「さぁて、私が六話目かい。あ、私は鬼人 正邪ってんだ。よろしくな。
・・・にしても、七人目はまだ来ないのか。ったく私が話し終わるまでに来てもらいたいね。遅刻に漬け込んで面白くも何ともねーとこき下ろしてやりたいよ。話すのよりそっちのが楽しそうだ。
・・・で、だ。阿求、あんた昔の話も全部記憶に残っているんだって?じゃあ丁度いいや、今よりちょいと荒んでいた頃の話をしようか。もっとも皆の腹の内が、今は優しくなったとは到底思えないがな。
それはともかく、これはある子供の話だ・・・
―
「・・・"無名の丘"って、あんたら知っているだろ?名前くらいは聞いたことがある筈さ。・・・無名、なんだけどな。
そこは今こそだーれもいない鈴蘭畑だけどさ、昔は子供を捨てる場所だったんだ。人里も貧しい人間が今より多かった時代だ。どうにも出来なくなった親が、妖怪にでも拾われて育ってくれれば・・・そんな幾ばくもない可能性、いや単なる逃避かもしれねえ、そんな思いを込めてあの鈴蘭畑に置き去りにしてゆくのさ。
さて、昔一人の男のガキが捨てられた事があった。両親はしがない貧乏夫婦で、眠っている物心つかない我が子を"親の顔を覚えないうちに"と捨てて逃げるように去っていった。残したモノはせめてもの御守りの、ヘソの緒だけさ。
で、大抵は野晒しの赤子なんざ数日でくたばるが、ソイツは幸か不幸か、一人の妖怪に拾われた。良かったじゃないか、って?ところがそうじゃない。いっそその場で死んでいた方が幸せだったかもしれないね。
・・・まあ、続きを聞いてもらえたら分かる。
・・・ガキが物心ついた頃、ソイツの世界は狭かった。妖怪はソイツを棲みかに閉じ込めやがったのさ。太陽の光もろくに差さない洞穴で、苔むした岩肌の、緑がかった灰色を毎日眺める日々。逃げ出そうにも足には鎖をつけられ岩壁に杭を打たれ、話し相手は自分を拾った妖怪のみ。
それも、うわべでも楽しげな会話が出来ればまだ良かった。或いは黙りこくっていれば。
違ったんだ。そいつが話しかけるのは決まって、食べきれないほどの肉を運び込んでからの事だった。そしてガキから取りあげたもの、ヘソの緒を掲げてはニタニタ笑いながら言うのさ。
『そら、これが分かるか?お前のヘソの緒だ。お前の親は貴様を鈴蘭畑に捨てた。
感謝しろよぉ?"要らない"貴様をわざわざ拾ってやったんだ。
ぎゃんぎゃんうるさかったからなぁ。にも関わらず親は置いていきおった。
ま、こうして見ると、それも正解かもなぁ』
・・・てな具合に、ガキを追い詰める台詞をベラベラと、日に何度も、そして毎日浴びせかけたんだ。
なぜわざわざ食べ物だけは食わせてそんな事をしたか?もちろん理由があった。それも残酷なね。
妖怪は人間の中でも、マイナスのエネルギーに満ちた奴を特に好む。要するにたらふく食べさせて体は肥え太らせながら、気持ちは徹底的に磨り潰し支配して、最高級の食事に仕立てようとしたんだ。
普通そこまでやる奴はいないが、中々の変態妖怪だったみたいだね。
ともかく、いじめ抜けばそれだけ旨くなるとなりゃあ、妖怪が子供相手に手加減する訳がない。肉を食べたがらなければ無理矢理押し込む、虫が沸く季節にはわざと水を与えず、のたうち回る様子を嘲笑った。動ける訳もないのに、洞穴で糞尿を漏らせば殴る蹴るの暴行を受けた。顔も体も歪むほどに。果てには小さな咳や鼻をすする音、目があっただけでも身体中に刃物のような深い爪痕をつけた。
そんな日々が何日も続いたんだ。ガキ、いやもう少年か。そいつは逃げ出したいとそれまで何度も思ったが、自分を繋ぐ鎖と、それ以上に妖怪に四六時中怯えていたせいですくんで動けずにいた。彼の中では既にさらった妖怪は何よりも恐ろしい恐怖の権化のようになっていたんだ。狙い通り精神はズタボロ、最早ブクブク膨れた家畜のようになっていた。
そしてついに、少年が思考も感性もほぼ蓋をして、妖怪が食べ頃が近いと舌なめずりし出した頃。
妖怪は食べ物を取りに行った。じきに食わせてやるのも終いになるって、ウキウキした様子でな。
しかし、ソイツは一つ見逃していた。自分がつけた縛りを解く方法に、彼が気づいていた事を。
足に繋げた鎖と杭自体は、そりゃ頑丈な代物だ。ヤスリくらいじゃ歯が立たん。しかし、少年の体重は年を経るごとにどんどん増えていた。すると、最初は身じろぎ一つでも鎖が張ってつんのめっていたのが、やがて杭が僅かにぐらつくようになっていた。消え入りそうな自我の中で、少年はいつしかそれに気づいていた。
節々が痛む体を持ち上げ、足首が締め付けられる痛みも構わず、少年は何度も鎖を引っ張った。最初は地面に這いつくばるばっかりだったが、やがてボロボロと岩が崩れる音が聞こえ、何度目かでついに杭がスッぽ抜けた。
少年は鎖と重たい体を引きずり、洞穴を逃げ出した。懐には例のヘソの緒をしまって。眩しい日の光も、布一枚もない素っ裸も構っちゃいられない。洞穴の外に広がる森の中を、フラフラとよろめきながら、出口も分からないままに駆け出した。
実際いつ死んでもおかしくはなかった。太っているとはいえ食べ物もなく、身体中傷だらけで、その辺の妖怪に襲われれば確実に死ぬだろう。
・・・けど、ソイツは死ななかった。人里に続く道で行き倒れていたのを拾われたのさ。生き延びた、って意味なら二度目だ。ある意味大した強運だよ。ヘソの緒の御守りでも効いたのかねえ?
・・・いや、実際そうかもしれないね。幼い頃から自身が見捨てられた証拠だ。そして自分に悲惨な打ちひしがれた生を与えた見切りの印。
少年は洞穴に繋がれた間も、さ迷い歩く間もずっと、そのヘソの緒を見ては顔も知らない両親に復讐心を燃やしていた。
皮肉なものさ。倒れそうな少年を支えたのは、よりにもよってそんな状況に追い込んだ輩に刷り込まれた憎悪だったんだ。
少年を見つけたのは中年の男だった。その男は少年を連れ、妻がいる家に招き入れた。それだけじゃなく、風呂に入れ、食事をとらせてやった。行くところがないと話すと、家に置いてやるとさえ言った。
最初は少年は警戒した。それまでの人生を考えれば当然だ。今は甘い顔をしていても、いつか売り飛ばされたりするに決まっている。そう思っていた。
・・・けど、一月、二月、それ以上たっても一向にそんな気配は見えなかった。それどころか寺子屋にまで通わせてくれたんだ。
何故そこまでするのか微かに疑問に思いながらも、少年は少しずつ、ほんの少しずつだが夫婦になついていった。
―
『おやすみ、平太』
少年はいつしか夫婦に名前をもらい、安らかに眠れる日々を過ごしていた。そんな時に、少年はそっと小さな布の包みを、こっそりと取り出した。
例の、ヘソの緒。名前のつもりなのか、布には"義一"と弱々しくかかれている。今もって一度も、自分から他人に見せたことはなかった。その名前を与えた主を、平太はそれまで幾度も呪った。人里にいながら手がかりを集めようとしたこともあったけど、そもそも人知れず捨てられた人間の名前だ。その名を知るのは、顔も知らない両親のみ。結局あれ程憎んだ相手は探せず終いさ。
けど、その時初めて、平太はそれを捨てようと思い立った。今は拾ってくれた夫婦がいる。義一なんて名ではなく、自分で胸を張って名乗れる名がある。せめてこれからでも、普通の人生を歩もう。
多分、人生で初めて明るい展望を抱いた時だろう。彼は人知れず涙した。そしてその気持ちを与えてくれた夫婦に感謝して眠ろうとした。
その時だ。
『・・・・・・』
ぼそぼそと、夫婦の話し声が聞こえた。もう眠ったと思ったんだろう。ひそひそ話にしては大きかった。
・・・まだ精神は子供だったのかね。平太はつい寝室の襖に耳を当てて、盗み聞きしようとした。
『・・・母さん、良かったな。あの子が元気になってくれて』
『ええ、本当に。お友達も出来たらしいわよ』
どうやら自分の事を話しているらしい。むず痒く思いながらも、平太の顔はほころんでいた。
『倒れていたあの時が嘘みたいだよ』
『・・・平太は、助けることが出来たのよね。・・・良かった。本当に・・・』
思い出して感極まったのか、妻は涙ぐんだ声に変わっていた。平太もしんみりと聞き入っていたよ。ああ、自分は幸せものだ。生まれてきてよかった、なんてね。
・・・けど、次の台詞で、平太ははたと固まった。
『義一はもう戻らないけど・・・せめて、可愛がってあげましょう』
・・・だってさ」
―
「なあ、ちょっと聞きたいんだが、その後平太はどうしたと思う?
気づかないふりをして夫婦に甘える?反省はしているんだし?
けど、そう簡単にいくかな?何年も生きる支えにまでした恨みだ。忘れられるかい?
第一、自分は死んだ者扱いだぜ?もし最初にヘソの緒と義一の名を見られていたら、同じように助けてくれたと思うかい?傷だらけで憎しみに染まった奴がそこから幸せになれたと思うかい?
他人だから、楽になりたいから出来たとは思えないかい?
・・・まあ、皆の予想は聞かないさ。話の結末も敢えて伏せておく。その方が面白いからさ。
・・・大抵、こんなのは自身の鏡写しだ。
さて、こんなもんかな。次を頼むよ。」