うめき声が、嵐の中だというのにはっきりと聞こえた。耳にまとわりつくかのように。
視線は私達を見たまま微動だにしない。ギシギシ揺れている間も、一瞬も漏らさず射竦められて、背中に嫌な汗が滲んだ。
ぼたり、と誰かの腕が落ちる。それは縁側にごろりと転がり、此方に断面を見せていた。暗い中で白い骨だけが生々しく光っている。
ひっ、とアリスさんが声を洩らした。
腕をなくした亡者は痛がりもしない。よくよく見てみれば、時折揺れる亡者の体は、誰かが足を持って揺らしているかのように不安定で、それ程大きく揺れてもいまいに、首、腕、足、各々の部位はてんでバラバラに、頼りなく揺れていた。
しばらく目を離すのもままならず、観察する事で気を紛らわしていた。すると、ふっ、と一体の亡者が視界から消えた。
刹那、ごどん、と重いものが落ちる音がした。下を見ると、亡者が無造作に横たわっている。見える角度が変わると、形、幅広さ、歪みの向きがはっきりと分かる。幻ではないと改めて認識する。
その落ちた亡者の周りに、もう一体、二体と次々に亡者が落ちてきた。何体かはゴキリと音を立ててバウンドし、一層酷く歪んだ。
彼らはそれきり動かなくなった。
チラチラ目線を皆と交わしながら、縁側に無造作に転がった亡者を交互に見た。どう見ても生きているようには、いや、生き物とは思えないが、見てくれは今やただの死骸である。
今なら逃げ出せるだろうか。そんな望みが頭をよぎった。いずれ霊夢さんが帰ってくるだろう。彼女ならもぬけの殻に一人残されようが、何とかしてくれるに違いない。
きっとそうだ、と一人で頷いて腰を上げようとした、その時。
めき、と音がした。
「え」
声が洩れて体がはたと止まる。ぎぎ、と音がしそうな程に首を回すと、一体の亡者が寝たまま、首を少しだけもたげていた。
確かに、さっきより首が上向きに。
その途端、バキバキと音を立てながら、首が糸に引っ張られるかのように体を縦に百八十度回転させ、此方に視線が向く。
「きゃああ!」
悲鳴を上げて後ずさり、壁に肩をぶつける。足が震え、自然とまた腰を下ろしてしまった。口がべろりと裂けた亡者の顔は、私を笑っているように見えた。
瞬間、バキバキと骨が砕ける音が重なって鳴り、また頭をもたげ、或いは引きずって亡者の群れが此方を一斉に向く。
顔が抉れたもの、片目が無いもの、首が、手足があらぬ方向に曲がったもの、それらが雷光によって照らされて直後、彼らはどうやってか、畳の上をズルズルと、血の痕を残しながら這いずってきた。
息を呑み、悲鳴が口をついて出る、その直前。
「うぎゃあーーっ!」
誰かの物凄い悲鳴が聞こえた。続いてドタドタという足音に振り向いた瞬間、私の足に誰かが躓く。
「でっ!」
顔から着地した誰かが呻く。正邪さんだ。全身を打ち付けた状態から立ち上がろうと、手をついて膝を引き摺る。そのほんの数秒間、私は彼女がもがくのを見ていた。
その姿に、影、いや、黒いもやのようなものが覆い被さる。
「あ」
それだけ呟いて、頭の中に鐘の音のような何かが、ごおんと響き、視界が揺れた。吐きそうになる不快感を感じた直後、黒いもやがやにわに広がり、私の意識はぶつりと途切れた。
―
「あ」
同じような声を出して、私は意識を取り戻す。霞んでいた視界が段々とはっきりして、目の前に顔があるのが分かった。
「起きた?」
天子さんだ。いつになく悲壮感漂う顔をしている。頭越しには、天井が見えた。私はどうも畳の上に倒れていたらしい。身動ぎするだけで鈍い痛みが走る。
「・・・あれ?」
そういえば変だ。嵐の音がしない。
体を起こして辺りを見渡すと、嵐はとうに止み、開け放しの窓からは星の瞬く夜空が見え、行灯には火が差してある。どうやらずいぶん気を失っていたようだ。
すると、耳に誰かのすすり泣く声が聞こえた。見ると倒れた正邪さんを取り囲み、早苗さんが小傘さんにすがり付いて泣いている。
思わず立ち上がるのも横着し正邪さんに取りすがろうとすると、レミリアさんが横から制してきた。
目が合うと、無言で首を振る。
「ごめんなさい・・・私のせいで・・・」
早苗さんが絞り出すような声をあげてしゃくりあげる。どれ程泣いたのだろうか、小傘さんの服に大きな染みが出来ていた。
「ま、もう悪霊は去ったようですし、死体は生き返りませんわ」
「貴女ね・・・確かにそうだけど」
肩を竦める青娥さんに、アリスさんが顔をしかめた。二人が見つめる正邪さんはピクリともしない。
ほんの少し青白い、力なく横たわる体。呆気ないものだ、そう溜め息をついた、その瞬間。
ぱっ、とバネが跳ね返ったように、正邪さんが飛び上がった。ぎょっとして見ると、彼女は虚ろな目で妙な格好をしている。
脚を開いてしゃがみ、真ん中に手をついて背を丸めている。
見覚えのある姿勢だ。これは確か・・・
「・・・蛙?」
口に出した瞬間、正邪さんはビヨンビヨンと本当に蛙のように跳ねたかと思うと、目の前の開け放しの縁側から、靴も履かずに飛び出して行った。
「・・・・・・」
「あれ、諏訪子様の分霊なんです」
誰も何も言えずに呆気に取られていると、早苗さんがポツリと言った。
「ああやって安全な場所まで逃げて、時間がきたら黄泉ガエル・・・らしいです」
しょうもない駄洒落にも笑う気は起きなかった。その日は帰ってきた霊夢さんに怒られながら血を拭き取って障子を直した頃には、もう夜が白んでいた。
―
正邪さんはあの後、気が付くと妖怪の山の中腹にある沼の畔に、泥だらけで倒れていたそうだ。ただ小傘さんが来てからの記憶がなく、沼の近くの祠が光っていたのだけを妙にハッキリと覚えている、とのこと。
それにしても、山の途中までずっとあの蛙スタイルで行ったんだろうか。気になるのは、その一点である。