一周目・一話目―レミリア・スカーレット
「私が一話目を話すのね。
一応自己紹介しておきましょうか。私は紅魔館の主、レミリア・スカーレット。よろしくね、阿求。
でも良いのかしら?私がトップバッターだなんて、後の人のハードルが上がっちゃわない?・・・まあ良いわ。私の知った事じゃないし。
さて・・・怖い話ねえ。
阿求あなた、私の館にある図書館を知っている?ああ、知ってるんだ。行ったことは無いの?一度来てみるといいわよ。見渡す限りの本棚で、一生かけても読みきれないって思うから。貴女の家と良い勝負なんじゃないかしら。
私が話すのは、その図書館で起こった話よ。」
―
「私の館の図書館はね、一人の魔女が管理しているの。
パチュリー・ノーレッジ。見た目は若いけれど百歳をゆうに越えていて、その彼女が一生涯集めた知識の源、更に外界から流れ着く知識を記したものが勝手に増えていく。それらが幾つもの天井まで届く本棚に隙間なく詰められていて・・・常にそれに囲まれて生活しているのよ。その様子は・・・いっちゃ悪いけど、遠くから見たら小人みたいね。本の存在感が強すぎて、私でさえ居ることに気づかなかったりしたわ。
さて、そんな彼女だけど体は弱くてね。しょっちゅう咳をして動けなくなるような子だった。とはいってもいつもはひとりでに収まるんだけど、ある日どうにも酷くなった事があった。別室に移したっきり、寝たきりになっちゃったの。
そこで、図書館に残ったのは手伝いの、小悪魔だけ。その子が代わりに本棚の整理をしようとするんだけど、まあおっちょこちょいな子でね。本の背表紙が逆さまだったり、本を抱えたままひっくり返ったり、とにかく危なっかしいったら。仕方ないから私が手伝う事にしたのよ。
『そ、そんな勿体ないですよ〜』
『やかましい。直々に手伝ってあげるんだから、有り難く思いなさい。』
なんてやり取りをして、勝手に手を付けだした。下らない本や破けたものを取り出して、代わりに床に平積みになっちゃっているのを詰める。基本はその繰り返しなんだけれど・・・
・・・途中で飽きちゃった。だって本を読むならともかく、片付けるだけなんて退屈じゃない?その上終わりが見えやしない・・・。
え?分かってくれる?嬉しい!あの本がただの紙の束みたいに見えてくるの、やってられないわよね〜。でもね、その時の大変さは貴女以上だと思うわ。
というのも、その図書館は地下に造ってあってね、陽が入ってこないものだからカビの匂いが充満していて、その上窓も無いから空気の逃げ場もありゃしない。汗をかいたらそのまま体に戻っていくみたいで、カビの匂いがくっついて、染み付くかと思った。それだけじゃないわ。積んであった本の山をほじくり返す度に、隙間に溜まっていた埃が目に見えるほどにモウモウと立ち上る。
それでとうとう嫌になって、悪戦苦闘している使い魔を放って置いて、隅っこの方にフラフラ歩いて行った。隅の方でちょこちょこやって、うまい具合にサボりたかったのよ。
そんな訳で、結構広い図書館の端まで来たとき、今まで本棚と本と、床と天井しか映らなかった視界に、変わったモノが映った。
それがね、小さめの本棚。私でも手を伸ばせばてっぺんに届くんじゃないか、て高さで、角の壁にあてがったみたいにピッタリと置かれていた。
私も、隅から隅までみた事は無くて、こんなモノ前からあったかな、て疑問に思ってね、一応小悪魔に確かめたのよ。
『ねえ、この本棚。片付けちゃっていいの?』
『へ?う、うーん・・・良いんじゃないでしょうか・・・ってうひゃあ!』
『・・・・・・』
なんとも気の抜ける返事だったわ。でも丁度良かった。この辺でテキトーに出したり入れたりしていればいいか。そんな気持ちで中の本を無造作に引っ張った。そいつが少し奇妙でね。決まって表紙に女が描いてあって、ヤケに薄っぺらい。そんなのがわんさか詰め込んであった。中身も見てみたけど、やれビヤクだショクシュだハツジョウキだと、何ともまあ下らない代物。・・・え?そっちの方が興味ある?冗談よして。どうでも良いのよそんなもの。
けど、なんたって聡明なパチュリーがそんなものを置いたままにしていたか、それも本棚一杯に・・・。
わざと詰め込んだ、冷静になればそんな発想にも至れたのでしょうけど、その時の私はとにかくどうでもいい気分でね。"なんじゃこんなモノ"とばかりに目の前の棚一つ分を掴んで放り出した。ドサドサドサッと物凄い音がして埃が舞って、さっきまであった本の裏側にあったものが一部、露になった。しばし咳き込んだ後に、私はそれを見る事になったの。
見えたものが何か、ですって?ふふ・・・知りたい?
"目"よ。
本棚の背のある筈の場所には、ギョロりと二つの赤い目が、ジッと私を見ていたの。
『ひゃああっ!』
いきなりだったから腰が抜けて、ペタンとお尻を床にぶつけちゃった。立ち上がる時にもちょっと足が震えていたかも。さっきのは何かの見間違い、そう念じて、目をつぶったまま元の姿勢に戻った。そして、意を決して目を開けたの。
すると、さっきの目はどうしたと思う?
・・・同じように目を開けたの。
『・・・?』
改めてじっくり見てみると、そいつは私と瞳の色も、髪の色も、更には仕草まで同じ。
・・・なんの事はない。ただの鏡だったのよ。ほら、こんなタイプの本棚を見た事ない?背に充てる板が省略されて、壁につけて置けば使える、て奴。それが鏡に面して置いてあっただけなのよ。
『もう、脅かさないで』
何故そんな鏡を使えなくするような置き方をしたのかは、少し気になったけれど、
"地下の図書館に籠っているパチュリーの事、姿見なんて使わないだろうし、本棚にスペースを譲ったのかな"
なんて簡単に考えて、気にせずに作業を続けたわ。
そうやって本を全部出し終えた頃かしら。
本棚を隔てて、鏡に私の全身が映った。後は今まで入りきれてなかった分を入れ直すだけなんだけど・・・
ほら、折角偶然見つけた鏡だし、このまま塞いじゃうのが惜しくなっちゃったの。でね、鏡の前でその・・・漫画とかで見たポーズとかを真似したりしてた。いや本当に下らないんだけど、片付けの最中なんて、そんな事が意外に楽しかったりするのよ。
そして、ふざけて怪人の真似をしていたその時よ。
ふと、ぴく、と鏡の中の私が変な動きをした。最初は見間違いかと思ったわ。でも、それを確かめようと鏡を睨むにつれて、その違和感はどんどん大きくなっていった。勝手にウインクしてきたり、手を振ってみると急に中指を立ててきたり、顔を近づけると白目を剥いて脅かしてきた。
・・・嘘だと思う?でしょうね。それが普通。私も薄気味悪くなって、本を詰める事なんてすっかり忘れてその鏡に釘付けになっていた。・・・それが暫く続いた後、鏡の中の睨み合う何かに、思い切って尋ねてみた。
『・・・あなた、何なの?』
声は震えていた。視線の先の何者かもしかめっ面をしていたわ。じっと見つめていたら逆に笑ってしまうんじゃないかって位に。・・・ええ、そうなったらどんなに良かったかしら。
違ったのよ。その時は。
その顔は笑ったの。それも急に顔に裂け目が走ったみたいに、にぃーっ、と。そこから真っ白な牙が覗いて、瞳はキュゥッと小さくなって、白眼に赤い点を打ったようだった。
もう見間違いだなんて思えなかった。それどころか目の前のモノが何なのか、考える事さえやめて本を蹴っ飛ばして逃げ出した。体も頭も引っ張って勝手に動く脚を止めた時には、私は物陰に隠れて震えていた。
胸を突き破って来そうな心臓を押さえながら、私はひたすらうわ言を繰り返していた。
『近づいたらダメ。近づいたらダメ』
アレは見てはいけないモノだ。直感でそう感じた。壊すか、一旦ここから逃げるか、それとも・・・
思考が纏まらない中で、ジッと縮こまったままでいた。その時、打って変わって軽い声が聞こえた。
『お嬢様〜。どこですか〜?』
『!』
小悪魔だ。いた筈の場所から何時の間にか私が消えたと思ったのでしょう。私の名を呼ぶ声と足音が、徐々にあの本棚の辺りへと近づいていく。
『待って・・・!』
慌てて飛び出した、その瞬間。
『きゃああぁーーーっ!!』
絹を裂くような悲鳴が聞こえた。考えるよりも先に体が動いたわ。本棚の隙間を潜り抜けて小悪魔の叫んだ場所に急ぐ。手前の本棚から顔を出して、やっとそこまで来た時。
『あ・・・お嬢様』
あの鏡の前で小悪魔が座り込んでいた。私が放り出した本の中に埋もれて、私を見たらヘラヘラ笑っていたわ。
『ごめんなさい。ちょっと躓いちゃって』
私が何も言わないうちに、彼女は何事もなかったかのように立ち上がって、パタパタお尻をはたいていた。
その子に尋ねようとした。
"本当に躓いただけ?"
でも、喉につかえて出て来ない。もし、小悪魔が嘘をついていたとしたら・・・一瞬だったと思うけど、私には何十分も固まっていたように思えたわ。小悪魔が不思議そうにするからつい、俯いて・・・そのまま音一つ無かった。
その時、背中にバタンと大きな音が届いて、肩が跳ねた。
『・・・お待たせ。レミィ、小悪魔』
入って来たのはパチュリーだった。調子が戻ったのでしょう。元気そうな主人に小悪魔は犬みたいに駆け寄って行ったわ。
『お疲れ様。貴女もこの辺で休んで良いわよ。』
『わあ、ありがとうございます!』
パチュリーが小さなチョコレートを差し出した。小悪魔は『おっとっと』なんて慌てながら、ご褒美を貰って嬉しそうに跳ねて出ていった。
なんかその様子を見たら力が抜けちゃってね。さっきの事も気にしなくて良いかな、なんて思えてきた。きっとアレは私の勘違いで、小悪魔は本当に躓いただけなのだと。
そうと決まれば、私もさっさと休もう。そう思って挨拶しようとパチュリーの方を、何気なく見たのよ。
そうしたら・・・パチュリーは何だか怪訝な顔をしていた。明らかに労うような表情では無かったわ。
『・・・どうかしたの?』
聞いてしまったのがいけなかった。
その何気ない疑問が、蓋をした恐怖を噴き出させる元になる。
『ねえ、レミィ。あの子・・・
左利きだったっけ?』」
―
「・・・結局、私はあの時の真相を聞けずじまいだった。あれ以来あの場所には近づいていない。
え?問い詰めないのって?・・・無理よ。そんな事したら、"あの"小悪魔がどんな顔をしだすか分からないじゃない。
・・・全く同じに見える、って時には怖いわね。だって、ふとした瞬間に何が覗くか、分かりゃしないもの・・・。
・・・さて、これで私の話はお仕舞い。次は誰が話すのかしら?」