛みが走った。慌てて見ると指先から血が滴っている。
どこかにぶつけたかな? そう思ってキョロキョロ辺りを見ると、目の前の人形、その口許から、つぅーっと血が流れている。
何度見ても、そこ以外に血のついた場所なんて見当たらなかった。でもおかしいのよ。人形のどこにも怪我する程の出っ張りなんて無かった。なんでそこから血が流れるのか。
よく分からなかったけど、いつまでも気にする余裕はなくて、結局そのまま人形作りを続けた。
・・・・・・そして、ついに人形が完成し、意を決して人里に向かった。あの古ぼけた家の扉を叩くと、おばさんが顔を出す。
『あら、アリスさん!』
おばさんは私を見るなり目を見開いて、更に私が一抱えもある人形の箱を持っているのに気づくと、途端にウキウキした表情に変わった。
私はというと、相変わらずくたびれた身なりに、おばさんの後ろに広がる散らかった部屋を見て沈んだ気持ちだった。
おばさんはそれに気づかないのか、ペラペラと上機嫌で話し出した。
『本当にすまないわねえ。主人は怒ってばかりで、私も望み薄と思っていたのだけれど・・・・・・』
どうやらおばさんは無意識に私に念でも送っていたみたい。心のなかではどうしても諦めきれなかったんでしょう。
頼まれてもいないのに必死になって、旦那さんにも煙たがられ、どうにも割りに合わない気分だった。
『とりあえず、お代を渡すわ。主人が帰らないうちに・・・・・・』
『いえ、私はこの辺で・・・・・・』
おばさんは私を中に引き入れようとしたけど、私は解放されたい一心で咄嗟に断った。
けれども次の瞬間、おばさんがハッと息をのみ、私を振り回すような勢いで引き寄せた。
『きゃっ!』
何が起きたか分からない内に、暗い場所に押し込められ、何処かからばたんと戸を閉められた。かび臭くて、柔らかい感触と、キィキィと小動物が逃げる音がする。
押し入れだ。そう気づいて、息を殺して戸を少しだけ開ける。隙間からはあのおばさんが玄関先で誰かと言い争うのが見えた。
『今、誰か来なかったか?』
『さ、さあ、見間違いじゃないかしら?』
おばさんに詰め寄っているのは、あの夫だった。見つかったら気まずくなるから隠されたのね。
けど、おいてけぼりの人形はどうにもならなかった。夫は道端の箱に気づくと、遠慮なしにビリビリと箱を破る。
おばさんが止める暇もなく、あの女の子を模した人形がむき出しにされた。
さあ、夫が怒り出すぞ、と覗きながら息を呑んでいた。
その時、信じられない事が起こったの。
ぎぎ、と音を立てて、人形が体を起こした。
おばさんと夫は短く叫んで飛び退いた。私も目を疑ったわ。勝手に動く機能なんて、付けた覚え無かったもの。
でも女の子の人形は今度は首を回し、辺りを見渡してこう言った。
『オカアサン』
喋る機能もつけていない。でも確かにお母さんと言った。おばさんは狂喜と言っていい程にはしゃいで、きゃあきゃあと大きな声を上げている。夫はというと信じられない様子で立ち尽くしている。
私もその光景を飲み込めずにいた。勝手に人形が能力を得るなんて、これもあの母の思いが為したのか、そう思わざるを得なかった。
視界の先では夫がおずおずと話しかけている。これはもしかしたら夫婦がやり直すきっかけにもなるかも知れない。押し入れの中で思わずそんな淡い期待を抱いた。
けど、人形の答えは更に予想を裏切るものだった。
『アナタハ、オヤジャ ナイ』
さぁっ、と冷たい空気が流れた。夫の顔が険しくなり、おばさんを睨む。
『おい・・・どういう事だ』
『え、そんな・・・もう、変な冗談止してよ』
おばさんは狼狽えながら人形に呼びかけるけど、今度はウンともスンとも言わない。次第に夫は苛立ち、終いにはおばさんに掴みかかって声を荒げた。
『どうりで俺がいくら言っても聞かなかった訳だ。他の男が・・・・・・』
『待って! 誤解よ、決めつけないで!』
『やかましい! どうせ大好きな野郎との子が恋しかったんだろが!! この尻軽が!!』
間もなく男女の叫び声と、ドタン、ガチャンと物の壊れる大きな音が響き渡った。
私は怖くて耳も目も塞ぎ、ただただ時が過ぎるのを待っていた。
―
どの位経ったかしら。気がつけばうるさい音は止んでいて、戸の隙間からは破れた箱しか見えない。
あの人形はどこに消えたのか、それに注意深く聞くと、どこからかピチャピチャと舐めるような水音がしている。
確かめるには出なきゃいけない。生唾を呑み込み、戸をそっと開ける。すると、鼻面をつんと鉄臭い臭いが襲った。
嫌な予感を押し殺して、臭いと水音の源を探る。すると、例の仏壇の部屋に二人の男女が横たわって、一人の子供がうずくまっていた。
もみ合ってどこかにぶつけたのか、あのおばさんと夫は畳の上に大きく赤い血だまりを作っていた。そして子供がそれに顔を近づけ、ピチャピチャと音を立てている。
その後ろ姿には見覚えがあった。頬を嫌な汗が伝う。乾いた息を交換しながら震える足で一歩、近づこうとした時、その子供はパッと振り向いた。
・・・それは、あの人形だった。顔も、服も、あの女の子そのまま。そいつが何故か動いている。
立ち上がるしぐさは滑らかで人間そのもの。作った覚えのない歯の並んだ口には、両親から流れていた血がベットリとついている。
目が釘付けになって動けずにいると、人形、女の子はニッコリ笑い、先程とは打って変わったハッキリした声で言った。
『お母さん』
そう言って、私に向けて駆け寄ってくる。その時ハッとなった。確かに、その人形を一から作ったのは、私・・・・・・
抱きついてくる人形をボンヤリ眺めながら、血の臭いが充満する家の中で、私はずっとそこに立ち尽くしていた・・・・・・
―
・・・・・・その人形は思うに、血を飲んで成長する妖怪になったんだと思う。見た目はまだ球体関節の人形なんだけど、言語や動きの進歩ぶりは、血を飲んでから目を見張るものがあったわ。
え? いやぁねえ、さっき話した事件の中での話よ。
でも、処分するのは惜しかったわ。半ば自律人形の理想に近くって・・・・・・
ああごめん、喋りすぎたわ。それにしても七人目はとうとう来なかったわね」