平和の使者   作:おゆ

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第十話 483年 2月 さらば、遠い日

 

 

 話は少し遡る。

 

 わたしはむろんタイムリミットを常に考え、少し焦っている。

 ラインハルトと貴族連合の戦い、リップシュタット戦役まであと5年しかない。

 早く人材が欲しい。

 

 急がねばならない理由はまたもう一つある。有能な人材ほど軍内の出世が早く、あんまり階級が上がってしまうとそもそもランズベルク領艦隊に呼べなくなってしまう。

 ここにあるのはなんといっても小さな艦隊である。規模が小さければ、将官級の人材に来てもらえるような魅力がない。

 呼ぶなら出世していない今のうちしかないのだ。

 帝国軍では少将でも分艦隊三千隻を指揮することさえある。准将でも六百隻を指揮するのが慣例だ。

 私領の場合だともう少しは少ないのものだが、ランズベルク伯領艦隊総数四百隻余りではあまり高い地位を与えられず、既に高い地位にある人間は招聘しようもない。さすがに降格で呼べるわけがないではないか。

 

 

 わたしは急ぎ有能な人材に手紙を書いてランズベルク領艦隊に招聘しようとした。

 そして障害はもう一つある。かつてミュッケンベルガーが言った通り、本人がたとえ希望しても帝国軍が許可しなければ移籍できないのである。無制限にそんなことを許せば、好条件を示す大貴族がやりたい放題に軍備を整えられることになるからだ。

 

 結果、ケンプとシュタインメッツにはあっさりと断られてしまった。

 ケンプは大変有能な人物ではなかったが現在辺境にあり、好条件を示せばあるいは、と思ったのだが…… それと数少ない妻帯者であり幼い子供達がいることを知っている。戦いで死なせるのは可哀想。ぜひとも招聘しておいてやりたかった。

 アイゼナッハからの返信には「せっかくですがお断りします」とだけ記されてあった。

 さすが沈黙提督、口だけでなく手紙も寡黙なのね。

 

 

 一方、ファーレンハイトは前向きの返事だった。

 

「令嬢、面白い人生にしてくれると言うなら、考えよう」

 

 意外なことにルッツも前向きだった。ファーレンハイトもルッツも、共通して出世欲は少ない。

 ルッツの場合は射撃などの個人趣味があったためかもしれない。

 

 早速この結果を踏まえてミュッケンベルガ―に甘えてみた。

 

「すぐに移籍はさせられん。少しでも早くというのであれば臨時の軍事顧問として送る手はある」

 

 先の戦いのせいか、融通をきかせてくれそうだ。

 ミュッケンベルガーとしても謎の艦隊がランズベルクと戦ったのは大いに気にかかる。今後のためにも有能な指揮官を移籍させるのは良いことだ。

 

 そして待ちに待った日が来た!

 ファーレンハイトとルッツが臨時の軍事顧問という立場ではあるがとにかくランズベルク領艦隊に来てくれた。

 

 

 しかし、わたしは下らないというか意外な面で悩まされることになる。

 

 先の謎の艦隊との戦いはなぜか水色の戦いと呼ばれているのだが……

 

「その名前、困るのよ。とっても」

「そう、伯爵令嬢のゲロですからね。腐っても貴族の高貴なゲロ。高貴であるからには匂いでも違うのですかな」

 

 何てことを! そんなことを言うファーレンハイトに向かって怒りのオーラが立ち上るのは当然だ!

 

 ルッツがこれはいけない、と間に入った。

 

「カロリーナ様、ゲロは恥じることではございません。どんな高貴な方々でもゲロが出る時には出ますれば」

「この…… 」

 

 今度はルッツに向かって怒りが燃え上がった。

 澄ました顔で、実は内心面白がっているのだ。そうに違いないぞ!

 

「軍人でも新兵の頃には戦いに際してゲロを出してしまうことは珍しくもございません。帝国の軍服は黒っぽいのでゲロでも染みが目立ちにくいだけでございます。カロリーナ様のスカートのような白であれば、ゲロでたぶん染みが」

「うるさいィー!!!」

 

「とにかくカロリーナ嬢、外に戻すのはどうだろう。ゲロにするための食事ではないだろうが」

「カロリーナ様、ちゃんと栄養分を採らないと、小さいままになったりしたら」

 

 とにかくファーレンハイトもルッツもイジりがいのある相手に容赦しない人間であった。

 

 「ふっふっふ、、ふっ、」

 

 これ以降、カロリーナの新作菓子の試食会には時折物凄い辛さのものが混ざることがあったという。「あら、何か調味料を間違えましたわ。ごめん遊ばせ。」

 

 

 実務としてはこの二人に艦隊についての編成や運動についてアドバイスをもらい、模擬戦闘を繰り返して着々とランズベルク領艦隊の練度は高まっていった。

 

 それと並行して、わたし自身の訓練も行われた。

 自分で率先して言い出したことなのだが、実は少し後悔していた。負けん気の強さで言い出さなかったが。

 

「あ、え、ふぎーーーーっ!!」

 

 見事にすっころばされてしまう。

 模擬ナイフを突き出され、うまく後ろに避けたまではよかった。

 体勢を戻すために前に重心をかけた瞬間、足を払われた。

 頭・肘・膝に防護用高強度ネットをかけているからとはいえ、痛いものは痛い。

 

「地面にキスするとは伯爵令嬢、よほど地面がお好きですなあ。最初の恋人はこの地面ですかな?」

 

 憎たらしい、ファーレンハイト、調子に乗り過ぎよ!

 眼前に地面を見て言う。

 

「こんな、茶色くてでかいの、恋人じゃありませんことよ!」

「前言撤回、では今恋人はおりません。たぶんこの先も、いえ言わないでおきましょう」

「無礼な! 伯爵令嬢に向かって無礼千万、何たる口の聞きようか! 妾は偉いんだ! すごく偉いんだぞ!」

「軽口を叩けるうちは大丈夫のようですな。 敵の第二撃があったら死んでいるところです」

「ううう、、」

 

 わたしとしては颯爽と、傍目からはふらふらと立ち上がった。

 

「転んでお顔が汚れて…… おや、転んで胸もつぶれてまっ平らになったようですが、以前の様子が思い出せませんな。はて、有れば思い出しようもありますが」

 

 精神面で痛撃をくらわせてきた。ファーレンハイトはわたしが子供扱いされたり、体型のことを言われるのが嫌いだと分かって言っているのだ。

 

「……ファーレンハイトォ、てめえブッ殺す!」

「おっ、下品な地を出すのははしたないですよ、伯・爵・令・嬢」

 

 護身術訓練している令嬢その二人を見ながら、ルッツは次の時間に行う射撃訓練に備えて待っている。

 そんな訓練を今日を含めて五回ほど行った。これからも週一回行う予定である。

 伯爵令嬢ともあろう貴族が護身術訓練や射撃訓練をすることなど通常あり得ない。身辺の護衛が常に付くのが当たり前である。けれど、令嬢は自分から訓練を言い出して行っている。

 とにかく変わった令嬢だ。

 決して嫌いではない。

 伯爵令嬢はこの訓練の前、午前中にはランズベルク領統治府で立派に来賓の応対をこなしたのだ。そこで貴族の気品と機転のきいた交渉力でまた一つ重要な通商案件を成立させているというのに。

 あるいはこんな平民娘もびっくりの悪態がもしや地なのか?

 

 

 後にわたしは懐かしく思い出す。

 

 冬の枯れ葉色の景色を。ファーレンハイト、ルッツと本音でふざけた様子を。

 さしっ、さしっ、と枯れ葉を踏む靴音を。結局飲む暇がなくて冷めてしまった紅茶のポットも。

 夕日になり、屋敷から影が長く伸びてきて、ひざから下だけ黒く変えていったのも。

 

 

 この日の様子を特に憶えているのには理由があった。

 最後の訓練になってしまったからだ。

 

 二度と訓練を受けることはなかった。

 

 

 

 


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