「うーんと、私が三話目かぁ。レミリア・スカーレットよ、よろしく。
それにしても微妙な順番が回って来たわね。この辺で中だるみとか・・・まあしないように努力するわ。
・・・ね、私に妹がいるって、皆は知っている?ああ、正邪なんかはよく知らないわよね。
ううん、いいのよ。あの子滅多に外に出ないから。なんていうか少し変わった子でね。でも最近、ちょっとしたことで怖がっていて・・。
折角だからその話にしようかな。
―
私がいつも通り部屋で紅茶を飲んでいた時、妹が珍しく寄ってきた事があった。『お姉様ーっ!』ってね。
金髪のサイドテールを振り回しながら、いつになく上機嫌だった。
こう言っちゃなんだけど、私は正直ろくでもない事だと思ったわ。その子はいつも一人でいて、おまけに乱暴な所があってさ。今まで身内でもマトモな付き合いが難しい位だった。
そんなあの子が喜色満面な時ってのは、大抵突拍子もない事をし出すのよ。
とは言っても、可愛い妹だからね。とりあえず普通に返事はしたのよ。そしたら・・・
『あら、何か良いことでもあっ・・・』
『ちょっとこっち来て!』
フランはそう言うなり私の腕を引っ張って、部屋を飛び出した。どこ行くの、と聞く間もなくその勢いで同じ階の部屋を、ノックもしないで扉を押し開けた。というよりぶっ飛ばしていたわ。張り手一発でドリフのセットみたいに床に突っ伏したの。
『きゃっ!?』
中にいた妖精メイドが悲鳴をあげた。そりゃそうでしょうね。いきなり誰かが押し入ってきたと思えば、最高の上司と滅多に見ない謎の妹がセットで登場したんだから。
でもフランはそんなのお構い無し。そのメイドの部屋にはね、丁度制服でも直していたのか立て掛けるタイプの姿見があった。すると固まるメイドを尻目にその鏡を掴むや、フランは踵を返して出ていっちゃった。
『ち、ちょっと、フラン!?』
私が後で叫ぶ声もまるで聞こえないとばかりに、その子は鏡を片手で担いだまま階段を駆け下りて行った。チラリと振り返ると、"ポカーン"とした表情でこっちを見るメイドがいたわ。私も同じ表情でボンヤリして居たかった。正直その時点でもう頭の中はついていけていなかった。
フランは私の胸中を知ってか知らずか、引きずるみたいに引っ張ったまま今度は下、地下への階段を下り始めた。この子がこんなに館の中をうろちょろするなんて珍しい。一体何処に行く気なのかしら、と眉をひそめた瞬間には、もうその場所に着いていたわ。
そこは倉庫だったの。茶葉や小麦や、色んな備蓄の為の部屋よ。地下にあるから薄暗い上に、奥には冷凍室が隣接していて、ひんやりした空気が流れ込んでいる。
『ちょっとフラン、いい加減に教えなさい。こんな場所で何をする気よ?』
そう言った時、正直少し苛立ってしまっていたわ。訳も分からず連れ込まれた事に加えて、倉庫は本来勝手に入っちゃいけない場所だったから、もしイタズラでもする気なら止めなきゃいけないしね。
けどフランは、私が不機嫌なのもどこ吹く風。『まあ見ててよ』なんて笑って、目の前に持ってきた鏡を置いた。
ここに来ても、私の頭は"?"のままだった。というのも、吸血鬼って元来、鏡に映らないのよ。だからメイドの部屋にはあっても私は持ってなかったし、その倉庫には勿論他には誰もいない。一体誰に使うんだ、っていぶかしむ私を無視して、フランは壁際に並べられたあるものに近付いていった。
え?いや別に変わったものじゃないわ。ただの小麦粉。事ある毎に使うから袋詰めして大量に置いてあるんだけど・・・
フランは、その袋を三つくらい掴んでね。いきなり空中に放り投げたの。
『へ?』
ふわ、と茶色の分厚い袋が浮かんだ。私は一瞬そっちに視線がいったけど、次の瞬間フランに視線を移して・・・
目が点になった。
あの子が右手を掲げていたのよ。フランには特別な力があって、右手を握ったらどんなモノでも破壊できる。それを正にやろうとしていたのよ。
やめなさい、そう言おうとした瞬間。
"ばふんっ"って物凄い音がして、袋が全部破裂した。直後に煙みたいに小麦粉が舞って、視界が真っ白になったわ。
"あー、ドリフで全身に粉被ったりとかやるわよねぇ"なんて、目をつぶりながら考えていたわ。
・・・んで、恐る恐る目蓋を開くと、そこには相変わらずもうもうと上がる白煙に、床には袋の残骸と一面の小麦粉。ホットケーキミックスの袋を開け損なって、台所にぶちまけたのを思い出したわ。あの虚無感までそっくりだった。
『あはは、お姉様真っ白~』
隣で雪だるまみたいな妹がケラケラ笑っている。きっと私も同じような格好だったでしょう。
そこへ来て、とうとう額に青筋が浮かんだわ。何がしたいんだかいい加減に訳が分からない。フランに向き直って、腰に手を当てて思いっきり言った。
『フラン!悪ふざけも大概になさい!』
その声でフランは不意にビクンと肩を竦めた。驚いたのでしょう。でもすぐにプイッと顔を逸らして、鏡についた粉を払い出した。だから映りゃあしないっての、って止めようとしたんだけど・・・
『やっぱり!お姉様見て!』
『は?』
フランは何やらはしゃぎ出した。何だろう、って思って鏡を見たのよ。そしたら。
『あ』
何もない筈の鏡に、私達が映ったのよ。真っ白くて、ぼんやりとね。
その時になって、やっとフランのやろうとしていた事が理解できた。確かに吸血鬼自身は鏡に映らない。けど、表面に付着した粉自体は見える。そのお陰で浮き上がった自身の姿を鏡で見ることが出来るって訳よ。
まあ、お世辞にも褒められた事はしていないんだけど、その発想には感心してね。暫くは付き合う事にしたの。
『見てみて!本当に左右逆に映ってる!』
『ただのガラスでは無いのよねぇ。水銀入りなんだっけ』
『色つきで見てみたいなぁ。』
二人で鏡の前でひとしきりはしゃいだ後、何気なしに私は顔の粉を払った。まあ、いつまでもくっ付けている訳に行かないしさ。そしたら、フランが鏡を見ながらまた声を上げた。
『あ!ほっぺたが消えてる!』
『えぇ?』
よく分からず視線の先を見ると、さっき私が粉を払った部分がうっすらとしか映っていない。地肌が出るとそこだけ映らなくなるのね。
フランはそんなのも面白い面白いって言って、パタパタ体を払い出した。
はしたないなぁ、なんて笑いながら、ふと鏡に目を移した。
その時。鏡の中の私の顔の横から、うっすらと白い腕だけがフワ~ッ・・・と伸びてきた。ははぁ、フランの奴頬でもつねってくる気か、と思ってその手を掴もうとしたの。
『やあっ・・・あれ?』
ところが、振りかざした手はヒラリと空を切った。横を振り向くと、フランは不思議そうな顔でこっちを見ている。
『お姉様何やってんの?』
『え?いや今ここに貴女の手が・・・』
『・・・?私何もしてないけど・・・』
最初はシラを切っているのかと思った。でもあの子はキョトンとしていたし、嘘をついているとは思えなかったの。そんな口が上手い子でも無かったしね。
私が言い淀んでいたら、フランも鼻白んだ様子で首を傾げて、鏡に向き直った。
すると今度は。
『きゃあッ!』
悲鳴をあげて、誰もいない方向をキョロキョロして震えだした。何か虫でもいるのかと思ったけど私にも見えない。
どうしたの?って聞いたら、さっきとは打って変わった困惑した目付きで、私の方に向き直る。
『お姉様、ずっとそこにいたよね・・・・?』
『・・・?う、うん』
『だよね・・・』
フランは柄にもなく怯えた様子でいた。肩を小さくして俯いていたから、"どうしたの?"って聞いたのよ。そしたら。
『・・・さっき、肩のとこ・・・誰かの顔が・・・』
『・・・!』
流石に単なる見間違い、と言ってもお互い納得出来ない状況だった。私は自分とフランを鏡に向かせて、言い聞かせるように言った。
『・・・フラン、このままじっとしていなさい。そして鏡を見て。そうしていても、私達以外に映り込んで来るものは何もない。
あったとしてもそれは見間違いよ。良いわね?』
『・・・うん』
フランは頷いてはいたけど、掴んだ肩が震えているのが分かった。言っている自分も自信が無かったわ。手汗がみるみる内に吹き出て、粉がベタついて気持ち悪い。けれども気丈でいなければいけなかった。二人ぶんの影が映る鏡を、じっと睨んでいた。
忘れていた冷気が、ひんやりと身体中を吹き抜ける。いつの間にか汗ばんでいた背中が、冷や水をかけられたみたいにゾクリと震えた。
その時、鏡に映る私達の丁度真ん中、背中がわの奥の壁に。
ふわ、と一瞬、白い何かが舞った。
体が硬直したのが分かった。フランも小さく息を呑んだのが、微かな音で分かった。
その姿勢から動けずに、やっとの思いで唾だけ飲み込んだ。ごくり、と頭に音が響いた直後、その白い何かがにわかに大きくなった。
『・・・っ!』
目を見張ると、ソイツは身動ぎしながら益々大きくなる。否、次第に近付いてきているのだと分かった。いつの間にか、ソイツは私達二人のすぐ背後にまで迫って来ていた。
首筋を撫でられたような不快感が走る。振り向く事が出来ない、手を伸ばせば触れられる距離に、奴はいる。
その瞬間。
バンッ!!と物凄い音がして、鏡に真っ白い手形がついた。小さく体が跳ね、息つく間もなく今度は鏡が粉々に砕け散る。
倒れて割れたんじゃない。床にチャリチャリと破片が落ちる音がそれを証明していた。
『・・・ふ、フラン!?』
私は震えながら横にいる妹に向けて叫んだ。
『あ、貴女がやったの!?これ他人の物よ!』
正直、その時はパニックだったわ。今にして思えば怒らなくて良かった。フランの破壊の力だとしても、ちょっとした弾みで言い分は立つ。私は恐らく当たり散らしたかっただけだったのね。
はぁはぁ息を切らす私を余所に、フランは視線を動かさずにボンヤリと突っ立ったままだった。
やがて私に振り返った顔は、虚ろで真っ青だった。私がその表情を見て我に返った瞬間、フランは目を見開いて、こう言ったの。
『・・・私じゃない・・・』
消え入りそうな声でそう言うと、私が何を言う間もなく、フランは踵を返して一目散に倉庫を飛び出して行った。
私は一人で取り残されて、暫く鏡の残骸を見ながら呆然としていた。そして、何気なしに倉庫の奥、フランが私越しに見た方角に目を向けて。
あの子が飛び出した理由を理解した。壁という壁に、白く無数の手形、手形、手形・・・入った時には何も無かったのに、まるで何人もよってたかってつけたようなそれらは薄暗い灰色の倉庫の壁にいつまでも、不気味に浮き出たままだった・・・。
・・・あの倉庫の奥、丁度隣接した冷凍室にはね。人肉が仕舞われているの。罪人や自殺者など、外から来た人間達の・・・
私の話は終わり。少し長かったかな」