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早苗さんの六話目が終わった。
語りの余韻も次第に過ぎ、再び部屋の中に静寂が訪れる。それぞれ接点があまりない故か、気軽に口を開ける空気ではない。
話を聞いている間に、いつの間にか本当に雨が降り始めたらしく、しとしとと寂しい雨音が響き、縁側に通じる障子の隙間から湿った風が吹き込んでくる。
「あーあ、傘持ってきてねえよ、私」
正邪さんが当てつけがましく舌打ちした。雨に対してか、呼び出した私かスキマ妖怪に向けてかは、分からないけれど。
しかしその時、さっきまで無言でどこかぎこちなかった面々が、その一言に反応する。
「あら、お気の毒様。私は仙界を使えばすぐですの」
青娥さんが鼻で笑う。続けて天子さんが天井を見上げながら、どこか自慢げに言った。
「私は最初から迎えを頼んでいるわ。傘も用意してくれるでしょう」
雨に濡れる心配はない。二人がそう言ってすぐに、自然と四つの瞳が正邪さんに向く。ムッ、と口をへの字に結ぶ正邪さんとは対照的に、見つめる二人は揃って愉快そうに目を細めている。
まずい、刺々しい空気が流れ出した。なんとかして話題を変えて・・・
「咲夜ももうじき来るでしょうね。私は雨の中を帰れやしないし」
・・・レミリアさん、空気読んでくださいよぉ・・・
いや、ある意味空気を読んでいるのかもしれない。事実、比較的穏やかな二人を除いて全員、正邪さんが不機嫌そうに、頑なに視線を合わせまいとしているのを目を細めて眺めているのだ。
退屈な雰囲気は確かに変わった。しかしこんな団結は嫌だ。構図が確実に苛めの一歩手前である。こんな時に七人目が来たら、七話を話す間中、遅刻がどうのと正邪さんが茶々を入れかねない。
彼女はそういう子だ。しかし生まれついてのタチがあるにせよ、立場の弱い者に矛先が向くのはなんと空しい事か。
額を押さえて天井を仰いだ。その時。
入り口の戸からばしん、と叩きつけるような音がして、ドタドタと喧しい足音が近づいて来たかと思うと、居間の戸が外れそうな勢いでスパン、と開けられ、跳ね返った。
「こんにゃろー!散々待たせやがっ・・て・・?」
正邪さんが飛び掛かるように言い放つ。しかし、眼前に佇む来客のその姿を見て、はたと固まった。
その子は余程慌てていたのか、全身がずぶ濡れで冷えた服が肌に張り付き、傘を玄関にも置かずに引きずってきた分も合わせて廊下に水の痕をつくっている。額に垂れ下がる水色の髪からはやはり水が滴り、頬ばかり赤く上気させて胸を押さえはあはあと息を切らしている。
濡れ鼠のその姿、まるで入水自殺の幽霊・・・っていや違う。この子は確か・・・
「小傘ちゃん!?」
早苗さんが驚いた顔で立ち上がった。
彼女が駆け寄るよりも早く、小傘さんはその姿を見るや、捉えた色違いの両目をかっと見開き、怒ったような驚いたような顔をわなわなと震わせ、次の瞬間掠れながらも大声を上げた。
「早苗、あの話をした!?あの山の、幽霊の話!!」
山の幽霊、思い当たる節がある。ついさっき早苗さんが話してくれた怪談。皆が顔を見合わせ、不安げに眉をしかめたのを見て察してか、彼女は早苗さんをキッと見据えるや泣き出しそうな声で叫ぶ。
「口に出しちゃダメだって言われたじゃない!そうしないと探して、ついて来ちゃうからって!!」
あ、と早苗さんが小さく洩らした。その瞬間皆がギクリと身を硬くする。ついて来ちゃう、とは何か。この場にその霊が現れるのかと、口には出さないが恐怖に竦み上がっているのは分かった。
しかし、ふと私は二人の仕込みを疑った。七不思議の誘いは前もってのもの。あらかじめ知り合いに奇異な登場をするように頼み、あたかもその場に怪現象が起きたかのように装う。そんなサプライズを計画したのではあるまいか。早苗さんの普段の性格を思い返し、無理なく予想が立った。
だが、それは瞬時に裏切られる。
一瞬、ポツリポツリと寂しく降っていた雨が、一転、ゴウゴウと濁流のような勢いに変わったかと思うと、ピカリ、と行灯の明かりしか無かった部屋を真っ白に照らすような閃光が走った。
そして、ゴロゴロと龍神のうなり声のような雷鳴が響き、同時に叩きつけるような突風が縁側の障子を弾き飛ばし、全員の眼前に雨と風と雷が激しく荒れ狂う天空の一部を切り取って見せた。遠慮なしになだれ込んでくる暴風は行灯の火を吹き消し薙ぎ倒す。
「ひゃああっ!」
開け放しになった側にいた人達が転がるようにこちらに肩を寄せる。皆で壁際に押しくらまんじゅうのように固まって小さくなり、あるものは耳を塞ぎ、あるものは隣の人に抱きつき、あるものは押し潰されそうになりながら歯だけをガチガチ言わせていた。
暫くの間、全員が居間全体をガタガタ震わせるような嵐に気を取られていた。すると今度は、ゴトリ、と屋根の上だろうか、転がるような音がやけに大きく聞こえた。
それが何かを気にする間もなく、バタン、バタンと叩くような音から始まって、盛んに踏みつけ、殴り付けるように激しく鳴り出し、ミシミシと天井が軋む程になった。一人ではない。何人もが神社の上で何度も何度も、最早集団で跳ね回るような煩い音を鳴らしている。
「ちょっと!何なのよいい加減!」
レミリアさんが金切り声をあげる。嵐に雷鳴、屋根の怪。神社そのものがガタガタと風に煽られ、ますます焦燥感を強くさせた。もうこれ以上ここに居たくはない。いっそのこと目の前の、大きく穴が空いた縁側からでも逃げ出してしまおうか、パニックのあまり、そんな事まで考えた瞬間。
さっきまで、障子のあった場所。今はなすすべもなく風雨に晒されている場所。その上、ここからは見えない、縁側を覆う屋根。それに乗っていたのだろうか。
屋根の端から逆さまに、頭が覗いた。そして、ずるりと、身を乗り出すように上半身が現れる。
手はどこにも掴まっていない。屋根から逆さ釣りにされたようなシルエットで、何に支えられているようにも見えない。
ふと、それが見え出してから、雨風の音に混じって微かに、ポトッ、ポトッ、と雫が落ちる音がした。縁側に黒い水が小さく溜まっている。それは逆さ釣りのそれから流れ落ちていた。
少しずつ、少しずつ姿が顕になり、とうとう体全部が逆さまに、此方に近づこうとでもするかのように頭を揺らしながら現れた。暗くてよく見えないが、人型だと分かる何かが、雨に打たれながら此方を見ている。
何体も、何体も。
一体目と同じように、ずるり、ずるり、と芋虫のように這い出し、最初に見た黒い水は最早ボタボタと何人分も落ちて溜まり、縁側から流れ出るまでになっている。
此方を見る物の怪達。彼らの姿はそれぞれ少し違っていた。腕をなくした者、胸に穴が開いた者、頭の形が変わった者さえいる。
ただ、狼のような耳が一つにしろ二つにしろ、生えているのが見てとれた。
やはり、と小傘さんの言った事に確信を持った瞬間。
がぁあ、と喉を鳴らした、ような気がした。肌が粟立つ。首筋が冷え、畳がざあっとささくれ立つ。
獣の牙を顕にしながら、私達に向け、物の怪達全員が声にならない、どす黒い怨念を放ったのだった。