何やらとてつもない時間が流れた気もするが、暗闇の中に居ると時間の感覚が分からなくなるのだろう。具体的には三ヶ月程。
だが、実際に闇鍋が始まってから、未だ一時間しか経っていないはずである。これが常に時間がわかるスマホを持ち歩く現代人の業なのかと、第三陣まで食べ進めなぜか甘い鍋に変わり果てた物を目の前に現実から目を背けるように呟く。
「誰だよ。あんこ入れたの」
「それ私です。ちなみにお手製です」
この世の甘味にありったけの怨みを込めたあんこへ八つ当たりを少し嬉しそうな声色で一色は受け流した。俺が苦しんでいる様子がさぞお気に召したのだろう。
「お手製かどうかはどうでもいい」
「そういう貴方もMAXコーヒー入れたわね。お鍋が甘ったるいわ」
「馬鹿言え。MAXコーヒーは何にだって合う」
「そんなわけないじゃん。うわっ、茶巾にチョコ入ってる」
三人集えば姦しいとは言うが、想像以上に皆のテンションがおかしい。箸が転んでも、何を掴んでも俺がMAXコーヒーの善さを力説しても彼女達はけらけらと笑っている。
誰かが怪しいキノコでも入れたのだろうか。
「みんな。私は、マシュマロなんか入れてないからね」
師匠はどうやらマシュマロを掴んだ様で静かに宣言をしていた。
「マシュマロは私よ。でも、姉さん。お酒入れたでしょう。少しアルコールの臭いがするわ。それに私達は未成年よ」
「大丈夫、大丈夫。普通の料理だっていれてるし、煮てればアルコールは飛ぶから。それに何より味に深みが出るよ」
言われてみれば確かに消毒液のような臭いが微かにしている。テンションがおかしいのは、このお酒の匂いのせいかもしれない。
というよりも、鍋にお酒は入れる物ではない。
「最早深すぎて何が何だか分かりません」
「底は浅いけど深淵なる鍋だね」
その後、師匠命名の底の浅い深淵なる鍋に浸かったマシュマロが纏わりついた謎の肉をたべ、あんこ味のキノコを食べた。
皆一様に訳のわからないものを食べたので余計に腹が膨れ、そこから先は余り鍋に手を付けずにあれこれと話すことが多くなった。
しかし、十分もするとお酒が入っていたせいか、変なものばかり食べたせいかは分からないが、一色の声が途中からしなくなった。不気味な甘ったるい鍋を目の前に遂に逃亡でもしたのだろうか。
「一色生きてるか?」
「ダメです。死んでます。もう食べれません」
逃亡はしていないようだが、苦しそうに声を絞りだし一色は答えた。明日は休みなので別にほっといても良いのだが、葉山の代わりとは言え女の子。更には紳士であれと常日頃から自戒してもいる俺は、ここは一つ元気を出して貰おうと小噺をすることにした。
決してあんこの恨みをここで果たそうという事ではない。
「そうか。なら、一色が死んでる間にこいつの恋の話でもしようか」
「なにそれ、なにそれ」
「へい、へーいっ」
「女子がする反応じゃないな」
もっと繊細微妙でふはふはした可愛いものに目がない乙女なら、ふえっ、とか、はわわっ、とか、あうっ、とか反応してくれたはず。
「いいんですよ。先輩しか男子はいないんですから。それとも何ですか?ふえっ、だの、あわわ、だの、はうっ、だのと反応すれば良かったですか?」
図星である。
「い、いや、そんなことは無いぞ」
「気持ち悪い擬音が二次元の中にしか溢れてない時点でそんな女の子はいないって気づいてください」
「ここに居るのが俺じゃなくって葉山だったら?」
「言うのも吝かではないです」
しれっと言い切った一色の言葉に顔面格差社会ここに極まれりと軽く絶望を抱いた。
これならばいっそのこと神様が全人類の顔を均一に作った方が戦争は無くなり世界は平和になったのではないか。然る後、健全な肉体と精神を俺に与えてくれればなおのこと良かったのではないか。
「ほらみたことか。それでだな、実は葉山に弟子入りした切っ掛けなんだが、どうすれば葉山ともっと近づけるかを相談されて、だったら弟子にでもなればいいって言ったのが俺なんだよ」
「成る程。それで、葉山くんの弟子に」
「嘘です。嘘っぱちです」
「やっぱり元気じゃないか。それで、この前なんか泣きながら電話で……」
「それで、それで!?」
「黙秘権ですっ」
「最近やけに貴女とそこの男や葉山くんが一緒に居ると思ったら、二人はそんな仲だったのね」
「今時の高校生は進んでるんだねえ」
「まだ、進めてないみたいだけどな」
「黙秘権を主張します。弁護士を要求しますっ」
笑いながら言う雪ノ下姉妹ときゃあきゃあと叫ぶ一色の声を聞きながら鍋に手を伸ばす。
「あれ、これ食いもんじゃないな」
箸で掴んだ物はむにゅっとしていて、布で出来た先に金属の輪っかがついているようだ。
「食べれないものを入れちゃダメだよ」
「そろそろ窓開けようかしら」
「私は電気つけに行きますね」
電気をつけて目に飛び込んできたのはパンさんのストラップで、皿の上に何処か不機嫌そうに鎮座ましましていたそれは、鍋の汁を吸って茶色に変わっていた。
「勿体ない。誰が入れたのかな」
「私じゃありませんよ。でも、かわいいですね」
「パンさん……」
その表情からして全員が見に覚えが無いものらしい。
「洗って来るわ」
洗面所に着き、よくよく観察するとそのふてぶてしい顔付きに、どこぞのパンクロッカーのような模様が入った熊らしき生物で、普段と違うスカーフを巻いていた。
そのパンクロッカーなグリズリー然としたそいつを北極熊に戻す作業に時間を取られ、帰ってきた頃には一色は船をこぎ、雪ノ下と師匠は話ながら後片付けをしていた。
「どこか遠くに行きたいな」
「遠くにって、またそうやって訳の分からないことを」
「誰も登った事のない山、誰も潜った事のない海、見たこともない景色。そんな誰も知らないところ」
「私達はまだ学生。そんなこと出来るわけないじゃない。行きたかったら冒険家にでもなりなさい」
「んーそうだよねぇ」
「この、酔っ払い」
「えへへ」
姉妹間戦争と銘打ち、普段敵対しているとは思えないような、姉妹らしい会話をしていて見てしまったこっちがなぜか恥ずかしくなってしまうという怪現象を体験し、会話が一段落した頃、自分の存在を確認させるためにわざと大きめの声をだした。
「洗ってきたら中々に愛らしい顔をしてた」
その声に反応したのか、船を漕いでいた一色が起き上がり
「あー先輩。これ、私がもらって良いですか?」
と言った。
別段反対するものじゃないと思い、頷きながら他の二人を見ると
「……ええ、良いと思うわ」
「良いんじゃない。後で隼人にも見せながら思い出話してあげれば」
と同意していた。
「夜も遅いし明日も休みだし、いろはちゃんと雪乃ちゃんは泊まって行きなさい」
「じゃあ、俺はこれで」
乙女の花園に足を踏み入れる事など出来るわけもなく、すごすごと師匠の家を後にした。
お待たせして申し訳ない。
この度はこの鋼の連勤術士の忌名を取り除き、非魔人辺りに戒名するために辞表を提出し華麗なる転職をかまそうとしたのですが、バタバタするわ結局この名前も変えられなさそうだわで初回の転職を溝に放り投げる愚行をしていました。
読者諸兄はこのような愚行を侵すことのないように就職、転職活動を慎重に行って下さることをお祈り申し上げております。