蓋を開けてみれば、彼女は黒髪の乙女どころか黒髪の妖怪であった。
道行く人10人に聞いたら10人とも振り返ってしまうような容姿を持ちながら、実情を知っている者からすれば、10人に8人は鬼か妖怪の類と答えるであろう。残りの2人は姉か妖怪だ。
分かりづらい人のために少し実例を挙げる。
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「ここ三日間ぐらいこうやって、来ては本を読むだけの部になっているけど、奉仕部とは一体何をする部活なんだ?」
活動内容を訪ねるのに三日もかかったのはご愛嬌と受け取って欲しい。
「そんなことを聞くのにも三日もかかるなんて本当に重症ね。貴方」
初めて会話らしい会話を試みようとした俺に、彼女は随分と辛辣な言葉を発した。
「貴方はどう思うの?」
「どうと言われてもだな」
奉仕部というからには、何らかの奉仕活動を行う部活であろうとは想像がつく。しかし、ここ三日間で清掃活動や地域への貢献は何一つとして行って居らず、ただただ本を読み時間になったら帰宅するだけであり、奉仕のホの字もしていない。
ならば、奉仕部とは名ばかりの文学部の可能性もあるが、先生がそんなところに俺を放り込むとは思えなかった。
「まあ、いいわ。どうせ聞いた所で答えがかえって来るのは三日後とかになるだろうから。お腹が減っている人には魚の取り方を、恋に悩んでいる人には恋文の技術を、目の腐っているあなたには良い眼科を、それが奉仕部の基本理念よ」
つまりは、悩んでる人が来たときに少しだけ手助けをしてあげる。お悩み相談所のような部活動らしい。
「なるほどな。俺は別に教えてもらわなくても、この目とは一生を添い遂げてくつもりだから安心してくれ」
「それは残念。目は口ほどにものを言うから、目を治せばあるいはと思ったのだけれど」
なぜ俺がここまで罵倒されなければならないのかと、その夜は鏡で目を確認しながら独り涙ぐんだ。
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「はあ」
その日は少し気分が落ちていた。いや、友達がいないなら友人関係で煩う事も無く、気分に上下も無いだろうと思われるかも知れないが、友人とのあれこれがなくとも教室の空気や二人組を作る体育だとか犬のフンを踏んだだとか賞味期限の切れていたパン一つでも気分はリーマンショック並みに下降する事だってある。ソースは俺。
「ため息をつかないでくれるかしら。聞いてるこっちが不愉快になるのだけれど」
「あ、ああ、悪い」
あくまで一般論だが、落ち込んでいる人間を見た場合は関わると面倒臭いから放っておくか、慰めようとする筈だと思っていた。構って欲しい訳では断じてないので、ため息の一つぐらいはお目こぼしして貰いたいが、彼女の気に障ったのか傷口に塩を塗り込んでくる。
「ついでに言うとそうやって謝る癖、やめた方が良いわ。負け犬根性が染み付いてるみたいで不愉快よ。思いきって何も話さない置物の物真似でもしていたらどう?今よりも有意義だと思うわ」
塩の上からハバネロまで塗りたくり御丁寧に包帯でぐるぐる巻きにして貰った。その意趣返しにと「……すまん」とまた謝ったが
「……おちょくってるのかしら?」
そう言って睨む目があまりにも怖く繊細なハートは悲鳴を挙げ、帰り際少し泣いた。
――――
「あのー」
「……」
「あの、雪ノ下さん」
「あら、いたの?存在感がなさすぎて気づかなかったわ」
「いや、ひどくね」
「一度、皮を剥いで、死海に潜ってみなさい。その存在感も、腐った目も少しはマシになるでしょうから」
「今日もキレッキレな毒舌ありがとうございます。俺になんの恨みがあるんだ」
「いいえ、何もないわ。これはそうね……言うなれば、私なりの愛ってやつよ」
もはや、話しかけた理由すら忘れてしまう衝撃だった。無視されたかと思ったら罵倒されていた。
催眠術だとか超スピードだとか以下略。
こんな風にイヂメを私なりの愛だとか、可愛がりだとかと言うからこの世からイヂメは無くならないのだ。
意識改革を。イヂメ良くない。
「そんなトゲトゲして冷たい愛なんかいらん。もっとふわふわして暖かい愛が欲しいんだよ」
「うわ……」
「いいのか、泣くぞ。すぐ泣くぞ。ほら泣くぞ」
「確かに、一回泣いて涙を出しきった方が良いかもしれないわね。もしかしたらあなたの中で、涙が消費期限切れで腐っているから、目も腐っているという可能性も有り得るわ」
「えっ、そんなことないよね。えっマジで」
「冗談よ」
勿論その夜は枕を涙で濡らすのであった。
――――
一見会話のキャッチボールが成立しているかのように思える、しかし、弾は鉄球。投げるのは室伏。
こんな状況では、桃色の空間とは呼べず、灰色の閉鎖空間まである。
ここまで来ると、俺の繊細なハートを傷つけて回復した頃に、また傷つけてを繰り返して超回復的なやつを利用した心理的療法なのかとも疑ったがそんなわけはない。
余談だが雪ノ下の事は、絶対に許さないリスト(仮)と言う名のバインダー式の日記に記してある。
名前があれなのは、自尊心と劣等感に埋もれていた頃から使っている為であり、日記を隠してある所にに仕掛けた燃える罠は、その時読んでた本に影響されただけであって、断じて今も痛い子と言う訳ではない。
○
「あれで、もう少しほわほわとしている感じの乙女であったならなあ」
「なになに、どうしたのお兄ちゃん? 乙女がどうのこうのとか言ってるけど、春でも来たの?」
リビングで寛ぎながらぼそぼそと呟いた一言に、妹の比企谷小町が目敏く食い付いてくる。
「いや、春が来たかと思ったら、グリーンランド辺りにまで飛ばされてた」
事実、そりゃあ少しだけ期待をしてしまったさ。
可憐な乙女との2人だけの部活動なんて一見甘美な響きを持っているものに、高校生という殻を被った阿呆は誰だって期待をするはず。
「なにそれ。んーでも、乙女ならここにいるじゃん」
その場でくるっと回転して、小首を傾げながら上目遣いを使ってくる妹。あざといけど確かに可愛い、妹でなかったら告白してフラれてるまである。
「はいはい。そういうのは家族にやっても意味はないぞ」
「えー、この前お父さんにやったら、お小遣いくれたよ」
陥落するなよ親父。
「まあ、今のところは、お兄ちゃんとお父さん以外にはしないもん。 あれ、今の小町的にポイント高いくない?」
今のところとつけるところがこれまたあざとい。
暗に、何時かはそういう人ができますよと言っているような感じがして、ただならぬ不安を覚えてしまう。
「もし、家族以外にやったらそいつを破滅させなきゃいけなくなるから気を付けろよ。今の八幡的にポイント高いくね」
「高いくないよ、ごみいちゃん」
はて、俺はごみいちゃんと呼ばれてしまうことをしたのかしらん?と頭を捻っていると、はあ、と息を吐かれ、妹は隣で寛いでる猫のカマクラにちょっかいを出し始めた。
○
雪ノ下がどう思っているかは分からないが、今日も今日とて気まずい雰囲気の中、誰でもいいからこの空気をぶち壊してくれとせつに願っていると、控えめにノックがされた。
「失礼します。奉仕部ってここであっていますか、ってええ。ヒッキー」
日曜6時半からお茶の間に流れるような驚き方を見せた彼女。
容姿について雪ノ下と違うところは、おしとやかそうな美少女か活発そうな美少女かという違いだけで、雪ノ下雪乃に負けず劣らずの可憐な乙女であった。
それよりも、ヒッキーってなんだ。
もしかして幻のファイブマンよろしく、存在が無さすぎて学校に来ていないと思われている……つまりは引きこもり……よってヒッキー……
「合ってるわよ。それとその素っ頓狂な声は何」
「い、いえ何でもないです」
「さっそくだけど用件を聞きましょうか」
「はい、えーと、私は由比ヶ浜結衣で、相談が……」
頭のなかで新しい等式を作っているのと、コミュニケーション能力を育てる機会のない部活に入ってしまったせいで、例のごとく話に入ることは出来ずに、二人のやり取りを見ているだけだった。
「聞いてた、腐り谷君」
最早、様式美となってしまったコミュニケーション能力不足によるステルス状態を掻い潜り、雪ノ下は暴言を吐く。
「すまん、聞いてなかった」
「お礼したい人がいて、そのお礼にクッキーを作りたいんだけど、私料理が苦手で」
「そういうことだから、由比ヶ浜さんのクッキーづくりを手伝いに家庭科室まで行くわよ」
「……うっす」
動きたくないと主張する可愛らしいあんよとお尻に、行かなければひどいことが待ち受けているだろうと説得し、むんずと立ち上がる。
○
端的に言おう。彼女の料理スキルは異常なほどなかった。
どこをどうすれば、クッキーの味が旨味と甘味以外で構成されるのかを、じっくりと、二人きりで、問いただしたいほどである。
「これは……絶望的ね」
「うぅ、やっぱりそう思う?」
そこから数回、作っては食べ、作っては食べを繰返し
「ああ、これなら、まあな」
「ええ、最初よりはまだ食べれると言っても良いわね」
ようやく一応は食べれるものになった。
それでも普通よりは劣っているといって良いだろうそれを、由比ヶ浜さんは不安げに見つめる。
「でも、こんなので大丈夫かな。それに私才能ないのかも」
ボソリと微かに聞こえる声で呟くが、それは間違っている。大事なのは美味しさではなく、作った人間そのものと、その人の気持ちに他ならない。
花沢さんから貰っても複雑な気持ちだが、かおりちゃんから貰ったら嬉しい。しかし、かおりちゃんからでも、釘を打ち込まれた藁人形だったら貰っても嬉しくない。
所詮、磯野くん、いや野郎共なんてそんなもんだ。
俺に告白されても嬉しくないだろうが、勉強のできるサッカー部エースの爽やかイケメンに告白されたら女子だって嬉しいはずだ。
そんなやつが居たら思わず藁人形に釘を打ち込んでしまうかもしれないが。
勿論、由比ヶ浜さんの言う通り才能の差も何かを比べるときに重要になるのかもしれない。でもそれは、一流と二流、プロとアマチュア、それぐらいにまで努力を重ねてから評価されるべき事であって、高々数回作っただけで才能云々いうことが間違っている。
「なあ、一回だけ俺にクッキーを作らせてくれないか」
「いいけど、変なものでも入れてみなさい。コンクリートの暖かさを感じながら、冷たい海のなかを探検することになるわよ」
よくもまあ、こんなに罵詈雑言のボキャブラリーがあるものだと関心すらしてしまうが、実際に海底探査をするのはごめん被る。
「日本の法律ではそれを殺人と言う」
「殺人ではないわ。死体遺棄よ」
「俺は元から死んでるってか」
「だって、貴方腐ってるじゃない」
「目は腐ってる訳じゃない。個性だ」
「いえ、性根の話よ」
何時もの如く、けちょんけちょんに貶されている様子を見た由比ヶ浜さんはポカンと口を開けている。
教室では、いつも置物のように喋らない俺とのギャップに、「あら嫌だ、何か怖い人」とでも思われているのだろうか。それとも「寡黙だと思っていたけど、ギャップが素敵ね」と思ってくれているのかもしれない。
そんな彼女の呆けたようにずっとこちらを見続けている視線に居た堪れなくなり
「変なもんなんかいれる訳ないだろ。ほら、出てって出てって」
と二人を追い出した。
「長くなりそうだから部室で待ってるわ」
雪ノ下の声と共にガラガラと扉が閉じられる音がした。
二人が出たのを確認し、先程の罵詈雑言の捌け口として分量を計らずに砂糖を小麦粉にぶちこんだ。