平和の使者   作:おゆ

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第二十九話487年 5月 捕虜の令嬢

 

 

 ああ、どうしてこうなった。

 軍人でなければ捕まったりしないと思っていた。

 

 しかし、それでもまだ甘かったのだ。

 

 単に閉じ込められるものだと最初は思った。単に監視がついて自由に動けないくらいに。それは軟禁という。

 自由惑星同盟軍は帝国貴族より柔和で対話的だという思い込みが全ての間違いの発端である。同盟軍でも軍は軍、敵とみなした存在に対し、甘さも緩さもない。

 

 本格的な拘禁室に入れられて初めて現状を理解した

 つい半日前は豪華な貴族の屋敷にいたはずなのに。

 それが今はあまりに無機質で灰色の狭い部屋にいた。狭く、陰湿で、しかも鉄格子付きの。

 一枚だけ毛布のある小さくて硬いベッドと、部屋の隅に小さいトイレがある。他には装飾と言えるものは何一つない。

 ドレスは脱いで藍色の囚人服のようなものに着替えさせられた。

 アルフレット兄さんをオーディンに送っておいてよかった。たった二人の伯爵家、同じ場所にいるわけにいかない。もちろんアルフレットは残る方にと言ってきかなかった。そこを、おそらく領地領民に関する調べがあるだろうからとわたしが押し切っていた。

 

 これからどうなるのだろう?

 痛いことはないよね。きっと、たぶん。

 いきなりこんな状態になるとは、夢のようで信じられない。

 領民の混乱を防ぐため同盟軍への説明係りになろうと思って残ったのに。他の辺境貴族はみな領地をほったらかしてオーディンに避難している。

 

 確かに同盟軍は一時的に寄ったつもりではなく、恒久的に同盟領にするために来たのだ。敵とみなす帝国貴族に対し尋問というのも厳しくなるだろう。住民を虐待した事実があれば恐ろしい罰になるに違いない。

 

 

 しかしわたしには絶望しなくてよい充分な根拠があった。

 拘禁は少しのことになるはずである。そう遠くない日、帝国軍の逆襲が始まるまでの。

 

 少しのことが、本当に少しになった。たった3日もなく。

 拘禁されて3日目の夕方、妙な騒ぎが聞こえた。鉄格子の方に近づいて様子を知りたかったができなかった。足がすくんでしまうのだ。

 

 わたしは恐怖の記憶が鮮明に残っていて動けない。

 拘禁された最初の晩のことだった。硬いベッドに寝つけず、途中で起きてしまった。そして不用意にも鉄格子に近付いてしまった。

 すると、監視兵に格子越しに銃の先で体を突つかれた!

 部屋の奥へ押し戻すためなのだろうが、それは名目なのだろう。必要な力とは比べ物にならない位の勢いで、鋭く肩を突っつかれたのだ。それもわずかに避けたからそうなっただけで全く動かなければ鎖骨に入っていたはずである。

 

 銃の先は刃物ではないが、人に対する物としては充分に凶器たりえる硬さと鋭さがある。

 痛いのと急なことで唖然とし、一歩だけよろめく。そこで何と今度はみぞおちに思いっきり銃の先を入れられた。

 

 それは純粋に痛み苦しみを与えるための、何も遠慮のない力一杯の突きだ。

 

「ぁ…… ぁがぁぁ…… 」

 

 わたしは息を吐き切り、吸えることなどない。すぐに崩れ、頭から床に突っ伏して呻いた。床に打った頭の痛みがむしろ気持ちいいとさえ感じるほどみぞおちから苦しみが来て止まない。

 無様に開いた口からよだれが出る。

 悶え苦しみ、不自然なまでに曲げた首のところに第二撃が届いた。

 

 わたしは意志の力を振り絞り、懸命に転がって部屋の奥に逃げた。第三撃は足にかすっただけで済んだ。

 床に転がったまま、やっと息を吸えるようになると、その監視兵を見上げた。

 こんな、こんな無防備なわたしになぜ暴力を加えるのか。

 柔らかい人間の体になぜ酷いことをするのか。

 理不尽に対する抗議の激情を瞳に込めたつもりだ。弱弱しく負けを認めせめてもの憐れみを求める奴隷、そんな者になった気はない。

 

 しかし、わたしの瞳などより強い光がその監視兵の目にあったのだ。

 

 明らかな強い敵意である。

 同盟軍兵士として帝国を憎むよう教育されたなどという程度のものではない。たぶん同盟と帝国の戦いで、友人か、家族かが犠牲になったのかもしれない。

 こっちの方が怯んでしまう。

 

 

 

 そこから二日、つまり三日目の番だ。

 何か騒ぎが聞こえる。何かと思い、耳をそば立てる。鉄格子の方を見るが、今は監視兵はいないようだ。ゆっくりと鉄格子に近付き、廊下の方を見ても誰も。

 と思っていると遠くから人が来る。

 警戒していたわたしはぴゅっと鉄格子から離れて部屋の奥に逃げ込む。また銃で突つかれてはたまらない。その経験だけは繰り返したくない。

 やっぱり兵士が来たらしい。そして鉄格子の電磁錠を開けていくのが分かる。

 ああ、尋問の夜の部があるのか。またしてもどのくらいの時間責められるのだろう。

 尋問とは、延々と続く質問と気を一瞬も抜けない説明の繰り返し、むろん極度の疲労をもたらす。たぶん、情報を引き出すためではない。ただのいじめだ。そして疲労の余り罪状につながるような話をうっかりしゃべることを期待しているのだろう。

 

 気分はどんより暗くなる。

 泣きたい。実際に涙が出てきた。もううんざりだ。

 

 

 

「カロリーナ様、早く出られますよう」

 

 しかし、掛けられた声は違う。

 あっ、ケスラーの声だ。見ると同盟兵士服装をしたケスラーの姿だった。

 

「そう長くはごまかせません。早く抜け道の方へ」

 

 こんな建物の深部までケスラーが助けにきてくれたのだ。どうやって?

 ケスラーの案内で廊下を走り、別の小部屋に入った。その窓のない部屋の壁に、更に奥へ行ける穴が開いている。

 

「点検シャフトの一番近いところから壁を開けて侵入したのです。叛徒は建物の構造など知りませんから容易にできました」

 

 建物は統治府の一部である以上、それもそうだろう。とはいっても少なくない数の警備兵がいただろうに。さすがにケスラーだ。

 建物を抜けると用意されていた車に乗ったが、その運転席にルッツがいた。街はずれまで行き、何とそのまま森に突っ込み、手動運転に切り換えるとルッツがたいそう器用に運転して進む。

 すると森に隠された小型宇宙艇が見えた。

 わたしを含め三人は直ちに乗り込んで発進、この間わずか30分もかかってはいない。

 その時、宇宙港の方から派手な爆発音がした。たぶんこっちから目をそらすための仕掛けをしておいたというところだろう。

 

「手際がいいですわ。さすがはケスラー様、ルッツ様」

「伯爵令嬢、作戦は全てケスラー軍事顧問が立てたものにございます。令嬢救出に電光石火で行動されました」

「カロリーナ様、無事でなによりです。宇宙港はやむを得ず一部破壊せざるをえませんでした。そして、事を急ぎましたのは訳がございます。捕縛された貴族は明日にはイゼルローンに身柄を移されるとの情報を得ました。欺瞞ではござません」

「そうですか。それで無理しても…… 」

 

 そうなのか。では危なかった。確かにイゼルローン要塞まで連行されたらもうどうにもならない。最悪わたしは民衆の敵として裁判、処刑を待つばかりだったかもしれない。

 

「うかつだったのです。叛徒にとっては帝国貴族は敵そのものなのですから。わたしの考えが甘かったばかりに、お二方にも危険な目にあわせました。本当に反省しています。すみませんでした」

「無事に戻ればいいのです。カロリーナ様は領民のために残ったのです」

「そうです。むしろ領民や将兵にとって大きな励ましになるでしょう」

 

 二人は優しく労わってくれた。

 それにしてもルッツやケスラー、特にケスラーはこういう行動に長けている。もちろん艦隊指揮も水準以上と思うけど。

 わたしは自分でもつまらないと思うことを考えてしまった。

 確か、後にケスラーはマリーカ嬢というずいぶん年の離れた少女と結婚するような。ロリっ気があるはずだわ。わたしも18歳、まだ少女の範疇にまだぎりぎり入る。ひょっとしてそれで頑張ってくれた? やっぱり違うか。

 

「ですがカロリーナ様、ここからが問題でございます。叛徒の艦艇は地上ではなく主に宇宙にあります。哨戒網を突破いたしませんと」

 

 

 

 その通りだ。同盟軍艦艇が領民との軋轢を嫌って降下してこないのではない。そもそも降りることを考えて作られてはいない。

 

 ちなみに帝国軍の艦艇は地上まで降り立てるが、それは民衆の反乱を速やかに治めるためといいながら、実際のところは貴族士官が乗り換えの手間を嫌がったというのが真相である。

 それで帝国の艦は無駄に大気圏内性能まで考慮されている。

 逆に同盟軍の艦艇は宇宙での行動に特化、だから空気抵抗を考えない無骨なスタイルをしている。また艦後方のプラズマエンジンの先に長いスカートのようなガイドレーンを取り付けてエンジン性能を上げることも可能になっている。ずっと合理的な構造なのだ。乗り降りには地上からシャトルを使わねばならないという手間はあるが。

 シャトルの話ならば、もちろん宇宙に出るのにはフェザーンのような軌道エレベーターがあれば一番いいに決まっている。

 しかし同盟においては建設費の面で無理である。

 帝国においてはルドルフ大帝の像の高さを超える建築物は作ってはならないという不可思議な絶対法のため設置できない。

 

 ともあれ結果として同盟軍艦艇の方が宇宙性能で勝る下地があった。

 しかし逆に同盟軍の艦艇にはコストの面での制約がある。同盟は帝国の半分しかない人口で軍を支えねばならないため、コストカットの要求はきつく、艦体の合金などの材質面において低水準なものを用いなくてはならない。また量産性を徹底的に考慮したシンプルな設計にするのも必然である。もちろん艦隊旗艦が特別製の戦艦などという贅沢は考えてもいない。

 このため戦闘艦としてのハード的な性能はどっちもどっちのところに落ち着いている。帝国の人口と生産力が非合理的な構造を補っているともいえる。

 

 

 

 さあ、宇宙での脱出行、わたしが今後を指示する。

 

「叛徒の艦艇が宇宙空間にあることは知っています。逃げ切りましょう。先ず、真っすぐ星系の太陽へ向かって下さい。探査システムは太陽風で多少妨害されます。そればかりではなく、叛徒としたら星系の外に逃げるものとばかり思っているでしょう。星系の内側に逃げるとはあまり考えないはずで、その盲点を突きます」

「なるほど…… 確かに心理上、外に逃げるのが普通、それは盲点です」

 

「太陽に接近したら、そのぎりぎりを通り抜け、進路を変えながら加速を続けてそのまま進んで下さい。それとできたら無人艇を用意して、でたらめの方向に進ませて下さい。その無人艦は、停船信号を受けたらそのままゆっくりと停止するようにセットしておき、決して自爆させてはいけません。いちいち扉をこじ開け臨検しないといけない手間がかかったほうが時間が稼げます」

 

 ケスラーは警備や憲兵の仕事が長かった。

 艦隊戦より欺瞞工作や情報戦の面で多少長けているという自負があった。しかしこの令嬢の策では自分が叛徒側だったらきっと欺かれる。

 ケスラーもルッツも思った。

 

 この令嬢は一体なんだろう。すさまじい手ではないか。

 

 

 

 

 一行は逃げ切ることに成功し、小惑星帯に隠してあった艦隊と合流できた。

 

 カロリーナ艦隊は輸送艦の護衛の任という偽装をしていたが、途中で離れてこの場所に集結し潜伏していたのだ。

 その数、五千隻あまり。

 しかし帝国軍の指令に従って戦艦に類する大型艦は入っていない。それは遠くオーディンに送ってしまった。つまり、数ではそこそこ多くとも大型艦の防御力や火力にはとうてい対抗できない戦力に過ぎない。

 

 それを百も承知でわたしは皆に言ってのけた。

 

「そろそろ叛徒は物資が欠乏して限界がきます。でもそうなると逆に領民に被害が及んでくるでしょう。領民から食料を奪わせてはなりません。ここは、その前に叛徒の軍と一戦して勝利し、星系から追い払うのです」

 

 この隠れ蓑である小惑星を出て領地惑星に向かう。

 当初わたしは武力行使までしようとは考えていなかった。艦隊を潜伏させたのは万が一のために過ぎない。わたし自身は民主主義を信じ、政体としてはもちろん帝国より同盟の方を応援したい。だから敵愾心を剥き出しにして同盟軍と戦うなど思いもしていなかったのだ。

 それに何より、どうせ短期間しかいないことになる同盟軍、平和裏に交渉出来たら問題ないと思っていた。

 だが物資を巡って理性的な交渉が難しいことは拘禁の経験で分かった。

 同盟軍の方は貴族を深く憎んでいる。少なくとも同盟軍のここの司令官とわたしは話ができない。

 

 

「賛成ですな。ルッツとケスラー殿にばかり働かせてしまってそろそろ自分も給料分働きたく思っていました」

 

 ファーレンハイトは軽口を叩いたように見えたが、これ以上ないほど固い決意をもって戦うつもりだ。

 たとえ戦力で大幅に不利であっても、絶対に戦う。

 そして叩き潰してくれる!

 

 見えるところだけで伯爵令嬢の額と首に傷があるのだ。

 令嬢はなぜか決して事情を語らなかった。怯えるだけで。

 しかし皆には想像できたのだ。たったの三日だけでも受けた待遇の苛烈さを。

 

 

 全員がやる気になっている。

 

 おのれ見ておれルフェーブル中将とやら!

 伯爵令嬢の艦隊の戦い、その身をもって思い知るがいい。

 

 

 

 

 


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