意識の浮上は水の中のそれと似ていた。眠りから覚める感覚とは違い、ゆっくりとじんわりと、ぼやけた視界が明瞭になるようにはっきりとした意識が覚醒する。
視界は暗い。そして寒かった。布団の中のぬくもりを求めてもぞもぞと動く様子は微睡んでいるようである。そしてふと疑問に思った。
頭はまだ覚めていないようであった。疑問は浮かぶがどんな疑問であるかもわかっていない。問題とは何かという問題に答えなくては先に進めない。頭がうまいこと動いていないのは何故か、そんな疑問も浮かぶが未だ夢見心地の彼には答えを浮かべることもなかった。
ぼんやりとした頭で、なんとなく今までのことを思い出す。なんだったか。確か何かをしていたような。
ふと、嫌な記憶がフラッシュバックした。そうだ、俺はあの夜トラックに――
そんな折、光が差した。ドアが開いたようだった。なんだとそちらを向くと女性が立ち尽くしていた。誰だろうか。見たこともないほどに美人である。快活そうであるその顔に驚愕の表情を張り付けた彼女は手に持っていた荷物をどさどさとその場に落として一目散にこちらへと駆けてくる。
彼がその勢いに圧倒され、なんだと思っていると彼女は唐突に彼に抱き着いてしんしんと泣いたのだった。
彼はどうしたもんかと思いつつもなんとなく、抱きついてきた彼女の頭を抱いた。別に彼がプレイボーイでこういう状況の経験があるというわけでもなく、体が勝手に動いたのだ。それがごく自然であるようにも感じられる。なんなんだと思いながらも泣く彼女に何か言えるわけでもなくただ時間だけが過ぎていく。
彼女は結局泣き疲れたのか眠ってしまった。そのままでは風邪をひいてしまいそうだったのでしょうがなく自分の寝ているベッドに寝かせることとした。
その際に彼が気が付いたことであるが、まず体が縮んでいた。十五歳前後とも思えるほどの体である。さらにこの体は肉付きが悪いようで、筋肉がかなり衰えているというか無いと言ってもいいのではないかという程である。彼女をベッドに寝かせるのにかなりの苦労をした。
次に、ポケモンがいた。ポケモンがいたのである。ポケットモンスターがいたのだ。
その衝撃たるや無かった。彼にとってポケモンとは3D画面に映ったとしてもデータ上の存在である。データである彼らがリアルに3Dとして登場するだなんてだれが考えたことだろう。その質感というか、存在感というべきものもそうであるし、実際に触って、見てみれば彼らが確かにそこに存在してなおかつ生命活動をしているということに疑う余地はなかった。
なんとなく彼らがなついている様子を見て思うのは、もしかして彼らはゲームの時の自分の手持ちなのではという突拍子もないものだった。
ちょうど六匹ともよくレートで使用していたポケモンである。実際にはメガシンカ枠のポケモンによって構成を変えてはいたが彼らの使用率はかなり高かった。
エンペルト、エルフーン、ユキメノコ、ウルガモス、ラティアス、ニドクイン。どのポケモンも一から育てた思い入れのあるポケモンである。そんな彼らはじりじりと自分の周りに集まってきて、次第にぎゅうぎゅうと抱きついてきた。
「わっ、わっ」
彼は声を出して静止しようとしているが喉が張り付いたように声が出なかった。何もかもがわからない。
ウルガモスやエルフーンの温かさ、エンペルトとユキメノコのひんやりとした枕、ラティアスやニドクインの柔らかくもしっかりと芯のある硬さ。それらが合わさりうとうととしてくる。
彼は結局二度寝をかましたのだった。
「な、なぁー!?」
翌朝は叫び声のアラームだった。シロナである。彼女だけではなくフウロやフウロの親友であるカミツレ、アララギの友人であるマコモは頻繁にアララギの研究所にやってきて彼の世話をすることが多かった。フウロやカミツレはたいていフウロの手持ちであるウォーグルの“そらをとぶ”でやってくるが、半年ほど前から彼女たちはジムリーダーになったので最近はあまり来ることはなかった。
代わりと言ってはなんであるが、シロナが多く来ることになっていた。シロナはシンオウ地方のチャンピオンになってからというものの暇だった。基本的に多くの挑戦者が自分までたどり着かない。考古学の研究もつい最近に大きな発表をしたので新しいテーマ探しの途中であるから長期で出かけるということもない。
「何ようるさいわねぇ」
シーツの擦れるような音と一緒にもう一つ声がする。アララギである。彼女は眠たげに眼をこすりながらあくびをしつつ起き上がる。彼女の特徴的な髪形も今は寝癖で見る影もなかった。
「なんであなたがそこに寝てるのよ! というか、彼はどこ!?」
「へっ? ……あ、あぁぁ! い、居ない! あっ! そういえば昨日彼が目覚めたのよ! それでどこかに行ったのかも!」
アララギがそう叫ぶと今度はシロナが叫ぶ番だった。
「えぇ!? 彼が起きたってどういうこと!? ちょっと詳しく話しなさいよ!」
寝起きのアララギの襟をつかんでガックンガックンと揺らすシロナの目は真剣である。彼女だって三年もの間毎日とは言わないが世話を焼いてきて愛着やらなんやらがあるのだ。その彼が目覚めたとあれば一大事である。
「ちょ、ちょっとま」
「早く言いなさいよ!」
学者同士とは考えられないほどの冷静さを欠いた会話はこの後も続くと思われた。
ポケモンの山がもぞもぞと動き出した。アララギやシロナはぴたりと動きを止めてそちらを見る。
まずはラティアスがふわりと重力を感じさせない動きで浮いた。次はユキメノコが同じように浮き上がり、ぴょんと跳ねるように山から抜け出したのはエルフーンである。エンペルトがもぞもぞと這い出てきて、ニドクインが彼を立たせながら起き上る。その彼の後ろにウルガモスがはばたきながら佇んでいる。
彼が立ち上がっていた。その動きは頼りないというか、生まれたて小鹿のようであるが意思を持って動いていたのだ。そのままお辞儀をする。
「こぉ、ぅ、ぃ、ゃ」
何とか絞り出したような声である。少年特有の高さがあったが、同時に青年への移り変わりも感じさせるような声だった。彼がそうであるのはしょうがない。三年間も寝たきりであったのだ。体が固まらないようにストレッチなども施してはいたがそれにしたってすぐに動けるようなものではない。
立ち上がった彼はやがて崩れ落ちるように倒れかけるがそれをウルガモスが支えていた。それを見つめる彼の視線は優しげである。
あぁ、とどちらからともなく息が漏れた。感慨深いものがあった。彼が自分たちを認識してくれているという事実は体の芯からしびれるような幸福があった。
「はっ、こうしてる場合じゃないわ! ジュンサーさんやジョーイさんに連絡取らないと!」
「はっ、フウロちゃんやカミツレちゃんやマコモさんにも連絡しなくちゃ!」
二人は同じようなタイミングで同じような反応をした。アララギはすたこらと寝癖も直さないままに研究所を飛び出し、シロナはライブキャスターを起動して彼女たちに連絡を取った。
彼はそれを珍しがるように眺め、ウルガモスに連れられてシロナの後ろまで移動するとその通話相手にも彼の様子は見れたようだった。
『ああああ! 本当に起きてる! わっわっ! カミツレちゃんどうしよう!』
『おちおちおちおちつくのよフウロちゃん。そうクールになるのよ。ビークールソークール、なんて『今はそんな場合じゃないよ!』そ、そうね』
彼は二人を不思議そうに見ていた。四つに分割された画面のうち一つはすなあらし状態である。右下の画面には自分たちの映像が映っていて、上二つに年若い女性が写っていた。
彼は本当に不思議だといった様子で彼女たちやあるいはライブキャスターを見ている。画面に映っていることも考えればシロナのことも不思議そうに見ているようだった。
そういえば、とシロナは思い出す。彼に一番聞きたいことがあったのだった。
「ね、ねえ」
振り返り、声をかける。思いのほか近くに彼がいてドキリと心臓が跳ね上がった。平静を保ちつつ、彼に声をかける。
「キミの名前は……?」
そう問われた彼は目を見開き、少し思案してから答えた。
「……ぁ、す、たぁ」
彼の名前はアスターと言うらしかった。その名を胸に深く刻んだ彼女たちはしばしボケッとしていて、意識が正常に回復したのはアララギがジュンサーを連れて帰ってきたその時である。
意識が回復した彼の取り調べはゆっくりではあったが着実に進んだ。最初こそ声を出すのに苦労していた様子であったが二週間も経つ頃にはしっかりと聞き取れる発音になっていた。ジョーイによる検査も滞りなく進み、その結果としてわかったことは彼女たちにわずかな希望とそれを抱いたことによる若干の罪悪感をもたらした。
彼は記憶が混濁していた。まず住んでいた場所であるが、彼が言った土地はどこにも存在していなかった。次にポケモンに対する様々な知識はあるものの、それはトレーナー的な知識ではなくてどこか学者然とした、データこそ全てといったようなものであった。
普通に存在する町や地方のことも覚えているようであるが、イッシュ地方のことはまるで知らないようであった。
最後にこれが一番彼女たちを驚愕させたことであるが彼は危機管理能力というか、自意識がまるで足りていなかった。勝手に町を一人で歩き回ったときは声にならない悲鳴を上げたものである。幸いにも同年齢の子供たちに保護されていたおかげで一大事にはならなかったが誘拐されても何もおかしくはないような状況だった。
総じていえば、常識が足りていない様子だった。あまり外の世界に触れることのない男性にはありがちではあるがしかし彼のそれは度を越していた。男性であることを全く考慮しないで行動するのである。それに活動的である。ずっと寝たきりでいたために筋肉がかなり落ちているにもかかわらず毎日毎日ポケモンと遊んでいる。
また、彼は自身の世話をしていてくれた彼女たちに非常に深い感謝の念を抱いている様子だった。その上なぜか彼は彼女たちこそを男性のように丁重に扱う。彼女たちは毎日そんな慣れないことをされてたじたじである。いつか誰かの理性が暴走しないように、最近では彼に会うときは必ず二人以上で会うことにするという淑女協定が結ばれたほどだ。
そんな彼のリハビリ漬けの日常は彼女たちに充足感をもたらす。それが満ちるたびに彼女たちは思うのだ。足りない。まだ欲しい。
しかしそれを言うには彼女たちには経験や勇気が足りないのだった。それは彼もいっしょだった。
彼は考える。どうしてこうなったとか、今自分はどういう状況なんだとか、そんなことは考えたってわからない。おおよそわかっていることはポケモンのいる世界に転生だか何だかしたんじゃねーのということぐらいだ。
伝説のポケモンだとか幻のポケモンだとかならそういうことができるかもなと考えはするものの、それをする理由とか思いつくわけでもなく考えるだけ無駄なのだなという結論を出すのは早かった。
では何を考えているのかというと、ポケモンのことである。彼らはデータ上の存在ではない。それはシステム的制限というくびきを解き放ったことを意味していた。
たとえばポケモンの技で“はどうだん”というものがある。これは自分の命中率や相手の回避率に関係なく絶対に当たる技である。タイプ相性で無効だったり“まもる”などをされない限り絶対にダメージを与えることのできる技なのだ。ゲームであれば。
これが現実になると変わってくる。“はどうだん”を操るのはポケモン自身だから絶対に当たるということはないし、防御側も別の攻撃技で相殺するなどという対応もとることができる。
次に技の威力が一律ではないということである。ゲームなら、同じ個体値で同じ努力値振りで同じ性格の同じポケモンが道具などの補助なしで同じ技を放てば乱数でぶれるとはいえほぼほぼ同じ威力が出るのだが、現実ではその技の熟練度みたいなものがあって使い方次第では全く威力が異なる。
“みずでっぽう”で放った水を“ねんりき”で回転させて突っ込ませ擬似的な“うずしお”にすることも可能なのだ。種族値が低いポケモンだって技の使い込みやトレーナーの想像力次第でバトルをひっくり返せる。
最後に、覚えることのできる技に制限はないということだ。一匹のポケモンに対して技マシンの使用は4回が限界のようだが、そのポケモンがレベルアップで覚える技は制限なく使えるようだ。もちろん使いこなすという点で考えると無制限にいくつもというわけにはいかないが4つよりははるかに多い。
そうなるとゲームのような役割に応じてどうこうという戦略では立ちいかない。彼らをもう一度育てなおす必要がある。
彼は不安よりも期待のほうが大きかった。それは現状が楽観視に足りる状態だったからだ。
生活費は政府から支給されるものがあるので心配しなくていい。彼がそれを知ったときなんだそりゃと怪訝な思いをしたのだが、男性保護費とか男性養育費とかいう意味の分からん社会保障制度があるようでそれによりアララギ博士が保護者として彼の衣食住を保証する義務があるらしかった。それを知ってより一層彼は彼女に感謝をすると同時に、この世界の歪さを知った。
男女比の極端な差とそれを維持するための社会制度。その結果彼が思ったのはやったぜ勝ち組じゃんというものであった。
男として存在するだけで支給金があるという。超最高じゃないかと思うのは彼の生きていた世界との差によるものであるが、恵まれた立場であるのは事実である。もちろんその代償に不自由であるというのは彼にはその時点で実感がなかった。
バトルの参考にとポケモンの映画を見て思ったこと
・タイプ相性とはいったい……ハッサムがつるのむちでやられるってどういうことなの
・エスパータイプ万能かよ
・ミュウってこの世界にけっこうたくさんいるんだな
・セレビィって群れでいたのかよ
・ディアンシーきゃわわ
・ミュウもセレビィもかわいいいいいいいいいいいいいいいい
そんなこんながあってポケモンの設定は最後のほうに書いたとおりになりました。教え技もまあ無制限でいいかなと思ってます。
そして今書いたプロットによると主人公の手持ちは幻のポケモンばっかになりそうだな
続くかどうか未定