第五十六話489年 3月 新たなる日
ラインハルトは貴族側と和約を結ぶやいなやオーディンへ向かった。
撤退にかかっていたヤン艦隊とはすれ違いの恰好になったので戦闘はない。両者とも知らなかったがきわどいタイミングだった。
ラインハルトは到着するとオーディンを掌握し、また直ちにキルヒアイスをアンネローゼの元に遣わす。
アンネローゼ無事、この報はラインハルトを心から安堵させた。
オーベルシュタインはさっそく皇帝即位のための戴冠式の準備を始めている。
「元帥閣下、政治的な宣伝の意味もありますので戴冠式は大々的に行ないたく存じます」
「好きにせよ。任せる」
「御意」
ラインハルトは銀河帝国皇帝になる。
皇帝になれば堂々とアンネローゼに会いにいける。これがラインハルトにとって大事だ。
また三人で過ごせるのだ。遠い昔、キルヒアイスの家の隣に姉弟で引っ越してきたあの頃のように。失った年月はもう取り戻せない。しかし、未来は再び光に満ちるだろう。
しかし全てが順調ではなく、いつの時代も策謀が策謀を呼び寄せるものである。
暗い一室の中に決意を持った男とそれを利用しようとする男がいた。
「このまま幸福なローエングラム王朝など来させてたまるものか! 必ずや我が主君の無念を晴らしてくれる!」
「意気込みはいいがアンスバッハ准将、具体的な手立ては用意はできるのかな。そうでなければゴマメの歯ぎしりだ。寡聞にして呪い殺せる方法など知らん」
「手立てはない。正直それで困っている。オーディンへの潜入も、武器の入手も、仲間の手配も必要なのに。俺をローエングラム公に突き出さない以上、こちらに力を貸してくれると期待していいんだな。アドリアン・ルビンスキー」
「これは聞こえが悪い。フェザーンは中立の立場。困っているものに力を貸すだけのこと、商売上の保険という奴だ」
アドリアン・ルビンスキーは軽くグラスを揺らし、中の氷が躍るのを見ながらそう言った。
対するのは帝国の軍服を着た実直そうな男だ。
アンスバッハ准将、ブラウンシュバイク公私領艦隊の運用を実質的に努め、その主がラインハルトのところへ向かった直後に離脱していた。
その時、何度も諫めている。ラインハルトがブラウンシュバイク公を迎え入れることなど絶対になく、むざむざ死にに行くようなものだと主張して。
だがそれは聞き入れられることはなく、かえって謹慎を命じられる始末だった。
そして離脱したのは逃げるためではなく、主の死を予期した上で自分の為すべきことを考えたからである。忠義というものに捉われ、一命を賭して何かを成そうとしている。
「詭弁だな。おそらくローエングラムが邪魔なのはフェザーンも同じなんだろう。自分の手を汚したくないだけと思える。だがそれで助かるのも事実だ。フェザーンの助力がなければ達成は困難だ」
「そう困難でもない。オーディンで必ずしも警備が厳重とは限らない。場所によっては。アンスバッハ准将、ローエングラム公に仇討ちをしたいのなら、死以上に打撃を与える方法がある。その方がいいだろう」
「何、どういう意味だ、ルビンスキー」
「人間の思惑というものはたいてい違うものだが、偶然重なる時もある」
「 …… 」
不可解な顔をするアンスバッハの顔をもうルビンスキーは見ていない。
ルビンスキーが今思うのは別の者の顔である。
そう、ラインハルトを狙うのであれば、どうあっても成功させないだろう。だが、キルヒアイスかアンネローゼのどちらかが狙いであれば、積極的な邪魔はしないはずだ。アンスバッハのテロ計画に気付いたとしても。
そうだろう、冷徹な参謀長オーベルシュタイン。
お互いに思惑は分かっている。一つ貸しにしておくぞ。
フェザーンとしてはラインハルト自身を除ければ一番いいのだが、そうでなくともキルヒアイスかアンネローゼを害すればいい。
オーベルシュタインはその方が良いと思っているようだが、ルビンスキーの見立ては違う。
それどころか真逆にさえ思っている。
それを失ったラインハルトが変質し、暴走すると見込み、期待するのだ。その結果ラインハルトが無理に同盟へ突っかかり敗死でもしてくれれば喜ばしい。強力で盤石な新帝国など作られたらフェザーンの独立が危うくなってしまい、そうさせなければ何でもいい。
結果としてオーベルシュタインとルビンスキーの思惑が一致するのは何とも皮肉である。どちらも一流の策謀家と自認する者同士が。
戴冠式の前にラインハルトはやっておくべき仕事がある。
一つはサビーネとの約束通り領地の認定を行う。ブラウンシュバイク公爵領とリッテンハイム侯爵領をサビーネ大公の領地とする。
サビーネはこれを合わせてリッテンハイム大公国と命じた。
人口およそ三十五億人、これはかなりの規模になる。
銀河帝国はその四割ほどが貴族私領である。帝国の建国当初からそれほど大きかったわけはないが、幾度か登場した暗愚な皇帝たちは、国庫が疲弊する度に貴族たちへ割譲を繰り返していた。あるいはお気に入りの貴族の歓心を得るために分け与えていたのだ。その逆に貴族の領地を帝国が召し上げることはそれほどない。そのために貴族私領は五百年のうちに次第に規模が肥大していった。帝国はどのみち木から落ちるばかりに爛熟していたのだ。
何といっても帝国で他に冠絶するニ家を併せたのだから、その私領地は大きい。それを今から私領ではなく、形式上帝国に属するものの高度な自治権をもった国にする。
これも良い面と悪い面がある。
今までは中央の官僚及び行政のコストは貴族が負う必要はなかった。
中央へ税を収めず行政機構を利用するだけだ。それが特権というものである。だから帝国の国庫が厳しくとも貴族私領は常に財政が豊かであり、貴族は優雅な生活を送り無駄使いもできたのだ。ダンスに興じ、宝石を買い求め、屋敷を構えることもできた。人口の割に大規模な艦隊を持つことが可能なのもそのためだ。
今、国家形態にするのでは官僚の育成その他でコストがかかる。
航路監視も、税関も、新しい負担になる。
ちょうどよいというべきか艦隊が総数で二万七千隻という数まで減っていた。カロリーナ艦隊も、元ブラウンシュバイク艦隊も、メルカッツ提督の艦隊も含めてこの数字である。それは激しいリップシュタット戦役の結果だ。思えば戦役前はリッテンハイム侯とそれを取り巻く貴族の艦艇で五万隻余も所持していたのだが。
しかしこれで艦隊の維持コストはだいぶ節約できる。
さあ、ラインハルトはサビーネとの約束を済ませると、次はまた新しい仕事に取り掛からなければならない。しかも困難が予想される。
それは自由惑星同盟との交渉であった。
今、ヤンの第十三艦隊は既にイゼルローン要塞まで退いている。
しかしいったんオーディンを同盟が手に入れたという事実、そこで艦隊戦に連勝したという実績があるのだ。
そして現段階で同盟側が帝国側に対して高い戦力を保持しているという状況もある。
欺瞞でも一時的でも和平交渉は必要だ。
帝国は同盟に対しいくつかの譲歩は覚悟しなければならない。
いずれ帝国は艦隊を再建する。しかししばらくの時は必要なのだ。幸いにして同盟側も大攻勢を掛けてくる気はなく、交渉の余地が全くないわけではない。
自由惑星同盟から交渉のためオーディンにやってきたのは最高評議会議員ジョアン・レベロとホアン・ルイの二人である。
本来、人的資源委員など対外交渉に出るはずがないのだが、他の委員が尻込みしたのである。急病と、婚姻葬儀、あらゆる言い訳が動員された。遅刻をした学生の方がまだマシな言い訳をしただろう。
誰もが行きたくないのはもちろん理由がある。
何をしても非難されて有権者からの支持が下がるのは分かりきっているのだ。
もしも現実的な交渉をすれば、民衆の心理を逆なでするだろう。同盟の民衆はもはや帝国に勝った気でいるのだ。バラ色の未来を思い描いている者にとって現実的な交渉は受け入れられず、たちまち弱腰と非難の大合唱をするだろうことは目に見えている。。
とはいえ帝国に対しあまりに強気で挑んでは得る物が少ない。帝国は未だ同盟より人口は二倍も多く、本気にさせてはいけない。それを知る合理派の知識人からすれば、下手な高圧的な態度は馬鹿にしか見えないだろう。どうにも交渉役は貧乏クジを引く役回りだ。
ジョアン・レベロとホアン・ルイも不承不承引き受けたのだが、それは誰かがやらねばならないということを他の人間よりも少しばかり深く考えてしまった結果である。
この一連の騒ぎをおこした張本人は来ていない。
ヤンはイゼルローンに籠っている。政府も今回のことをどう扱うか結論が出ていないのは、ヤンがどう詭弁を使っても勝手に戦端を開いた責任があるが、しかし武勲があまりに巨大過ぎるからだ。
まあヤンの方でも決して昼寝をしていたわけではない。
テレビや雑誌のインタビューから逃げ回っていた。また熱狂的なファンからと称する手紙が山ほど来ていて、それを片付けるだけでも一苦労だ。いつもならそれを手伝うキャゼルヌがここぞとばかりに押し付けてくる。
「それくらい忙しいのも罰のうちだ。ユリアンには迷惑かけるなよ。お前さんと違って言い付けをちゃんと守るくらい出来がいいんだ」
「キャゼルヌ先輩、それじゃあシェーンコップやポプランが余計なことを言うのを止めてくださいよ。話を膨らませて、いつのまにかトマホーク振るって一人で千人倒したことになってるじゃないですか」
「映画の主演になる時までにはトマホークも練習しておくんだな、ヤン。せめて栄養くらい付けさせてやるか。夕食はどうだ。ユリアンと副官の分もあわせて用意しとく」
最終的に帝国と同盟の間でいくつかの同意がなされた。
一つ、帝国は自由惑星同盟の存在を認め、これを国家として承認すること。
一つ、付随して叛徒という言葉を公式には使用しないこと。
一つ、停戦とお互いの軍備状況について年一回の報告をすること。
一つ、お互いの首都星に大使館を設置すること。
だが全てについて合意したわけでもないし、帝国が譲歩したわけでもない。
年号の統一は帝国側が拒否した。
最大の問題である領土交渉については、どちらにも言い分と意地があり、難渋を極めた。十日も費やして主張と妥協のつばぜり合いの末、やっと決着した。
結果としてイゼルローン寄りの帝国辺境星系が割譲されることになった。そのほとんどは開拓途上の惑星で人口も少なく、大した価値はない。開拓余地はあるとはいえ人口にすれば全てひっくるめて五億人ほどになった。帝国全体の二百五十億人に比べればほんの少しといえる。
しかし政治的な威信という面では別である。
つまり帝国に対しあまり実害はなく、しかし同盟にすれば初めての帝国側領地割譲という歴史的意義がある、そういう妥協点だ。そしてお互いにとってこれは緩衝地帯ともいえる。
問題はその統治である。
今回の割譲には同盟軍の帝国領侵攻作戦で焦土作戦が行われ、民衆の恨みをかった星系も多く含まれる。もちろん民衆は作戦を行った帝国を怨んでいるが、元の原因である同盟をそれ以上に怨んでいる。同盟艦隊が最後の最後に行った物資の略奪などの記憶が残っているのだ。
これでは統治に対する反発は大きなものになるだろう。
だが、帝国側が渡りに船の提案をしてきた。
この割譲地にランズベルク家領地が含まれるが、そのカロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢を当面の間の委任統治者に任命すること、である。
辺境解放の英雄である伯爵令嬢ならば委任統治もスムースに行くだろう。
同盟側でもこの伯爵令嬢が委任統治の枠を超えて支配することはせず、加えて民主化に理解があることも既に分析していた。もちろん、ヤン・ウェンリーの報告で大きく取り上げていたからだ。
一方帝国にもしたたかな計算がある。帝国にとってそんな辺境星系よりも警戒すべきなのはサビーネのリッテンハイム大公国の方だ。それに伯爵令嬢が参画し続けるのは脅威となる。リッテンハイム大公国から引きはがしておく必要があるのだ。
辺境星系の民衆のためという名目があればおそらく伯爵令嬢は断れないだろう。
努力の末一連の成果をあげて帰還したレべロとホアンの二人だが、予想通りいろいろな主義主張の人から罵られることになる。
覚悟の上とはいえ精神的に堪える。
ひょうひょうと批判をかわすホアンはまだしもレべロなどは目の下に隈を作って独り言を言うようになった。もはや半分壊れている。しかしこの合意だけでも一生分の仕事はしたと言えるものだろう。
それらが済み、ついにラインハルトの皇帝即位の戴冠式が行われた。
居並ぶ文官武官に混ざってわたしも戴冠式を見届けた。
さすがに正装したラインハルトは彫刻のように美形だ。隣にいるアンネローゼも美しい。もちろんその二人に次ぐ場所にいるキルヒアイスもだ。キルヒアイスについて正式発表はされていないが、ラインハルトが副帝に擁立しようという意向なのは知れ渡っている。
わたしはまたサビーネのリッテンハイム大公国の発足式にも出席した。
こちらのサビーネも輝くように美しい姿、文字通りの女王の姿だ。
サビーネの自信満々なのと口の悪さを知らなければ、どんな人でも祝福するだろう。
しかしリッテンハイム大公国の前途は課題山積である。財政的には貴族の蓄えた美術品や財宝で当面は賄える。しかし、あらゆる面で官僚機構の整備を行わなければならない。
行政も法体制もあまりに未熟である。
今までは貴族の気まぐれの意向で動いていただけであり、コネや賄賂が横行していた。それもまた平民が貴族に反発する原因になっている。
これを公正で清潔なものに変えるのだ。わたしが改革のため目をつけていたシュトライトやカールブラッケは既にラインハルトに取られていた。仕方がない。
だが、改革自体がゆっくりでも進むだろうことには確信がある。多少わがままで気まぐれなサビーネだが正しきを尊ぶことは確かなのだ。サビーネが上に立つ以上、腐敗や圧政の心配はない。
おまけにわたしは民主主義の平和的導入についても考えを巡らせた。大公の権限縮小、憲法制定、三権分立、議会導入、選挙の実施、いろいろなことが一気に思い浮かぶ。
ああめんどくさい!
とりあえずは考えるのをやめた。そういうのを一人が考えないのがそもそも民主主義じゃないの?
宇宙も多少は平和になったのだ。
少しくらい楽しんでもいいじゃない。
というわけで先ずはお茶会の開催だ!
わたしが主催した。オーディンのリッテンハイム家屋敷の広間を使い、ざっくばらんな立食パーティー形式にする。
招待状を出したが、各人忙しいだろうからどれくらい人が来るかわからなかった。しかし思いのほか多くの人が来てくれた。
メックリンガーの穏やかなピアノで出迎える。
あえて仕組んだのだが横で見ていると面白い。来場者は皆、ただの楽団員の一員だと思って見過ごすが、艦隊指揮官メックリンガーだと知ると口を開けて驚く。
艦隊戦で手玉に取られたビッテンフェルト提督などはピアニストに敗れたのだと知ると、手を振り回してやるせなさを表現した。その手が参謀のオイゲンに当たる。
わたしは腹をかかえて笑った。まるで漫才だ。