今は帝国と同盟に和平条約があるとはいえ、さすがにフリーというわけにはいかず、一応同盟政府に訪問のことを申告している。無用な軋轢を避けなければならない。別にスパイに来たわけではないのだ。
すると同盟政府から政府要人との非公式会談を打診された。
それも当然だ。わたしは辺境星系の統治に関して責任を負う人間であり、同盟政府としてはこれを機会にいくらでも話すべきことがある。また色々な人が色々な思惑を持つものだ。
しかし今回はそれらをみな断った。せっかくの旅行なんだもの。遊びに来たのよ!
しかし、のんびり観光というわけにはいかなくなった。
どこから情報が漏れたのだろう。報道陣といういけ好かない群れがつきまとってきたからである。
「今回の帝国の内戦について一言」
「リッテンハイム大公国が民主化するという噂は本当ですか」
「ハイネセンに来た目的は、やはり軍の偵察ですか」
矢継ぎ早に質問が浴びせられてくる。こんなことに慣れてもいないファーレンハイトとメックリンガーは剣呑な顔をするが、報道陣というものは顔の皮が厚いとみて怯みもしない。さすがはこれで飯を食っている連中である。
コメントを出さなければ通さない気ね。
気分がささくれ立っていたわたしは、一つの質問を選び出して答えた。
「ヤン提督がオーディンを陥としたことについて、タイミング的に見て令嬢と共同作戦という憶測があるのですが」
「ヤン提督は単独でもオーディンを陥とすのは容易ですわよ。わたしから見て帝国の誰をも倒す名将に見えます。何かに縛られさえしなければ」
多少よくわからないコメントを残した。あとは百通りもの勝手な解釈を付け足して報道してくれるだろうか。
しかし、この報道が思いがけない幸運を運んでくるとは。
なんと、知っている人物が訪ねてきた!
「ハイネセンに見えられたと聞いて飛んできました」
目の前には前髪を巻き毛にした少女がいる。
あれから五年経つわ。
大きくなった。目元がよりくっきりして美しくなった。しかも賢そうだ。
「まあ御立派になられて。マルガレーテ様」
「ここでは言葉使いも簡単なんですよ。カロリーナさん。また会えて嬉しいです」
この少女こそマルガレーテ・フォン・ヘルクスハイマー、ヘルクスハイマー伯の一人娘である。
わたしとは舞踏会で一緒に折鶴を折ったこともある。
その時はトコトコ歩く幼い少女だった。
マルガレーテはその後帝国から同盟へ亡命したのだが、途中で父ヘルクスハイマー伯を喪っている。
それからハイネセンで暮らしていたのか。
年はカロリーナより五歳下のはず、今十六歳だろう。
「それではこちらも言葉も変えましょう。マルガレーテさん、その節はお世話になりました。艦隊の譲渡の件です。それとつい最近もヘルクスハイマー艦に助けられました。それがなかったら危ないところでしたわ」
「それはよかったです。少しでもお役に立てて」
「ハイネセンでの生活はどうですか。大変なことはなかったですか」
そう、マルガレーテは帝国からの亡命者、いろいろ辛いこともあったろう。
「最初は大変でした。でも今はとても恵まれています。親代わりの優しい人のところにいますから」
そうなのか。本当によかった。
「正式に養女になれば苗字も変わるかもしれません。ソーンダイクという名前に」
え? ここでわたしの思考が回り出す。
ソーンダイク? それはジェイムズ・ソーンダイク、反戦派代議士。
わたしの心にさざ波が立った。
宇宙はまだ安定していない。
いや、もう次の日に事件が起きた!
わたしの一行がアーレ・ハイネセンの像を見物してからホテルに帰るまでの間に。
「でかいわ。でか過ぎる。何だか人物像って実際より大きなものは威圧感があって変な感じよねえ」
わたしはこんなどうでもいい感想を言っていたが、ファーレンハイトからまるで違う返事が返る。
「令嬢、もっと早く歩いた方がいい。コンパスが短いのはさておいて」
「はあ? ここでも喧嘩売る気? ファーレンハイト、何を急に」
途中で言葉を切った。
ファーレンハイトは真面目な顔だ。これは軽口を言う顔ではない。
何だ。
いやな雰囲気がする。
周りをぐるりと見渡すと、ファーレンハイトがそう言った原因が理解できた。
視界に小さく集団が見えた。変な旗を立てながら。
そして近づいてくる。奇妙なマスクをつけて、手には電磁棒を持っているようだ。
これは、この格好は知っている。憂国騎士団!
まずい! わたしは同盟政府との会談も警備もみな断って、お忍びの観光にしたのだ。情報が漏れてなければ安全のはずなのに。
向こうは二十人はいて、明らかにこちらを害そうと狙っている。
わたしはファーレンハイト、メックリンガーと共に早足、そして駆け足になった。
隠れる場所はないのか。あるいは人の多い場所に急がなくてはいけない
しかし当然ながら皆ハイネセンポリスの地理など不案内に決まっている。
「あの、今更で申し訳ないが、私が護衛というのはあまり役立ちそうにもない」
「メックリンガー殿、ブラスターを撃つ方がピアノを弾くよりも簡単だと思うが」
「前にもどこかで同じことを言われた気がする」
そんな会話をしながらファーレンハイトは状況が極めて良くないことを分かっている。
迫ってくる相手は珍妙とも言える目立つ格好だが、基本は防護服なのだろう。歩兵銃ならともかく、携帯しているブラスターでは貫通できるかも怪しい。
とにかく令嬢を守るのだ。
倒れても守って守って守り抜いてやる。相手は電磁棒が武器らしいが、令嬢をメッタ打ちの撲殺などされてたまるか。
相手も速度を上げて走ってくる。隊列を組んでやる気充分だ。
そのとき、車が一台猛スピードで迫ってきた。
これは速度もレーンも無視の手動操縦だろう。一行と憂国騎士団との間に割り込んできて、急停止するやいなやドアを開けてきた。
「早く乗って!」
「誰か分からんが助かる。令嬢、早く!」
車はわたしたち三人を乗せると憂国騎士団を後にして快速で飛ばす。
助かった。
助けてくれたのは誰だろう。先ほどの凶悪な集団から逃がしてくれたからには味方、とりあえず礼を言う。
「カロリーナ・フォン・ランズべルクです。助けていただきありがとうございます」
わたしも少しは大人になったものだ。チビってへたり込むことはない。この状況でも顔は青いが言葉は出る。
「ジェシカ・ラップです。詳しい話は後で」
ええ!?
ジェシカ・ラップ? この人はジェシカ・エドワーズだったのか! あのヤンが好きになった人。
なるほど細身の美人だ。雰囲気も細身の刀剣のようだ。
しかし、苗字がラップ。そうか、ジャン・ロベール・ラップと結婚したんだ。するとラップはアスターテで死んでいない。確かにムーア中将の第六艦隊は壊滅しなかった、だから生きていたんだ。それはよかった。
あ、それならヤンは何を未練がましくグズグズしているのか。早く吹っ切ればいいのに。
などと思っているうちに車は街中に入り、小路を通って建物の前に着いた。
皆で建物に入る。
そこには数人いたが、その中から代表らしい人が進み出て名乗ってきた。
スーツを着込んだ四十歳くらいの身なりのいい紳士だ。
「ジェイムズ・ソーンダイクと申します。ハイネセンに来られたのに変な事件に巻き込んでしまい、まことに申し訳ありません」
「カロリーナ・フォン・ランズベルクです。本当にありがとうございます。助けて頂いて。しかし、あの人たちはなぜわたしどもを狙うのです?」
「あの憂国騎士団というのは主戦派の暴力部隊で、あのようなものがいること自体がそもそも問題なのですが、おそらく誰でもいいから帝国側の人間を襲うのが目的でしょう。そして騒乱を起こし、外交的問題にできればいいと。つまり帝国との和平が不満で壊したいのです」
「そうですか。どこにでも平和の尊さを知らない人はいるものですね」
こんなことで和平を壊されてはたまらないわ!
やっと結んだ条約なのに。
そして同盟側に存在する帝国への敵愾心の強さを思う。帝国から見れば同盟はしつこい害虫、駆除すべき対象である。それもまた思い上がりのゆえであり、決して褒められたものではないが、同盟側からのものとは質が違う。
改めてマルガレーテの苦労が偲ばれ、またマルガレーテを守って養女にしようとするこの代議士は高潔な人なのだろう。
そういえば、よくよく考えるとハイネセンの街のあちこちに和平反対、帝国打倒、宇宙統一…… 様々なポスターが貼られていたような気がする。好戦的な人間がくすぶっている。
同盟の側は決して一枚岩ではない。
それどころか、主義主張の違いで分裂しかかってるようなきな臭い雰囲気なのだ。
騒動はこれで終わらない!
突如、建物の窓ガラスを割って発煙弾が投げ込まれた! 憂国騎士団は思いのほかしつこく、ここも安全ではなかったらしい。実力を使って一気に事を決めにきたのだ。
煙で視界が失われ、咳が止まらない。早く逃げたいのに。
「令嬢、奥の方が危険です。こういう場合時間を置いて裏からも突入してくるものです」
慌てて逃げるのを待ち構えるのが襲撃には多いと言う。
ファーレンハイトが落ち着かせるようにわざと声のトーンを低くしてわたしに注意してくれている。
顔は厳しいままだ。
そしてわたしを部屋に置いてあるソファの後ろに這いつくばらせて隠すと、自分は立ってブラスターを構えた。
頃合いと見て憂国騎士団が突入してきたようだ。
電磁棒を武器にしている者が多いが、歩兵銃を持っている者も何人かいる。
ファーレンハイトが果敢に先制攻撃に出た。防護服の及ばない腕、足、首を狙って撃つ。一秒に一回の割で撃っていく。リズミカルで迷いもないものだ。ファーレンハイトはルッツほどではないものの、射撃の腕もたいそうなものだった。煙にかすんで憂国騎士団が一人また一人と倒れる様子がわかる。
隣でメックリンガーがもっと高い頻度で撃ちまくっている。メックリンガーはどうせ自分が狙い撃ちをしても当たりはしない。それなら数を撃って敵を牽制した方がいい、そういう判断をしているのだろう。
思わぬ激しい抵抗に遭い、憂国騎士団は進めないでいる。このまま時間が過ぎればさすがにまずいと感じたのか撤退に転じたようだ。
銃撃が止み、煙がしだいに晴れてくる。
この部屋には今、割れたガラス、壊れたテーブル、呻いているケガ人が何人も倒れている。
わたしはソファの陰から半身を起こして部屋の惨状を眺め、茫然とした。
ファーレンハイトが安否を確かめるため、そこへかがんで声をかけようとしていた。
銃声が一発。
ファーレンハイトの動きが止まり、胸に赤い染みが広がる。
メックリンガーが何か叫んでいた。ブラスターを一回、二回、五回も撃って、ようやくファーレンハイトを狙い撃った者を動かなくさせた。先に重傷を負った憂国騎士団の一人がどうせ捕まる前にと悪あがきをしたのだ。
だが、わたしには何も聞こえない。
ファーレンハイトは静かに倒れた。
とても柔らかい表情を見せた。
「あ、あーーーーっ!!」
わたしは自分でも信じられない大きな声を出した。
人は驚いた時には声は出ないものだ。しかし、この場合は見ているものをその大声で吹き飛ばしてやりたかった。
現実を壊してやりたかった。
ファーレンハイト、わたしと五年も一緒にいたのだ。いつまでもいると思ってた。
ここで突然ファーレンハイトのいない世界に行けというのか!
そんな世界に一人で行けと。
アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト、比類なき烈将としてこの五年間伯爵令嬢を守り戦ってきた。軽口を叩きながらも全身全霊で尽くしてきたのだ。
それはファーレンハイトにとり、心から幸せな年月だった。
今、静かに目を閉じる。
この時のわたしの狂乱をメックリンガーは後に絵にした。
その絵はあまりに見る者の心をかき乱すことで有名になった。
題名「これは嘘」 エルネスト・メックリンガー、渾身の作といわれている。