「さて、私は三話目ですわね。霍青娥と申します。どうぞよろしく。
ねえ、阿求ちゃんはキノコはお好きですか?ええ、あの秋に生える、煮ても焼いても美味しいキノコですよ。けしてあの肌色のキノコではありません。
皆、食べ物として認識しているそれですが、正体はカビなんですってね。私達が普段認識している姿はカビの胞子を撒く為の一時の姿で、白い斑点のような姿であちこちに生き延びていますし、もっといえば地中に糸のように体を張り巡らせています。
それが中々面白いものでしてね、阿求ちゃんも知識としては知っているでしょうが、私はたまに見に行くんですよ。
どこへって?魔法の森ですよ。普通のキノコにまして、更に奇妙な姿形のものが様々にあって、興味が尽きませんわ。
ただ、害のある胞子が少し困りものですが・・・それに限らず、危ないものが多いですわね。ただでさえ毒や形は千差万別ですから。
幻想郷とくれば尚のこと・・・。先日、それを改めて思い知らされましたわ。よろしければ、聞いていただけますか・・・?
―
事の起こりは、私が気まぐれに人里を訪れたある日の事でした。
最初は行きつけの料亭や妖怪の営む怪しいお店を見物したりして楽しんでいたのですが、ふと、背中に気配を感じたんです。
誰かに、つけられている。
それは丸っきり素人の尾行で、遠くからでもこちらに目をつけているのがありありと感じられました。
最初は別に警戒する必要もないかと思ったのですが、念には念を入れて、表通りを避けて裏道に入っていきました。とりあえず人混みをさけて、二人きりでどうにでも料理できるようにと考えたのです。
努めて素知らぬふりをし、薄暗く狭い路地に潜ってゆきます。追っ手は予想通り、私がわざと誘い込んだ事に気づく様子もなく、フラフラとついて来ました。
或いは初めから気づかれても構わないのか、私は色々考えながら、曲がり角に隠れて待ち伏せました。
段々と足音が近づき、角のすぐそばまで来たところで、両手を広げて相手の前に躍り出たんです。
『ワアーッ!』
『ぎゃっ!?』
ビックリ箱のように大声を出すと、追ってきた誰かはよほど驚いたのか、腰を抜かし、その場にへたりこんでしまいました。
『あらら・・・?』
予想以上に驚かれたので、私は少々面食らって、その人をついまじまじと見つめてしまいました。
その人は、見たところ何の変哲もない三十程度のおじさまで、私を見たまま目を丸くし、立ち上がりもせずに口をパクパクさせていました。
慌てていたんでしょうか、時折ふうはあと息を吐いては目を泳がせ、肩を微かに震わせています。
私はといえば、その男の姿を見ながら、どこかで会ったかなあ、それとも何かまた恨みを買うような事しちゃったかなあ、と首を傾げておりました。
もしかしたら酷いことをしでかしたのかも、と思わなくもなかったですが、そういうのはすぐに忘れてしまうタチですの。
とにかく、そんな心当たりもついぞなく、いつまでもお互い黙っていてはラチがあかないので、こちらから『何かご用ですか?』と聞いてみました。
男はそれで我に返ったようで、ハッと息を呑むと、私を見据え、フラフラと立ち上がり、おそるおそる私に聞き返してきました。
『なあ、アンタ・・・仙人様だよな?』
その問いに思わずキョトンとなりました。今まで里に降りたことは何度かありましたが、この自分でも分かるくらい節操のない常識はずれな私を、"仙人様"だなんて呼ぶ人は初めてでしたから。
戸惑いながらも『はい』と頷くと、男はすがり付くように私の手をとり、子供のようにわめき出しました。
『助けてくれ!化け物を退治してほしいんだ。早くしないとおかしくなっちまう!』
私は更に面食らいました。化け物、といえるような者は幻想郷では珍しくもありません。しかし、よりにもよって私を頼るような人間は覚えている限り皆無でした。
普通なら博麗の巫女なり半妖の先生にでも頼むでしょう。私は流石に面倒そうな匂いを嗅ぎ付けました。考えてみればわざわざ追いかけてきた時点で一層その手の連中には相談しづらい厄介ごとだと想像がつきます。
ただ、彼の話は嘘ではないようで、間近でみれば髪は所々禿げ、目元には黒ずんだ隈が、気の毒な程に蒼白な顔色の中で浮き出ていました。
さて、私はここでふと悩みました。
これは間違いなく虚言ではなく、しかし難しい相談に違いありません。でもそれだけに、首を突っ込んで見るだけでも興味深い事象を目にする可能性も、ゼロではありません。
私が顔をほころばせていると、男はまるで弱味を握られた小役人の如く、揉み手をしてひきつった顔で私を覗き込んできました。その顔はいかにも憔悴し、私はそれが何だか面白くて、つい意地悪してしまいました。
『さあ・・・もう少し詳しくお聞きしませんと・・・』
私がわざとらしく首を傾げると、男は仰け反りぎょっと肩を竦め、独り言のようにオロオロとこう話し出しました。
『す・・すまん。あまり時間は無いんだ。早く帰らんと起きちまう。今は、その、無理なんだよ』
どうにも、要領を得ない話です。しかも一体何を気にしているのか、ブツブツ言っている間中しきりにチラチラとどこかを気にしていました。起きる、というと、起きたら追っかけてでも来るのでしょうか?
訳が分からず黙っていると、彼はそれが不安になったのか、急に私の肩を掴み、揺さぶりながら目を向いて叫びました。
『なあ頼むよ!事情は後で話す!とにかく今は引き受けてくれ!アンタしか頼れないんだ!』
男の声は完全に弱りきっており、額だけではなく手のひらにまで汗をかいておりました。その汗がジットリと服越しに肌に染みつき、思わず顔をしかめました。
最初から怪しかったですが、間近で見る彼は今や完全に冷静さを失い、断れば肩を掴むその手で、私を絞め殺しにかかるのではないか、そんな想像まで浮かびました。
その気迫に押されたのでしょうか。私はいつの間にか、首をカタカタと縦に振っていました。
『そうかぁ・・・』
男は途端に、厠に間に合ったみたいな腑抜けた顔になって、私から離れました。気持ち悪くて後ずさると、男は思い出したように『今夜零時、この場所にまた来てくれ。誰にも見られないように』と言い、逃げるように去っていきました。
奇妙な親父だと、どうにもムカつきが消えませんでした。彼のいう通りにする義理もなく、逃げ出すのも簡単な筈でしたが、狂気じみた男の表情が忘れられず、結局その夜、私は再びその場所に出向いたのです。
―
雲が分厚く、どんよりとした夜でした。皆寝静まって明かり一つない、男に言い渡された午前零時。念のため一人で仙界を使いあの路地裏に出ると、彼は既にそこで待っていました。
ただし、昼間と違い、人の頭ほどの大きさの何かを包んだ風呂敷を持って。
『ああ、来てくれたか』
男は心底ホッとしたような声を出して駆け寄ってきました。その間にも、彼は抱えた包みに何度も目を落とし、おそるおそる抱きかかえていました。
余程大事なものが入っているのか、恐らく男の頼みはその包みにあると思い、開口一番『それはなんです?』と尋ねてみました。
『ん、ああ・・・』
男はフッと真顔になると、抱えていた包みを地面に置き、ゆっくりと結び目をほどきました。中には大きなガラス瓶に、何か丸い塊が入っています。
なにぶん夜中なのでよく見えず、近寄って間近に目を凝らしました。次第に視界も慣れ、段々と瓶の中の中身の全容が見えてきます。
そして、次の瞬間。
『きゃっ!』
瓶の中に入っていたモノが何か分かった直後、反射的に悲鳴をあげて飛び退いてしまっていました。―いえ、"分かった"というのは違いますわね。そこには正直、なんとも名状しがたいモノがあったんですの。
それは一口でいえば、白く細長い、うねうねした触手の塊でした。植物の根っこが絡み合った、そんな様子に少し近いかも知れません。それがガラス瓶の口に届くか届かないかの所まで一杯に、みっちりと詰まっているのです。
それだけでも奇怪に見えたのですが、更に私を驚愕させた特徴が、もう一つありました。
まるで、お面で型を取ったかのように、白い固まりに粘土のような人の顔の凹凸がありました。女の顔、一目でそう分かるほど精巧で、人の頭に植物が寄生して根を張り巡らせたようなグロテスクな代物でありながら、閉じた瞳を見ると寝息まで聞こえてきそうな、そんな不気味なほど良くできた顔でした。
私が何も言えずにいると、男はカクンと頭を垂れ、まるで懺悔のように、こんな経緯を話してくれました。
―
・・・事の起こりは、一月ほど前だったと言います。彼は些細な言い争いから、妻を殺してしまったのだそうです。
当然、彼は慌てました。このままでは自分は人殺しになってしまう。
しかし、気が動転すると異様に頭の回転が良くなったりする事もあるらしく、彼は恐ろしい事に隠蔽を図りました。
その時既に夜だったのを良いことに、人気のない場所に妻の死体を捨てることにしたのです。人間の立ち入らないような場所なら、埋めてもばれないだろうと。
死体を背負って大急ぎでその場所へ。男が選んだのは魔法の森でした。かつて妻がつくってくれた襟巻きで口を覆い、水筒に詰めた水を何度もかけ、胞子を防ぎながら森に入っていきました。
そして森の奥に念入りに妻を埋めると、彼は一目散に家まで逃げ帰りました。
家に飛び込むなり錠をかけ、暫くは部屋の中でじっと震えていた彼でしたが、ふと襟巻きをみると、胞子がベットリとへばりつき、白い斑点が無数についています。
彼はやれやれと桶に水を用意し、襟巻きを中で洗い出しました。これさえ元に戻せば一件落着だ、と一瞬気を抜いた、その瞬間。
突如桶の水が、ずるんっと手の中に吸われるように干からびたかと思うと、代わりに襟巻きからにょろにょろと白い触手が無数に生え出したというのです。
『うわっ!?』
男が思わず洗っていた襟巻きを放り出すと、べちゃ、と地面に投げ出されたそれは、襟巻きを包み込むように白い触手を丸め、次第に丸い岩のような形になり・・・
最後に、目、鼻、口のような凹凸がぼこぼこと浮き出たかと思うと、その目と口がすっと開き、こう言ったのです。
『アンタ、女房なしで暮らせるつもりかい?』
―
『それが・・・奥さん?』
『ああ、あの顔も声も、妻そのものだった』
男は話す内に項垂れ、両手で頭を抱えていました。そして俯いたまま、肩を震わせてぽつぽつと話し出したんです。
『あれから、瓶に閉じ込めても四六時中俺を見ているんだ・・・。毎日、毎日、生きていた時みたいに話しかけてきて・・・』
私は何も言えずに黙っていました。すると男はパッと顔を上げ、涙声で私に叫びました。
『なあ、助けてくれ!人を殺しただなんて、他の奴には言えないんだ!アンタだけが頼りなんだよ、お願いだから・・・』
男は土下座せんばかりに捲し立ててきました。しかし、正直私は尻込みしていました。こんな情けない男のために、よく分からない化け物を受けとるのは、どうにも乗り気になれなかったのです。また、よく分からない触手、いえ、菌糸なのでしょうか?それが人の顔をしているというのが、話を聞いて一層気味悪く感じたのです。
そんな訳で、やはり断ろうと思い、考え込んで俯いていた顔をふっ、と上げました。その時です。
いつの間にか起きていた顔と、目が合いました。その顔は目を吊り上げ、にいぃ、と歯を見せて笑っています。
男は気づかずに私の表情を凝視していて、それが優れないとみるや、あろうことか瓶を私の目の前に押し付け、尚も頼み込んできたのです。
『他の女と話したなんてバレたら殺されちまうんだよ!断る気か!?この人でなしめ!!』
男の吐く唾が顔にかかりました。しかし、私の視線は彼の手の中、彼が目もくれない、しっかりと私を見据える女に釘付けでした。
女は私と視線を外さずに菌糸をズルズルと蠢かせ、瓶の中で私に近づいてきました。
顔を瓶の側面に寄せ、鼻を潰れる程に押し付け、目、口、頬・・・顔全部を瓶にへばりつかせました。そして、髪の毛のように菌糸が上の方に逆立つと、瓶の縁を沿い、出口の蓋に向けて菌糸を伸ばし始めたのです。
『いやっ・・・!』
堪らず男を突き飛ばしていました。男は突然の事に呆気なくよろけ、瓶を落として尻餅をつきました。
がしゃん、と瓶が地面に砕けました。尻餅をついた男の前に、粉々になったガラスと、あの菌糸が固まった女が露になりました。
その女が、ぐりんと男に向き直り、よく澄んだ声でこう言います。
『アンタ』
『ひ、ひいぃっ!』
男は途端に顔面蒼白になり、ガタガタ震えて後退りしようとしました。立ち上がれもしないので、腕でほんの少し体を引きずっては、コテンと倒れるばかりです。
女はその間にも、菌糸をするすると長く男に向けて伸ばし、自らも地面を滑るように近づいてきました。二人の距離はすぐに目と鼻の先です。
そして、菌糸の先がつい、と男の爪先に触れた瞬間。
男を呑み込むように菌糸が一斉に伸び、蛇かミミズの群れに取り込まれるかのごとく、あっという間に体全体を白く覆いました。
『ひいやあああ!』
男の絶叫が響きます。じたばたもがく手足も関係なく、男の体の上でなお蠢く菌糸の上を滑り、女の首が男の顔の傍で、こう囁きました。
『あなた、あなた』
その声は心底嬉しそうでした。それとは対照的に、男の顔はまるで枯れ木のように茶色く干からびて、みるみる縮み上がりました。
私はそれ以上その場に居られず、仙界で振り返りもせずに帰ってしまいました。
―それから眠ることなど出来るわけもなく、夜が白む前に、もう一度あの場所に行ってみました。
何も、残っていませんでしたが。
あの男も、白い菌糸の痕も、ガラス瓶の破片さえありませんでした。夢だったのかと疑うほどに。
ふらふらと、足が魔法の森へと向きました。男がどうなったのか、いてもたっても居られず確かめたくなったのです。
視界が霞むほどの胞子をこらえ、奥へ、奥へと進んでいき、ついに、それらしい場所が見つかりました。
遠目に見ても分かるほど、奇異な光景でした。地面が人の大きさに荒々しく掘り返され、その傍らには、一人は所々土気色に腐った女が、もう一人はキノコの菌糸らしきものが身体中にこびりついた男が、隣り合わせに向かい合って横になっていました。
そして、二人の首には、真新しい襟巻きが男女を繋ぐように巻かれていたのです。
―
あの出来事が、果たして妻の執念によるものだったのか、それともあの森の魔のキノコの成した事だったのか、私には分かりません・・・。
ただ、あの森に近づくのは、あまりよくないのかもしれませんわね。後ろめたい事があれば尚更。ふふふ・・・
私の話は終わりです。お疲れ様でした。