ようやく反乱兵士を装ったテロが落ち着いた。
ガイエスハーケンの制御コンソールについていた男が意識を取り戻すのを待って尋問する。名はハウプトマン大尉といった。
事件の真相はやはりラインハルト側の破壊工作であった。
要塞の不満分子を糾合し、あらかじめ作製してあったマニュアルに沿ってガイエスハーケンの破壊を企んだのだ。
最初は言いよどんでいたが、破壊工作がもしうまくいけばあのガイエスハーケン制御室こそエネルギーの逆流の餌食になり、真っ先に吹っ飛んでいたことを教えると協力的になった。
破壊工作を指示した黒幕のことも話した。
ラインハルトの側にいて策謀をめぐらす冷徹なる参謀、パウル・フォン・オーベルシュタインが全て作り上げた策ということだ。
わたしはその報告を聞いて嬉しく思った。ああ、この卑劣な策はラインハルトが考えたんじゃなかったのね、やっぱり。
先にわたしを窮地に追い込んだ欺瞞の和約の陰謀もおそらくラインハルトの指示でじゃない。
ラインハルトはそんな人ではない。矜持がある。武を尊び、決して卑怯なことはしない。
しかし、あの絶対零度のオーベルシュタインが相手とは。事態はむしろ悪いかもしれない。
わたしはあまりに強大な敵手の存在に慄然となってしまう。
このガイエスハーケン破壊工作の失敗についてはラインハルト側も把握している。
「オーベルシュタイン、今度の策も防がれてしまったようだ」
ラインハルトがむしろ楽しそうに話している。
「そのようです元帥閣下。残念ながら」
「オーベルシュタイン、こうなれば正々堂々と要塞も艦隊も併せて打ち滅ぼすしかなさそうだな。真っ向勝負もまた面白い。貴族の馬鹿どもに反省する時間をたっぷり与えられる」
「いいえ閣下。これは心外でございます。仕上げの策はまた別に用意してあるのです。実のところ、今回の策はうまくいけばそれで良し、成らなくてもかまわないといった類のものです。次の策こそ最良のものであり、勝敗などという次元ではなく後につながる政治的な意味もあります」
「何だと…… 聞こう。仕上げの策とはいったい何か」
オーベルシュタインの話が終わると、またしてもラインハルトは暗い顔になった。
それは意外なものだったのだ。
「なるほど…… これほど有効なことはない、それは認めよう。だがそんな風に伯爵令嬢を葬るのか。覇業を成すというのは酷なものだ」
「左様にございます、元帥閣下」
「伯爵令嬢を命だけでも助けられないか、オーベルシュタイン。むざむざ殺すには及ぶまい」
「いいえ閣下、むしろカロリーナ・フォン・ランズベルクを助ける方が難しく、たとえこちらが助けたいと思っても助かる道はございません。これは必殺の策ですので」
そのころわたしはガイエスブルク要塞の増強にいそしんでいた。
正確にいえば要塞に到着した直後から始めていたことだ。
要塞にある部材を惜しみなく使い、工事を進める。部材が足らなければ要塞の工廠をフル稼働させ、それでも足りない分は積極的にフェザーン経由で買い集めている。対価は充分にある。
この要塞には致命的な欠乏がなく、食糧と反応剤、推進剤、ミサイルなどはまだまだ豊富に在庫がある。それを知っているラインハルト陣営は兵糧攻めを考えていなかったので、対峙はしても完全包囲の形ではない。買い付けて運び込むのはさほど困難ではなかった。
そして財政的にもまだまだ余力があった。
もちろん賊軍と認定されガイエルブルクに籠っている以上、経済的な取引や投資があるはずはない。ただしその影響は将来のこと、現時点では貴族たちの持ち込んだ貨幣財宝は膨大な量になる。伊達に数百年も平民から搾取してきたわけではないのだ。
そしてフェザーンに支払う対価など、先の戦いで艦ごと消滅してしまった貴族家の財宝を接収して使えばいい。
サビーネの許しを得てわたしはそれを進める。
それと同時にベルゲングリューンにまた密命をことづけて二千隻程度と共に要塞から送り出した。
あの欺瞞の和約を破棄して以来、要塞の空気はまた変わった。
むしろ主戦派の勢いが増していたのだ。
その筆頭はやはり貴族の力と矜持を信じるフレーゲル男爵だった。
メルカッツが軽挙妄動をしないように主戦派の貴族を事あるごとに諫めているが、彼らは不満に言い立ててやまない。暴発してしまわないだろうか。
わたしは警戒心を持つ。
これは、またもやオーベルシュタインが影にいて、陰謀を操っているのか?
ああ、胃が痛い。
わたしは広間で吊るし上げられたような思いは二度としたくない。
実際のところそれはオーベルシュタインの策謀ではなかった。
オーベルシュタインは無駄な策謀はしない。
策謀を巡らすまでもなく、貴族の暴発などただ待てばよいだけだ。必ず至る未来とわかっているのだから。
どうせ貴族には籠って情勢の変化を待つという辛抱などできはしない。
やがて貴族が幾度か無断で出兵することさえあった。それに対しラインハルト陣営はいつも本格的な戦闘はせずに退いていった。もちろん、それも誘い出しの一つであることは明らかだが、わたしやメルカッツがそう思っても貴族たちが同じように思うわけがない。
その頃、またしても宇宙の片隅では、陰鬱な部屋で会話している者たちがいる。
「それで帝国貴族とラインハルト・フォン・ローエングラム元帥は膠着状態か。一気に決着がつくと思っていたが。誰がどう見ても麾下の将の質は圧倒的な差があるだろう。貴族がここまで戦えるとは少し意外だ」
「自治領主、こんな状況になったのは貴族側にあのランズベルク伯爵令嬢がついたためかと」
「そのようだな、ルパート。しかし戦いが長引けば帝国の損耗は想定以上になる。漁夫の利を得た同盟が一息つけることになった。帝国に干渉する好機と見て積極策を取る気概まではないだろうが、少なくともゆっくりアムリッツァの傷を癒すことはできる」
「それは良いことでしょうか。自治領主」
「どんな形に決着するにせよ、充分我らのコントロール下に置いておける。ルパート、待つのも策だぞ」
グラスの氷をからん、と一度鳴らした。
メルカッツが今日もまた血気にはやる貴族を諭す。
「明らかに擬態、向こうが弱気に見えても決して要塞を出てはならん。逆に言えば要塞から出なければ向こうに決め手がなく、その意味で必死に誘い出しをかけているだけだ。時期を待つ、この方針は変わらない」
「いや、先に和約をもちかけたのも我らを恐れたためだ!」
「一気に決着をつけてやる!」
「今頃になって金髪の孺子は後悔しているのだ。孺子に帝国を動かせるものか」
話の通じない貴族たちはまともに考えもせず、主戦論を言うだけだ。
まあ、この程度の感情的な話であればまだしも説得できる。
しかし、メルカッツといえども説得ができない種類のものが存在する。
それを青年貴族が口にすれば、容易に反論ができない。
「こうしている間にオーディンが心配ではないか。金髪の孺子は皇帝陛下をないがしろにしているに決まっている。帝国の藩塀たる我らが皇帝陛下を守れずになんとする。ここに籠っているだけでは大義がない。早くオーディンに進撃し皇帝陛下を救い出し、金髪の孺子こそ賊軍であることを天下に知らしむるべきである」
皇帝を持ち出されると全て正論ともいえる。これを一蹴することはできない!
特にメルカッツは帝室を守る帝国軍として人生の大半を送ってきたのだ。オーディンの帝室の現状を憂いていることは貴族にも劣らない。
いよいよ主戦論が盛んになり決戦の機運が高まった。
制止も空しく、フレーゲル男爵を中心とする若手貴族六千隻の兵力が出陣していった。これまでの無断出兵とはケタが違う。
やむを得ずメルカッツが一万五千の戦力を率いて追う。どうせ壊滅させられるだろうが、その前に助けられる者を助けるためだ。それは先の第一次ガイエスブルクの戦いでブラウンシュバイク公を救援したことと同じである。
ラインハルト側では疑似敗走と挑発を織り交ぜて貴族の艦隊を要塞から引き離しにかかる。それはいとも簡単な作業であった。結果、メルカッツの艦隊と距離が縮まってこない。
要塞から見ていたわたしはは擬態の見事さと味方の危うさを見て取った。
「やむを得ません。メルカッツ提督だけでは難しいでしょう。いいえ、メルカッツ提督も危地に陥る恐れがあります。あの方は分かっていても貴族を見殺しにはできない優しい方ですから。手遅れになる前に直ちに艦隊を出し、一戦して味方を救出したあと撤退します」
わたしはサビーネにもそう伝え、皆を率いて要塞を出た。その直後意外なことにブラウンシュバイク公も自ら出陣し全艦を率いて出たのだ。
「フレーゲルは我が可愛い甥である。これを助けるため、儂自ら出陣する」
思いがけず大兵力になってしまう。
わたしのカロリーナ艦隊が一万八千隻、預かっているリッテンハイム家艦隊が三万二千隻、ブラウンシュバイク公が率いているのが三万一千隻である。
先の艦隊を併せ、全て合計すると九万隻になる。
これはうかつに誘き出しに乗ってしまったとも言えるが、それを仕組んだラインハルト側にとっても想定できない大兵力のはずだ。いったん手を引いてくれればよし、だがラインハルトは好機と見て大会戦を仕掛けるかもしれない。
こちらはまとまってガイエスブルクへ撤退できるかどうかが鍵になる。
ラインハルトの攻勢のタイミングと鋭さ次第。無事に戻れればよいが。
一番早く出て行った青年貴族たちの艦隊は、巧緻な擬態に引きずられ、要塞から相当の距離まで進行してしまった。少しも速度を緩めないからである。
まずい、離れ過ぎた。
わたしの頭に危険信号が灯る。
ようやくメルカッツの艦隊がそれらに追い付く。
貴族たちの艦隊はラインハルトの偽装によるわずかな勝利に酔っていた。呑気なものだ。
わたしの艦隊も追い付き、やがてブラウンシュバイク公艦隊も合流してくる。これでガイエスブルク要塞のほぼ全ての艦艇が集まったことになる。
急ぎ帰ろう!
逆にいえばこんな大兵力、決して崩されずまとまっていれば撤退は困難ではないはずだ。動きはその分遅くなるが仕方がない。
はたしてラインハルト側が仕掛けてきた。
ラインハルト麾下の諸提督がこちらのガイエスブルクの艦隊を囲むように接近する。
ラインハルト側は約七万隻、艦艇総数では未だガイエスブルクの艦隊の方が多いのだ。
慌てず防御して要塞に戻ろう。
もちろん血気にはやった貴族が突出しそうになる。そこをなんとか抑え、要塞へのコースを辿った。
砲戦がしだいに激しくなる。陣はまだ崩れないものの双方に損害が出始めた。
おかしい、そんなはずはない!
ラインハルトが単なる消耗戦を仕掛けるはずがない。これではどちらも消滅するだけだ。
ここでラインハルトの諸提督のうち、二つの艦隊に動きがあった。
一万隻以上の艦隊なのに美しく一糸乱れぬ艦隊運動だ。
オペレーターが艦型照合を行い報告してくる。
「戦艦ベイオウルフ ミッターマイヤー提督の艦隊です」「戦艦トリスタン ロイエンタール提督の艦隊です」
やはり双璧が出てきたか。こんなにも早くに。
ラインハルトは本気になっている。
この戦いは後世、第二次ガイエスブルクの戦いと呼ばれることになる。
それは悲劇の戦いとして名高い。
幾多の人々の運命を狂わせる戦いの幕は、こうして上がった。