四周目・一話目―東風谷 早苗
「一話目、ですね。張り切っていきますよ!これは私の・・・
・・・あ、ごめんなさい、まずは自己紹介ですね。妖怪の山の神社で風祝をしております、東風谷 早苗です。どうかよろしくお願いいたします。
それで、その神社なんですけど、元々幻想郷にあったものではありません。私達が外の世界での信仰集めに行き詰まり、幻想郷に居場所を求めてやって来た、その時に持ってきたものなんです。
少し前に、その神社に人が訪ねてきた事がありました。文さん、っていう烏天狗なんですけど、あちこち飛び回っていますからご存知ですよね?新聞を作っている方です。
その新聞に載せる写真がパッとしないだかなんだかで、山のてっぺんの神社まで来て幻想郷を見渡したりなんかしていました。
色々と悩んでいらっしゃったようで、掃除をしている私にも、カメラを片手にちょくちょく話しかけてきました。
『早苗さん、最近変わった風景とか見ませんでした?』
『さあ・・・そんな事があれば先に異変解決に乗り出していますよ』
『ちぇー、"白狼天狗のブラックな実態!"、なんてやったら干されますし、うーん』
文さんは相変わらず大した閃きもなく、私に暇潰しのように話しかけてはその辺をブラブラしていました。私は正直相手をするのが面倒になり、いつしか生返事をしながら仕事の方に集中していました。
そんな時、文さんがふとあるものに目を留め、すかさずシャッターを押し始めました。
シャッター音につられて視線を向けると、彼女がカメラを向けた方向には、神社に隣接した大きな湖がありました。一枚ではなく、ここぞ、といった感じに何枚も撮っています。
『そんなの撮って、珍しいんですか?』
私は声を張って訊ねながら、首を傾げていました。神社に来るのが初めてでもあるまいし、彼女は見飽きているだろうと思ったんです。しかし、彼女は振り向きながら、胡散臭い笑みを浮かべ、こんな事を聞いてきました。
『早苗さん、この湖って、元々外の世界のものですよね?』
確かに、それは向こうにいた頃から神社の敷地内にあったものでした。しかしそれがどうしたんだろう、と思っていると、文さんは途端に目を輝かせ、手をぱちんと打ってこう捲し立てたんです。
『思い付きましたよ!あの湖の中なら、外の世界での生態が生きている筈です!一丁、それを紹介しましょう!』
文さんは言うが早いか、湖の側に目にも止まらぬ速さで飛び付いて、水面を覗き込みました。『魚はいないかなー』なんて言いながら、手で水の中を掻き回したり、水の上で手を叩いたりしていました。
金魚も鯉も居やしませんよ、と呆れていると、『いやぁ、出来れば生き物の写真が欲しいんですよねぇ』と言って、カメラを持ち出しました。
『いざとなれば桶一杯汲んで、永琳さんに顕微鏡で見てもらえばいいんですが・・・』
その後もブツブツと何やら喋っていましたが、それは最早独り言の域で、目線はカメラを構えたまま水面をいったり来たりするばかり、暫くは何を言っても離れそうにありません。
記者の根性、とでも言うのでしょうか。迷惑になる事もあるにせよ、熱意はあるのだなぁ、と妙に感心しました。
しかしその傍ら、水辺にかじりついてキョロキョロする姿を見ていると、ぼんやりとおかしな連想をしたりするもので、つい餌を落としたカラスの笑い話を思い出してしまいました。
カラスが川に映った自分を敵と勘違いし、威嚇して鳴いたらくわえていた餌を落っことした、てな話です。
思い出して、俯いてクスクス笑ってから、天狗とあろう人がそんな間抜けな事をするわけない、と思い直し、
顔を上げた、その時でした。
『ひゃあっ!?』
文さんが急に叫び声をあげて跳ね上がったかと思うと、手からカメラを滑り落として、そのまま湖にボチャンと落としてしまったのです。
『あ、あーっ!!』
大事にしていた商売道具を落として焦った文さんは、すっとんきょうに叫びながらも咄嗟に腕から顔にかけて一気に水の中に沈めました。
何も笑い話そのまんまのドジをしでかさなくても、と吹き出しそうになりました。しかし、どうにもその後、様子がおかしい事に気付きました。
片腕と頭を水に突っ込んだ姿勢のまま、それきり文さんはピクリとも動かなくなったのです。
大事なカメラを必死に探している、というには深く手探りするような仕草が見当たらないのは不自然ですし、第一息継ぎもせずにジッとしていられるような短い時間ではありませんでした。
ここまできて流石に笑ってもいられなくなりました。さては岩の出っ張りに頭でもぶつけたかと心配になって駆け寄り、強引に引き上げようとしたんです。
しかし。
『うっ・・!?重っ?!』
上半身を起こすだけの筈が、その体は手にズッシリと重くのし掛かってきました。どう考えても体に力が入っていません。本当に意識を失っているのかもしれない。のっぴきならない状況だと恐れを抱いて、思いっきり弾みをつけて引き上げました。
ざばぁ、と音を立てて、ずぶ濡れの頭が飛び出し、次にびしょびしょのカメラを掴んだ腕がだらんと岸辺に垂れ下がりました。
倒れないように支えてやると、そのまま文さんは正座の脚に上半身をぼんやりと起こしました。そのまま昏倒するような事はなく、取り敢えずはホッとしました。
・・・しかし、今度はいつまで経っても立ち上がろうとしません。膝はぺたんと地面に着けたまま、体は案山子のように真っ直ぐ、つついたらそのまま倒れてしまいそうでした。それどころか濡れた髪を払いもせず、さながら幽霊のように視線は空の一点を見つめています。
『文さーん・・・?』
顔の前で手を振ってみましたが、結果は同じ。私も薄気味悪くなって、肩をガクガクと揺すりました。
『文さん、文さん!!?』
大声で、それも殆ど耳元で叫びました。それでも彼女は何も反応せず、髪の先から滴が二、三滴落ちただけでした。
病気か何かではないか、脳がさぁっと冷たくなるような気がして、一瞬目を伏せかけた、その時でした。
突然首がグリンと回り、文さんの視線が至近距離で思い切りぶつかったんです。
『ヒイッ!?』
私は叫び声を上げて、肩を跳ねさせ、魂だけが後ろに飛び退いたような心地で固まっていました。
彼女の目は、濡れてペッタリ張り付いた髪の毛の隙間から除くそれは、まるで薄墨のようにくすんだ色で、光がなく、生気が感じられませんでした。
私が何も言えずにいると、文さんは『あー・・・』と呻き声のようなものを洩らし、よろめきながら立ち上がると、濡れたカメラを気にする様子も見せず、フラフラと飛び去っていきました。
その姿を遠目に見ながら、奇妙なものを見たと、嫌な予感が胸の中に残りました。イタズラの演技にしては度が過ぎていますし、第一あの人はそんな悪趣味な真似をするような人ではありません。
しかし、彼女は古くから続く天狗の組織に属していましたし、いざとなれば彼らの中で何とかするだろう。私達が勢力としては天狗たちと折り合いが悪い事も手伝って、その時は楽観的に考えたんです。
―
・・・それから、一週間程経った日の事です。
そろそろ日付も変わろうかという深夜、玄関の戸をけたたましく叩く音で私達は目覚めました。神奈子様、諏訪子様も寝ぼけ眼で、こんな時間に一体誰だと不機嫌そうにしていました。
取り敢えず、見るからにイライラしているお二人に出迎えさせる訳にはいきませんから、私が出て行ったんです。冷える戸口の空気を堪えて、扉を開けます。
『あら』
そこには、白狼天狗のリーダーを努める犬走 椛(いぬばしり もみじ)さんが立っていました。元々真面目すぎるような方で、文さんのような人とは折り合いが悪い、まあそんな人ではあったんですが、その時は一際切羽詰まった顔をしていました。
椛さんは私が挨拶するよりも早く、事務的な口調で話し出しました。
『夜分に失礼します。早苗さんに、よければ他のお二人も来ていただけませんか』
出し抜けに言われ、私も、様子を見にきたお二人も怪訝な顔を見合わせました。しかし椛さんは気にする様子もみせず、いえ、むしろそんな余裕も無さそうにクルリと背を向け、顔だけ振り返り早口で叫びました。
『訳は道すがら話します。早く!』
よく分かりませんでしたが気迫に負け、大急ぎで寝間着を着替え、私と神奈子様、諏訪子様の三人で椛さんの後について行きました。
『これから文さんの家に来てもらいます。確か一週間前にそちらへ行きましたね?』
顔は前を向いたまま、椛さんは半ば決めつけるような勢いで言いました。どういう事か、と訪ねるとあれから文さんがどうしていたかを教えてくれました。
聞くところによると、神社に行くといった次の日、連絡もなしに仕事場に顔を出さない、といった事があったそうです。同僚が様子を見に行くと家には鍵がかかっており、"ああ、何かネタを見つけたからサボったのかな"とその日は放っていたらしいです。
ところが、次の日も、また次の日も、依然として家は開かないままで、流石におかしいと思った彼らは、遠くの人の居場所や風景を写真に写し取れる、超能力者みたいな天狗に助けを求めたそうです。
ところが・・・
『文さんの姿を撮ろうとした写真は、ノイズだらけだったんです。一面が砂嵐のようでした』
椛さんは生真面目さを残しつつも、随分と沈んだ声で言いました。
『念写した本人も"こんな事は初めてだ"と言いまして・・・流石に笑えなくなり、無理矢理文さんの家に押し入ったんです』
段々と椛さんの声は小さくなっていき、終いには消え入りそうに震え、ふっ、とその場に止まってしまいました。
『何か・・・あったのかい?』
心配した諏訪子様が、背中越しに声をかけました。その途端、椛さんは私達の
方にバッと振り向き、さっきまでの淡々とした口ぶりが嘘のように怒鳴りだしました。
『何か、ですって!?あったに決まっているでしょう!じゃなきゃあなた方なんて呼びません。
戸を破って、部屋に入って、そしたら・・・』
捲し立てるその表情を目の当たりにして、ようやく彼女が、余程の焦りと恐怖を圧し殺していたのを理解しました。 眉には深いシワが刻まれ、顔は真っ青、目には涙が浮かび、肩をいからせ牙の間から、ふーふーと荒い息を吐いていました。
『誰のせいだと思っているんですか、誰の・・・!』
次第に力が抜けるように肩をすぼませると、一転して顔を引きつらせ、すすり泣くように『ひっ、ひっく』と声を洩らしたかと思うと、顔を覆って俯き震えだしました。
『あれは・・・あの姿は・・・』
私達はついギョッとして、道中その場に少しの間固まっていました。椛さんは周りの無言に気付き、ハッと息を洩らすと、目の涙を強引にゴシゴシ拭うと、『取り乱しました』と呟き頭を下げてきました。
『・・・とにかく、現場を見ていただければ、ご理解いただけるでしょう』
椛さんはそう言ってまた先を急ぎました。私達は戸惑いながらも、その背中を追いました。
―
・・・しばらくして、眼下に文さんの家が見えてきました。降りていくと、周囲には椛さんの部下と思われる白狼天狗の方々が見張っていました。私達を見るや敬礼してきた彼らに、椛さんは『現場は変わりないですか?』と尋ねました。
しかし、部下たちは浮かない顔を見合わせ、おずおずとこう答えました。
『部屋はそのままです・・・。しかし、文さんは拘束せざるを得ず、詰め所の独房に・・・』
独房、と確かに言いました。閉じ込める必要がある程の、一体何が文さんに起こったのか。私の脳裏に、あの時の彼女の虚ろな目が蘇りました。
椛さんはその答えを聞いて、額を押さえて深い溜め息をつくと、部下を退かせて玄関を開け、顔だけ此方に向けてついて来るよう促して来ました。
『・・・早苗』
私が歩き出そうとすると、神奈子様が呼び止めました。その声はいつになく真剣で、思わず振り返ると諏訪子様まで深刻そうに眉をしかめています。
『アンタはここで帰りな。後は私達がやる』
思わず、えっ、と声が出ました。ここまで来てそれはないだろうと抗弁したのですが、神奈子様は首を縦には振りません。それに、何故か目線をチラチラとあらぬ方向に向けるので、私はムッとしてしまいました。
今から思うと、視線の先に何物かを感じ取っていたのかもしれません。しかし、私はそんな事まで気が回らず、焦れったそうにしている椛さんに肩を並べる形でドヤドヤと文さんの家に踏み行って行きました。
中は一見、至って綺麗なものでした。居間の座布団やタンス、本棚、キチンと定位置に整頓されています。書斎も、新聞の資料らしきものが山積みになっている他は、机にも、床にも、ペン一本インク一滴も見当たりません。
お風呂、トイレなども見て回りましたが、シミや水滴は一つもありません。
・・・けど、はっきり言えませんがその時、ちょっと違和感を感じました。話では、文さんは家の中にいたのを発見されたのに・・・
『綺麗すぎる』
諏訪子様が綺麗に纏めてくれました。そうです。人がさっきまで過ごしていた筈なのに、例えば飲みかけの湯飲み、書きかけの原稿、そんな生活感を感じさせるものが見当たらず、時間が止まったかのような空間がそこにありました。
これは、余程家のどこかに籠るような生活をしなければ出来やしない。
少し混乱しながら先を行くと、今度は台所が目に入りました。例によって綺麗に洗った食器が水切り用の棚に、しかし少しだけ埃を被って並べられています。
その下に、包丁を仕舞った棚が一つだけ、不自然に開いていました。それがふと目につくと、今度は一本だけ抜き取られているのが、見えて。
それに気づいて寒気が走った瞬間、奥へと進んでいたせいでしょうか、ぞくり、と身体中に刺すような悪寒が走りました。肌がチリチリ焼けるようで、は、はっ、と息がおぼつかなくなります。
『大丈夫ですか?』
椛さんの声に顔を上げると、いつの間にか皆さんが私より先を行って、一番奥のドアの前で待っていました。何故かついていくのが躊躇われましたが、見た目はただのドアです。
胸の中でのムカつきを抑えながら恐る恐る頷くと、椛さんはノブに手を掛け、一気に開け放ちました。
その瞬間、さっきまでと比べ物にならない、身体中を舐めるような圧迫感が襲い、私はその場にしばし立ち竦んでいました。背中にじわりと汗が滲み、気を抜けばその場に戻していたかもしれません。
それでも前を歩く神奈子様と諏訪子様を頼りに、頭がグラグラ揺れる中で必死で部屋に踏み込みました。脳が五感を認識するのが遅れ、その光景を理解するのに十数秒はかかったと思います。
そこは寝室でした。綺麗にシワを伸ばしたベッドに床にはカーペットが敷かれ、後は小綺麗な本棚に出窓、壁にカレンダー、他小物数点。カーテンは締め切られていて薄暗かったですが、しっかりした女の子なんだなあ、と感じさせる、スッキリした部屋でした。
ある一点を除いては。
その部屋は血まみれでした。カーペット、カーテン、壁、あらゆる場所に赤黒いシミがこびりつき、殺人現場のような様相を呈しています。床には、手酷く使ったであろう包丁が剥き出しで、やはり血だらけで転がっています。
それだけで卒倒しそうなものですが、一目見て、更に私を戦慄させるものがありました。
部屋一面にへばりついた血、それはただ撒き散らされたものではありませんでした。大きく乱暴に、しかし一目で分かる"名前"が、血文字でデカデカと書かれていたのです。
"八坂刀売神様"、"諏訪大明神様"、"ミシャクジ様"・・・私達の神社の神々の名前が、それも一つや二つではなく、生々しい痕を残しながら無数に書きなぐられていました。
私はその惨状に目を奪われ、椛さんが私達に苛立ちをぶつけた理由を悟り、とんでもない事をしでかしたのでは、と冷や汗が止まりませんでした。
思えば、あの時に文さんを見過ごさずに神奈子様と諏訪子様に助けを求めるべきでした。取り返しがつかないかもしれないと、未知の変貌への恐怖に怯えていました。
『椛、文の居場所を教えてくれ』
ふと、神奈子様の冷静な声で我に帰りました。見ると、現場を一度見た椛さんはともかく、神奈子様も諏訪子様も毅然として椛さんに事情を聞いています。
お二人には既に原因の見当がついていたのかもしれません。未だに憔悴が抜けきらない私を他所に、皆は文さんの元へ向かおうとします。
『あ、待ってください!』
私も慌てて後を追いました。怖かったですが、あの時黙って帰してしまった罪悪感がそうさせました。
―
文さんは、白狼天狗の働く建物の、がらんとした鍵つきの小さな小部屋の中にいました。
ただ、やはり普通の格好ではありません。
後ろ手に全身を縄で縛られ、口には猿ぐつわを噛まされて、うーうーと唸り声を上げています。
『文さん』
椛さんが呼び掛けると、文さんはこちらに顔を向けて睨んできました。その目は血走ってぎらぎらと光り、とても話が通じる状態には見えません。
椛さんは泣きそうな顔になって私の袖を掴んできました。文さんは彼女の心配など理解すら出来ないようで、威嚇するように姿勢を低くし、下からせり上がるような瞳を向けました。
その拍子に、前のめりになって背中に縛り付けられた腕が見えました。両腕の手から肩の手前にかけて固く包帯が巻かれ、その表面にうっすらと赤い血のようなものが滲んでいました。
『包丁で・・・てを、グサグサって・・・』
涙ながらに訴える椛さんをなだめていると、神奈子様と諏訪子様が、すぅーっと、少しも臆せずに文さんに近づくのが見えました。文さんはお二人に気付くと、さっきにもまして敵意を向けて目で追っていましたが、お二人は意に介さず、手で触れられる距離まできました。
そして、私が止める間もなく、文さんの目の前でしゃがむと、神奈子様が手を伸ばし、とん、と頭に触れました。
その途端、遠くからでも分かるほど、目に見えて文さんの体のこわばりが消えたのです。そして睨んでいた目には光が宿り、みるみる穏やかになっていきました。
そして躊躇せずに猿ぐつわを解き、するすると拘束を解いていきました。まるでオカルト系のヤラセみたいな一幕でしたが、確かに神聖な力を感じる空間がそこにはありました。
『文さん!』
椛さんが叫んで駆け寄るのにつられてついていくと、文さんは座ったままぼんやりと、起き抜けのような顔を泳がせました。
『文、大丈夫か?苦しかったな』
神奈子様が頭をくしゃりと撫でました。すると、文さんは一瞬目を大きくして潤ませたかと思うと、みるみるうちに顔をクシャクシャにして、神奈子様にすがり付いてわんわんと泣きはじめました。
『あ、ああぁ・・・わだし、きゅうにワケわかんなくなって・・・少しでも出歩いたらどうかしちゃいそうで、それでっ・・・!』
混乱しながらしゃくり上げる文さんを、神奈子様と諏訪子様は、優しく抱き締めていました。小さい頃私にそうしてくれたみたいにしばらく背中をさすってやると、次第に落ち着いてくれたようでした。
『文さん』
頃合いを見て椛さんが再度声をかけると、文さんは今度はいつも通りの、胡散臭い笑顔を向けました。
『どうも椛。ご心配をお掛けしました~。あはは、鼻水垂れてる』
『・・・泣いたカラスがもう笑って・・・ええ、何よりです、よっ!』
お二人は一旦安心すると、私達の目もはばからずじゃれ合いを始めていました。とりあえず一安心して、邪魔しない
ようにと脇に退いた際、隣に諏訪子様がいたので、二人に聞こえないようにこっそりと、何があったのかと聞いてみました。
すると、諏訪子様はこう言いました。
『あれは、私達の信者だったんだよ。私達が外の世界から幻想郷に来て、その途端に、何らかの不幸があったんだろう。
あの湖がどこかに繋がっていたんだろうね』
もう文さんからは離れてくれたから大丈夫だと、その時は言っていました。
・・・それからしばらくして、続けて何かあったという訳でもなく、またいつも通りの日々が戻ってきました。
境内の掃除をしながら、そろそろ取材に来た文さんの姿も見られるかな、と考えていた所で、ちょうど誰かが飛んでくるのが見えました。
『こんにちわ!』
やはり文さんでした。あの時の錯乱の影は既になく、すっかりいつものお調子者に戻っています。
『ああ、こんにちわ。あれからお変わりないですか?』
『ええ、ええ、お陰様で』
『・・・ところで、今日はどんなご用で』
『ああいえ、大したことないんですがね・・・』
文さんは愛想笑いしながら頭を掻いたりしていましたが、私は少しばかり構えていたところがありました。
というのも、彼女はいつも最初は社交的に振る舞うのですが、決まっていつの間にかするりと話を引き出そうとしてくるのです。まあ、甚だ失礼な話ですが、元気そうに見えた手前用心していたんですね。
・・・しかし、その時ばかりは彼女は小さく肩を落とし、笑顔も覇気のない、弱々しいものに変わっていきました。
どうしたのかな、と首を傾げると、おもむろに懐から何枚かの写真を取り出しました。
その写真を浮かない顔で見つめながら、彼女はこう言いました。
『あの・・・以前の写真をですね、一応、現像して見たんですが』
その時言われて思い出しました。あの神社の敷地の湖をネタだーっと息巻いて撮っていたこと。
水にカメラを落としてダメにしたのかな、なんて考えていると、私の方に写真を差し出してきました。
それを受け取って、見てみた瞬間、愕然としました。
『濡れて壊れちゃったんですかね・・・?』
口に出した心配は私と同じものでした。しかし、目にした写真を見れば、文さんは明らかに気休めを言っているのが分かりました。
湖が写ったら写真は、周りに誰も立っていないにも関わらず、その水面に人のような形の影が何人も、何人も映り込んでいるのがハッキリと撮られていました。
文さんがとり憑かれたのは、たまたま"一人"だったみたいです・・・」