「めが……めても、わす……――さ」
「―え」
その時、右手の手の甲を掴まれて、続いて掌がくすぐったい感覚に襲われた。
棒のようなものから大切な何かが伝わる感覚だけは、確かにする。
―まただ、またこの夢だ。
視界はほとんど真っ暗で、目の前に何があるか分からない。
分からないと、きっとダメなのに。
「……え、かい……うぜ、ほら」
うんっ、と多分私は満面の笑みで返した気だけは、確かにする。
そこで、視界は全て暗黒に。
「―はっ」
―朝目覚めると、何故か泣いている。そういうことが、時々ある―
―見ていたはずの夢を、『もう』思い出せない―
またこの感覚だ。何故か夢を見ると泣いている朝。
身体を起こすと、いつも決まって右の掌を眺めてしまう。
でも、今日は少し違った。
―なんだろう、掌よりも……
掌よりも、遥かに『手の甲』が気になる。
掌に何かを伝えてもらっていた時、手の甲に優しい温もりがあったように思えた。
その温もりが、似ている。近い過去に触れた何かに。
―何だろう、思い出せ、思い出せ。
『違和感』がいつもと違う朝。
今思い出さなければまたすぐ忘れてしまうのではないかという恐怖が走った。
思い出せ、私。私に教えて、教えてよ!
「瀧くん…」
焦るような願いの後、昨日出会った『好きすぎる』彼の名前を思わず口に出してしまう。
それでも『違和感』は晴れない。むしろ広がったかのようにさえ思える。
為す術のない失望感に襲われ、それを誤魔化したくて、私はスマホを取り出した。
『おはよう瀧くん。今日もお互い頑張ろうね。金曜日が楽しみだね♪』
既読を確認する前に、スマホをそっと抱いて優しい気持ちになった。
その後、俺も頑張るよ。本当に楽しみだから頑張れそう。
なんて出勤中に返信が帰ってきて、より一層嬉しい気持ちにもなったのだ。
*****
「三葉、それヤバイじゃろ?」
「由香里よ、ヤバイか。やっぱりヤバイか」
「ヤバイよ。絶対ヤバイよ。くう~~~」
「大恋愛ぃぃぃいいいい!」
甘めの卵焼きと焼鮭とそして土産話を献上したお昼休み。
休憩ホールで由香里とご飯を共にしていると横の彼女は悶えた。
こら、恥ずかしいわアホ、と私は突っ込みを入れるが彼女の悶えは止まらない。
矢継ぎ早に由香里は言葉を続ける。
「あ~ロマンティックじゃわ。乙女の夢じゃわ。アラサー近いけど。
というか写メよ、見せてよ彼の写メ」
25はまだアラサーちゃうわ!切り捨てたら20やろが、
と抵抗の意思を示そうと思ったが写メという言葉に私はあっ、としてしまう。
「写メ、そういえばない……」
「ウソやろが。隠しとるじゃろ!」
「ホンマ、ホンマよ!写メ……欲しい……」
普通だと、写メ本当はあるんだけど見せたくないなぁ(にっこり)、
というパターン何だろうけど、そういえば本当にないのだ。
しかも思わず、写メ……欲しい……なんて真顔で言ってしまったものだから、
由香里はあんぐりとしている。
「あ~、三葉ちゃんかわいいぃ~。おじさんちゅーしたい。ちゅーしようや」
抱きっ、と横から私に抱きついてくる。
横からふんわりといい匂いと柔らかい感触が襲ってきて一瞬クラクラっとするが、
私は残念ながらノーマル且つ意中の彼が居る身だ。
こら、由香里、溢れる、弁当が溢れる!
とやんわりと身体を振りほどきつつ弁当を死守する。
「ええがええがおじさんでええが~。生産性とか要らんじゃろこの際さ~」
「要るわ!私長女やし!家に男おらんの!瀧くんがええの!」
「オホゥ!」
瀧くんがええの!の所で由香里は右手で鼻を押さえるように仰け反る。
いきなり出てきた名前が思わず彼女にも突き刺さったらしい。
私も言ったほうなのに恥ずかしくなってきた。
「はぁ~。1日でここまで三葉を落とすとは、瀧くんはやるねぇ。
是非とも、写メが早く見たいなぁ?」
ニシシと笑った由香里を見る。
私はどうやら写メを撮ってくるというミッションを自然と受諾してしまった。
まぁ、観賞用に写メは必要だし、保存用・布教用を考えても数枚は必要だよね。
「分かった。次は金曜日に会うから、ちゃんと由香里に紹介出来る写メも撮っておく」
私の堅い宣言に対して、予想を上回っていたのだろうか。
おっ、おう……是非とも頼むわ、と由香里は引き気味に答えて弁当を持ち直した。
確かに冷静に考えれば、写メを撮るミッションとはかなりおかしい話だ。
ヤバイ、また暴走してるかも。
「まぁ土日は敢えて戦果報告は要らんから、月曜が楽しみじゃねえ」
献上した卵焼きをパクリと口に加えながら由香里はこういって笑う。
あれ?
「土曜日に瀧くんの家に行くこと言ってないのに。何で分かったの!」
「おう土曜日会うんか?しかも彼の家とは。三葉!泊まりじゃ!
戦闘服はあるんか!ないなら買わんと!」
違った、読まれたんじゃない。また自爆だ。
というか、
「あんたもそれを言うか!」
戦闘服、やっぱり必要なのかな。
帰りにちょっとだけ見てから帰ろうかな……。
「由香里さんどうか私にご教示ください。どんな戦闘服が強いのか」
「んぐっ!うぇっへっへ。私もそこまでベテランじゃないけぇ……
ここは、これの出番よ」
パカパカーン!文明の利器―スマートフォン―、検索検索ゥ。
『男 イチコロ 下着』[検索]
ポチッ。
*****
―パタンっ
「はぁ……ただいま~」
―…………―
(誰か、おかえりって言ってくれんかな。瀧くんが言ってくれんかな)
仕事を終え、帰宅後。
少しだけ戦闘服が気になったけど、やっぱり恥ずかしくなって収穫なしで帰ってきた。
シーンとした部屋の寂しさが怖くて、思わず瀧くんに気持ちが泳いでしまう。
メッセージは何度も交わしたし、その度に金曜日に向けて気持ちが昂るのに、
やっぱり今日も会いたい。会いたいよぉ。
「でも、我慢我慢。少し我慢せんと」
自分に言い聞かせるように、そっと声に出した。
サヤちんが言ったように、押し引きは多分重要だ。
それに戦略的な意味だけではなく、彼に重い女として思われたくない。
次は金曜日に、と言い出したのは彼だ。
なら、今はそれを尊重しよう。
―恋人になったら、毎日だって会ってやるんだから!
パンッ、と両手で頬を抑えて気合を入れる。
そこから荷物を片付けて、ラフな格好になって夕食の準備。
明日瀧くんに会うんだから、コンビニ弁当なんか食べていられない。
ご飯を炊いて、サラダを作って、美容に良さそうな健康的なメニューにしよう。
炊飯器のスイッチを入れて、鍋に水を張ろうとしていたところで、
あっ、と思い出した。
「そういえば、今週四葉に連絡してないわ」
四葉は私の家の近くで同じく下宿していて、東京の高校に通っている。
私に続いての上京で更に高校での一人暮らし。
おばあちゃんも父も不安がっていたけれど、四葉にも何かの意志があったのか、
飛騨の中学を出た後東京の高校を選んだ。
そして上京を許す条件が、私の近くに住むことだ。
私もそれが安心だし、四葉もなんだかんだで懐いてくれている。
何より姉妹で近くに居れるのはとても嬉しい。
また下宿代は彗星災害の被害者助成金で賄っていて、私も随分助けられたものだ。
「スマホ、スマホっと。よよよよ~四葉」
ただ最近はそんな生活も慣れっこになって、
メッセージで生存確認をすることも多いのだけど、
今日はなんだか電話をかけたい気分になった。
―トゥルルル……トゥルルル……ピッ
「はいはい四葉だよ~」
「こちら三葉やよ~。生きとるか四葉~」
「お姉ちゃんと違ってまだ10代やし、そう簡単にはくたばらんよ」
ニシシと四葉が可愛く笑ったのが目に浮かんだ。
アンタはホンマにな~、と笑って返す。
こんな家族のやり取りは、瀧くんとのやり取りとは別で楽しい。
ああ……でも瀧くんとも早く家族になれたらなぁ。
「ていうかお姉ちゃん電話とかなんか珍しいじゃん?何か良いことあったん?」
瀧くんと家族だったら、別の意味でドキドキワクワクなんだろうなぁ……
「おねーちゃーん?おーい?ちょっとー?いーきーてまーすーかー?」
「はぁ……ええやろなぁ……って、なになに四葉?」
「そりゃこっちの台詞やよ。お姉ちゃんいきなり黙るし、というかさ―」
ああ、またトリップしてたんだ私。
隙あらば瀧くんのことを考えている。『好き』だけに。アホや。
「カレシでも出来たん?」
「はいぃ!」
ポトリ、思わずスマホを落とした。
あっ、あっ、あっ、焦りながらもすぐ拾い直し、
「あんたねぇ!びっくりさせんといて!」
「あれっ?ちゃうん?華のJKの勘外れた?」
ダメだ、ここでボロを出してはサヤちんの時の二の舞いになる。
ここは冷静に一度おちちゅいて、まじゅはひていだ。
「うん。ちゃう。私これでも堅い女って四葉知っとるよね。ちゃう。ちゃう」
「ふーん……25にもなってそれでええんかなぁって、華のJKは思うわ」
「四葉ちゃ~ん。ちょぉっと言い過ぎちゃうかなぁ?」
年齢の話題が出てくると、ヒンヤリとした別の人格が顔を出すのはこの年代特有のはずだ。
「ごめんごめんお姉ちゃん。私も女やし将来ブーメランになったら怖いわ。というかさ―」
「うん?」
「今から行くから家でご飯食べさせてよ。あとカレシの話聞かせてや」
「ブッ、おいこらよつ―」
―ツー……ツー……
無情にも既に電話は通じていなかった。
何でだ、何故バレた!
あず。
です。こんばんわ。
冒頭の場面は、何度か見直すと掌に書いたのも勿論そうですが、
むしろ手の甲は瀧くんと触れ合ってるじゃん!
これをキーにしても面白いんじゃないかと思って書いてみました。
それと、やっと四葉が出てきました(歓喜)
次は頑張って最高のJKに仕上げたいなと思っています。
あと、もし一息ついて余裕があったらテシサヤの話を5.1話とかでやりたいなと。
それでは、次も良ければお付き合いください。