カロリーナ艦隊とその同盟艦隊は距離を取って対峙した。
互いに慎重さを崩さない。
カロリーナ艦隊は少数のためうかつに決戦に入れず、しかし同盟艦隊にとってはここは敵地、少しの消耗も避けたい。
突如、カロリーナ艦隊から百隻の艦艇が分かれて突進してくる。同盟軍は引き付けてからやすやすとそれを撃破した。それは無人艦だっだ。
それが終わるやいなやカロリーナ艦隊は二手に分かれる。
二千五百隻ほどが元の場所から移動を始め、同盟艦隊から見れば斜め方向に発進し、しばらく速度を上げたあとは等速で飛び続ける。
もう一つ、カロリーナ艦隊が元いた場所に、未だ数千の艦影が静止しているようだ。
同盟艦隊は移動して去った方の艦隊ではなく、元の場所に留まっているカロリーナ艦隊に迫った。
途中わずか陣形を広げたのは、同盟軍は数の優位を生かして半包囲態勢を敷こうとしているのだ。その動かなかった方のカロリーナ艦隊はそれでも慌てて動いたりはせず、散発的に長距離砲を放ってくるだけだ。
しかし突然、同盟艦隊は前進をやめた。
半包囲態勢を順次解除、やがて全ての艦が回頭し、整然と後退に転じる。そして先に移動を始めた方のカロリーナ艦隊を追う態勢に変わった。
その直後だ!
ジャミング工作で見えなかった方角から高速で何かが接近してきた。
それらは形状からして数十の小惑星のようだ。真っすぐ猛スピードで戦場に飛び込むと、動かなかった側のカロリーナ艦隊の艦列に衝突する!
その刹那、艦列は突然何千何万もの岩石に化け、あらゆる方向に高速で散っていく。
静止していた艦列は、艦ではなかったのだ
岩石を艦艇に似せて作ったダミーなのである。
今、飛び込んできた小惑星の衝突でバラバラに砕け、破片どうしがぶつかり更に破片を呼ぶ。細かく、しかしそれぞれが高速のエネルギーを保持し、艦の物理シールドの許容量をはるかに超えるものだ。もしも当たれば艦艇など粉微塵になる。
つまり無数の凶器だ。
しかし同盟艦隊はすんでのところで反転、離脱していたので被害はなかった。
同盟艦隊は、しかし移動しているカロリーナ艦隊を追撃することもやめた。
かえって星系から退くように進もうとする。
一人わたしは背中に冷や汗を流していた。
必殺の策を破られてしまった!
カロリーナ艦隊の皆は同盟艦隊を驚かせて撤退に追い込んだと思って歓声を上げている。
冗談ではない!
同盟艦隊は撤退するようだが、あのまま戦いを続けていればこちらが必敗だった。むしろ、なぜ戦わずに星系から去る方を選んだのか不思議だ。
同盟艦隊旗艦ヒューべリオンでも冷や汗を流している者がいる。
「こいつは…… 先輩、危ないところでしたね! 敵がこんな大技を使ってくるなんて」
「アッテンボロー、帝国は軍人に有能な将帥がいくらもいる。でも民間にさえ有能な指揮官がいるとは。貴族艦隊すら侮れないなんてまいったね。早く帰ろう。紅茶の補給が切れるまえに」
「紅茶を飲みにここまできたんですか。ヒューベリオンは移動喫茶じゃありませんよ」
わたしは思い切って同盟艦隊に通信接続を求めた。もう戦いにならない以上、その疑問を解消するのもいいかと思ったのだ。半分以上ダメ元のつもりだったがしばらく待って通信が繋がった。
どちらの驚きが大きかったろう!
こっち側のスクリーンに映るのは、ベレー帽が落ちそうな黒髪の冴えない指揮官、手には紙コップ。間違いない! あのヤン・ウェンリーが映っている!
これがヤン・ウェンリー、不敗の名将、あのラインハルトさえ追い込む智謀の主だ。
これではわたしの策など通じるはずがない。
「カロリーナ・フォン・ランズベルクと申します。かの有名なヤン・ウェンリー提督とお見受けします。戦場で言うのもなんですが、ご無事で何よりです」
ヤンの側のスクリーンには一人の少女が映っている。
軍服ではない。ドレス姿であるが華美ではない。地味な普段使いといった感じだ。そして小さくかわいい顔が驚いた表情を作っている。
これが過去数年、巧緻を極めた戦術でいくたの敵を破ってきた伯爵令嬢か!
「ヤン・ウェンリーです。伯爵令嬢のことは昔から興味があって知っていました。あ、いや違います。写真集じゃなくて、戦術指揮官としてですけど」
殿方に長いこと興味を持たれて女冥利に尽きますわ、フフ、などというセリフを言ってみたかったが、ここはこらえた。
今はお互い貴族私領艦隊指揮官と同盟軍提督の立場なのだ。
「先ほどはわたしの策を見事に破られました。お見事です、さすがはヤン提督」
「令嬢の策は見事でした。最初に無人艦を見せつけてから、単調な発進をして、これで移動を始めた方の艦艇と、残った方の艦艇とどちらが欺瞞なのか迷わせました。こちらが残った方の艦艇を狙い、そして包囲しようとするタイミングも令嬢には計算の上だったのでしょう。下準備は申し分ありません」
「まあ、そう評価して頂けて…… 無駄に終わりましたけれど」
「いや、見事な策です。そしてそのタイミングで小惑星を突入させるとは! ただ小惑星を艦隊に突入させただけでは避けられて被害はたかが知れています。艦に偽装した岩石は小惑星から選んで持ってきていたものでしょうが、これにぶつけることで無数の破片に変えて攻撃するとは恐るべき戦術です。ほんの少し気が付くのが遅ければこちらは全滅していたかもしれません。掛け値なしに凄いと思います」
「しかしヤン提督はあっさりと見破られた……」
「それは艦に偽装した岩石から撃ってきたからです。よりダミーを艦隊らしく見せ掛けるためだと思いますが、本当に艦隊なら撃つ必要がないでしょう?」
「わざわざ自動砲台まで取り付けたのに、ダメですね。わたしなど、まだまだ。いいえ、ヤン提督のレベルに近付けもしませんわ」
お互いの艦橋にいる二人以外の人間は、それほどまでの頭脳戦が繰り広げられていたことに対して改めて畏れの感情を抱いた。
伯爵令嬢は恐るべき策を立て、それがうまくいくよう幾重にも組んでいる。
だが、ヤン・ウェンリーは少しのことから真実を見破り、それを無にしたのだ。
「伯爵令嬢、こちらが撤退するのはここで戦っても戦略的に意味がないからです。撤退は既に決めていましたし、それが遂行されれば充分です」
「ヤン提督は戦略こそ重視しますものね。今回のこちらの作戦ですがもしうまくいっていたら、艦艇と人員に大きな被害が出るところでした。もし戦力差がなければこんな方法はとらなかったのですが。とにかくこんな作戦にしたこと、お詫び申し上げます。ごめんなさい」
それはわたしの本心、深く頭を下げた。
まさかヤン・ウェンリー、この天才かつ民主主義の砦をわたしが失わせることなどやっていいものではない。
逆にヤンも不思議に思っている。
なぜかこの貴族令嬢は同盟軍を嫌っていない。むしろ兵の命を心配している。味方のも、敵のも。
「ヤン提督! 女の子にごめんなさいさせて、何黙ってるんですか! 早くベレー帽取って頭下げて」
「え、アッテンボロー、なんで私が。いやこっちこそ、お気遣い頂いていろいろすみません」
ここでヤンの横からアッテンボローが茶々を入れてきた。
ついついわたしはおかしくなってスクリーンの端に見えるアッテンボローに声をかける。
「よく気のつくアッテンボロー提督ですこと。どうしていつまでも揃って独身なんでしょう」
ひゃあ、いらないこと言った?
ところが返事は思いがけずこちらの艦橋から返る。
「令嬢も人のことは言えませんな。虫一匹つかないで枯れる花は哀れだぞ」
「カロリーナ様はとびっきり遅咲きなだけにございます」
ファーレンハイトとルッツが横でもっと余計なことを言っている。他のメックリンガーなども完全同意の顔をしているのが憎らしい。
「話を戻しますが、こちらもすぐに撤退いたします。ヤン提督がおられた星系では物資の強奪など決してあるはずないでしょうから。民も安心だったでしょう」
「それはどうも。なぜか信用して頂いて。ですが他の星系では同盟軍が、その、迷惑をかけている可能性も」
「ヤン提督に責任はありません。元はといえば辺境星系の住民のことなど考えない焦土作戦をとった帝国軍が一番悪いのです。それははっきりしています。民を守るために軍隊があるのです。民を害するなど軍隊ではありません」
「私もそう思います。全く」
「それでは、また会う日まで ………… 」
わたしはにっこり会釈してから、声に出さない口を動かし、そして通信を切った。
その後、しばらくヤンは考えていた。
お互い恐ろしいほど軍隊らしくない艦橋だった。雰囲気が非常に似ていたとは。
面白いことだ。伯爵令嬢は思っていた以上にフランクでさばけた人柄だった。
真剣にならざるを得ないのは、民を守るための軍隊、令嬢は確かにそう言った。
本来は帝国ではなく同盟の軍隊が高らかにそれをうたうべきだ。
しかし現実は帝国に令嬢のような人物がいて、それを力の限り実践している。
かたや同盟の軍隊は民のためか? 無意味な戦役ばかり繰り返し、手に入りそうな平和を遠ざけ、結果戦災孤児と未亡人を増やしているだけではないのか?
令嬢が最後に声に出さない言葉、おそらく証拠を残さないでメッセージを伝えるためだろう。
その解析が終わってヤンの元に文章が差し出された。
「ハヤク テッタイヲ アツマラナイデ スグニカエッテ テイコクグンガ クル」
同じ時、わたしの方もいろいろ考えた。
ヤン・ウェンリーは確かに風采は上がらない。でもなにかしら魅力がある。
フレデリカさんがつきまとうはずだわ。ジェシカさんにはわからないのか。
アッテンボローはいい人だ。おそらくポプランとシェーンコップがいなければモテたはずだ。
いや、実際はモテているかも。他人のことは目ざといが自分のことはてんでわからない人っているから。
ヤンとは考えるレベルが100倍違う、その自覚だけはあった。