幻想郷の怖い話   作:ごぼう大臣

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五周目・五話目-レミリア・スカーレット

 「あら、もう五話まで来たのね。レミリア・スカーレットよ。

 

 阿求、貴女は『霧』と聞いてどんな印象を持つ?やっぱり不思議な感じじゃないかしら。ひんやりして、白くて、けど掴めなくて・・・・・・朝方の山なんかじゃよくみるけど、前なんか見えなくて危険でも、何だか惹かれる人も多いと思う。

 へ?私が昔やらかした異変?あぁんもう、それは言いっこなし。十年以上前じゃない。

 

 ・・・で、私の近所にね、霧のよく出る場所があるの。貴女も知っているでしょ、霧の湖。

 そこでちょっと恐怖体験をね・・・・・・聞いてくれるかしら?

 

 

 

 

 ・・・・・・あれはまだ、今よりだいぶ肌寒い時期だったわ。

 ある日朝方の早い内に目が覚めてね。窓を見ると、もう館を取り囲むような白い霧が立ち込めているの。

 普段は日光がダメで、日傘なしじゃ私は外出出来ないんだけど、外を見てこれ幸いと飛び出してみた。

 

 すると案の定、日光は濃霧に遮られて気にならないレベル。空気は丁度よく起き抜けの頭を冷やしてくれて、湿った風邪に草木の匂いが混じり、この上なく爽やかな気分だった。誰もいなくて雑音もゼロ。

 こうなれば散歩と洒落こむか、と降り立つと、脇には大きな湖が見えた。霧と相まって青白い水面に、向こうの霞んだ景色が鏡のように映って、幻想的って表現に相応しい場所だった。夜の風景も美しいと思っていたけど、それぞれ違った良さがあるものね。様々な景色を湖の畔で眺めるのを想像しただけで、詩の一つでも書きたい気分だったわ。

 

 とまあ、そんな上機嫌で鼻歌とか歌いながら、何となく湖の周りを歩いたのよ。別に道には迷わなかったけど、次第に霧もますます濃くなって、気がついたら足元と湖面の光る部分以外は覆い隠されたように見えなくなっていた。

 

 そろそろ帰ろうかな、と思い始めた時、紅魔館に向かって飛ぼうとして、視界の端に、ふと変なものが映った。

 

 畔から見た霧の向こう、真っ白く染まった景色の中に、うっすらと影のようなものが映った。細長くて、目を凝らすと人みたいだった。

 けど、真下には湖面が見える。一瞬誰かいるのかと思ったけど、足のある筈の場所には何度見ても、揺らぐ水面しか見えない。

 

 誰か飛んでるのかなーってじっと見つめていたら、ふと、霧の中の影が、ゆらりと大きくなった。え、と思った瞬間、影は墨みたいに広がって、こちらに躍りかかってきたように見えた。

 

『きゃっ!』

 

 ビックリして離れようとしたけど、視界の霧を黒色が一瞬で塗り潰したと思ったら、動けなくなる位の立ちくらみが襲った。

 視界が白黒に明滅して混ざり合い、気づいた頃には、地面に頬をつけて、眠るように意識を無くしちゃった。

 

 

 

 

 ・・・目が覚めた時は、同じ湖畔だった。霧も晴れていなくて、多分そんなに時間は経っていない。

 体を起こすと少し頭痛がしたけど、さっきのほんの短い間少しだけ居眠りしたみたいな、奇妙な感覚の方が気になった。

 とにかく早いとこ家に戻ろう、と思って立ち上がった時、背中から急に声がしたの。

 

『レミリア』

 

『わあっ!?』

 

 ボンヤリしていたから驚いて飛び上がっちゃった。瞬きしながら振り返ったら、きょとんとした顔の女の子が一人。

 

『どしたの?』

 

 小首を傾げたその子はチルノ。湖の近くに住んでる、氷の妖精よ。そいつは慌てる私を不思議そうに眺めていた。

 

『な、何よ急に。なんか用?』

 

 何でもない振りをして、チルノに訪ねた。彼女はちょっとの間ポカンとしていたけど、すぐにニッコリ笑って、こんな事を言い出した。

 

『あっちに面白いもの見つけたんだ。一緒に見に行こうよ』

 

 そう言って、私の返事も待たずに背を向けて、顔だけ振り向きながら手招きしてくる。

 私としては、出し抜けに面白いものなんて言われても興味湧かなかったから、ちょっと詳しく聞いてみたわ。

 

『ちょっと待って。面白いって何よ』

 

『ひーみーつ! 先に言ったら楽しみが無くなるじゃない』

 

 ・・・答えてはくれなかった。そりゃあ妖精は元々悪戯っぽい性格だし、チルノの言うことも分からないではなかった。でも子供の言う面白いってたかが知れているし、第一朝っぱらからそんなのに付き合うのもなあ・・・・・・って、しばらく躊躇してた。

 チルノの方はもう待ちきれない様子で足踏みしていて、終いには私の手を掴んで走り出した。止めようとしたけど、あの子は意に介さない様子で、白い歯を見せて笑ってこう言った。

 

『たまには良いじゃない、ね』

 

『・・・・・・・・・』

 

 と言うわけで、押し切られる形でついて行った。別にチルノの事は嫌いじゃ無かったし、期待しないで付き合う事にしたわ。

 

 

 

 

 しばらくは、手を引かれるままに歩き続けた。時間が経つと次第に霧が濃くなって、いつしか目の前のチルノしかハッキリと見えるものは無くなった。

 どこに行くかは知らなかったけど、そんな中でいつまでも歩いているとちょっと不安になってきてね。なるべく何でもない風に聞いてみた。

 

『ねえ、見せてくれるものってどこにあるの?』

 

 するとチルノは手をフッと離して、こちらに振り返った。その顔は笑顔ではあったけど、今度はどこか上辺だけの、愛想笑いのように見えた。

 

『まだ先だよ。普段は誰も行かないんだ』

 

 口調も少し焦れったそうだったわ。楽しみな気持ちを邪魔して悪かったかな、って思ったけど、何だか違和感が拭えなかった。チルノの苛つきもそうだけど、もっとハッキリとしたもの。

 その正体が分からずに色々考え込んで、いつの間にか俯いて立ち止まっていた。そしたら急に、前の方で『きゃっ!』ってすっとんきょうな声がした。

 へ?と思って顔を上げると、数メートルくらい向こうでチルノが転んだのか前のめりに地面に突っ伏していた。

 

 

『ちょっと、大丈夫?』

 

『あはは、滑っちゃった』

 

 我に返って駆け寄ったら、チルノは服の泥を払いながら恥ずかしそうに笑った。

 その姿を見て、考えすぎかなぁ、と思い直して、手を取って助け起こした。

 でもその瞬間。

 

 チルノの手を握りながら、ある事に気づいて立ち尽くした。チルノはいつまでも手を離さないのが不思議みたいで、私の顔と手を交互に見ている。その表情はさっきみたいに不自然さがあるかは分からなかったけど、最早問題じゃなかった。

 

 私がつい取ったチルノの手。でも本来、氷の妖精の体は触ると冷たすぎて凍りついてしまう。

 にも関わらず、今も、最初に引っ張られた時も、冷たい感触は無かった。

 違和感の正体に気付いて、手にじんわりと汗が滲んだ。そして必然的にまた疑問が浮かぶ。

 

"この子は、誰?"

 

 目の前の彼女をじっと見つめてみても、チルノの姿そのものだった。別の妖怪が化けているのだろうか。可能性はいくらでも考えられるけど、それでも、周りを取り囲む真っ白な霧のせいか、眼前の限りなく知人に似た別人が、そぞろに不気味な存在に見えてきた。

 

『どうかしたの?』

 

 長い間ぼうっとしていたらしく、チルノが私の手を振り払った。咄嗟に『あ、うん』と生返事をしたけど、動揺を隠しきれていた気はしない。

 それに気づかなかったのか、それとも私の戸惑いに興味などないのか、チルノ―によく似た誰かはさっと背中を向けて、駆け足で走り出した。

 

 追いかけて大丈夫だろうか。あの子はもしかして、私をどこかに連れ出す気じゃないだろうか。

 後ろ姿を見ながら、今までなかった警戒心がついていくのを止め、代わりに視界の分析に神経を働かせる。

 そして、また違和感。

 

『ね、ねえ! 待って!』

 

 叫んで呼び止めると、随分遠くまで行っていたチルノが、今度は無言で振り返った。その表情はむすっとして、もう隠すつもりもない苛立ちが見て取れた。

 その目に見据えられて、震える声で疑問を口にする。

 

『アンタ・・・左利きだったっけ?』

 

 駆け出した時の脚を見たら、確かに左足から先に踏み出していた。考えてみたら、最初に私の手を引いたのも左手。ほら、大抵の人って手も足も右利きじゃない。チルノも左利きだとか聞かなかった。だからちょっとおかしく思ったの。

 

『は? どうでもいいじゃんそんなもん! いい加減早く行こうよ!』

 

 確かにどうでもいい質問。でも今朝からの様子は微妙に短気なようで、ちょっとした弾みに恐ろしい本性を現したりしまいか。そんな想像が浮かんで、これ以上このチルノの偽者に合わせるのは危ない気がした。

 景色も見えない霧のなかに、一人浮かんでいるような彼女は、どこか見知らぬ場所から来た、未知の存在のように見えた。

 

『ご、ごめん! そろそろ朝御飯だから、また今度!』

 

 テキトーな出任せを言って、踵を返して駆け出した。その時相手がどんな顔をしていたのかは知らない。怖くて見られなかった。ただ全速力で、周囲の建物も木々も道も見えない中を走って行った。

 

 その間、忙しなく動く体とは裏腹に、頭では今まで気づかなかった、些細な不可思議な点に気づいていた。

 

 バタバタと大股で走っている筈なのに、足音がしない。アイツが言ったように滑りやすく、冷えた朝方らしく湿った草原。何度か私も転びそうになったけど、靴の裏が擦れる音もない。地面はあるけれど、土を踏んでる感じがしなかった。

 そして、体にぶつかる空気が、肌をひんやりと冷やす。心なしか水をかけられたみたいに衣服が張り付いてくる。

 最初は霧のせいだと思ったけど、ふと腕を見るとチラチラ光を反射し、今度は髪が額にぺたりと張り付いた。

 雨の中にいる訳でもないのに、濡れ鼠のように体が冷える。一体辺りを包むこの霧は何なのか?視界も効かず、音もせず、疲れて手足が重たくなってきた頃には、冷たい水の中をもがいているみたいだった。

 

 どのくらい走ったかしら、今にして考えると随分広い草原を抜け、目の前に湖畔とその向こうの水面が見えた。

 

 あの湖を突っ切れば、どこかに出られる。そう思って、一瞬安堵した瞬間。

 

 足が滑り、その勢いのまま、私は湖に飛び込んだ。

 

『わっぷ!』

 

 急に顔に何かがぶつかって、上も下も分からなくなった。さっきまで必死で走っておいてなんだけど、いきなり水に入ったら泳ぐとかの考えが浮かばないものよ。

 目と口に水が入って、とにかく一旦上がろうとボヤけた目の前に手を伸ばしていると、パシ、と地上から誰かが掴んだ。

 頭を振って水滴を払い、目を凝らすと、それがあのチルノの偽者だと分かった。

 

『大丈夫!?』

 

 私は最初、捕まったと思った。本人から逃げていた訳だしね。

 でも、引き揚げようとしてくれるのを見て、一瞬心が揺れた。この手を振り払って逃げるべきか、正体を確かめてからでも遅くはないんじゃないか、そんな考えがよぎった。

 そうして、迷っていた数瞬後。

 

 今度は、湖の中から、急に引っ張り込まれる感覚がした。一気にうなじと髪の先っぽまで沈み、掴まれた腕に痛みが走る。

 

『きゃあ!』

 

 ビックリして振り払おうとしたけど、余程強く引っ張っているのかびくともしない。足首が外れるんじゃないかと思う度に、腕を引く力も強くなる。こうなると四の五の言ってられない。水中の奴が誰かは分からないけど、偽者が私を助けようとしてくれているのは確かだった。

 

 誤解してた、ごめんね、そう思って必死に踏ん張っている彼女を見ようとした時。

 耳に、妙な声が響いた。

 

『レミリア! 死ぬなー!! 戻って来い!!』

 

 その声は、聞き覚えがあった。

 確かに、チルノの。

 

 でも、『死ぬな』って言葉は、眼前の偽者が言ったんじゃない。

 いえ、すぐ近くからでも、空からでもない。

 

 あり得ないけど、『水の中から』その声は聞こえていた。

 

 へ? と声に反射的に反応して、私は水面をキョロキョロと見渡した。水の中を見通せる訳がない。見えるとしたら、間近に鏡になって映る、私達だけ。

 だけど、それでも私の視線は一点に釘付けになった。何処って?

 

 『水に映った私一人』によ。

 

 そう、前のめりになって必死で引っ張っている子も当然見える筈なのに、姿どころか私の腕を掴む両手も、光の揺らめき一つ、いくら凝視しても見えなかった。

 

 ハッとなって彼女を見る。ついさっき怖がって悪かったと心の中で恥じたそいつの姿は。

 

 霧に溶けるように、段々と薄くなって、いつしか、すうっと消えていた。

 

『うっ・・・・・・』

 

 

 それを見届けるかどうかという所で、最初にしたような視界の明滅が襲い、私は湖に引っ張られるまま、力が抜けて気を失った。

 

 

 

 

 ・・・しばらくして、私は頬をはたかれて目を覚ました。

 

『おい! 起きてよ、肉って書くぞ!』

 

 大声で叫んで肩を揺さぶられ、唸りながら目を開けると、ボンヤリと、二人分の影が映り込んだ。続けて、ギラリと鋭い光が飛び込んでくる。

 

『くっ・・・・・・』

 

 顔をしかめると、二人の影は私を囲んで光を遮ってくれた。二、三回瞬きすると、二人が湖にいるチルノと、わかさぎ姫っていう人魚妖怪の二人だと分かった。

 

 なんでコイツらがいるんだろ。朦朧とする頭で考えていると、二人は悲しそうな怒ったような顔をして、こんな事を聞いてきた。

 

『アンタ大丈夫?何ともない?』

 

『ふぇ?』

 

 初めは意味がわからなかった。起き抜けだけど痛い場所とかも無かったし、さっきまでの事は、なんだか夢だったような気がしていたから。

 

『何が?』

 

 ついそうこぼすと、わかさぎ姫が呆れたような顔で言った。

 

『あなた、湖で溺れてたのよ?引き揚げても目を覚まさないし・・・・・・』

 

『えっ!?』

 

 言われて慌てて自身を見ると、確かに体は頭から足の先までびしょ濡れだった。まるで、霧の中を走ったあの時みたいに。

 

 でも湖に落ちた記憶なんかない。覚えがあるのは立ちくらみの後、チルノの偽者に引かれて霧の中を歩き回った事だけ。

 あの気絶の後、私は溺れながらずっと夢を見ていたのだろうか。周りを見ても、朝の霧はとうに晴れている。

 

 でも、目を覚ます間際に聞こえてきた、チルノの声は釈然としなかった。現実で起きない私にかけていても、おかしくない台詞なだけに尚更。

 

 混乱しながら座り込んでいると、その様子を見ていたチルノがふと『あ』と声をあげた。

 そして私をまっすぐ見て、こう言ったの。

 

『アンタ、霧をじっと見たりしなかった?』

 

 

 

 ・・・意外なことに、チルノは私の不思議な体験に心当たりがあった。普段は気にしてなかったけど、あの子幻想郷では私より先輩なのよ。

 

 一部始終を聞いたチルノが話してくれたのは、時々霧の深い日に、何者かが湖に引きずり込もうとしてくるんですって。

 霧の世界の夢を見せ、その中で湖に映った事のある知り合いの姿を真似て・・・

 だからよく見たら左右が反対。

 

『引きずり込まれたら、一体どうなってたの?』

 

 さっきまで瀬戸際にいたのを思い返して、おそるおそる聞いてみた。すると、チルノは首を横に振って、歯切れの悪さを見せた。

 

『分かんない。途中で逃げてきたって人の話しか、聞いた事ないんだもん』

 

 ・・・ただ、湖で行方不明になった者の死体は、揚がってきた事が無いんですって。

 

 私の話は終わりよ。次は誰かしら?」


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