艦これの世界にラインハルト・フォン・ローエングラム上級大将が着任したようです。 作:アレグレット
第五航空戦隊は、平素第一、第二航空戦隊の陰に隠れていると一部の上層部からよく言われることが多い。
それを当人たちもよく気にしていると見え、訓練は平素から絶やしていない。いや、むしろその訓練の量は第一、第二航空戦隊のそれ以上だと自負するところまで鍛錬している。これにはマリアナ諸島泊地司令官の梨羽 葵も見かねて、
「たまには休息を取りなさい。そうでないと体がもたないわよ。今あなたたちにまで倒れられてしまったら、マリアナ諸島泊地防衛はどうなるの?」
と言い出さざるを得なかったほどである。
だが、当の瑞鶴と翔鶴はどこまでも本気だった。葵の指令に従ってほどほどに休息を取りながらも、心は直向に、ただ真っ直ぐに、自分たちの高みを目指して走ることをやめない。もっとも、その動機は姉妹二人ではいささか異なっていたことは否定できない。
翔鶴は第一、第二航空戦隊の諸先輩方の足を引っ張らない力になれるように。
瑞鶴は第一、第二航空戦隊の正規空母を凌駕する力を手に入れるために。
このように目的は違っていたが、姉妹の仲はとても良いものであり、今日も訓練を終えて一路司令部に戻る途上だった。
海風が吹き抜け、姉妹の髪を乱し、しっとりと湿った汗がひいやりと冷やされ肌の熱気を取り去っていく。
「いい天気ね。」
心持目を細め、全身に海風を浴びながら翔鶴が心からつぶやく。
ここしばらく穏やかな波が続いていると、翔鶴は思っていた。訓練を続け、いつか第一航空戦隊、第二航空戦隊の正規空母のようになりたいものだと、そう思いながら。
「本当、いい天気ね。でも、あ~あ・・・・。」
「どうしたの?」
瑞鶴はこころもち頬を膨らませて、
「どうして私たちが留守番で、一航戦が出撃するわけ?私たちだって戦力としてはほとんど遜色ないくらいなのに。ローエングラム上級大将の役に立てるのは、この私たちの方じゃない。」
「瑞鶴ったら。駄目よ、そんな風に言っては。」
翔鶴はたしなめるように言ったが、そこでちょうどドッグにたどり着いたので、しばらくは会話は中断された。艤装を外して身軽になった二人は司令部建物に向かった。訓練が終われば報告をすることになっているからだ。
「さっきの話だけれど、このマリアナ諸島泊地防衛も立派な任務です。私たちを信頼しているからこそ、ローエングラム上級大将閣下も梨羽司令官も私たちを残されたのよ。」
「でも、ここのところ私たちは留守番ばかりじゃないの。こんな状態が続くと、訓練をしているからと言っても腕がなまってしまうわよ。」
最後は大きなと息を吐く妹を少し困ったように見ながらも、翔鶴はほんの少しだけ瑞鶴の気持ちに同調する自分を感じていた。正規空母の諸先輩方を尊敬する気持ちにはいささかの曇りもない。だが、自分も艦娘の端くれ、正規空母の一員である。かつてマリアナ諸島沖で散った自分がこうして艦娘として生まれ変わったからには、今度こそは十全の力を発揮して戦場に立って戦いたいという闘志を感じることが、ふっと気泡のように湧き出ることがあるのだ。
「どうしたの?翔鶴姉。」
はっとして翔鶴が顔を上げた。いつの間にか足を止めて考え込んでしまっていたようだ。
「ううん、何でもないわ。ごめんなさいね。」
不思議そうな顔をしている妹を促して歩き出しながら、翔鶴は先ほどの気持ちにひとまずは鍵をかけた。ここで自分までもが同調してしまえば、瑞鶴はますます第一、第二航空戦隊の諸先輩に対して突っかかっていくだろう。そうなっては軋轢が生まれてしまうかもしれない。そう思ったからこそ、翔鶴はそのように応えたのだった。
ちょうど二人が司令室に入っていくと、葵が椅子に背中をもたれながら、通信をしているところだった。身振りで待っているように伝えながら、葵は片耳にヘッドホンのような物を付け、話し続けている。
「・・・・結論としては作戦成功というわけね。ひとまずこれで安心だと・・・・・えっ!?」
葵が突然身を預けていた椅子から体を起こした。
「ローエングラム提督が?・・・・横須賀に!?・・・・それを承知したの?!・・・そう、まだ未定というわけね。」
右手をヘッドホンに当てながら、トントントンと小刻みに葵の左手人差し指が机をたたく。その眼が「困ったことになったわ。」と一瞬瑞鶴と翔鶴に向けられた。
「ローエングラム提督と話せる?」
葵は通信相手にそう言った。
ブリュンヒルト艦内では、葵と通信をしていた鳳翔が困惑した様子でラインハルトを見た。ラインハルトは怒っていなかった。むしろ微笑を含んだ眼差しで鳳翔を見返した。
「フロイライン・ホウショウ、代わってもらおうか。アトミラール・ナシハはあまり良い顔をしないだろうとは思っていた。」
受け取った通信機を耳につけながらラインハルトは話しかけた。ブリュンヒルトの有する強力な指向性通信装置の前では深海棲艦のジャミングごときは一切通用しないのである。
「アトミラール・ナシハ。聞いてのとおりだ。我が艦隊は横須賀鎮守府から発進したファーレンハイト艦隊と共にフィリピン・レイテ湾の深海棲艦共を撃滅した。」
『そのことは鳳翔から聞いているわ。さすがはあなただと思ったし、艦娘たちもよくやったと思っているわ。』
通信機越しに葵が息を吸う音がして、
『そこでどうして横須賀に行く必要があるの?今帰投すれば艦隊は無傷よ。これ以上留守をされてしまったらマリアナ諸島泊地防衛がままならないわ。』
「わかっている。一部をそちらに帰投させることにすれば、問題あるまい。」
『大ありよ。』
今にも葵が顔をしかめる様が目に浮かぶようだ、とラインハルトは思った。
『当初の作戦では次は南方、あるいは東方の深海棲艦群を撃滅するはずだったでしょう?その作戦の発案者は他ならぬあなたよ。そのあなたが作戦方針を変更するというのはどういうことなの?』
いったん言葉を切らした葵はもっとも言いたかった言葉を最後に言い放った。
『いきなりすぎるわ。』
「私にしてもファーレンハイトと邂逅しなければ、そのまま帰投するところだった。」
『だったら、帰投してくれればよいのに。』
通信機越しにも不安と不満の声が傍らに立つ赤城たちの耳にも聞こえてきた。
「そのつもりだったが、私にはやるべきことができた。これはアトミラール・ナシハ、卿の為にもなりうることだと思っている。」
『私の?』
ここで、ちらと周りを見回したラインハルトの声は少し低くなり、早口に何かを話し始めた。日頃朗々としている彼にはいささか似合わない風だったが、通信機越しに何度か葵が息をのむ声がしていた。
『・・・・わかったわ。』
葵が折れた様に吐息交じりに言ったのが聞こえた。
『マリアナ諸島泊地防衛は任せておいて。あなたが戻ってくるまでは絶対に死守して見せるから。』
「感謝する、アトミラール・ナシハ。」
ラインハルトは万感の思いを込めてそう言った。
『感謝だけでは駄目よ。』
「わかっている。私としても横須賀にいる上層部とやらに問いただすことは一つや二つではない。」
その言葉の言外の意味を知っていたのは、たった今ラインハルトから詳細を聞いた葵だけだった。
『気を付けて。あいつらは戦略・戦術はともかく、人を追い落とすこと、罠にはめることに関しては玄人なのだから。』
うなずいたラインハルトは通信を切った。そして自分を囲むようにして立つ艦娘たちに視線を向けた。
「聞いてのとおりだ。これよりわが艦隊はファーレンハイト艦隊と共に横須賀を目指す。だが、一部のフロイラインはマリアナ諸島泊地防衛のために帰投してほしい。」
ラインハルトはディスプレイ上にコースを指示した。
「レイテ湾からマリアナ泊地近海をかすめて、北上して横須賀に向かう。その途上でフロイライン・ノシロ、フロイライン・テルヅキ、フロイライン・ハツカゼ、フロイライン・ナチ、フロイライン・アシガラ、フロイライン・ノワキ、フロイライン・マイカゼ、フロイライン・サツキ、フロイライン・フミヅキ、フロイライン・アオバ、フロイライン・ウヅキは帰投してアトミラール・ナシハの指示に従ってほしい。」
指名された艦娘たちは了解をうなずきをもって示した。
「後の者は私と共に横須賀に赴く。ファーレンハイト。」
「はっ!」
ファーレンハイトは一歩前に進み出た。
「卿はマリアナ以後の横須賀への航路を設定せよ。シュタインメッツはマリアナ泊地への最短航路を設定。ビッテンフェルトは艦隊の再編と整備に当たれ。フロイライン・ユウバリは損傷した艦の応急処置に入ってほしい。」
ブリュンヒルトには目立った損傷はないが、シールド発生装置が耐久限度を超えてオーバーロードしてしまっている。一刻も早くそれを直す必要があったし、艦娘たちも大小の艤装の損傷を負い、負傷している者もいた。いち早くメディカル施設に移されて治療している艦娘もいる。
「失礼ですが。」
加賀が声を上げた。
「私、鳳翔さん、そして榛名さんは帰投せずに横須賀に行く組に入るのでしょうか?」
「卿らがアトミラール・ナシハの麾下であることは承知している。だが、今回の目的には卿らの力量が不可欠となるのだ。そしてアトミラール・ナシハもそれを承知している。」
一瞬加賀と鳳翔、そして榛名は互いの顔を見つめ、ついでそれぞれの近しい人、赤城、金剛と視線を交わしたが、彼女たちも戸惑っていることには変わりはなかった。それでいて、提督の決断を指示する、という態度は変わらなかったのである。三人は、やむを得ない、というようにうなずき合った後、ラインハルトに視線を戻した。
「わかりました。同行させていただきますが、あくまでも私たちは梨羽司令の麾下であることをご承知おき下さい。」
と、鳳翔が釘を刺した。相手がラインハルトであろうとも言うべきことは言うのだという意思がその瞳に宿っている。それを好ましく思いながらラインハルトはうなずいて見せた。
「無論のことだ。」
ラインハルトはそう答えたのち、全軍を見まわした。
「何か質問はあるか?」
「一つよろしいでしょうか?」
独りの艦娘が手を上げていた。山城だった。
「フロイライン・ヤマシロ。何か?」
「このコースですと、途中にパラオがありますが、パラオ泊地に寄港はなさいますか?」
確かにディスプレイ上に記されている航路だと、パラオの付近を通過することになりそうである。
「・・・・・・・。」
ラインハルトはしばらく考えていたが、
「いや、パラオ泊地からは既にこちらを麾下とみなすという通達が出ている。うかつに近寄っては無用な軋轢を生じるのみならず、横須賀へ向かうことそれ自体を妨害してくるかもしれない。寄港は無用である。」
「そうですか・・・・。」
山城はそれ以上何も言わなかったが、顔色が少し重たげになり、下を向いた。
「フロイライン・ヤマシロの近しい人間がパラオ泊地にいるようだな。」
はっと山城は顔を上げ、みるみる顔を赤くしたが、ラインハルトは首を振った。
「恥じることはない。むしろ、その機会を設けられないことを謝罪するのは私の方だ。卿に約束しよう。この横須賀からの帰路、あるいはマリアナ泊地に戻って以後、パラオ泊地を訪れる機会を必ず作ると。」
「いいえ、そんな!!」
山城は慌てて首を振ったが、もうその顔色は元通りに戻っていた。その隣に立つ赤城はある種の予感がしていた。今度のラインハルトの横須賀行きには何か、そう、何かとしか言いようがないのだが、あるのではないかと。
「他に何もなければ、各員交代で休養を取って英気を養ってほしい。以上だ。」
全員が一斉にラインハルトに敬礼をささげる。答礼した後、彼は司令席に座ったが、その眼はディスプレイ上から動こうとしなかった。
* * * * *
「やれやれ。」
通信機を置いた葵は半ばあきれ、半ばしかたがないといった様相の表情を浮かべた。いぶかしがる第五航空戦隊の二人にラインハルトの横須賀行きを話すと、二人はうらやましがるよりも不思議そうな顔をした。
「わかっているわよ。私も最初聞いたときは『どうして?』って思ったもの。でも、これは必要なことなのよ。少なくともローエングラム提督から話を聞いた今では私はそう思っているわ。ま、突然言われたのはびっくりだったけれど、それだって元々のあの人の予定にだってなかったことなんだし。」
「それならせめて、それなりのお土産やらなんやらを持ってきてもらわないと、割に合わないわよ。」
瑞鶴ったら、とたしなめかけた翔鶴は思わず葵を見た。梨羽 葵がこうした自信に満ちた笑みを浮かべているのを見るのは暫くぶりの事なので翔鶴はもちろん、瑞鶴も驚いていた。
「まぁ、見ていなさい。二人とも。今にきっとものすごいものが来るわよ。」
葵は確かにそう言ったのである。
* * * * *
ラインハルトは独り艦橋に残ってペンを走らせている。流暢な筆跡の文字が躍るようにして並べられるのを、アンネローゼによく似た女性は一心に見つめていた。
やがて出来上がったそれをラインハルトはゆっくりと女性に読み聞かせる。そしてペンを渡して書いて見せるように促した。躊躇いの後、女性はペンをぎこちなく受け取って、これまたぎこちなく紙の上でペンを動かし始めた。その視線は一心にラインハルトの書いた見本と自分の紙片とを交互に動く。それを見守っているラインハルトの瞳はこの上なく穏やかな色をしていた。
「だいぶ書けるようになってきましたね、姉上。」
誰もいない時、ラインハルトはアンネローゼに似て非なる女性を「姉上」と呼ぶことにしていた。アンネローゼとは違うことをラインハルト自身よくわかっている。それでいてなおそう呼ぶのをやめることはできない。
何故なら思うからだ。いや、確信と言ってもいいかもしれない。少女時代とはいえ、アンネローゼとほとんど瓜二つの姿をしたこの女性が無関係なはずはないのだ、と。
こうしている時のラインハルトを邪魔する人間、艦娘、妖精たちは誰もいなかった。それが数少ない彼の安らげる一時なのだと皆わかっているからである。
「手が疲れるでしょう。今日はこのあたりにしておきましょうか、姉上。」
ラインハルトが優しく言った。
「ですが、とても上達しておいでですよ、この分では数日でほとんど私とそん色ないほどになるでしょう。もっとも、私が師ではさほど上達したとは言えないのかもしれませんが。」
アンネローゼによく似た女性はかすかにほおを緩ませた。けぶるような微笑は、姉そっくりの物だった。
と、急に女性の手が動き、ぎこちないながらも何やら紙片にペンを走らせていく。たどたどしかったが、初めての事でもあり、ラインハルトは話すのをやめてそれを見守った。女性は長い時間をかけて考え、手を動かし、また考え、を繰り返していたが、やっと出来上がった物をラインハルトにおずおずと差し出した。受け取ったラインハルトはそれを一読する。
「・・・・・・・。」
一瞬、何とも言えない表情をしたラインハルトはアンネローゼによく似た女性に視線を戻した。紙片は大切そうに彼の軍服のポケットにしまい込まれた。
「大丈夫ですよ、姉上。私はよく知っています。知っているつもりなのです。」
アンネローゼによく似た女性は不安そうな瞳をラインハルトに向けている。
「あなたが私にとって大切な一員だという事実は変わることはない。」
なおも女性は不安そうな色をしていたが、ラインハルトがうなずいて見せると、安心したように笑みを取り戻した。
私の淹れたコーヒーとフロイライン・アカギの焼いたケーキがありますから、食堂に行きましょうか、とラインハルトは言い、アンネローゼによく似た女性を優しく立ち上がらせた。その姿は本当の姉妹のように仲睦まじかった。