ソードアート・オンライン マザーズ・ロザリオ ボクの生きる意味 作:むこ(連載継続頑張ります)
皆様、大変お久しぶりです。小さな春編、再始動いたします。
死闘の末、巨大狼を倒したシリカ一行、その続きからのお話です。
西暦2026年12月17日(木) 午後16:05 アルヴヘイムオンライン スヴァルトアールヴヘイム 浮島平原ヴォークリンデ
「くぅ……」
激闘の末に眠りこけてしまったジュンは、シリカの膝を借りて夢の世界へと誘われていた。
終始目の前の戦闘に、仲間への気配りに集中力を向けていたのもあり、疲労困憊満身創痍だ。
文字通り傷だらけの少年は、本日ペアを組んだ女の子の膝の上で、その可愛らしい寝顔を晒している。
「……ジュンくん……」
シリカが優しく撫でるたびに、彼の幼さが残る顔が揺らされる。キリトと同じように、可愛らしさと凛々しさがある中性的な顔つきだ。
現実世界の彼も同じような顔つきなのだろうか? その顔を見つめていたシリカは、かつて旧アインクラッドで初めてキリトと出会った時のことを思い出していた。
モンスターに追い詰められて、死ぬ一歩手前まで追い詰められた危機的状況を、間一髪で救ってもらった。
その後彼の優しさに惚れて、気がついたら異性として意識してしまっていた。
しかし、当時の彼にはアスナが、そして今はユウキが隣にいる。
寂しいことだが、シリカに入り込む余地など全くなかった。あの時もっとアプローチしておけばとか、せめて自分の好意を伝えておけばとか、そういう次元の話ではなかったのだ。
ジュンの寝顔を見ていると、どうしてもあの時のことを思い出してしまう。
初めて男の子に恋をした、あの仮想世界でのことを……。
「ん……、んん……」
「あ……」
じっと彼の顔を見つめながら撫でくりまわしていると、ジュンは長い間瞑っていた瞼をゆっくりと開いていた。
視界がまだぼやけてる中、目尻を擦りながら少しずつ視界を定めていく。
ぼんやりとしていた目の前の景色が、段々とハッキリしてきた。
目を覚ました彼の目の前には、逆さに映ったケットシー族の女の子の、優しい顔が見えていた。
「あ……れ、オレ寝ちゃってたのか……」
寝ぼけまなこのジュンの顔を見るシリカに、ニコッと笑顔が浮かぶ。
まるで年下の弟の面倒を見るお姉さんのような優しさを持つ笑顔だ。
「はい、とっても気持ちよさそうに眠ってましたよ」
「そう……なんだ、ごめん……」
「大丈夫ですよ、ジュンくん一番頑張ってましたから……!」
終始笑顔で受け答えするシリカに、ジュンもすっかり心を許しているようだ。
彼からしてみたら、女の子と接するなんてことは、スリーピング・ナイツのメンバー以外にほとんどなかった。
悪酔いしてよく絡んでくるノリはサバサバ系お姉さん、終始落ち着いてのんびりしてるシウネーはおっとり系お姉さん的な立場なので、恋愛対象としては違う。
唯一恋心を持っていたユウキは、今はキリトの隣にいる。彼の初恋は、始まる前から終わってしまっていたのだ。
「起きれます? ジュンくん」
「ん……うん、って……え、え!?」
やっと意識がしっかりしてきたのも束の間、ここにきて漸く彼は今自分がどのような体勢にあるかというのを理解した。
女の子の太ももに後頭部を預け、その状態のまま暫くの間ずっと眠りこけていたのだ。
状況を飲み込むと、彼は慌てて上体を起こし、忙しそうに立ち上がる。まるで居てはいけない場所から逃げ出すかのように。
しかし、少しだけどこか名残惜しさを残すように。
「ご、ごめんッ」
顔を赤らめながら、それを右腕で隠すようにして小っ恥ずかしさを誤魔化そうとするジュン。そんな彼をシリカはずっと笑顔で見守り続けている。
恥ずかしがってる顔を彼女に見られたくないのか、鼻から下を腕で隠し、横目でチラチラとシリカに何度も視線を移す。
「いえ、大丈夫ですよ!」
そんな彼の反応が楽しいのか、シリカは絶えずニコニコ嬉しそうだ。
彼のことを知れたから楽しかったのか、それとも風邪で暇で暇で仕方ない時に予想外のサプライズに出会えたから嬉しかったのか。
しかし、今この状況を一番心の底から楽しんでいるのは、彼より彼女の方のようだ。
「街、戻ろうか……、オレそろそろリハビリの時間だから」
「あ……は、はい。そうしましょうか!」
もう少しだけこの状況を楽しんでいたかったシリカは、少しだけ名残惜しそうな顔をしながら、自身も腰を地面から上げた。
女の子座りの体勢から立ち上がると、足回りをパパっと手の平で払い、身だしなみを整える。
そして彼にまた視線を戻し、ゆっくりと手を伸ばす。
「帰りましょう、ラインに!」
「う……うん」
おかしな顔を見られたかもしれないと思いつつも、ジュンは素直にシリカの手を取る。しかし、視線はまだ明後日の方向を向いたままだ。
そんな彼の心情など露知らず、シリカは左手でメニューを開き、ストレージから転移結晶を取り出しオブジェクト化し、それを握りしめて天に掲げる。
透き通った水色の転移結晶は、夕陽を浴びて複雑で綺麗な色合いを見せている。
シリカが「転移、ライン!」と叫ぶと転移結晶と共に、シリカとジュンのアバターも青白い光を放ちながら、ヴォーグリンデから姿を消していった。
――――――
同日 同時刻 アルヴヘイムオンライン 空都ライン 転移門広場
平日の夕刻時、この時間差し掛かると、プレイヤーは少しずつ増えてくる。
社会人はまだ働いているが、学生のプレイヤーは講義が終わり、部活が無ければ既に帰路につき、不真面目なプレイヤーは宿題や課題に手をつけず、アミュスフィアへと手を伸ばし、そのまま仮想世界へとやってくる。
そんな人が多いためか、今人気ナンバーワンのVRMMOこと、ALOの世界にもかなりのプレイヤーが見受けられる。おそらくほとんどが学生なのだろう。
特に、この空都ラインは風通りもよく、景観も人気があり、先日実装されたダンジョンの拠点的な位置も担ってる為、他の街より人口が多くなっている。
そんなラインの街中に、サラマンダーの男の子とケットシーの女の子が、光に包まれながら姿を表した。
「……はい、帰ってきましたよ!」
「う、うん……」
見慣れた光景のはずなのに、何故か今は落ち着いていられない。
出どころのわからない心の落ち着きなさを探りながら、ジュンは相変わらず明後日の方向を向いている。
「そ、それじゃあ……オレ、落ちるね?」
「あ……は、はい!」
リハビリの邪魔をしてはいけない、そう思ったシリカの方から先に手を離すと、ジュンは少しだけ寂しそうな表情を見せた。
離された手の先を、名残惜しそうにじっと見つめてる。
「……どうかしました? ジュンくん」
「え? ……あ、いや……」
今度は真反対の方向を向いてしまい、完全にシリカに背を向ける形となった。
思春期真っ只中の彼にとって、女の子と二人きりという今のこのシチュエーションは、あまりにもダイレクト過ぎたようだ。
「な、なんでもないから、大丈夫だから……」
「……そ、そうですか?」
頭にクエスチョンマークを浮かべながら、どこか解せない様子を見せているシリカ。
左右のツインテールを揺らしながら、首を斜めに傾ける。彼の様子のおかしさの原因が、自分であることに気付かないまま。
「そ、それじゃあ……またね、シリカ」
「はい! また……一緒に遊んでくれますか?」
「……うん」
期待の眼で見つめてくるシリカからの問いに、また言葉を詰まらせたジュンであったが、顔を赤らめながらもボソッと、よく耳を澄ませないと聞こえないような声量で、肯定の返事を返した。
「やった! 約束ですよ!」
「う、うん」
この上ない満面の笑みを振りまくシリカ。それほどまた彼と遊ぶのが楽しみなのだろう。
風邪をひいてることなどすっかり忘れて、しっかりと仮想世界を満喫している。
このことがバレてしまっては、家族はもとより、アスナやリズベットからも大いに叱りを受けることだろう。
「バイバイ、シリカ……」
「はい、また会いましょう!」
そうシリカが言葉を送ると、ジュンは左手のメニューを操作してログアウトを選択し、自身のアバターを光らせ、仮想世界から去っていった。
意識は現実世界の彼の肉体へと戻り、これからもリハビリをこなして社会復帰への道のりを歩むのだろう。
「…………」
彼がさっきまでいた場所を、シリカはじっと見つめている。頭にピナを乗せながら、少しだけ寂しさを覚えていた。
「そっか……スリーピング・ナイツの人たちって……」
重病人患者で構成されていたギルド、スリーピング・ナイツ。
文字通りギルドメンバーは一人一人が重い病気を患っており、中には余命を宣告され、更には亡くなってしまった者もいる。
クロービス、メリダ、そしてユウキの姉であり、初代ギルドマスターのラン。
既に三人のメンバーが帰らぬ人となってしまっていた。
しかし、とある事がきっかけで、その宿命に歯止めがかかった。
二代目ギルドマスター、ユウキの患っていた病気、AIDSの完治を境に、残りのメンバーの容態にも変化が見受けられた。
死に向かって着々と歩みを進めていたメンバーは、日が進むにつれて、悪くなるどころか回復傾向に向かっていったのだ。
中でも余命を宣告されていたシウネー、ジュンの完治には、誰もが驚き、心から祝福したという。
まるでクロービスが、メリダが、そしてランが、こっちに来るのはまだまだ早いと、残りのメンバー全員に語りかけてるかのようだった。
メンバーの現在の様子はというと、ユウキはリハビリを終えて退院し、既に社会復帰済み。
ジュンを始め、シウネー、ノリ、タルケン、テッチの五人も治療は終わっており、あとはリハビリを残すのみとなっていたのだ。
命さえあれば、どこからでも這い上がれる。せっかく拾ったこの命、大切に大切にして、あの三人の分まで一生懸命に生きる。
リハビリだろうがなんだろうが、どんなことでも耐えて耐えて、生き抜く。
メンバー誰もが、そう心に固く誓いを立て、今を必死に生きているのだ。
「……私に出来ることって、何かないかな……」
改めてスリーピング・ナイツのメンバーの立場を思い出したシリカは、自分でも何か力になれないかと思い始めた。
自分は医者でも療法士でもない。だから直接的な彼らの助けになることは出来ない。
でも、今回仮想世界を通してやり取りが出来たように、他にも何かやれることがあるかもしれない。
何が出来るかはわからないけど、それをこれから考えよう。考えて、出来ることから力になろう、シリカはそう決意を抱いた。
「ジュンくん……か」
たった数時間一緒にいただけだが、思ってた以上にシリカは彼のことを意識してしまっていた。
彼のことを考えると、かつてのキリトの時のように心がドキドキする。
ただ単に、彼の力になってあげたいと思うようになっただけだというのに。
「……ふふ、また会えるといいなあ……」
高鳴る気持ちをそっと仕舞っておきながら、シリカも左手を操作して、メニューからログアウトを選択し、現実世界へと帰還していった。
本来ならばご法度の病欠中のゲーム。そんないけないことをしてることすらも忘れるくらい、今日は楽しいことがあった。
しかし、シリカを待ち構えていたのは楽しいことだけではなかった。
同日 同時刻 東京都立川市柏町 綾野邸
「ん……帰ってきました……」
意識を仮想世界から現実世界へと戻した珪子は、うっすらとその瞼を開いた。
心なしか、先程よりも体のだるさがとれたような気がする。
頭に装着していたアミュスフィアを取り外し傍らへと置くと、状態を起こしながら思い切りぐーんと伸びをする。
「ふぁ……今日は楽しかったですね……」
「へぇ、それは結構なことじゃない?」
自分しかいないはずの部屋の中で、自分以外の声がした。
珪子は何事かと思い、その声のした方向へと視線を移す。泥棒か? それとも母親か?
しかし、そこにいたのはそのどちらでもなく、ある意味珪子にとっておぞましい光景であった。
「御機嫌よう、シリカちゃん」
「いいご身分ねえ、体調悪いのにフルダイブだなんて……」
珪子の部屋にいる二人の人物。言わずもがな、リズベットこと篠崎里香と、アスナこと結城明日奈であった。
「ふぇ!? あ……アスナさんに、リズさん!?」
何故彼女らが、珪子の部屋にいるのは言うまでもない。
昼の約束通りお見舞いの為に綾野邸を訪れたまではいいものの、玄関のチャイムを鳴らしても家の誰からも反応が来ない。
LINEでメッセージを飛ばしても未読にすらならず、電話をかけても音沙汰がない。
しかし、珪子の部屋のエアコンの室外機が動いてることからして、中に彼女がいることは明白。
すると、彼女の身体に何かあったのではと、明日奈と里香は焦り、玄関の扉が開いていたのをいいことに、珪子の部屋まで真っ直ぐ駆けつけたのだ。
しかし、慌てて彼女の部屋のドアを開けてみると、そこに飛び込んできたのは彼女がアミュスフィアを装着してフルダイブしている姿であった。
心配しなくてよかったというよりも、呆れたという気持ちと、やり場のない憤りを感じていた二人であった。
いつでもLANケーブルを引っこ抜いて強制的にログアウトさせることは出来たが、敢えて自主的に帰還するのを待って、少し思い知らせてやろうと、今回のことを画策したのだ。
この後、珪子が二人に萎れるほどこってり絞られ、説教を食らったのは言うまでもない。
その時見た明日奈と里香の形相は、今まで見てきた中でも一番恐ろしい顔をしていたという。
「シーリーカー……? ちょーっと、そこに正座なさい?」
「私とリズから、すこーし、お話があるから……ね?」
顔は笑っているが、目が全く笑っていない。
謎の悪寒を背筋に感じながらも、珪子はベッドの上で後退りをし、彼女らから後退しようとしていたが、後ろが部屋の壁であった為、それは叶わなかった。
「ご、ごごご、ごめんなさぁーいッ!!」
もう二度と、この二人を怒らせてはいけない。そう教訓を経て、シリカは新しい誓いを心に立てた。
――――――
同日 午後16:15 某総合病院
「…………」
やせ細った少年が、白いシーツのベッドに仰向けになっている状態で目を覚ました。
意識が覚醒した少年は、むくりと上体を起こし、自身の頭に装着しているマシンを外す。
マシンを両手で掴み、頭から外すと首を左右に二、三度振る。彼の赤黒い髪の毛が遠心力に引っ張られ、揺れた。
傍らの明るい木目調のシェルフにそのマシンを置くと、少年は窓の外を見た。
冬場が近付いているからか、陽は沈みかけて、夕闇を彩っている。
窓を少し開けていたためか、外から少し冷たい風が吹き込んできた。
それに吹かれたのか少し身震いをしながら、少年は身体に力を入れて掛け布団を捲り、ベッドに隣接してる窓まで身を寄せる。
前のめりに窓のサッシに手を伸ばし、カラカラという音を立てながら、そのまま窓を閉め切った。
これ以上病室を換気する必要はないだろう。それに開けていても寒いだけだと、部屋を密室にする。
寒い空気は遮断され、少年もほっと一息いれた。
すると、病室の扉の方向から、『コンコン』と扉を叩く音が聞こえてきた。
「はい、どうぞ」
少年がそう声をかけると、『カラカラ』という音とともに扉が開かれ、白衣を着た四十年代ほどの中年の医師と、二十代後半だと思われる白いナース服に身を包んだ若い看護師が、彼の前に姿を表した。
「こんばんは、先生」
「はい、こんばんは。調子はどうですか?」
姿勢を前かがみにして、視線の高さを少年に合わせて、彼の容態を尋ねる。
すぐ背後にいる看護師はカルテの挟まったカーキ色のバインダーを右手に、そのやり取りを見守っている。
「はい、問題ないと思います。まだちょっと力が入り切りませんが、少しだけなら何とか歩けます」
「そうですか、それはよかった……」
中年の男性らしい不器用ながらも暖かそうな笑顔を見せると、医師は看護師からカルテを受け取った。
そこには少年の身体のデータ全てが記されているのだろう。
隅々まで目を通しながら、再び彼に声をかける。
「血圧も、心拍数も安定してます。本当に目覚しい回復です。本当に……よくここまで立ち直ってくれました……」
「先生のおかげです。先生があの時、あの話を持ち出してくれたから、今のオレがいるんです」
「……あれは賭けに等しかった。実験台になるようなことを強要してるようで、私も心苦しかった……」
「……そんなことないですよ。オレは実際こうして、生きてます」
少年をモルモットにしてしまったのではないかと頭を抱えている医師に、少年はフォローを入れた。
先生のおかげで生きていられる。先生がいたからここまで回復できた。あと少し、リハビリを終えればまた外の世界に歩める。
あと少しだ、あと少し。あと……少し。
「そう言ってもらえると、私も少し気待ちが楽になります……」
「……それより先生、オレ……そろそろリハビリ行きたいんですけど……」
いよいよこれは自分の想定外の長話に発展しそうだなと判断した少年は、そうなる前に釘を刺してしまおうと本来の目的を伝える。
釘を刺された医師はハッとなると、「これは失礼しました」と頭をかいて、その後の事を看護師に一任した。
時間は無限ではない。今この一分一秒ですら無駄にはしたくない。
自分の友人もそう言っていた。なら早く動き始めなければいけない。
看護師は指示を受けると、病室の傍らに置いてある歩行器に手を伸ばし、少年の目の前に丁寧に置いた。
「ありがとうございます」
一礼すると少年は歩行器に手を伸ばし、ゆっくりとベッドから体を起こす。
そして、意図的に脚に負荷を掛け続け、少しずつ鍛えていく。
「それじゃあ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
先生に挨拶を済ませると、少年はリハビリテーションルームへと、歩を進ませていった。
いち早く日常へと戻るため。自分の人生を取り戻すため、今日も必死に体に力を入れて、前へと歩いていった。
すれ違う他の医師や看護師、入院患者とすれ違う度に軽い会釈で挨拶を交わしながら、目的地へと足を運ぶ。
彼の目標、それは復学すること。
長年病気に体を蝕まられ、余命を宣告され、目の前が真っ暗になり、全てを諦めそうになったこともあった。
しかし、彼は助かった。
新薬の実験も兼ねた治療が、彼の命を救ったのだ。
病気が治れば、道は開ける。
それから彼は必死に日常へと、社会へと戻るために自分を鍛え続けた。
苦手な勉強も頑張っている。体もここまで動くようになった。
今は十二月。まだわからないが何処かの学校を受験できるかもしれない。
公立でなくても、私立なら可能性が残されている。
その為に勉強も運動も頑張る。家計には打撃を与えてしまうかもしれないが、卒業したら働いて精一杯返していく。
そして、今度は自分が家計を支えていく立場となるんだ。
若干十六歳にして、既に将来への人生設計を立てている彼の志は大変に立派だ。
彼も、かつて剥奪された『普通』を取り戻そうと、もがいているのだ。
「オレは……やってやる、夢の実現の為に、絶対にやってやる……!」
額に汗をかきながら、少年は今日も前へと進んでいく。家庭のため、将来のため、そして、自分自身の夢を叶えるため。
どんなに高い壁だって、よじ登ってやる。よじ登るのが無理なら、ぶっ壊してでも突き進んでやる。
そう心に想いをのせて、少年は歩き続ける。
今日も歩き続ける。
こんな所で終わるつもりはない。
自分には夢がある。
絶対に叶えてやる。
少年は歩き続けた。がむしゃらに頑張り続けた。今の彼にはそれしか出来ないかもしれない。
だが、それでいい。彼はまだ若い。可能性は無限に広がっている。その可能性が残っている限り、彼は頑張り続けるのだ。
「失礼します……」
少年がリハビリテーションルームに辿り着くと、先に中でリハビリをしている他の患者に声をかける。患者同士でも、コミニュケーションは大切だ。
部屋の中には二十代の若い患者から、還暦を超えているような年配の患者の姿まで見受けられる。
みんな、各々が日常へと戻るために必死に頑張っているのだ。そして、その中に少年の姿ももちろんあった。
「今日も頑張るのね? 少しは休んだら?」
「いえ、少しでも早く退院したいので、もっと頑張らないといけないんです」
「だけど、無理は禁物だわよ?」
彼の無茶が知れ渡っているのか、若いお姉さんと、年配のお婆ちゃんの患者が、心配そうに声をかけた。
「大丈夫です、若いんで」
いいからリハビリに集中させてくれと言わんばかりに、キレッキレな返答を突き刺す。
その返答を聞くと、お婆ちゃんは今日のメニューが終了したのか、そそくさと部屋を後にして自分の病室へと向かっていった。
しかし、若さゆえか彼は自分が何を言ったのかあまり理解出来ていないようだ。
そんな模様を、お姉さんが呆れ気味にため息をついている。
「あまり年配の人に、ああゆうこと言っちゃダメだよ?」
「え、そ、そうなんですか?」
見透かされていたのか、少年はお姉さんに諭され、顔をきょとんとさせた。ここにきてようやく自分が不味いことを言ってしまったと認識したようだ。
「歳をとると、やっぱり若いってのは羨ましくなるものなんだよ?」
「は、はぁ……」
首をかしげながらも、なんとなく言いたいことはわかる。力のない返事を返すと、少年はお姉さんの言葉に耳を傾け続けた。
「歳をとるとね、やっぱり体の衰えはどうしても気になってくるの。体を壊すと回復まで時間がかかるし、リハビリも思うようにいかないのよ?」
「は、はい……」
「だから、年配の人は大切にしてあげようね?」
「わ、わかりました……」
若いからゆえ、日々学ぶことは多い。親の教えや学校の授業だけではない。
日常の些細なことからでも、勉強になることはたくさんある。
身近な人からの何気ない会話ですら、社会勉強の一つとも言える。
今はまだそんなに実感がないだろうが、この経験は必ず学んだ者の助けとなっていくだろう。
自分の言う通りに従った少年の態度に、お姉さんは笑顔を見せる。その笑みには「年上のいうことには従うものだぞ」と訴えかけてるようにも見えていた。
「うむ、素直でいい子だね。
「そんなこと、ないですよ」
少年はそう返すと、再びリハビリに身を投じていった。日常を、普通を取り戻すため。
しかし、人生とは中々自分の思い通りにことが運ぶとは限らない。
彼もまた、これから壮絶な人生を歩むこととなるのだった。
しかし、とある少女との出会いが、彼の運命を大きく変えることになる。
そしてその未来は、そう遠くない出来事になるであろう。
ご閲覧、ありがとうございます。
創作環境の関係で、今回も挿絵は無しとなっております。
さあ、小さな春編も、物語が本格的に動き始めていきます!
一人の少女と少年、出会うことにより、互いの運命が大きく変わっていくことでしょう。
次回も、よろしくお願いします。