平和の使者   作:おゆ

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第六十四話 2年  2月 皇帝の親征

 

 

 あの騒然としたデモ騒動の夜が明け、さっそくジェシカは統合作戦本部に赴いて救国軍事会議と会談を持った。ジェシカは口だけではなく、今は市民の代表としてきっちり話し合いをする責任がある。

 

 クーデター側で相手をしたのはブロンズ中将だ。クーデター勢力の中では柔軟な姿勢で定評のある人物である。ジェシカの痛々しい包帯姿に一瞬戸惑ったが、直ぐに話し合いを始めた。

 民主的な選挙の実施やその範囲などの話を進めるが、クーデター側としても選挙は既定路線であり、それほど難色を示すことではない。

 

 

 

 概ねそれが終わろうとした時、突然ブロンズ中将から中断してきた。

 何かの連絡が入ったからである。

 

 しばらく待たされたジェシカはブロンズ中将の硬い表情に驚いたが、その言葉にもっと驚かされることになった。

 

「話し合いはここまでとします。取り決めはその通り発表してもらってかまいません。いえ、これ以上話し合う意味がなくなるかもしれませんので。今入ってきた情報によりますと帝国軍がフェザーンへ侵攻を始めた模様です。発表は情報が確定してからになりますが」

「帝国がフェザーンへ! イゼルローンではなく」

「見事に裏をかかれたというわけです。このクーデターは早過ぎたか、遅過ぎたか、どちらかになりました。挙国一致体制の実を得る前の混乱のピークでやられるとは。せっかく市民と宥和しようとする矢先なのに」

「…… どうなるのでしょう。何か協力できることはありませんか」

「帝国が同盟に侵攻してくるのも時間の問題と思われます。できれば避難計画の方を先にお願いしたい」

 

 そして統合作戦本部ビルの上層階でドーソン大将が窓の外を眺めている。

 

「クーデターは歴史の審判を受けることになるだろう。意図と結果というのは得てして異なるものだ。こうなれば仕方がない、ロックウェル少将はいるかな」

「…… ここに」

「君やモートン少将も迎撃に行ってもらう。軟禁している諸将も解放する。それとイゼルローンのヤン大将にも連絡だ。これからは自由裁量で戦っていいと。ふふ、あのヤンのことだ。おそらく法的手続きを経ない政府からの命令もまた無効であるとか、おそらくそんなことを言うだろうが」

 

 

 

 

 ラインハルトは拙速を避けている。

 オーディンにとどまり、内政に力を入れつつ同盟の情勢を探ることに徹した。

 

 同盟のクーデターからの内戦は帝国からの工作ではなく勝手に始まった。帝国のゴールデンバウム王朝も爛熟の極みにあったが、自由惑星同盟もまた建国の民主制の熱気はとうに薄れ、変質していたのだ。

 そして同盟軍同士の戦いはクーデター側の第十艦隊とヤンの第十三艦隊が戦い、消耗戦に至る前に軍を引いたという情報だった。一方、別のところで第九、第十一艦隊と第十二艦隊は激しく戦った。これはどちらも損害が多かったようで、再び対峙を始めたものの戦いには入っていない。潰し合いもそれ以上やると共倒れと分かったのだろう。

 

 仕掛けるには頃合いのタイミングになった。

 

 ラインハルトは諸提督を糾合し、直ちに艦隊を出立させる。

 オーディン近辺にはロイエンタール、グリルパルツァー、クナップシュタインの諸将を残したが、艦艇数にすれば二万四千隻である。

 

 その程度の規模の艦隊はオーディン周辺に残しておく必要があった。

 

 ラインハルトの率いる親征はイゼルローン回廊を通らず、フェザーン回廊を通ることが決められていたが、その隙にまたイゼルローンからヤンの第十三艦隊に出てこられては困るからだ。

 それに加えてリッテンハイム大公国と帝国とはむろん不戦の条約を結んでいるが、世の中に絶対はない。リッテンハイム大公国が三万隻弱の艦隊を保持する以上、その程度の抑えは必要である。

 

 フェザーン回廊を通り同盟に攻め込むのは皇帝ラインハルトにキルヒアイス、ミッターマイヤー、ビッテンフェルト、アイゼナッハ、シュタインメッツ、それと傷が回復したミュラー、ワーレンも加わる。艦艇総数は四万隻四千隻程度だ。

 これでは諸将に本来の一個艦隊は与えられず、せいぜい半個艦隊しか無理だ。

 総数も同盟軍の総数よりは少ないと見込まれる。

 

 ラインハルトは元々戦略的条件を整えるタイプの人間であり、その価値を知っている。

 負けない大軍を揃えることの重要さを知り、大軍で圧倒することが正しいと考える。逆に少数で大軍を破ること自体にあまり美学を感じない。戦略のできない愚か者と紙一重ではないかという頭があるからで、勝利したということだけを称賛する。

 今回の外征も本来ならば数年待って艦の数を増やしてから行動するべきか。大艦隊を整え、どう転んでも勝てる戦略を立ててから戦うべきだったろうか。

 しかし、ラインハルトはこの諸将とキルヒアイスがいる限り負ける気がしなかった。

 勝つ以上、ここで戦いに出るのは蛮勇ではなく果断に他ならない。

 

 

 

 初めに布告を出す。

 帝国と同盟がこれほど長く戦ってきたのに、形式に乗っとるとはおかしなことのようだが、大義を示すのも全く無意味なことではない。

 

「銀河帝国皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラムは布告する。

 先に帝国と和約を交わした同盟政府はもはや存在しない。

 よってせっかく取り結ばれた和約の精神は損なわれ、帝国としては遺憾ながら和約を守る先を失った。

 この罪は今現在自由惑星同盟を代表していると宣言している政体にある。

 その政体は救国軍事会議と名乗り宇宙を混乱に陥れあちこちで戦闘を引き起こした。秩序を正し、新たなる和平をとり結ぶため銀河帝国はやむを得ず進軍する」

 

 帝国艦隊は急進し、一気にフェザーンを制圧した。

 

 歴史始まって以来の暴挙に人々は驚愕するしかなかった。

 もちろんフェザーンには艦隊戦のできる戦力などなく、占領自体はたやすい。しかしフェザーン企業の協力と補給物資の購入、情報の入手は絶対に必要なことであり、これから長駆する艦隊行動のため補給基地化しなくてはならない。

 参謀長オーベルシュタインは傀儡に適する人物としてニコラス・ボルテックなる追従のうまい男を連れてきて、フェザーンの名目上のトップに据える。

 

 その大混乱のさなかだ。むろんアドリアン・ルビンスキーの周囲にも異変がある。

 ルパート・ケッセルリンクが感情を隠してルビンスキーに言う。

 

「自治領主、皇帝が軍を連れてやってきました。これも予想のうちだと言われるのでしょうか」

「皮肉に磨きがかかったようだな、ルパート。正直に言えばまさかこうなるとは思わなかった」

「ではフェザーンをどうやって救いますか。とうてい軍事的には手の打ちようがありません」

「占領自体は避けられん。今回は後手に回った。だが全て終わったわけではなく、挽回の手立ても考えられよう」

 

 そう、実はルパートが知らない事実があり、ルビンスキーは単に愚かで油断していたのではなかった。

 

 ルビンスキーはオーベルシュタインとゆるい密約を結んでいた。文書化は決してしていない約束だったのだが、見事に反故にされた。アンネローゼかまたはキルヒアイス、いずれはミッターマイヤー、ロイエンタールを排除する協力と引き換えにフェザーンの繁栄を保障するのではなかったか。

 しかしルビンスキーは悔しいとは思わない。

 しょせん謀り事は成功した方が正しくて、謀られた方が悪いのだ。

 

「私はしばらく隠れる。絶対にみつかりそうもない場所を確保してある」

 

 もちろん、アドリアン・ルビンスキーともなれば普段からそれぐらいの備えをしているのは当然である。

 

「隠れていれば情勢も変わる。それを充分見極めるのだ」

「それで、フェザーンをどう救うんです? 救わないんです? どうするんです?」

 

 ルパート・ケッセルリンクは耐えられなくなり、ついに感情が決壊する。

 

「あんたは最初からフェザーンを利用するだけだった! フェザーンなどどうでもよかった! あんたにあるのは自分だけだ。他の人間のことを考えたことなどなかった。家族のことも、俺のことも!」

 

 激しくなじるルパートとは対照的にルビンスキーは落ち着き払っている。

 

「ルパート、最後まで追いつけなかったな。努力だけでは褒めてやらんぞ」

 

 

 

 その時のことだ。低い地鳴りが数秒ほど鳴り響いた。

 

「自治領主、いやルビンスキー、今のは何かわかったか。これであんたの隠れ家は粉微塵だ。もうどこへも隠れる所はない」

「何だと! なぜそんなことが」

 

 これにはルビンスキーも声にわずか動揺が入る。

 備えが無駄になったこともさることながら、ルパートが予想外に事を進めていたからだ。そして隠れ家を潰すということはルパートにとって得策ではない以上、なぜそうしたかは明らかである。ここで復讐の挙に出ているのだろう。

 

「ルパート。お前がいずれ裏切るのはわかっていたが、なるほど今だったか」

 

 

 おまけにルパート・ケッセルリンクはルビンスキーの言葉を聞き終わることなくブラスターを撃った。

 

 部屋の床一面にガラスが飛び散る。ただしそこにあるのはルビンスキーの死体などではなく、ただの投影機器の欠片に過ぎない。ルビンスキーの姿は投影されていた偽物だ。

 

「だが詰めは甘かったな。ルパート」

「そうか。そう思っていろ。少しの間だけ」

 

 ルパートにはルビンスキーともあろうものが備えをしていないはずはなく、本人がそこにいないことは知っていた。撃ったのは自分に対する気持ちの区切りの意味のことでしかない。

 別の場所にいたルビンスキーは、万一のためその部屋の陰に待機させてあった部下にルパートの殺害を命じた。だが一向にルパートを斃す気配がない。

 

「まだ声は聞こえているんだろう。ルビンスキー、あんたはもう詰んでいるんだよ」

 

 ルパートはルビンスキーの部下達を既に買収して味方につけていたのだ。逆撃の用意をもう整えている。そして本当のルビンスキーの居場所を突き止め、既に密告している。

 

「これも伯爵令嬢のおかげだな。あのとき、注意をもらっておいたおかげだ」

 

 そう、ルパートはフェザーンに来た伯爵令嬢に会った時、注意を受けていた。

 ルビンスキーは用心深い。ここぞという時には逃げ道を用意していると。

 また、他人を買収したり寝返ったりさせるには油断せず思い切った額を提示するようにと。

 

「努力だけじゃない。俺は追いついたんだ、ルビンスキー。あんたに俺を褒めてくれとは言わないが」

 

 ルビンスキーの居場所を密告という形で知った帝国軍はすみやかに捕縛し、監禁した。

 ところが密告をしたルパート・ケッセルリンクの行方はいくら調査しても掴めなかった。

 

 

 

 

 再び激動の情勢、それは宇宙のあちこちに波紋を呼ぶ。

 わたしの方はサビーネに急遽呼ばれる。

 

「またあやつめが戦をするようじゃな。勤勉なことよ。菓子を食うてのんびりすることも知らぬようじゃ」

「お菓子を食べて何もしないでは太るのでしょう」

「カロリーナ、妾は太らんぞ!」

「サビーネ様が特別なのでございます。まるでお菓子を食べるために生まれてきたような」

「ん? それは褒めておるのか? 何やら複雑な感じがするの。けれどカロリーナの方は特別ではないようじゃが」

「! こちらも太ってはおりません!」

 

 先ずはちょっとした軽口の応酬だ。

 久しぶりにそれをするのも楽しいが、そろそろ本題に入る。

 

「それでカロリーナ、あやつはフェザーンへ行ったが、更に向こうへ行きそうだと聞く。カロリーナ、その留守に帝国を全部取ってしまうのはどうじゃ」

「サビーネ様、それはダメでございます」

「それはまたなぜじゃ。今なら簡単なように思うが」

 

 当然、内容はラインハルトの動向についてだ。この話し合いはそれに対応し、最も良い道を見つけるためのものである。

 

「大公国と銀河帝国は不戦を取り交わしております。ここで信義にもとることはできません。サビーネ様、それに今オーディンに残してある帝国の艦隊兵力は、大公国と大差ない程度です」

「だからできるのではないか。こたびは叛徒の手伝いも必要あるまい」

「いいえ逆です。皇帝ラインハルトが大公国を信頼している証しです。それを裏切ってはなりません」

「カロリーナはそう言うか。ならば信義を大事としよう。あいわかった、動かずにおこう」

 

 サビーネはそう言ってあっさり引き下がる。

 これはたぶん自分でも信義にもとることはする気がなかったのに違いない。わたしを呼んだのは単に確認するだけだ。

 そして信義を重要視するのは基本的に欲がないことの裏返しでもある。帝国の支配を目指さないのは自分の血筋、そしてひょっとすると容姿に自信があるためだろうか。

 

 結論として一応、帝国に対して警告という形だけはとった。

 

「今回の自由惑星同盟の内乱は遺憾なことではあるが、これをもって銀河帝国が武力侵攻するのは不当である。リッテンハイム大公国はあくまで話し合いによる平和裏の解決を望む」

 

 

 

 一方、オーディンに残されたロイエンタールらはしばらく動かずにいた。

 

 リッテンハイム大公国は敵対しないとラインハルトは思っていた。理性的な判断というよりも感情的な面でそんなふうに思っていた。伯爵令嬢は動かない。人を大事にする令嬢が火事場泥棒のようなマネをすることはない。

 

 その通り、大公国が帝国に武力を用いてまで敵対行為をしないことを見てとった後にロイエンタールら帝国艦隊はゆっくりとイゼルローン方面に移動した。

 

 ラインハルトからロイエンタールが受けている命令は、イゼルローンのヤン艦隊が帝国領にまた侵攻しようとすればそれを防ぐこと。

 もしも逆にヤンがハイネセン方面に救援のため動こうとしたら直ちに後背に食らいつき阻止すること。

 このニつであった。

 イゼルローンを陥とす、あるいはそこから長駆するという命令は受けていない。

 

 今回の戦略上その必要はなく、牽制で充分である。。

 つまりロイエンタールとしては、ヤン艦隊がイゼルローン要塞から出てこないうちは睨み合いを続けるだけのことで、下手にこちらから仕掛けて逆撃を食らえば戦略に齟齬をきたす。

 こういった辛抱ができることと、武勲が派手にならなくとも納得することを見込んでロイエンタールが選ばれたのだと思っている。

 

 戦略的武勲が巨大なのだから自分の矜持は満たされ、そして分かる者には分かるだろう。それ以上求める必要はない。

 

 

 

 そしてフェザーンを抑えたラインハルトの方は、補給の体制を整えるとついに同盟領に侵攻した。

 途中、占拠したガンダルヴァ星系ウルヴァシーを中継基地化するために一度止まったが、それ以外は急進を続ける。

 ラインハルトの統率力とそれを支えるキルヒアイスなどの諸将の力量は尋常ではない。

 もちろん兵士たちも勝利を信じて疑わず、望郷の念など忘れている。

 

 

 

 ハイネセンの救国軍事会議は、この恐るべき危機的状況について、同盟市民に包み隠さず情報開示した。

 同盟市民はもちろん驚愕する。

 帝国を征伐する情勢だったのに、逆に帝国から大規模侵攻を受けているとは!

 そして恐怖を感じながらも、同盟艦隊に望みを託した。むろん一時的にせよクーデターが是か非かという論議は棚上げになった。

 

 救国軍事会議を構成する将はもとより、監禁を解かれた諸将たちも次々と宇宙に上がる。

 ビュコック大将、パエッタ中将、ルフェーブル中将、ホーウッド中将、ムーア中将、アラルコン少将、モートン少将、チュン・ウー少将、他にもオスマン、ビューフォート、ザーニアル、マリネッティ、同盟軍の名だたる将が集結し迎撃態勢をとる。

 フェザーン方面にいたルグランジュ、アル・サレム、そしてボロディンの残存艦隊、といってもわずかなものだが合流した。今度は共に戦う。「帝国相手なら文句はない」

 ヤン艦隊はイゼルローンからまだ動けない。

 イゼルローン方面にいたウランフ、アップルトンは急行しているが間に合わない。

 

 同盟軍は艦艇総数五万二千隻、想定戦場星域ランテマリオに集結し、ラインハルト率いる帝国軍四万四千隻を待ち受けた。

 艦数と地の利は同盟の側にある。

 

 今、国家の存亡を賭けた戦いの幕が上がった。

 

 

 


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