平和の使者   作:おゆ

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第三十六話488年 4月 届かぬ疾風

 

 

 一方、ミッターマイヤー艦隊の方では手抜かりなくこちらの通信を傍受しようと試みていた。当然作戦行動中の艦隊は高度に暗号化されるものだが、この場合は叛徒相手ではなく同じ帝国軍艦艇であり、一部は傍受できていた。

 そこでミッターマイヤーはシュターデンが何かの理由で指揮を取れなくなり、艦隊指揮官が変わったのを知ることになる。

 

 そこまでは不思議というほどのことではない。シュターデンについてもわずか気の毒だとは思わなくもないが、敵味方になったのは不運、攻撃の手を緩めるつもりはない。

 

 だが、次の指揮官がカロリーナ・フォン・ランズベルク伯爵令嬢というのは何だ!

 冗談だろう? 貴族令嬢が帝国軍を指揮? 理解できない事態に、しばし静観した。

 

 

 わたしは自分のいるシュターデン艦隊とミッターマイヤー艦隊との間のいくつかのポイントに大急ぎで機雷を敷設させ始めた。それを見るミッターマイヤーは訝しく思ったが、さしたる意味があるとも思えず、慌てることもない。

 

「なるほどそうやって隠れ蓑を作るつもりか。だが戦術的には意味のない時間稼ぎだ。攻撃に顔を出した瞬間叩き潰す」

 

 ミッターマイヤーの側ではその時間を使って念には念を入れて攻撃態勢の布陣を強化する。それには先に敗退したバイエルラインの分艦隊を収容し、簡易修理を施して戦列参加させることも含まれている。

 シュターデン艦隊は機雷の敷設をせっせと続け、ミッターマイヤー艦隊に向け回頭すらしてこない。

 

 ミッターマイヤーはわずかに疑念を抱く。

 戦いを少しでも有利にするための陣地形成ではないのか? 機動力を削ぐための。

 

 いくつかの場所に機雷が敷設されても、そこに隠れての狙撃の態勢を取らない。

 それどころか幾つかの機雷原の隙間を埋めるようにまたしても機雷の敷設を始めてきたではないか。

 

「そうか! 奴らは最初から戦う気などなかった。逃げるための障害物を作ったのだ。最初に我が軍が厚く機雷を敷設した意趣返しか。小賢しいマネを。だがしかし、多少妨害しても逃げ切れるものか。奴らが逃げ始めたところから、追い付き、後背から仕掛ける!」

 

 ミッターマイヤーの決断は早い。そうと決めると艦隊を急速前進させた。もちろん疾さには充分な自信がある。

 

 

 わたしも全艦隊へ直ちに発進を命じた。

 

「敷設した機雷の内側に沿い、横方向に最大戦速!」

 

 今敷設させた機雷源の内部を航行していく。そして、機雷源は横に進むにつれこちらのシュターデン艦隊から見て手前側に来るようカーブしていた。それに沿って艦隊もカーブを描く。

 

 ミッターマイヤーの方もその機雷源を盾にした逃走を見ている。

 

「やはり奴らは逃げている。曲がりつつ進行しているようだが、こちらはその頭を抑えてやる。先回りだ!」

 

 ミッターマイヤーが進路を変えさせた。

 その時オペレーターが叫んで知らせる。

 

「提督、ダメです! ここにも機雷があります!」

「何!?」

 

 なぜ、と思ったのは一瞬だけであった。

 ミッターマイヤーはすぐに悟った。

 何とミッターマイヤーの方が最初に置いた機雷に邪魔されている。

 つまりシュターデン艦隊は自分の艦隊の前方と後方を機雷で挟むように敷設していたのだ。もちろん後方の機雷はミッターマイヤーが敷設したものをそのまま利用して。

 ミッターマイヤーは追い付くのが難しくなったことを悟った。下手な先回りはできない。

 

 シュターデン艦隊は真っすぐではなくてミッターマイヤーの機雷原を包むようなカーブで機雷を敷いている。今、その間の内周の狭い空間を進んでいる。ミッターマイヤー艦隊は大きくそれらの外周を廻らざるを得ない分だけ距離が長くなってしまうのだ。

 

 ここでカロリーナ艦隊の指揮を一時とることになっているビューローは思う。自分もミッターマイヤー艦隊が敷いていた機雷を戦術に利用したが、さすがにカロリーナ様だ。更にダイナミックに利用しているではないか。

 

 だが、ミッターマイヤーは決して諦めていない。

 ミッターマイヤーは自分の艦隊の速度に自信がある。例え距離の面で不利になろうとも追い付ける可能性は充分残っているはずだ。

 

 

 しかし事態は急変した。

 またもやミッターマイヤー艦隊のオペレーターが凶事を告げる。

 

「て、敵襲です! 艦隊後方から急速接近!」

「何だと! 後方からとはいったい…… 」

 

 見る間に艦隊後方から撃ち崩されていく。それもまた尋常ではないほど疾い。

 

「今別動隊が分かれたのではない。奴らは探知外に最初から伏兵を仕掛けていたのか!」

 

 驚きは更に大きくなる。最大戦速をかければ、このミッターマイヤー艦隊ならあっさり引き離せるはずが、後方から崩されることが止まらない。

 迅い、迅すぎる。どうしてだ。

 この伏兵は高速のミッターマイヤー艦隊の更に上を行く速度である。

 

 むろん、伯爵令嬢の命により潜んでいたファーレンハイトの別働隊である。

 烈将ファーレンハイトは今こそ高揚していた。

 

「これが疾風ウォルフか。凄いな。だが知っておくがいい。わが伯爵令嬢の知謀の前にはお前ごとき相手にもならん」

 

 

 完全に奇襲を受け、振り切れない。

 

「しまった、謀られたか…… 」

 

 ミッターマイヤーはこの戦いの失敗を受け入れた。蜂蜜色の髪をかきあげ、潔くそう認めるのはやはり有能である証拠だ。

 

「奴らは我が艦隊が大きく迂回して攻勢をかけることを読んで、更にその外側に伏兵を用意していた。追撃は断念する。防御を固めて、撤退に移る」

 

 この伏兵は小勢といえど本気で対処を開始すれば速度が鈍る。下手をしたら機雷の内周を回り切ったシュターデン艦隊に逆に追い付かれてしまう。

 そうなれば目も当てられない。

 

 

 数年前から帝国軍でも話題になっていた。

 カロリーナ・フォン・ランズベルク。

 艦隊を指揮して決して敗れることのない伯爵令嬢。

 「無敵の女提督」

 周りの人間が写真集を買う中、ミッターマイヤーは買わなかった。

 

「エヴァンゼリンほどかわいくはない」

 

 買っておけばよかった。人となりが少しでも伺えたのに。

 

 

 ミッターマイヤーは思い直しシュターデン艦隊へ通信を申し込んだ。

 直ちに回線が開いた。

 スクリーンに少女が映った。思っていたより小柄であり、空恐ろしい戦術を使う艦隊指揮官にはとても見えない。

 

「ローエングラム公麾下ミッターマイヤー大将です。今回の戦いではしてやられました。これでバイエルラインのことを怒ってやることもできなくなりました」

 

 少女はうふふ、と笑う。

 

「これはミッターマイヤー閣下、お目にかかれて光栄に存じます。カロリーナ・フォン・ランズベルクと申します。今回は正直言ってできすぎです。危ないところでした。閣下もまた撤退されてうれしく思います。お互いの兵の命を無駄に失わずに済みましたから」

「ですが、戦いは終わらず、次があるように思いますが」

「そうですね。でも、なければよいのに。そうは思いませんか。戦う必要はないのに」

「…… このような形ではなく伯爵令嬢とお話ししてみたかったものです」

「全くそう思います。それではまた。あ、大将閣下、またエヴァンゼリンさんのためにバラの花束を買い占めたらいいですわ。女は、二度、三度でも嬉しいものです」

 

 何とも不思議な感触のうち通信は終わった。

 ミッターマイヤーはまたあの伯爵令嬢とは戦いたくないな、と思った。

 

 勝つことよりも犠牲の少ないのを喜ぶ。少しも高ぶらず、理知的でありながら情に深い。

 むしろ味方として一緒に戦えればいいのに。

 

 どんな令嬢であったか、今度ワインを飲みながらロイエンタールに聞かせてやろう。

 

 

 


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