1話
「たっ、立花、瀧です。立花瀧」「宮水、三葉です」
階段の上に佇む彼―立花瀧くん―と、私―宮水三葉―は同時に名前を名乗った。
(立花、瀧……くん)
その言葉は私の身体をゆっくりと駆け抜け、あっという間に全身に染み渡る。
―立花くん、立花瀧くん―
その名を噛みしめるように、刻みつけるように、目を瞑って右手をぎゅっと胸の位置で握りしめた。
(大丈夫、忘れない。忘れない確信がある)
「あっ、あの俺、おかしいことを言ってるのは……分かってるんですけど、やっぱり宮水さんに会ったことがある気が……」
少しの間であったように思うけど、お互いの沈黙を破るように階上の彼―立花瀧くんが更に言葉を重ねた。
一見すればオカルトであることを自覚してるのだろうか、紡がれた言葉は少しずつ勢いを失っている。
でも、私の心はそれが全くおかしくないことを自覚していた。だから、
「はい私もおかしいとは思いますけど、でも、立花くんに会ったことがあると思うんだ。だから全然おかしくない」
語頭と語尾で全くおかしい返事をしてしまう。
二人して、そこで初めてふふっと笑ってしまい、柔らかな空気が私達を包む。
私は階段をコツコツと登り、彼の横に並んだ。
「これって運命の出会いってやつかな?なんだかおかしいね」
10数センチほど背が高い彼の顔を覗き込むようにゆっくりと笑った。
もう私は笑顔しか出てこない。既に涙は止まっている。
とにかく今この瞬間が嬉しくてしょうがない。
「はい、きっとそうだと思います。というかそうです。宮水さん」
彼も既に涙が止まっていた。
フッと噛みしめるように笑っている。その表情にドキドキが止まらない。
体中が熱くなるのを感じて、冷静に考えが回らない。
連絡先とか年齢とか、とにかく何か話題を進めないと。
「えっと、わたひぃは、25歳でOLをやってて、それで、通勤途中なんだけ、どっ」
「俺は22歳でこの春から社会人で同じく通勤途中で――って会社!」
噛み噛みの私の言葉に続いて、彼も続いてくれた。
って確かに通勤途中に走って来て、今何時だ!
彼はスマホの時計を、私は腕時計を見る。
―8時45分
私の始業は9時だけど、今から15分では会社に絶対間に合わない。
適当に気分が悪いやらなんやらで午前休にと、連絡を入れる算段をすぐさま頭で構築する。
「立花くんの会社は始業何時?大丈夫?間に合う?」
「えっと、9時です。やばい絶対に間に合わない。どどっ、どうしたら」
新社会人らしくあたふたしはじめる。
そうだ新人にとって遅刻とは重大なミスだ。
しかも病気でもなんでもなくこんな事態はサボリ同然。新入社員経験者として気持ちは分かる。
「大丈夫だよ、落ち着いて。まず深呼吸」
スマホをみて焦る彼のスマホを右手で抑えて、ゆっくりと目を合わせて笑いを作った。
彼の焦りもそこで止まる。
「まず寝坊っていうのはよくないから、適当に朝起きたら立ち上がれないぐらい気分が悪かったとか、そんな言い訳を考えて?」
「えっ?」
「でも午前休っていうのは流石に良くないから。近くの病院で見てもらって薬を処方してもらったことにしよう?」
ゆっくりと、時々あるミスの言い訳を構築する。彼に不安を与えないように目を合わせて笑顔のままで。
「あの……そういうのって大丈夫でしょうか?診断書とか」
「大丈夫だよ。これから分かると思うけど、会社っていちいち細かいことは気にしないよ。
勿論、君はまだ研修の身だしよくないことかもしれないけれど。挽回の機会なんていくらでもある。それに――」
一語一句、彼がしっかりと噛みしめてくれるように言葉を続ける。
「起こっちゃったことは仕方ないじゃない?」
ここでウインクを送ると、彼は少しボ~とした後、そうですね。起こっちゃったことですしね。と笑ってくれた。
一寸置いてスマホを操作し、電話をかけ始める。
いくつかのコール音のあと、どうやら繋がったようだった。
「――はい、立花です。――すいません朝起きたら嘔吐が止まらなくて。――はい、昨日の飲み会のせいではないと思うんですが――」
彼の視界の端には私が入っているだろうから、不安にならないように笑いながら顔を見つめる。
それが心細い新人くんの勇気になればいいなと思いながら。
「――はいこのあと検診を受け次第出勤しますので。――はい、申し訳ありません」
なんとかミッションをやり遂げたようで、通話を終えた。
「やるじゃん、新人くん」
「はい、意外となんとかなるものですね」
グっと親指を立てて、最高のサムズアップを送ってあげた。
彼も笑って親指を立てる。そこでケラケラと笑いあった。
その後、私も直属の上司に体調不良の旨を伝えて、こちらは午前休を勝ち取った。
彼はそのスムーズなやりとりに感心していたようで、社会人先輩の威厳はしっかりと示せたと思う。
私は通話を終え、彼の目を見たところでまた二人で少し笑いあった。
「ふふっ、おかしいね。そうだ、連絡先交換しようよ」
「はい、是非交換しましょう」
ゴソゴソと二人でカバンを探し出す。私も名刺交換をするつもりだったし、彼もそうだったのだろう。
でも、探しているうちになんだか違うと思い出した。
「ごめんなさい。名刺交換って感じはやっぱり違うよね。電話番号とLINE交換しよ?」
「そうですね。なんだかその方が運命の相手っぽいです」
ニンマリと笑ってスマホの登録画面を差し出してくれた。
その仕草に凄くドキッとしてしまう。
「こらっ、お姉さんをからかおうといってもそうはいかないぞ」
登録画面からお互いの連絡先を交換して、その場で電話番号から彼に電話をかける。
すぐさま彼のスマホが震えた。大丈夫、あってる。そこでまた笑いあった。
私は彼との確かな繋がりを得たスマホを、ぎゅっと胸で抱きしめるように存在を確かめる。
――もう凄く、胸が、空気が、存在が暖かい。愛おしくなってくる。
「運命の相手と連絡先は交換できたし。運命の男子クンは仕事に急いで、ね?」
名残惜しいけど、確かな繋がりは得た。
此処から先は急ぐ必要はない。彼に一時の別れを提案する。
「ちょ、ちょっと宮水さん恥ずかしいです!とりあえず、急ぎます。お昼にメールしますね!」
運命を強調されて流石に恥ずかしくなったのだろうか、
早口になりながらスマホで現在位置と会社までのルートを確認して次の繋がりを約束しながら階段をいくらか駆け下りた。
私は再び離れることに寂しさを感じて、少しいたずら心が芽生えた。
「ねぇ!立花くん!」
「なんでしょう!」
「いってらっしゃい。たち……瀧君!」
「――!?」
友達同士でもなかなか交わさない挨拶。でも運命の二人ならきっと交わす挨拶。
私の今日最高の爆弾は、絶対に急所で炸裂したのを確信した。
彼の階段を下りる足が止まる。
振り返って、ニッコリと笑って、
「いってきます。三葉」
「――ッッッ」
私がその爆弾にどんな表情をしたのか、彼は確認せず階段を下り、段々とその背中が遠くなる。
完全に急所に決められた。今日はもう仕事なんか絶対マトモに出来ない。
午前休と伝えたのは失敗だった。全休にしておいてこの言葉とあの笑顔を1日中噛みしめれば良かった。
(でも大丈夫、だってお昼にはメール出来るから。幸せはいくらでも蓄積出来るんだ)
午前休だけど、お昼休みが始まったぐらいにデスクにつこう。
じゃないとメールを見すぎて絶対に遅刻してしまうから。流石に午後出勤で遅刻するのは笑えない。
その前に一旦家に帰って化粧をやり直さないと。でも嬉しいな。幸せだな。
もう何年前からだろうか、いつからか生まれた心の「空虚」感が急速に埋まったのを今更ながら認識した。
あの「空虚」は彼が空けたものだったんだ。
――でも何で彼が「空虚」だったんだろう?彼をなんで運命の相手なんて思ってしまったんだろう。
埋まった「空虚」を手がかりに、新たな「違和感」が心を包んだ。
でも、彼と繋がり続ければ、その「違和感」は絶対に埋まる。確信がある。だから何も不安はない。
この心と身体の火照りは、運命の「再会」に震えているんだって根拠もなしに思えた。
あず。
といいます。はじめまして。
「君の名は。」という猛毒にあてられ、
ガラにもなく二次小説をはじめてしまいました。
よければお付き合いください。