幻想郷の怖い話   作:ごぼう大臣

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三周目・東風谷 早苗END―a.神奈子様の分霊

 暫くの間、皆声も出せずその物の怪達と対峙していた。ブラブラと垂れ下がり此方を見つめる白狼天狗"だった"者らは鈍く身動ぎするだけだったが、それだけでも何故か、地獄の炎の中で蠢く亡者を想わせるような酷く暗い怨嗟の念が、肌を撫でる。

 

 皆はすすり泣いたり、フーフーと低い息を吐いたりしながら身を寄せ合うばかりで、逃げ出そうともしない。

 否、出来ないのだ。さっきまであれほど腰を抜かしておののいた嵐でさえ、今や耳障りな雑音でしかない。

 

 ぬるりとした泥に呑まれるかのように、悪意にまみれた霊の悪寒が包み込む。激しい頭痛に吐き気が襲い、呼吸まで首を絞められたかと思うほど苦しくな

り、ヒュウヒュウと音を立てて必死に空気を交換した。

 

 いつの間にか額にじんわりとかいていた汗が、やけに冷ややかに首筋を伝った。瞬間、ほんの少し思考が回復し、途端に『死』を予感した。私は、神社に湧いて出た亡者達に殺されてしまうのだろうか。

 嫌だ。どうにかして助かりたい。

 目を閉じ、天に祈ったその瞬間、ざっ、と誰かが動く音がした。

 

「えっ」

 

 誰だろう、そう思って恐る恐る目を開けると、そこには暗くて分かりづらいが緑色の長い髪がたなびいていた。

 

 早苗さんだ。いつの間にか私達を庇うように立っている。そのせいか身体中を駆け巡る悪寒が幾らか和らいだ。

 ホッとして一つ、瞬きすると、次の瞬間早苗さんは力むように肩をいからせ、そして案山子のようにぴん、と真っ直ぐ硬直する。

 どうしたんですか、思わずそう叫ぼうとした瞬間。

 突然早苗さんの体がガクガクと揺れ始め、何故か足だけは畳にしっかり根ざしたまま、ブンブンと上下左右に頭を振って痙攣しだした。

 何だ、早苗さんの身にまで何が起こった。事態についていけず混乱していると、頭越しに白いもやのようなものが上るのが見えた。

 注視すると、ガクンと早苗さんが顎を殴られたかのように上を向く。そしてもやだと思っていた何かは、上向いていっぱいに開かれた口から、がばっ、と音を立てて塊となって噴き出した。たちまち早苗さんの頭上を覆うようにもやが立ち込め、天井付近の、亡者の影を白く覆い隠す。

 霊障の類いだろうか。一瞬亡者や嵐の事も忘れて目を奪われていると、そのもやが突然、グニャリとうねり、細長くなったかと思うと、こちら側の先っぽがするりと尖り、もう片方に血のように赤い目がギョロリと剥いた。口をあんぐりと開ける暇もなく、今度は亡者に向けて牙をがばりと剥き、蛇そのままに宙を這って、あっという間に食らいついた。

 

 するとパアッ、と白い光が広がり、思わず目を瞑る。

 

 そして一瞬して開けた頃には、あの白いもやも、亡者達も、外の嵐さえ嘘のように無くなり、雲一つない夜の闇に、ひゅるりと冷たい夜風が吹いているばかりだった。目の前には早苗さんが、後ろ姿で分かるほどけろりとして、悠然と立っている。

 周りを見ると、皆ポカンと口を開けているか、訝しげにキョロキョロしている。私一人が夢を見ていた訳ではないらしい。

 目線を前に戻すと、早苗さんが横顔だけをこちらに向け、ふっと微笑を浮かべて『間に合いましたね』とだけ呟いた。

 

 私がまごついて返事できずにいると、彼女は恥ずかしそうにクスクス笑い、こう言った。

 

「あれ、神奈子様の分霊なんです。こんな事もあろうかと、憑けておいてもらいました」

 

 その話しぶりは妙に平然としたもので、全員がお礼も言わずにボンヤリしていたが、突如、彼女は『あ』と呟いてクルリと体を此方に向けて言った。

 

「でも念のためこの事は他言無用で。話した人の所に来るかも知れませんから」

 

 口許に指を当て、いたずらっぽく言うその姿は、確かにいつも通りの早苗さんだった。

 


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