平和の使者   作:おゆ

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第三十ニ話488年 2月 捕虜交換式

 

 

 ラインハルトはいらだたしさと、その半分の安堵とが入り混じった感情にあった。

 

 アムリッツァ会戦のことである。

 帝国軍の焦土作戦は中途半端に終わってしまった。何と貴族の私領艦隊が出しゃばり、勝手に戦端を開き、あまつさえ同盟艦隊を次々と撤退に追い込んだからだ。これで同盟軍は早めに戦線縮小に転じ、帝国軍によって徹底的に各個撃破するのは不可能になった。

 

 それでもアムリッツァで再び同盟軍は集結し大規模な会戦になったが、もう同盟軍は撤退を決めていたのだろう。決定機が訪れる前に撤退した。キルヒアイスの指揮する帝国軍別動隊が挟撃のため背後から迫る頃にはほぼ撤退していったのである。

 むろんラインハルトは知るはずもないが、ヤンとビュコック、ウランフなどの提督たちや司令部参謀長グリーンヒル大将が、身心喪失していたロボス元帥を病気療養という名目で押し込めた結果なのだ。

 同盟軍に死亡した指揮官は数名しかいない。ほとんどは生き残った。特にウランフやボロディンといった勇将が生き残った。生き残ったということは司令部が健在で、その分多くの艦艇も助かっている。

 この帝国領侵攻で同盟軍の損失はもちろん数百万人以上に及んだが、壊滅というほどではない。

 

 帝国軍は貴族私領艦隊に交戦を禁じてはいなかった。小型の護衛艦などは残してもよいとした。

 

 だがこのような結果になるとは思いもよらない!

 いくら同盟艦隊が分散し、一つ一つの戦力が大したものではなかったとしても、貴族私領艦隊が戦えたとは。そんなものは正規の帝国軍からすれば戦力の端くれとも考えていなかったのに。

 

 原因はもちろんカロリーナ・フォン・ランズベルクである。

 彼女はいまや辺境開放の英雄であった。

 

 

 反面ラインハルトが安堵したことというのは、焦土作戦そのものが半端になったおかげで、暴動や餓死が最小限だったことである。オーベルシュタインの立てた焦土作戦はラインハルトやキルヒアイスにとってわだかまりの残る作戦だった。民衆の犠牲など好んで出したくはない。

 もう一つ、カロリーナがいったん同盟軍に捕まったのに無事で帰ってきたことだ。

 これにもラインハルトは素直に嬉しかった。

 

 

 

 その頃、宇宙の片隅ではゲームを楽しむかのように大局を語る者がいる。

 商業で栄える華やかな惑星、しかしその会話は陰鬱な部屋の中だ。

 

「ルパート、それで同盟側の損失はどうなった」

「およそ遠征艦隊の四割弱の損失、グラフではこうなります」

「ふむ、イゼルローン要塞を陥としたことでやや同盟有利になっていたが、この大敗でバランス的には帝国が大幅に有利に転じたか」

「自治領主、フェザーンもいよいよ方針の転換ですか」

 

 性急だな。

 このような性急さではとても宇宙を扱えん。若さのゆえか。

 自分もこんな年頃にはこれくらいなものだったか。

 いや違う。もっと深く物事を考えていたはずだ。

 失望させてくれるな、ルパート。

 

 フェザーン回廊を支配するフェザーン自治領、その自治領主アドリアン・ルビンスキーはそんならちもないことまで考える。

 

 

「いや、まだだ。同盟は会戦で負け、帝国領から叩き出されたとはいうものの、壊滅というほどではない。ルパート、かろうじて同盟は命脈を保っている。まだ併呑させるべき時期ではない」

「ではまだ様子見ですか。同盟がぎりぎりのところで踏みとどまっている以上は。それともバランス維持を考えるなら同盟に有利なように操作を?」

 

 ルビンスキーに対するルパート・ケッセルリンクもまた、言葉と内心は見事なまでに乖離している。表面の淡々とした会話は見せかけであり、感情はよほど激しく動いている。しかもあまりいい感情とは言えない。アドリアン・ルビンスキーといる時はいつもそうだ。

 

 何を偉そうな。ルビンスキー、宇宙の大勢をしたり顔で語っている。だが、あんたにできるのはせいぜい情報を加工して小出しに流すくらいなものだろうが。それで宇宙の主役になどなれるものか。

 

「ルパート、まだ何もする時期ではない。帝国にも同盟にもいずれ発火しそうな火種はある。情勢はこれからいくらでも動き、それを見てから考える。待つのも立派な手だぞ」

 

 そんなルパートの内心など最初からアドリアン・ルビンスキーには筒抜けだ。

 役者が違う。

 

(若者め。せめてその表情に出るのを抑えるすべを身に付けろ。野心を隠すくらいには)

 

 

 

 それから数か月後、帝国と同盟でお互いの捕虜交換式が行われる。

 それは帝国から申し入れて実現したものである。

 過去にそういうことが無いわけでもなかったが、珍しいことなのは確かだ。なぜなら帝国は共和主義の捕虜を「思想矯正」という名の奴隷労働力に使うのが普通であり、逆に帝国から捕虜になった場合は貴族であった場合を除き、平民の場合は失われても歯牙にもかけない。

 

 今回の捕虜交換は過去になかったほど大規模なものだ。もちろんどちらにも益はある。人道的、ということで同盟側はこの成功を政治的にも重要視している。

 交換されるのは主にイゼルローン要塞で捕虜になった帝国軍将兵と、主にアムリッツァ会戦で捕虜になった同盟軍将兵である。もちろん、それら以前からの捕虜も含まれる。

 

 実際の捕虜交換に先立って式典と調印式が執り行われる。場所はイゼルローン要塞、これもまた異例なことであり、今では同盟が実質支配している領域を使う。

 その式典に帝国からキルヒアイス大将、同盟からトリューニヒト議長が出席する。

 

 他にも随行する将兵は多数にわたる。

 そこにわたしまで加わっている!

 辺境星域の当事者として。また同盟軍ルフェーブル中将を捕虜にした私領艦隊司令官として。あの戦いの後に第三艦隊司令部を捕虜としていた。もちろんルフェーブル中将を丁重に扱い、かつて自分の受けた待遇の意趣返しなど微塵も考えていない。それがルフェーブル中将に崇高なメッセージとして伝わったかどうかまで聞く機会はなかったが。

 

 先ずは式典の前にわたしはキルヒアイス大将に短い挨拶を済ませた。忙しそうなので邪魔してはいけない。

 

「キルヒアイス様、お久しぶりです。この前はわたしのお願いに尽力して頂き感謝します」

「いえ伯爵令嬢、お役に立てなくてこちらこそ本当に申しわけありません。ですが、あの焦土作戦は決してラインハルト様も平気ではありませんでした。このことはお伝えいたします」

 

 キルヒアイスはやっぱり本心から申し訳なさそうだった。ならばもうそのことは言うべきではない。

 

「わかっております。キルヒアイス様。また今度、アンネローゼ様のところでお茶を飲みましょう」

 

 

 さて、肩の凝る調印式が無事に終わって記者会見も終われば、夕方からは非公式の懇親会だ。

 楽しみだ!

 先ずは目で探る。知っている同盟軍の人物を探していく。決して、興味本位ではない! と思いたい。

 

 直ぐに何人も見つかったではないか。むろん、ヤン艦隊の皆は曲者揃いの有名人ばかりなのだから。

 あれがたぶんオリビエ・ポプラン中佐だわ。

 その向こうはワルター・フォン・シェーンコップ准将ね。

 う~ん、さすがにどちらもかっこいい。

 きりっとした精悍さと大人のゆとりがある。半径3メートルは危険宙域!

 でも、わたしの方が相手にされないと思う。勝手な想像でかえって気分が暗くなる。

 

 ところが目で探っていたのは決してわたしの方だけではなかった!

 

「伯爵令嬢、あの時はスクリーン越しで失礼しました。間近で拝見しますと…… いえ、同じですね」

 

 いきなり軽口が来た。

 間近で見たら綺麗で驚いた、くらいに言ってよね。

 

「アッテンボロー様、そんな軽口を言ってますと、あそこのお二方に女性兵をみんな取られてしまいますわよ」

「いいんです。今はあの連中よりそちらの赤毛の大将が一人占めですから」

 

 それは、わかる。

 わたしから見れば、あのラインハルトの友にして腹心というのが大きいから最小限の引力しか感じないだけで、キルヒアイスが女性兵のハートを掴むのは当たり前だ。

 

「しかし、女性にも一途な方がおりましてよ。そちらのヤン提督にもすぐ横に十年一途な方がいるでしょうに」

 

 それが誰かなど言う必要もない。ヘイゼルの瞳を持つ可愛い副官のことなどは。アッテンボローも分かっているはずで、知らぬはヤン・ウェンリーだけなんだろう。

 しかし軽口もここまでにした方がいい。

 カロリーナには話すべき目的があるのだ。

 

 

「ところでこの捕虜交換ですけど、ヤン提督には、その、意味がおわかりでしょう?」

 

 アッテンボローはあんまり表情を変えない。

 たぶん、アッテンボローは同盟の運命も、夕食のメニューも同じ表情で考えるのだろう。いつもひょうひょうとした楽し気な表情で。

 

「伯爵令嬢、そのことはヤン提督から聞いてますよ。おそらく、荷物にネズミがくっついていると。少し厄介なやつが」

「やはりヤン提督は分かっていらっしゃいましたか。それならば安心です。わたしもネズミは嫌いですので退治には協力します。」

「伯爵令嬢が? 同盟に来るネズミを?」

 

 この意味だけはアッテンボローに分からない。同盟に痛めつけられたばかりの帝国辺境星系の人間がなぜ同盟を助けるのか。あらゆる意味であり得ない。

 

「ヤン提督に後で伝えて下さい。できるかぎりのことはします」

 

 アッテンボローに最後の言葉はもっと謎となる。

 

「わたしも、民主主義は嫌いじゃありませんから」

 

 

 

 最後に亜麻色の髪の少年を探した。

 特に用事という用事はなかった。それこそほんの興味本位だ。

 

 いたいた。そそっと近づく。

 

 先ずは観察する。サビーネと同じような年頃、そして瞳がきれいだ。この瞳で、これからヤン提督の教えをすべて吸収するのだろう。

 向こうからぎこちない会釈をしてきた。寄ってきたのが分かったのだろう。先手をとられた。

 とりあえず話せる距離まで近づく。そこでにっこりと会釈を返した。

 あー、でも何話そう。

 考えてなかった。まずい、どうしよう。

 

「ユリアン・ミンツ様ですね。カロリーナ・フォン・ランズベルクと申します。ヤン提督の紅茶をいつもおいしく淹れて頂き、ありがとうございます」

 

 わたしはいったい何を言ってるんだろう。でも一応言葉をつむぎ出せるのは年の功か。

 

「僕はヤン提督のお世話をするしかないので、紅茶もおいしく淹れようと頑張ってます」

「偉いですわ。いろいろ大変なのに。それなら、紅茶だけでも提督の副官さんにお教えすればよろしいのに。料理は、ちょっと難しいかもしれませんが。提督はオルタンスさんの料理で舌が肥えてるかもしれませんわね」

「提督は、紅茶と違って料理にはそんなにうるさくありません。特に考え事をしてると今何を食べているところかさえ頭にないときもありますから」

 

 ユーモアのセンスはさすがに周りの影響を受けている。軽く笑った。

 ユリアンの方は、わたしが噂でヤン提督のことを知ってるんだろうと考え、それで疑問には思わなかった。キャゼルヌ中将のところによく食べに行っていることなんかも。

 

 この捕虜交換式で、後にもっとも重要になることをわたしは企まずして行った。

 ユリアンから教えてもらった上手な紅茶の淹れ方のために、ヤンの中でそのヘイゼルの瞳を持つ副官、フレデリカの株が急上昇したのである。

 

 

 

 


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