平和の使者   作:おゆ

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第五十五話489年 2月 舌戦のサビーネ

 

 

 わたしはサビーネに向かって話を続ける。

 

「それはその通りでございます。サビーネ陛下。わたしもそう思います」

 

 ゆっくりと区切り、言葉を選びながら話す。

 

「ですが、ここであえて生きている者たちのために申し上げます。ローエングラム公は覇気があり純粋な方です。卑怯と怠惰を憎む方です。ゆえあって帝国の貴族たちを憎んでいますが、もとから邪悪なのではありません。万民のための為政者として得難い人物なのです。討つのは民衆のためにも決して良いことではありません」

「カロリーナはいつも皆のことを考えているのじゃな。しかし仇討ちをせねば気が収まらぬわ」

 

 サビーネはそう言うが、決して大きな声は出していない。

 わたしは安心する。

 

 サビーネはきっと乗り越えてくれる。憎しみの連鎖ではなく、その次へ向かって。

 

「皆のために何が大事なのかもう分かっておいででしょう。サビーネ陛下には」

「カロリーナはあくまでそう申すのじゃな。よし、分かった」

 

 サビーネは考え込むようなそぶりはなく、すぐに返事を返してきたではないか。

 自分の感情の葛藤にいつまでも囚われていない。

 やはり人の上に立つ器がある。わたしもまた嬉しい。

 

「それでカロリーナ、今は何をすればよいのじゃ。ローエングラムとの交渉といっても何を話せばよい」

「わたしに腹案がございます。申し上げにくいことながら、それはサビーネ陛下には辛い選択になるでしょう。そこを曲げてお願いいたします」

 

 

 

 ラインハルトとサビーネとの和平交渉は即日ではなかった。

 その前にやることがある。わたしはルッツに書簡を持たせてオーディンに急派した。通信では証拠が残るが、書簡はその場で読み上げるだけで渡さないようにすればいい。

 内容はごく簡単なこと、それがヤン・ウェンリーに伝わればいい。

 

「今回のお誘いにおいで下さって大変ありがとうございます。直接わたしの菓子でおもてなししたかったのですが、それができなくて残念です。またの機会にお会いしましょう」

 

「それはいったい何ですかヤン先輩」

 

 ヤンと共にメッセージを知ったアッテンボローにはわからない。

 というより、まるで週末パーティーに招いたくらいの気軽な文面に開いた口がふさがらない。

 こちらは帝国領の中を18日もかけ、とんでもない距離を来ているのだ。しかも一個艦隊二百万人で。

 

「伯爵令嬢の言いたいことはわかる。ぼちぼちイゼルローンに帰ろうか、アッテンボロー」

「え! 今帰るんですか! 帝国の首都オーディンを制圧してるんですよ。今後何かの交渉をするにしても有利じゃありませんか」

「首都にいるからこそ話し合いをするのが難かしくなるんだよ。相手は何がなんでも戦うしかなくなってしまう。交渉どころか敵愾心しか持たないだろうね」

「そんなものですかねえ…… 」

「政府は場当たり的な命令しか送ってよこさないし、混乱するのはわかるが、イゼルローンから後続の艦隊や補給が来るわけでもない。アムリッツァのことをどうしても考えてしまうんだろうなあ」

「政府が本気になれば変わりましたかね」

「うん、まあ、しかしこれが一番いいような気もしてきた。伯爵令嬢が頃合いだというのだからね」

 

 ヤン第十三艦隊は撤退の準備にかかった。帝国の輸送艦を接収し、帰り道分の物資を積めるだけ積み、それらと共に悠々とオーディンから離れていく。

 しかし一部の将兵には納得しかねた。

 

「ヤン提督、いっそのこと、オーディンで皇帝を名乗ったらどうですかね。」

「何の冗談だい、シェーンコップ」

「なにね、ベレー帽より王冠が似合うかもしれないと、思ったわけでしてね」

「王冠にも王座にも興味はないよ。今のベレー帽が似合うかわからないけれど、この方がマシだ」

 

 思わず本音を言った。

 

「オーディンの図書館だけは、手に入れたかったんだけどなあ」

 

 

 

 ついにこの時が来た。度重なる戦いと犠牲の末に。

 ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥と貴族連合軍副盟主サビーネ・フォン・リッテンハイム、今は即位に伴って改名したサビーネ・フォン・ゴールデンバウムが会し、交渉のテーブルについた。

 この内戦で仇敵となった同士、話をつけられるのだろうか。

 

 ラインハルト側はオーベルシュタインとキルヒアイスが同席する。

 サビーネ側はわたしとメルカッツ提督が共にいる。

 

 その場でわたしはいきなり緊張してしまう。ラインハルトより先にオーベルシュタインが目に入ったせいだ。初めて見る。これが絶対零度の参謀長オーベルシュタイン上級大将。あまりに冷たい視線に感じるのは義眼のせいか。

 いくども危地に追い込んでくれた敵手、だがこの人も自分の信じる正義を貫く人であることは間違いない。私利私欲のために動く人ではないのだ。

 よく見ると誰にも冷たい視線を投げているようで、決してわたしに対してだけではない、つまりは私怨ではない。

 

 まあいいわ。

 この交渉の場はそんなに難しい話じゃないのよ。納得するかしないかだけのこと。

 

 ラインハルトが交渉の口火を開く。

 

「話を始める前に大きな前提を言っておこう。現在停戦しているが戦闘では明らかに我が方が有利だ。艦艇数も未だ多く、要塞を包囲するに足りる。この状況は変えがたい」

 

 あっという間にサビーネがやり返す。

 

「ふん、賊軍が思い上がりおって。忘れるほど耄碌したのか。では思い出させてやるが帝国では皇帝である妾が全てじゃ」

 

 オーベルシュタインが冷静に言う。

 

「賊軍と仰いますか。しかし今は形式よりも戦力の方が肝要だと述べましょう。その賊軍が戦力上優位だと言っているのです。理解していただけましたか」

 

 それについて、またしてもサビーネがやり返す。

 オーベルシュタインを恐れるどころか負けてなどいない。わたしにはそんな豪胆さがうらやましいくらいだ。

 

「何、優位とな。それなら妾はガイエスブルクで昼寝をしといても構わんのじゃぞ。帰る家もないくせに。そなたらは帝国で居場所などない」

 

 

 わたしが口を出す必要もないくらいサビーネが見事に切り返す。

 ここで困ったようにキルヒアイスが言葉を足す。話をまとめる方向へ持っていこうと気を使っているのだ。

 

「ここは交渉の場です。お互いの条件などを聞いた上で話をしましょう」

 

 ラインハルトも決して楽しい表情ではないが理性的に言う。

 

「一応、条件など聞いておこうか」

 

 それでもサビーネは動じない。

 

「ほう、一応聞いてみるだけと申すか。ではメルカッツ、説明してやれ」

 

 サビーネの言葉を受け、メルカッツが的確に現状を説明する。

 

「純軍事的に見れば、この状況はお互いにとって決着をつけるには難しい状況です。決め手を欠き、少なくともガイエスブルクを短期で攻略できることはありません」

「そうじゃな。こちらは待つだけじゃ。カロリーナの美味い菓子でも食うてそっちが立ち枯れる様を見物してやるわ」

 

 サビーネの口は悪いが状況は全くその通りである。

 

 ラインハルト陣営の諸提督は有能で、持てる艦隊戦力は今でも大きい。貴族側はガイエスブルク要塞の力で対処しているだけなのだ。

 もし貴族艦隊が要塞を離れてオーディンへ進軍しようとしたら勝てるはずはない。

 絶対に撃滅されるだろう。

 おまけに要塞は長距離を移動できない。

 ワープエンジンを搭載することは無理なのだ。時間や資材という面もあるが、何よりこれだけの大きさのものをワープで空間転移させるのは技術的に途方もなく高いハードルである。ワープエンジンの完全同期、その安全性に100%の保証がない限り選択肢にならない。

 

 かといって逆にラインハルトの方としては、貴族側が要塞に籠る限り決め手に欠く。

 容易に陥とせるような代物ではなく、少なくとも急戦で勝つことはできない。

 先の戦いでラインハルト陣営も艦数を減らし、四万隻を切る数、これは要塞を飽和攻撃できるかギリギリの賭けになる。

 長期戦であれば、いずれ要塞側は戦力の補給ができずジリ貧になるだろうが、それがいつのことになるか不明だ。要塞には膨大な物資と財貨、それに工廠まで備えられている。

 

 時間がかかればその間、オーディンでどのようなことが起きるかわかったものではない。サビーネ皇帝に味方という大義名分をつけるならば、反抗でも蜂起でもなんでも可能なのだ。

 更にそれだけではなく、仮に同盟軍が大挙して侵攻してくる事態になったら、挟撃にあって壊滅してしまう。そんな可能性すらあった。

 実のところ、むしろわたしの方がヤン達を先に撤退に導いている。それはヤンを無事にイゼルローンへ返すためでもある。しかしその撤退を未だラインハルトは知らない。

 

 

 

 互いの舌戦が続く。

 ひとしきり終わったあとオーベルシュタインがキルヒアイスと同じことを言う。

 

「交渉とは互いのカードを切って、譲歩を引き出し、合意に持ち込むことです。今回どのような案を持って臨んだのか、そろそろ言うべき時と存じ上げます」

 

 これにはわたしが答える。既にサビーネと話し合って決めていたことだ。

 

「それでは申し上げます。先ずは休戦を提案します。代わりにこちらの艦隊もそちらを追わず、仮にそちらが叛徒と戦うことになっても敵対行為はいたしません」

 

 これはラインハルトの側でも想定したことだ。否はない。

 当面貴族を生かしてやることになるが、致し方ない。オーディンへ急ぎ引き返し解放するためには。

 

 しかし、わたしの次の言葉にはラインハルト側の誰もが驚かざるをえなかった。

 

「それと今後の抜本的和解案についても申し上げます。こちらの譲歩は一つ、銀河帝国皇帝の位をローエングラム元帥に禅譲いたします」

「何だとっ!」

 

 驚きが満ちるのは無理もない。

 これでラインハルトは何の憂いも無く銀河帝国の至尊の座に着ける。

 汚名のそしりを受けずに済む。幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世からの簒奪でもなく、皇帝サビーネの弑殺でもなく、堂々と。

 

 

 

 これは先にわたしが恐る恐るサビーネに申し上げたことだ。

 いったん皇帝になって何ぞ譲らねばならん! と一喝されるかと思っていたが、予想は見事良い方に外れた。

 

「そう言うか、カロリーナ。よい、皇帝などくれてやってよい。妾はそんな地位におらぬとも生まれも中身も高貴じゃからの。もちろん、見映えもじゃ」

 

 うーん、どこまでいってもサビーネ様はサビーネ様だわ!

 

 この銀河帝国皇帝の地位は宰相リヒテンラーデが命をかけてサビーネに渡したものだ。

 しかしここで譲歩のため使わなければならない。

 それにラインハルトが皇帝になった方が、帝国の民衆のためよほどいいことなのだ。リヒテンラーデには悪いが、帝国はゴールデンバウム王朝が継ぐよりラインハルトが作り変えた方がいい。

 

 ラインハルトが即位するのを形の上で整える、こちらが最大のカードを切れば、次に相手の譲歩を引き出す。

 

「その交換条件としてリッテンハイム侯爵領、それに亡きブラウンシュバイク公の領地はこちらに保全してもらいたく存じます。また首都オーディンは共同統治として貴族の在住、通行を妨げないこともお願いします」

 

 要求する領地は案外大きい。リッテンハイム侯爵領とブラウンシュバイク公爵領を併せれば、帝国の一割とは言わないまでも決して無視できない大きさになる。

 ラインハルト側は即答せず、いったん持ち帰る。

 

 

 

 既にラインハルトの心は決まっていた。あまり細かいことにこだわって交渉を長引かせることなく、オーディンへ行きたいのだ。

 オーベルシュタインの意見も聞いてみたが、意外なことに全く同じだった。

 

「小官はこの交換条件について異議ありません。むしろこの交渉は大成功と言えるでしょう。リップシュタットからのこの戦役の意義は達成されたと見るべきです。何よりも正しい道で銀河帝国皇帝になることこそ重要かと」

「なるほどな、オーベルシュタイン。細かい領地などどうでもいいか」

「左様でございます。皇帝になりさえすれば、政略はいかようにでもできます。領地などいったん預けただけと考えて充分でしょう」

 

 翌日回答し、それで決まった。

 

「当方はそれで承諾した。サビーネ皇帝が退位された後は大公として領地を治めることを認める。オーディンの在住と通行も許可する。併せて今後軍事的な干渉はしないことを約束する」

 

 大公とは貴族位の最高位にして普通は即位前の皇太子、あるいは任を終えた摂政が着く地位である。

 

「それでは皇帝位の禅譲を約束します。ついでに和約の証しとしてガイエスブルク要塞のエンジンを外してガイエスハーケンの封鎖も行います」

 

 たったこれだけといえばこれだけだ。

 だが、そこに至るまであまりに多くの悲劇が生まれた。しかしついにガイエスブルクの和約と呼ばれる盟約が誕生する。

 

 

 今、これをもってリップシュタット戦役は終結する。

 

 それはアルテナ星域の前哨戦から始まり、長く厳しい戦いだった。

 

 

 

 


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