平和の使者   作:おゆ

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第六十六話 2年  4月 慶事

 

 

 ヤン第十三艦隊はハイネセンまであとわずか二日の距離まで来ていながら、この事実上の降伏のニュースを聞いた。

 

 もはやハイネセンに向かう意味がなくなった。

 政府が降伏したからには無理に戦闘をするわけにはいかず、自分が建国するつもりでなければハイネセン解放などできない。シェーンコップはもちろん不満に思うだろうがヤンは市民の軍であり続けることに誇りがある。

 ただし逆に第十三艦隊の破棄を命じられてものらりくらりと言い逃れをすることはできる。

 今の同盟政府は正規のものではなく、第十三艦隊へ命令できる法的根拠がない。もちろん帝国側が同盟市民を人質にとって戦力放棄を迫ればヤンとしてもどうにならず従うしかないが、今のところ帝国はそうする気がないようだ。むしろ同盟市民の安全や経済活動の再開を企図している。帝国は懐柔的に同盟を手に入れたいようで、威圧的なことを避けているようだ。これもまた帝国軍の同盟への敵愾心さえ上回るラインハルトのカリスマのゆえだろう。

 

 ともあれヤンは形だけの自治、帝国の保護国に成り下がった同盟を見守るだけだ。そして自分は第十三艦隊と敗残の同盟艦隊とをとりあえず保持していく以外に何もすることがない。

 

 

 

 一方、ラインハルトである。

 いつもならこんなことはしなかったろう。

 むしろその最大限の努力を褒めたかもしれない。実際、誰もそれ以上のことはなしえないはずだ。それなのに。

 

 ラインハルトは体の調子がおかしいのを感じていた。

 熱っぽい。

 それでロイエンタールに対し叱責の言葉を出してしまった。

 

「ロイエンタール、この通信が届くころにはオーディンの騒動も収まっているとは思う。しかし騒動が起きたことには卿にも責任がある。なぜなら卿の任は言うまでもなくオーディンの治安が第一であった。長年の卿の貢献を考えて処罰はないが以後反省するように」

 

 ラインハルトとしてはオーディンの安全のためにロイエンタールを残したのである。

 もしもイゼルローンへ艦隊を動かすなら、それはオーディンが安全であるのが前提ではないか。

 

 しかし、これはロイエンタールの矜持をいたく傷つけた。

 

 ロイエンタールとしては自分は宇宙統一のための大戦略の一端を担い、イゼルローン方面の牽制を任されたのではないか。

 フェザーン方面で行われた華々しい決戦に参加できなかったのはそう思ってきたからである。

 それが武人の任だ。

 

 今回オーディンが騒乱したといっても何かの艦隊が攻めてきたわけではなく、隠れたテロ行為ではないか。しかもそれを完全に防げることなどあり得ない。

 

 いや、百歩譲ってオーディンの治安を完璧にしなかったのは俺の責任なのかもしれない。

 しかしそれにしても陛下が大事にしているのは姉アンネローゼのことだけだろう。他の部下、将兵、もちろんロイエンタールのこともはるか下なのだろう。ならばそんな警察のような仕事はオーベルシュタインかその手下のラングとかいう輩がすればいい。自分は艦隊を率いて戦う帝国元帥だ。

 

 

 この顛末を聞いたミッターマイヤーは驚き、直ちにラインハルトに上奏した。

 

「陛下、ロイエンタールは職務を果たしました! 同盟軍ヤン・ウェンリーは戦場に到達できず、これはロイエンタールの大きな功績でございます。もしもヤン・ウェンリーがランテマリオにいれば難しい戦いになったはず、陛下も否定しえないと存じます。ロイエンタールの功績に対しいま一度御配慮賜りますよう」

 

 これに対しオーベルシュタインが前に出てミッターマイヤーを遮る。

 

「ミッタ―マイヤー元帥、いかにロイエンタール元帥が昔からの知古とはいえ、陛下の御判断に横やりとはいかがなものか。しかもランテマリオの戦いでヤン・ウェンリーがいれば負けたような物言い、陛下に対し無礼であろう」

「何が言いたい。オーベルシュタイン元帥」

「陛下を軽んじ、あげく友としてのロイエンタール元帥ばかりをおもんばかっているようだが」

「こちらは事実をもって陛下に申し上げているだけだ。卿こそ言葉を弄すること明らかではないか!」

 

 ラインハルトがぼんやりした頭で答えた。

 ミッターマイヤーが正論であることは分かっているし、オーディンも結局は無事だったからにはこの問題を引きずるべきでない。

 

「分かった、ミッターマイヤー。ロイエンタールはよく働いてくれた。イゼルローンにいたヤン・ウェンリーを牽制し、戦略に多大な貢献を成したことを明言しよう」

 

 ミッターマイヤーは不安のまま退出した。

 ラインハルトがもっと裂帛の気迫でオーベルシュタインを押さえてくれてもよかったのではないか。武人の矜持というものはもっときちんと考えるべきものだ。

 

 もう一つ、薄々思っていたことだが、オーベルシュタインは明らかに諸将の力を抑えにかかっている。

 帝国がもう軍事的に盤石であり、戦力保持が必須でない以上諸将の力は必要ない。それどころか有害とさえ思っているに違いない。これからの帝国を考えたらそうなるのかもしれないが、しかし建国に携わった諸将をないがしろにすることは看過しえず、公明正大でもない。

 

 

 

 同盟は残された議員のホアンやアイランズ、そしてジェシカが懸命になって交渉している。

 

 他の議員は雲隠れしたか、病気を理由に辞職して逃げた。

 同盟を担う責任よりも、帝国の思惑一つで身に危険が及ぶかもしれないことから逃げたのだ。

 

 帝国との交渉は非常に忍耐のいる仕事である。しかし諦めず最後までやり遂げなくてはいけない。

 事実上の敗戦と降伏には違いないが、同盟側の要望を最大限盛り込んで、帝国の支配を有名無実にするのが目的である。

 帝国としても民主主義の者をいきなり皇帝の支配に従わせるのは困難であることは知っている。上から押さえつけることはできない。まして艦隊の武力で脅かしつけることで全て事を運ぶことなど不可能である。騒乱が収まらなければかえって帝国の経済を消耗させ、警備人員を吸い取られるだけになってしまう。何も益がないどころかテロの多発は帝国軍兵士の命をいくらでも要求するだろう。それでは何のために勝者になったかわからない。征服の果実はまだまだ手が届かないところにある。帝国は譲歩するところは譲歩しておとなしく従わせるように計らいたい。

 

 ジェシカらはそこに付け込む。

 しかし、だからといって帝国は無制限な譲歩などもちろんしない。基本は帝国の益のために支配するのだから。

 

 ジェシカの交渉は帝国に勝利という名を取らせ、益も与える。だが民主主義の精神と雛形を残す、そこにかかっている。最善を言うなら自治領的な政体にもっていいき、限定的な権限であっても選挙と議会という形を残す。

 

 この駆け引きを同盟市民は固唾を飲んで見守っている。

 

 一時同盟市民はどん底に突き落とされ、悲嘆にくれていた。よもやハイネセンで帝国軍の制服を見ることになろうとは! これまで同盟を守るために戦ってきた英霊たちに申し訳が立たない。自分たちの代で同盟の幕引きになるとは想像もしていなかった。

 

 だがジェシカはそういううなだれた市民たちを鼓舞した。

 

「まだ終わっていません! 今こそ同盟の底力を見せる時でしょう」

 

 また帝国相手の交渉は理性的で見事な手腕だった。

 そのため余計にジェシカは「鋼の調停者」あるいは単に「調停者」と呼ばれることが定着した。

 

 

 

 そのころ宇宙の片隅で事件が起きる。

 

 地理的にイゼルローン回廊に近いがゆえに、帝国軍の脅威に晒されることが多かった惑星がある。そのためかえって共和主義がしっかりと根づいていた。

 

 同盟が帝国に降っても、この惑星は決して民主主義の旗は下ろさない。ならば同盟を離脱するしかないではないか。

 

 その惑星、エル・ファシルが独立宣言をした。

 

 そしてエル・ファシル共和政府は何とヤンに対し共闘を呼び掛けたのだ。

 

 

 ヤンはこの頃同盟政府の武装解除の命令からのらりくらりと逃げている。それは既定路線だが、しかしいつまでそうできるかは分からない。

 だがエル・ファシルに所属する軍ということにすれば立派な名分がつく。

 ヤンは迷いながらも結局はエル・ファシルの呼びかけに応え、誕生したばかりの共和政府を守ることにした。お互いに必要なものを持っているのだ。共和政府には軍事力と名声、ヤン艦隊には正統性と拠点が必要だ。一瞬迷ったのはエル・ファシルの今後と住民保護のことが頭をよぎったからである。

 

 もちろんエル・ファシルに到着したヤンは歓呼の嵐で迎えられることになる。

 

「エル・ファシルの奇跡を再び!」

「英雄はまたここから伝説を作る!」

「帝国くたばれ! 魔術師ヤン・ウェンリーに勝てるものか!」

 

 あんまり期待されてもなあ、とヤンは思う。エル・ファシルの置かれている条件は余りにも悪い。だからといって今から絶望させるのも益はなく、ヤンはエル・ファシル市民に苦笑いと手を振ることは忘れない。

 

「そうそう、それでいいんです先輩。市民の期待を裏切らない方法が一つだけあります。勝てばいいんですよ、帝国に。それだけじゃありませんか」

「酔狂なことを言うなあアッテンボロー。そんな難しいことに挑むんじゃなく、退役して年金暮らしをするのが夢だったんだが」

「先輩が退役しても謀殺されるだけですよ。この選択は消去法ですが、消去法だって立派な選択です。あ、今さら勝ち続けてきたことを後悔しても遅いです。だったら先輩、最後まで勝ってやりましょうよ」

 

 

 

 帝国軍はこの動きに直ちに対応する。いや、そうせざるを得ないところに追い込まれたといっても過言ではない。。

 この調子で同盟領内に次々と独立勢力が生まれていってはたまらない。

 同盟政府と共にいくら枠組みを作ろうと協定を結ぼうと、何ら意味をなさなくなる。それは為政者にとり悪夢であった。いったん分裂が始まれば再統合は途方もない時間がかかるだろう。艦隊で威圧するといっても途方もない回数がかかる。

 また、ヤンはイゼルローン要塞をまた手に入れている。これは簡単なことで、リッテンハイム大公国に預けてあるものを返してもらうだけのことである。

 

 ヤン第十三艦隊、いやもう同盟軍でなくなった以上第十三艦隊とは呼ばれずヤン艦隊としか呼ばれなくなったが、エル・ファシルとイゼルローン要塞を拠点として反攻を仕掛ける。

 帝国軍は必ず来る。

 最高の魔術師ヤン・ウェンリーと皇帝ラインハルトとの決戦、皆はその予感に身震いした。奇跡のヤンと戦争の天才ラインハルト、常勝対不敗、イゼルローン回廊を舞台にしてこれまでにない激戦になるだろう。それで人類社会の命運が決まる。

 

 

 しかし、この戦いは実現しなかった。その前にたった一つの小さな出来事があったのだ。

 

 一つの慶事がラインハルトの元に届く。

 通信の主はヒルダである。

 秘書官長ヒルダは体調不良という理由で戦いには加わらずフェザーンに留まっていたのだ。

 いったい通信とは何だろう。

 

「陛下、一つ御報告がございます。陛下のお帰りまで待てないことでございます。実はその、懐妊いたしまして」

「フロイライン、懐妊とは?」

「陛下、懐妊でございます。ええ、平たくいえば妊娠ということです。このわたくしが」

「な、何! それは、何というか、良いことではないか!」

 

 もちろんラインハルトには思い当たることがある。あの一夜だ。

 

「そういって頂けますか、陛下」

 

 ここでヒルダの目に涙が光る。

 

「もし、陛下がそれでお気に病むことがあれば、別の方法を取らざるをえないと考えておりました。そのお言葉を頂けてとても嬉しく思います」

 

 ヒルダは涙を流し続ける。

 

「それで、フロイライン、もしもその、フロイラインさえ良ければ結婚の返事をもらえないだろうか。いや、フロイラインがそれで良いのならば」

 

 実はラインハルトはあの日から一度、ミッターマイヤーから聞いた話通りにバラの花束を抱えてマリーンドルフ伯爵邸に赴いたことがあった。もちろん結婚の申し込みである。

 しかし、その時は返事をもらうどころか会うこともできなかった。

 マリーンドルフ伯爵にそのまま預けた形になっていたのだ。

 

「ええ、陛下、わたくしでよろしければ。是非、陛下」

 

 ヒルダはラインハルトという純粋な少年に自分もまた愛情を感じている。

 自覚したのは最近だが、そのずっと前、いつから愛は始まっていたのだろう。

 

 

 

 そのころ、イゼルローン要塞の中でも部屋を行ったり来たりしていた人物がいる。

 イゼルローンの司令官室である。

 これから待っているのはあまりにも大きく厳しい戦いだ。イゼルローン回廊の戦いはまさに決戦になる。結果はもちろんわからない。

 その戦いを前にして、言わなければ後悔してしまうことがある。

 本来ならば不謹慎極まりない。

 戦いのことをさておいても相手は父親を亡くしたばかりなのだ。

 

 しかし、ここで言わなければ言う機会が永遠に失われるかもしれない。

 

 ヤン・ウェンリーは副官フレデリカ・グリーンヒルがドアをノックしてきた音を聞いた。

 

 ヤンはなけなしの勇気で覚悟を決める。

 有能で、かわいい副官が部屋に入る。

 

「その、何というか、何というべきか…… 」

 

 そして、ヤンはグリーンヒル大将とその妻が七つ年の差があったという小さな情報と、これからの人生を二人で過せるという大きな情報を得る。

 

 

 

 回廊の戦いはなくなった。

 

 ラインハルトはヒルダの献策通り、イゼルローン回廊の封鎖だけ行い、その戦略的価値を失わせるにとどめた。

 そしてフェザーンへの帰途につく。

 なぜならなるべく早いうちに結婚式を取り行わなければならないからである。同盟領内部にはワーレン、ミュラーとその艦隊を残して急ぐ。

 

 途中で帝国全土に向け布告を行なった。

 皇帝ラインハルトはヒルデガルト・フォン・マリーンドルフを皇后として迎え入れる。

 ジークフリード・キルヒアイスを帝国の副帝として立てる。

 そしてもう一つ、オーベルシュタインを帝国宰相にするというものだった。

 

 

 大きな慶事だ!

 

 ついにあの皇帝が結婚する。

 諸将も我がことにように喜んだ。

 誰も口に出して言わなかったが、本当に結婚できるか確証がなかったのである。

 しかし、オーベルシュタインを帝国宰相にすることには穏やかにいられるはずもない。オーベルシュタインの冷徹なやり方も、近頃とみに諸将の力を削ぐことを企図していることは明白である。

 

 ラインハルトの発熱が治まらず、しだいに痩せてきていることを諸将は未だ知らない。

 結果としてラインハルトは少し急ぎ過ぎた。オーベルシュタインを宰相につけて地位を確立させることを。

 オーベルシュタインを宰相にする以上、その上にキルヒアイスを立てる。これは必ずだ。帝国は冷徹な合理主義だけではおそらく立ちいかない。それを包み込む大きな優しさ温かさで人々を導く。

 しかし諸将はキルヒアイスの戦いにおける力量、その深い見識、穏やかな人格は大いに認めて賞賛してはいたものの、オーベルシュタインの専横を抑えることについてはかなりの不安があった。このままオーベルシュタイン色に帝国が染まる可能性を否定できないのは考えただけでも身震いする。人類の歴史上、家宰の立場が権力を握るのは珍しくないのだ。

 

 一番早く不満を表明したのはビッテンフェルトである。

 

「オーベルシュタインの下で戦うなど我が家の家訓が許さん!」

 

 副官である真面目なオイゲンが目を白黒させる。

 

「提督、そんな家訓とは大げさな。誠でしょうか」

「うるさい! ビッテンフェルト家は冷血の下では戦わんのだ。その家訓は今俺が作った!」

 

 

 

 


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