ソードアート・オンライン マザーズ・ロザリオ ボクの生きる意味   作:むこ(連載継続頑張ります)

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 こんばんは、えーっとすみませんデジャヴですが先に謝っておきます。今後の日常編なのですが、恐らくシーズンイベントの時期に合わせてリアルタイムで執筆していくというのが厳しくなってきています。いや、すでにハロウィンが遅れていたんですが……。話の軸を固めると表現の方法とか文脈とか考えると文字数が莫大になってきてしまって、物語が進展していないのに二万文字とか平気でオーバーしてしまいます。

 ですので前書き後書きの次回予告的な発言は9割方ないなと思っていただければと思います。そうなればいいなという筆者の願望ということで……。

 さて、毎度長い前書き申し訳ありません。第55話ご覧くださいませ。
 
 


第55話~初めてのおつかい~

 

 

 西暦2026年11月1日 日曜日 午前8:05 埼玉県川越市 桐ヶ谷邸

 

 

 世間はハロウィンの季節を終えて11月に入っていた。赤く染まっていた紅葉もピークを去り、木々という木々の葉っぱはほとんどが枝から抜け落ちていっている。秋から冬になろうと本格的に寒さが到来する季節となっていた。

 

 特に今年の秋は半ばあたりから急に冷え込んでおり、それなりに厚着を着込まないとかなりの寒さを感じるほどだ。和人達の暮らす埼玉県川越市も例外ではなく、今朝から秋らしからぬ寒さに襲われていた。このままでは12月を待たずして雪を見る機会がやって来そうである。

 

 そんな肌寒い川越にある桐ヶ谷家の食卓では、テレビを見ながら和人、木綿季、直葉、翠が朝御飯に箸をつついていた。普段はパン食が多い桐ヶ谷家の朝御飯は、今日は久々の和食であった。卵焼きに鮭の切り身、大根おろしと昆布の佃煮に、葱と油揚げと大根が入った味噌汁といった献立だ。

 

 

「うわあ、埼玉県今日の最低気温5度だってさ」

 

「マジかぁ、昨日より冷え込むのか、外……」

 

 

 朝御飯の味噌汁をズズッという音を立てて飲みながら天気予報を見ていた木綿季が今日の最低気温に驚くと、隣に座っている和人が寒さに対してげんなりとした様子を見せていた。桐ヶ谷家の長兄でもある和人は今年で18歳になり、段々と大人の苦労を肌で感じ、社会や世間の厳しさ、生きていくことの大変さを少しずつ理解し始める年齢となっていた。そして暑さや寒さといった季節さながらの気候変動も勿論その例外ではなかった。

 

 

「和人寒いの苦手なの?」

 

「寒さだけじゃなく暑いのも苦手だよ、エアコンや暖房がない暮らしなど考えられん」

 

「現代っ子だなあ~……」

 

「お前が言うか!」

 

 

 自分より二つ年下の木綿季に情けないなあと言われんばかりの悪態を吐かれた和人が思わずツッコミを入れた。木綿季は他の同年代の子と比べても寒さなどには滅法強いらしく、朝方の寒い時間にもかかわらず直葉の剣道の稽古を厚着をしないまま平然と見ていられる程であった。

 

 

「ほらほら、はしゃいでないでさっさと御飯食べちゃいなさい。今日は忙しくなるんだから」

 

「はぁ~い」

 

 

 話に夢中で箸がなかなか進まない子供達に翠が注意を促した。そう、今日は桐ヶ谷家の大黒柱である峰嵩が久方ぶりに我が家へと帰ってくる日だ。普段は出張で家を留守にしていることの方が多いが、桐ヶ谷家の家計を一番に支えている力強い父親だ。

 

 その峰嵩が帰るとあって、桐ヶ谷家は騒々しい様子となっていた。長期の出張を労うために峰嵩の好物を買い出しに行ったり、二階の倉庫をほったらかしにしてたのがバレないように緊急の掃除をしたり。何より更に今回は木綿季が新しい家族として迎えられている。明日には家族全員で役所に養子縁組届を提出する手はずになっていることもあり、今日明日だけで桐ヶ谷家は大忙しとなっているのだ。

 

 

「和人と木綿季は朝御飯食べ終わったら、駅前のデパートにこのメモに書かれたものを買ってきてちょうだいね」

 

 

 翠はそう言いながら、和人に買ってきてほしいものが書かれたメモと、福沢諭吉が描かれているお札を三枚重ねて手渡した。和人はそれを片手で受け取って、まじまじと買い物リストに目をやっていた。リストに書かれているのはほとんどがお肉、野菜といった食料品であり、そのラインナップから今夜の食卓は鍋にするであろうことが窺えた。豚肉を大量に買い込むよう指示が書かれてることから、おそらくしゃぶしゃぶにでもするつもりなのだろう。

 

 

「OK、任されたよ」

 

「お酒は取り寄せたのが今日届くからそれで大丈夫ね」

 

「げっ、父さんやっぱり飲むのか……」

 

「うふふ、そゆことよ。お付き合いよろしくね? 和人」

 

 

 和人は肩と表情を落としながらも渋々翠からのお願いを承諾した。酔っ払いの相手はクラインの時で経験済みなのだが、父親である峰嵩はかなり酒癖が悪く、飲むたびに毎度しつこく和人に絡んでいたのだ。またあの厄介な酔っ払いの相手をしなければならないのかと思った和人は、今夜は眠れないなと溜め息をこぼしていた。

 

 

「お父さんってお酒飲むの?」

 

「ああ、そりゃもう浴びるほど飲むぞ。それでいて未成年の俺に絡んでくるんだからたまらないぜまったく……」

 

「まあまあ、お父さんもお兄ちゃんじゃないと話せないようなことがあるんだよ。そう言わずに付き合ってあげなよ」

 

「はぁ、仕方ないか……」

 

 

 和人は溜め息をこぼしながら渡されたメモと福沢諭吉を胸ポケットに仕舞い、朝食に再度箸を付けた。木綿季と直葉も和人につられるように続いて自分の分の朝食を胃に流し込んでいった。

 

 今日のミッションは大きく分けて三つ。和人と木綿季の買い出し班は駅前のデパートに今夜の晩餐用の食料品を買い出しに、翠と直葉の片付け班は家の中を、特に峰嵩の倉庫を徹底的に掃除して清潔にする。そして午後から晩餐の仕込みを始め、家族全員で鍋の準備を進める……と、こういった具合だ。準備が色々と大変だが、木綿季は家族総出で何かをやろうとしているこの前準備にわくわくし、期待に胸を躍らせていた。

 

 

「すごいなあ、なんかボクわくわくしてきたよ!」

 

「あら、そういうことならお買い物隊長は木綿季にお願いしようかしらね?」

 

「ホントに!? やったー!」

 

「……不安しかないんだが……」

 

「大丈夫だよ! 何とかなるって!」

 

 

 木綿季はああ言ってはいるが、和人は正直不安の気持ちを隠せなかった。本人から聞いた話では過去に買い物に行ったのは幼かった頃に、生前の紺野一家全員で買い物に行った時以降買い物に行ってないという。それも買い出し自体は木綿季の両親がやっていたので肝心の木綿季は両親にくっついてただけで買い物のお手伝いをしたことはなかったのだ。せいぜい軽い荷物を持ったぐらいだ。

 

 和人はそんな木綿季が買い物隊長をやることに不安でしかなかった。リスト通りの物を揃えられるのか、余計なものを買おうとしてしまわないだろうか、最悪……道中で迷子になってしまわないかどうか。あらゆる不安要素を頭の中に巡らせていた、この歳で迷子になったら器用なものだが。

 

 

「和人、あなたがしっかり見てあげなさいね?」

 

「あいよ、結局俺か……」

 

 

 木綿季が隊長を務めると言いつつも、結局は和人が場を仕切る立場になるようだ。今回の買い物も実質的には木綿季の初めてのおつかいWith和人、といった具合だった。

 

 

「木綿季、先に言っておくが余計な物は買わないからな? 今日は大荷物なんだから」

 

 

 和人の先制攻撃に木綿季は眉をへの字に曲げて「え〜っ!」と不満の様子を見せていた。恐らくお菓子やら何やらを買ってもらおうと画策してたのだろう。先に釘を刺された木綿季は口を尖らせてぶーぶーと、可愛らしいクレームを和人に向けて飛ばしていた。和人はそんな木綿季をよそにわれ知らぬといった顔で味噌汁をすすっていた。

 

 

「くすっ、大丈夫よ。買い物には二階の倉庫にあるキャリーを使えばいいわ。デパートで空きダンボールを貰ってそれをキャリーに乗せて運べば大分余裕が生まれるもの」

 

 

 翠が木綿季の援護をするような発言をすると和人が味噌汁の入った椀に口をつけながらジト目で「余計なことを……!」とでも言いたそうに翠に視線を送っていた。翠は和人からの視線に気付くと「まあまあいいじゃないの」と言いたそうに和人に向かって左目でウィンクを返した。和人はその様子を見て再び溜め息をこぼしていた。

 

 

「全く……あまり荷物になるものはダメだからな?」

 

「やったぁー! 和人だーいすきっ!」

 

 

 折れるのが早い和人と無邪気に喜ぶ木綿季の仲睦まじい微笑ましさに、翠はほっこりとした笑顔を浮かべていた。それからほどなくして四人とも朝食を平らげて食器を片付け、洗い物まで済ますと直葉と翠は早速掃除の準備に、和人と木綿季は自室に向かい買い出しに行くための支度を始めた。

 

 今日の川越はいつもより寒いので和人は厚めの黒のコートにグレーのマフラーを手に取り、寒さ対策を取っていた。木綿季は和人に買ってもらった紫のデニムジャケットにウサギさんのイヤーマフ、手先にはホームセンターで購入したピンクと水色の可愛らしいデザインのミトンを付け、女の子らしい服装に身を包んでいた。

 

 和人は峰嵩の倉庫から銀色の折りたたみ式のコンパクトなキャリーを二つ持ち出した。何しろ家族五人分の晩餐の材料を買い込むんだ、更には木綿季から色々な物をねだられる可能性が大きい。持ち運ぶ手段は多いほうがいい。この車輪付きのキャリーなら引っ張るだけなので女の子の木綿季でも簡単に持ち運びが出来る。決して彼女に重たいものを持たせるなんて〜なんてことにはならない筈だ。

 

 木綿季が家の玄関に辿り着くと防寒具に身を包み、ブラウンの革靴のような紐履を履き、出掛ける支度を済ますと和人も続いて上着を羽織り、マフラーを首に巻き、真っ黒なスニーカーに足を通した。そして財布とスマホがズボンのポケットにあることを確認し、最後に買い物リストに目を通すとそれを胸ポケットに仕舞い「よし、行くぞ」と木綿季に声を掛け、下駄箱に二つ重ねて立てかけてあるキャリーを手に取り自宅を後にした。木綿季も靴を履くと、とてとてと両手を広げて和人の後を追った。そして二人の首元には、半年前に和人が木綿季とお揃いで買った宝石が埋め込まれたペンダントがぶら下がっていた。

 

 

「うぅ、わかっちゃいだがやっぱり外は寒いな……」

 

 

 和人が玄関の扉を開けて表に出ると、冷え切った空気が待ってましたと言わんばかりに和人の体に襲い掛かった。屋内との体感温度差も相まって、和人はいきなり心が折れそうになっていた。息をするたび話をするたびに口からは白い息が吐き出され、その日の肌寒さを物語っていた。一方で木綿季は平気な顔をして玄関先に佇んでいた。

 

 

「うーん、そうかな? 確かに寒いは寒いけど我慢出来なくはないよ?」

 

「お前、凄いな……」

 

「えへへー! ボク昔から寒さには強いんだ! 風の子だからね!」

 

「んじゃあ俺は火の子でいいや、外になんか出ずに炬燵に入ってぬくぬくとしてたい……」

 

「えっ、ちょ、ちょっと和人! 玄関出てからまだ1分も経ってないよ! 気持ち折れるの早すぎだよ!」

 

「そうは言っても寒いもんは寒いんだ! うぅ……もっと厚い上着買っとくんだったな……」

 

 

 和人は右手でカラカラと車輪の音がする銀色のキャリーを引っ張りながら左手で自分の体を抱き、寒さから身を守っていた。しかしそんなことで朝方の寒さが軽減するはずもなく、和人は11月の冷え込みに体を震わせていた。

 

 

「んじゃあさ……こうすればいいよ!」

 

「え……? おわっ」

 

 

 木綿季はそう言いながら笑顔で自分の右腕を和人の胴に絡みつかせ、更にこれでもかと自分の身体を和人に密着させた。急に密着された和人は一瞬グラついて非常に歩きづらそうにしていた。更に片手でキャリーを引っ張っているため、余計に前に進みづらそうであった。

 

 

「こ、こら木綿季! 離れろ! 歩きづらいっての!」

 

「えー、いいじゃんかー! この方があったかいでしょー?」

 

「あ……歩いてくうちに体が温まるから! くっつきすぎだ木綿季!」

 

「ぶー! やだ! デパートに着くまで絶対に離れないもん!」

 

 

 その後も二人の不毛な攻防は駅前に着くまで続き、道中も「離れなさい!」 「やだー!」といった騒々しいやりとりが繰り広げられていた。そのやかましくも見ていて楽しくなる二人のやりとりは自然と道行く人々からの視線を集めてしまっていた。しかしそれでも木綿季は決して和人に抱きついたままの姿勢をやめようとはしなかった。

 

 

――――――

 

 

同日 午前10:05 埼玉県川越市 川越駅郊外

 

 

 和人達は自宅から通常片道徒歩30分で来れるここまでの距離を40分もかけてやっと川越駅前に辿り着いていた。ここまでやってくる間ずっと木綿季に密着されていた和人は、自分と木綿季のほぼ二人分の体重を支え続けてきたおかげで、すっかり息を切らして疲労の様子を見せていた。

 

 一方で和人に抱きついていた木綿季は疲れている和人とは対照的に、疲労の様子を全く見せていなかった。むしろ和人にしがみついていた分だけ元気を吸い取っていたかのようだった。

 

 

「ぜぇ……ぜぇ……、やっと駅前に着いたぞ……」

 

「お疲れ様! 和人!」

 

「木綿季、これ以上は勘弁してくれ……まだ何も買ってないのにもうくたくただ……」

 

「はぁーい、しょうがないなあ」

 

 

 木綿季は和人に頼まれるとパッと密着していた身体を離して和人を解放した。長時間抱きついていたおかげで和人の上着がしわくちゃになってしまっていた。和人は大きく肩で溜め息を吐き出すと、近くにある白いベンチに腰を下ろしてくつろぎ始めた。木綿季もそれに続くように和人の隣に腰を落ち着け、川越駅の周辺を見回していた。

 

 

「うわあ……昨日までハロウィンだったのにもうクリスマスの飾りがいっぱいだよー!」

 

「……そうだな」

 

 

 バスロータリーとタクシー乗り場、そして大きい駅によくある陸橋が交差する川越駅周辺の郊外では、クリスマスツリーやリース、夜になると光るであろうイルミネーションの電飾などの飾り付けがあちらこちらにされており、既にクリスマスムード一色となっていた。木綿季は近くにある成人男性の身長ほどの小さいクリスマスツリーを発見すると、ツリーをもっと間近で見るためにとてとてと歩いていった。

 

 木綿季が見つけたツリーには小さく可愛らしいサイズの飾り付けがなされていた。金のベル、銀の星、柊の葉っぱ、赤と白の杖など、クリスマスさながらの楽しい見た目をしていた。木綿季はツリーに近づくと、装飾の一つ一つを目の前で見て楽しんだり手で触ったりして感触を確かめていた。

 

 木綿季にとって、クリスマスには特別な思い入れがあった。木綿季の以前の家族である紺野家は元々キリスト教を崇拝するクリスチャンの一家だ。当然毎年のクリスマスにも盛大に楽しいパーティを家で開いていた。木綿季も小さい頃から毎年非常に楽しみにしている行事だった。

 

 しかし三年前にAIDSを発症し、病院生活を余儀なくされたことにより、その楽しみは砕け散ってしまった。無菌室に入れられ、外部との接触が出来なくなり、木綿季は長期間、クリスマスどころか現実の全てを奪われたのだ。仮想世界で季節のイベントは楽しんでいたが、やはりゲームは所詮ゲーム。いくらリアルでも現実世界のものまでとはいかなかった。

 

 だからこそだ。HIVウィルスを全て駆逐し、AIDSを完全に克服して現実世界で生きていける身体を取り戻した今なら、クリスマスも昔のように楽しむことが出来る。家の中にもツリーを飾り、クリスマスケーキにチキンにピザと美味しいものをたらふく食べて、終いにプレゼント交換。また楽しいクリスマスを過ごせるのだ。

 

 それも木綿季の命を救うために走り続けてくれた和人の頑張りあってのことだった。恋人になってから何回彼に感謝の気持ちを伝えたかわからないが、もう一回伝えよう。ボクを現実世界に帰してくれてありがとう……と。 木綿季は和人に感謝の気持ちを伝えるべく、180度方向転換し、ベンチに腰掛けている和人に歩み寄っていった。しかし次第に距離が近くなるにつれ、木綿季は和人の様子がおかしくなっていることに気付いた。

 

 

「か……かずと……?」

 

「…………」

 

 

 和人が何か変だ。上の空になってしまってどこに視線を向けているわけでもなく、ただ何もない空間を見つめているようだった。瞳には光が宿ってなく、まるで魂の抜け殻みたいになってしまっていた。何だ、どうしたんだ? ボクの知らない和人がいる、和人に一体何が起こったの? 木綿季は恐る恐る和人に近づいて声を掛けてみた。

 

 

「かずと、大丈夫?」

 

「…………サチ……?」

 

「え……?」

 

 

 木綿季は和人の口から出た言葉に目を見開いて驚愕した。絶対に見間違うはずがない恋人の木綿季に向かい、違う人物の名を呼んだのだ。明らかに和人がおかしい、正気じゃない。木綿季は和人の肩に手を当ててこちら側に戻そうと和人の名前を叫びながら強く、激しく揺さぶった。

 

 

「和人! しっかりして! 和人ってば!」

 

「……サチ、なのか……?」

 

「ち……違うよ! ボクだよ! 木綿季だよ!」

 

「ユ……ウ、キ……?」

 

「うん……、君の恋人の……木綿季だよ!」

 

「あ……ああ……、ユウキ……、木綿季……!」

 

 

 木綿季からの必死の声掛けに、やっと正気に戻った和人は瞳に涙を浮かべていた。何故急に和人が涙を浮かべ、上の空で知らない人の名前を呼んだのかは木綿季にはわからなかった。だが、過去にそのサチという人物と悲しい過去があったことだけは、理解できていたようだった。

 

 木綿季は和人を優しく包み込むように抱き締め、和人の気持ちが落ち着くのを待った。和人は息を殺して木綿季の胸を借りてただひたすら泣き続けた。その姿はまるで、過去に仮想世界でキリトがユウキの胸を借りて泣きじゃくった光景とそっくりであった。

 

 和人のこうゆう顔は、和人にとって大切な人に何かあったときに見せる顔だ。ボクの体に合うドナーが中々見つからないときにも見せていた顔だった。つまり、サチという子は……多分和人にとって大切な人だったんだ。そして今は和人の側にいないってことは……多分既にもう……。

 

 

「かずと……大丈夫……?」

 

「……ごめんな……もう大丈夫だ……」

 

「一体どうしたの……?」

 

「…………」

 

 

 木綿季はゆっくりと和人への抱擁をといて心配そうに声を掛けた、しかし和人は何やら深く考え込んでしまい、涙の理由を木綿季に話す様子はなかった。よほど話したくないのか、ただただ沈黙を守るばかりであった。

 

 

「大丈夫だ……何でもないから……」

 

「なっ何でもないって……嘘言わないでよ! 何でもなかったら和人があんなに悲しい顔するわけないじゃない!」

 

「…………」

 

 

 木綿季は和人に涙の理由を問い詰めようとしたが、木綿季の必死の訴えにも和人は口を割ろうとはしなかった。余程言いたくないのだろう。そう、和人の一生もののトラウマとも言えるあのSAO時代の忌まわしいあの事件のことだけは、恋人である木綿季にも話したくなかったのだ。

 

 自分の所為で一つのギルドを「月夜の黒猫団」を壊滅に追いやってしまったこと、そのギルドメンバーの中に和人の初恋の女の子、サチがいたこと。そしてそのサチが和人の目の前でHPを全損させ、アバターを爆散させて死んでしまったこと。クリスマス限定ボスを倒して蘇生アイテムを手に入れて生き返らせようと試みたがダメだったこと。そして後にサチから直接「私が死ぬのは誰の所為でもない、私本人の問題だから」とキリト宛にメッセージが来てたこと。そして最後にサチからクリスマスソングを送られたこと。

 

 そんな悲しいクリスマスの記憶を、和人は再び思い出してしまっていた。明日奈との別れが、大切だった人との別れが、そしてAIDSの末期を迎え、風前の灯火の命だった木綿季との出会いが、和人にあの頃のことをまた思い出させるようになってしまっていたのだ。

 

 

「ボクにも話せないことなの……?」

 

「……ごめんな、こればかりは木綿季にも話せない。これは……俺自身の問題だから……」

 

「……和人……」

 

 

 和人が仮想世界で貫き通している信念「パーティーメンバーを誰一人死なせない」というのはSAO時代による影響が大きかった。中でも初めて所属した月夜の黒猫団を全滅させてしまったことが、彼の決心を固めるきっかけになっていたのだ。

 

 その決心は今も強く残っており、ALOでも必死に守り通そうとしていた。ボス戦でユウキのことを死なせまいと必死で守っていたのも、SAOでの過去があったからであった。「仲間の命」「大切な人の命」を、和人は誰よりも重く背負っていたのだ。だからこそ、不治の病だと言われていた木綿季のAIDSを何とかして必死に治そうとしていたのだ。

 

 

「ホントにごめんな……」

 

「……かずと……」

 

「…………」

 

「いつか、話してくれる……?」

 

「…………」

 

 

 木綿季からの問い掛けに、和人は無言で解答を返した。和人は怖かったのだ、この忌まわしい過去を木綿季に打ち明けたら、木綿季まで自分の目の前から消えていってしまうのではないかと、そう感じてしまっていたのだ。もう彼女の命を脅かすHIVは消滅してるのにもかかわらずだ。それほど和人の心に傷を残した黒猫団の事件は深く、あまりにも重たい事件であったのだ。サチのことを忘れたい訳ではないが、消し去りたい和人の過去でもあった。

 

 

「……買い物、済ませちまおうぜ……」

 

「……うん……」

 

 

 和人と木綿季は表情を暗くしたまま、足取り重く目的地である地元のデパートへと向かっていった。とても買い物などする気分ではなくなってしまったが、目的を忘れてはいけなかった。今日帰ってくる父親を労うために、大好物を買って帰らねばならない。

 

 和人達はあれから5分ほど歩き、地元のデパート「円広(まるひろ)百貨店」へと辿り着いていた。円広百貨店は昭和14年に創業を開始し、ここ川越に本店を構える老舗の百貨店だ。百貨店の名に相応しく食料品は勿論生活必需品や雑貨類、化粧品、ペット用品、玩具など幅広い豊富な品揃えを誇っている。

 

 さらに館内にはレストランもあり、おまけに七階屋上には昔さながらの遊戯コーナーがあり、昭和時代に製造されたレトロ感溢れるアナログなゲーム筐体やスロットマシン等が並べられている。全部現役で稼働しているマシンだ。屋上中央にはゴーカートや小さい観覧車などのちょっとした遊園地施設もあり、ここが建物の屋上だということを忘れるぐらい楽しい場所となっていた。子供から大人まで楽しめる地元の人気スポットととして客足が絶えない場所だ。

 

 和人は入り口の自動ドアをくぐると一階のレディース雑貨売り場を通り過ぎエスカレーターで地下一階の食品売り場へと歩を進めていった。エスカレーターから降りるとその傍に置いてある一番大きいカートに手を伸ばし、持ってきた折りたたみ式のキャリーを収納させた。

 

 買い物など出来る気分ではなかったが、ここまできた目的を果たすために役割分担を決めた。和人は自分がカートを押し、木綿季にメモを見ながら品物をカートに入れてもらおうと、後ろにいる木綿季にメモを渡すために振り向いて声を掛けようとした。

 

 

「木綿季、俺がカートを押すからお前はこのメモを……あれ……?」

 

 

 和人が後ろを振り向くと、そこにいる筈の木綿季の姿が何処にもなかった。和人は周りに木綿季がいないかキョロキョロと食品売り場を見回したが何処にも見当たらない。おかしい、つい先ほどまでちゃんと後ろをついてきていたはずだ。何でいなくなってしまったんだ。

 

 

「木綿季……? ま、まさか……はぐれたのか!?」

 

 

 木綿季は和人とここまでくる途中にはぐれてしまっていた。先の件で二人とも考え事をしていたためか、別々の方向へと歩いてしまったことに気付かなかったのだ。和人は木綿季に連絡を取るためにズボンのポケットから慌ててスマホを取り出し、木綿季に電話を掛けようとしたが、ここでとある重要なことを思い出した。

 

 

「しまった……! あいつケータイ持ってないんだった……」

 

 

 今のこのご時世若者が一人一台は持っている携帯電話を、木綿季は所持していなかった。それもそのはず、携帯電話を持つような年齢になる前に木綿季は入院してしまっていたし、両親も入院中に亡くなっていて携帯電話どころの騒ぎではなかった。

 

 病気が治って退院した後も先に生活必需品を買い集めるのが優先されており、携帯電話を買う話も峰嵩が帰宅し、養子縁組を済ませた後に携帯会社と契約する筈だったのだ。木綿季がまだ携帯電話を持ってないのも無理はない話だった。しかしだからこそ余計に和人は悔しがっていた。携帯電話の操作がわからなくても持たせるだけ持たせて、GPS位置情報を共有出来るアプリをインストールしておけば、はぐれても互いの位置がわかるのにと悔しさの念を隠しきれなかった。

 

 

「マズい……どうする……! もしも、もしも……木綿季の身に何かあったら……!」

 

 

 和人は最悪のケースに陥ってしまった場合のことを想像していた。年頃の女の子がたった一人で連絡手段も持たずに知らない土地でうろついたら一体どうなるだろうか? ふざけた格好をした連中に絡まれてしまうかもしれない、チンピラに恐喝されるかもしれない。いや、もしかすると人のいないところに連れ込まれて、辱めを受けてしまうかもしれない。

 

 

「う……あ、ど……どうすれば……。俺の所為だ……俺の……」

 

 

 先のサチの件のことを考えていた所為か思考がネガティヴになってしまっていた和人は、考えられる中から片っ端から木綿季に降りかかる最悪の可能性を思い浮かべていた。そしてその事を考えるあまりに冷静さを欠いてしまい、適切な判断が出来ずにいた。背中に氷柱を突っ込まれたような感覚を覚え、額から嫌な汗が噴き出してきた。呼吸も段々と荒くなってきて、心臓の鼓動も激しく早くなっていってるのを感じた。様々な思考を巡らせた結果、和人は手掛かりもなくがむしゃらに百貨店のフロアの中で木綿季を探し始めた。

 

 

「木綿季ッ! どこだッ!?」

 

 

――――――

 

 

 一方で木綿季は和人と同じ円広百貨店の中にいたものの、やはり和人と同じく考え事をしていたためか、前方を歩いていた和人を完全に見失ってしまっていた。それだけならまだしも、たまたま木綿季の前を和人と同じく黒い服に身を包んだ男性が歩いていて見間違えたものだから始末におえなかった。

 

 

(あれ……この人、和人……じゃない……。 え……じゃあ和人はどこ……?)

 

 登りのエスカレーターを何度か乗り継いでいた途中で、木綿季は自分が和人とはぐれてしまっていたことに漸く気がついた。目の前の男性は背丈や服装こそ和人と似ていたが、髪型や服の細部が違っていた。乗っているエスカレーターを降りて、たまたま男性と目があった木綿季は一瞬たじろいたが、すぐに視線を逸らして逃げるようにその場を後にした。

 

 しばらく歩いていると木綿季はここにきて自分の置かれている状況に気がついていた。いつの間にか和人とはぐれてしまったこと、和人との連絡手段がないこと、そしてここがどこだかわからないこと。それらを肌で理解した木綿季は、不安そうに周りに和人がいないかどうかキョロキョロと首をうごかしていた。

 

 知らない土地にたった一人きりで女の子が取り残されて、不安にならない筈がない。いつも傍にいて自分を守ってくれる和人は今はいない。それだけで木綿季の冷静さを欠き、不安感を煽るには十分すぎた。現実世界の何もかもが新鮮であった木綿季だったが、裏を返せばその顔を何も知らないということになる。

 

 和人と一緒に見て回っていた時は心から楽しいと感じられていたが今は違った。人混み、人の話し声、足音、雑音など、和人がいなくなった瞬間にそれら全てが恐ろしく感じてきてしまっていた。その恐怖感と不安感が木綿季の冷静さを欠き、適切な判断を出来なくさせてしまっていた。しかし木綿季は我慢して耐え、泣きそうになりながらもあてもなく和人を歩いて探し始めた。

 

 

「あ……か、かずと……どこいっちゃったの……?」

 

 

――――――

 

 

 

 一方和人は、恐らく一番最初にはぐれてしまったであろう、一階のレディース雑貨フロアにて、木綿季の姿を探していた。だだっ広い円広百貨店のワンフロアをしらみつぶしにと自分の足で探していた。しかし売り場内は日曜日とも会ってこの日は大変に買い物客でごった返しており、和人一人の力だけで木綿季を見つけ出すのには困難を極めていた。事実、木綿季を探し始めてから30分ほど経過したがまだ一階の半分しか捜索出来ていなかった。人一人では限界というものがあったのだ。

 

 現在和人がいる一階フロアにはインフォメーションセンターがあり、迷子の案内などもここで受け付けてもらえるのだが、木綿季を見失い、焦るあまり冷静さを欠いていた和人にはその発想までたどり着かず、ただただ物理的に木綿季を探すだけであった。やがて一向に進捗が見られない捜索に和人は大きく肩を落とし、店の床に膝をついて項垂れてしまっていた。売り場のど真ん中で項垂れているあまり、周囲の買い物客からの視線を集めてしまっていた和人であったが、そんなことは今はどうでもよかった。

 

 今はとにかく木綿季が心配だ、早く木綿季を見つけてやらないといけない。何かあってからでは遅すぎる、しかしどうやって見つけたらいい、俺一人の力では無理だ。そう考えを詰まらせてしまった和人に気になる視線を向ける人間が三人見受けられた。どうやら和人の知り合いのようだった。

 

 一人は175cmほどの身長に赤いバンダナを巻き、燃えるようなデザインのライダースジャケットに身を包んだ成人男性。次に身長160cmほどで首元まで伸びたショートの茶髪にピンクのダウンジャケットを着込み、こげ茶色のジーパンを履いた女の子。そして最後に身長155cmほどでオレンジのデニムジャケットの下に薄ピンクのブラウスを着こなし、寒い季節に似つかわしくない真っ赤なミニスカートと真っ黒なニーソックスを履いた茶髪のツインテールの女の子だ。

 

 周囲の買い物客の視線を集めてしまっていた和人に気付いたその三人は競歩ほどの早さで項垂れている和人に駆け寄り、声を掛けた。その人物とは和人にとって掛け替えのないSAO時代に生死を共にした仲間である、クラインこと壷井遼太郎、リズベットこと篠崎里香、シリカこと綾野佳子であった。三人はただごとではない和人のおかしな様子に心配そうな表情を見せていた。

 

 

「よう! キリの字じゃねえか、奇遇だな! お前さん何してんだ? こんな場所でよう」

 

「ク……クラインか……?」

 

「あたしたちもいるわよ? キリト」

 

「ハイ! お久しぶりです、キリトさん!」

 

「リズに……シリカか!? どうしてここにいるんだ……」

 

「どうしてって……そりゃ昨日から埼玉に旅行しに来てるからよ。クライン(コイツ)の運転でね」

 

「…………」

 

 

 何という神の気まぐれだろうか。かつての和人の仲間であるこの三人は、偶然にもこの週末から埼玉県に観光しに来てると言うのだ。女の子二人だけでは防犯も移動も何かと不安だろうということで独り身で基本暇なクラインを足兼ボディガードとしてとっ捕まえて昨日は秩父、今日は川越へと遊びに来ていたのだ。そしてこの百貨店のレストランで少し遅めの朝食を済まそうと立ち寄ったところ、たまたま一階で項垂れている和人を目撃、声を掛けたというわけだ。地元が川越の和人と偶然どこかで会えたらいいなあと思った矢先の事であった。

 

 しかし和人にとってはこれはまたとない好機だった。一人で木綿季を探すのには限界がある。ならもう偶然居合わせたこの三人に助けを求めるしかない。クライン達を含めたこの四人でなら、木綿季を見つけられる確率がぐっとあがる。全十階建ての大きい円広百貨店だが、必ず見つけられるはずだ。スマホでお互い随時連絡を取り合えるし捜索の範囲も効率も段違いだろう。和人は勢いよく立ち上がり、挨拶そっちのけでクラインの両肩を掴み、木綿季を一緒に探してくれるよう頼んだ。

 

 

「三人ともすまない……いきなりだけど手を貸してほしい!!」

 

「な、どうしたってんだ……キリの字……」

 

「そんなに慌てて……キリトらしくないじゃないのよ」

 

「何かあったんですか? キリトさん」

 

 

 遼太郎の肩を力強く握り過ぎてしまっていた和人は三人からの問いかけで少しだけ正気を取り戻すと、遼太郎の肩から手をどけて、一旦深呼吸をして心を落ち着かせ、今現在の状況を一から説明した。木綿季と一緒に買い物に来たがその木綿季とはぐれてしまったこと、木綿季が携帯電話も何も連絡手段を持っていないこと等、わかりやすいように丁寧に口で三人に説明した。和人から話を伺った遼太郎は、先ほどまでおちゃらけていた表情を一変させ、真剣な顔つきになりもう一度念を押して和人に現在の状況を問いただした。

 

 

「キリの字、それで木綿季ちゃんが居なくなったってのはどれぐらい前だ?」

 

「あ……えっと、確か30分ぐらい前だ……。多分、そこのエスカレーターではぐれたんだと思う。俺は地下に、木綿季は恐らく上のフロアに……」

 

「……なるほど、インフォメーションセンターには行ったか?」

 

「え……?」

 

「だから、インフォメーションセンターだよ! よく迷子の受付とかやってんだろうが! そこには行ったかって聞いてるんだよ!」

 

「あ……いや、まだ行ってない……」

 

 

 こういうデパートなどの大きい施設はよく親子連れが迷子に陥ることがある。その為にインフォメーションセンターは必ずと言っていいほど存在する。迷子の案内もそうだがクレーム対応、商品返品、その他お店に関わる相談事等様々な対応を一括で承っているサービスカウンターだ。和人はそのインフォメーションのことを焦るあまりにすっかり頭から抜け落ちてしまっていたが、遼太郎のおかげでその存在を思い出せていた。やはり普段ふわふわとした性格の遼太郎であったが曲がりなりにも社会に出て働いているだけのことはある。有事に面した時の判断力は大人さながらといった感じだった。

 

 

「ならお前さんはまずそこに行ってこい、んでもって木綿季ちゃんのことを伝えるんだ。連絡が取れない以上そうやってアナウンスか何かで誘導するしかないだろうしな」

 

「ならあたしたちはフロアを直接見回って探しましょ。キリト、木綿季の服装は?」

 

「えっと……、いつもつけてるヘアバンド、紫のデニムジャケットに、黒の短パンにニーソックスを履いてる。あとピンク色のウサギの形をしたイヤーマフを着けてるから目立つはずだ……」

 

「ヘアバンドに紫デニムに黒パンツとうさぎさんのイヤーマフですね……? わかりました! 私とリズさんは二階から探します! クラインさんは三階からお願いしていいですか?」

 

「あいよ、まかされたぜ!」

 

「よし、んじゃ一旦緊急用にLINEのグループを作るわよ、参加要請飛ばすから入ってちょうだい」

 

 

 里香はポケットからピンク色のスマホを取り出すとLINEアプリを起動して木綿季捜索連絡用のグループを作り、和人、遼太郎、珪子に参加要請を送信した。三人とも通知を確認すると承諾し、全員グループに参加が完了した。そして手筈通りに和人は一階のインフォメーションセンターへ、里香と桂子は二階フロアの婦人服売り場から捜索を始め、遼太郎は三階フロアのアクセサリー売り場から木綿季の捜索を始めた。

 

 

「みんなすまない! 俺もインフォメーションセンターに寄ったらもう一回探してみる! 頼んだ!」

 

「わかってらあ! それぞれ何かわかったら随時LINEで連絡寄越せよ! スマホはポケットから出しっぱなしにしとけ! ただし他の客に迷惑はかけんなよ!」

 

「わかってるわよ! それじゃあいくわよ!シリカ!」

 

「はい!」

 

 

――――――

 

 

 和人は表から入ってきた入口とは別の反対側にあるインフォメーションセンターに駆け足で辿り着き、受付のお姉さんに歩み寄り木綿季が館内で迷子になっていることを、息を切らしながら話して説明した。しかし肩で息をしている和人の言葉は途切れ途切れであり、ちゃんとお姉さんに伝わっていなかったようだ。受付のお姉さんは席から立ち上がり「お客様、一旦落ち着いてください」と優しい口調で和人に声を掛けてくれた。和人はそう言われ、はやる気持ちを抑えながら冷静に呼吸を整えて、お姉さんにここまできた目的を伝えた。

 

 

「すみません……迷子を探してほしいんですが……」

 

「畏まりました、女の子ですか? 男の子ですか?」

 

「女の子です……」

 

「女の子……っと、その子のご年齢と服装などの特徴はございますか?」

 

「えと……腰まで伸びた黒いロングの髪で、服装は紫のデニムジャケットに黒い短いパンツにニーソックスを履いてます。頭に赤いヘアバンドとピンクのウサギの形をしたイヤーマフを着けています。それで年齢は……16歳です」

 

「じゅ……16歳ですか……!?」

 

 

 受付のお姉さんは木綿季の年齢に驚いた表情を見せていた。通常迷子というのは右も左も表の世界がわからない幼稚園、よくて小学生低学年ぐらいまでがなるものだ。16歳と言えば普通は高校生でどう頑張っても迷子にはなりえない年齢だ。しかし木綿季の場合は普通とは違う。長い入院生活を経て俗世間から遠い場所で長年暮らし、学問からも離れていた影響で、あまり世の中の渡り方をまだよくわかっていなかったのだ。

 

 今年に入ってからは和人に頼りっぱなしということもあり、自己で判断する能力が低下してしまって、今回の迷子に繋がってしまった。しかし和人が思ったように携帯電話を持っていたり、考え事をせずにちゃんと見ていてあげれていれば、しっかり防げていた事例でもあった。

 

 

「はい……、彼女は長い間病院で入院生活を送っていたんです。半年前やっと病気が治って先週漸く退院出来たんです。だから、もしも……もしも彼女の身に何かあったら……!」

 

「わっ、わかりました。手の空いている従業員全員でお探ししますのでどうか泣かないでください!」

 

 

 和人はお姉さんになだめられると、上着の長袖で流れた涙を拭い「すみません」とお姉さんに頭を下げた。和人は木綿季と付き合いだしてから、木綿季のことになるとついつい感情的になり、周りが見えなくなってしまっている傾向にあった。完全に木綿季に依存してしまっている証拠だ。今回も木綿季のことが心配しすぎるあまり、インフォメーションセンターの存在を忘れたりがむしゃらにフロアを探したりと、普段の和人からは想像も出来ないような醜態をさらしてしまっていた。

 

 

「いえ……、それではお客様のお名前とお連れ様のお名前をお聞かせください」

 

「はい、俺は桐ヶ谷、桐ヶ谷和人です。彼女の名前は……木綿季、紺野……木綿季です。俺の大切な……家族です」

 

「畏まりました。従業員全員に通達いたしますので少々お待ちください」

 

 

 お姉さんは苗字が違うのに家族だということを不思議に思いつつも和人に返事を返すと、頭に装着しているインカムのマイク部分を口に近付けて、マイクのスイッチをONにして館内全域の従業員に向けて業務連絡を始めた。

 

 

「お客様対応している以外の従業員に業務連絡です。次の条件に当てはまるお客様の館内捜索をお願いします。お名前……紺野木綿季様、外見的特徴……黒のロングの髪の毛、赤のヘアバンドにピンクのウサギのイヤーマフ。紫色のデニムジャケットに黒いパンツにニーソックスとなっております。お連れ様のお名前は桐ヶ谷和人様。発見次第大至急インフォメーションセンターへ連絡、並びに誘導をお願いします」

 

 

 お姉さんは業務連絡を済ませるとマイクのスイッチをOFFにして、和人を安心させるように笑顔を振るまいながら優しく「大丈夫です、すぐに見つかりますから」と語り掛けた。その一言を聞いた和人には漸く安心といった気持ちが生まれてきたが、同時に他人に任せっぱなしにしてはいられない、恋人である俺がただ待っているだけなんて出来ないと先ほどの情けない表情を一変させ、頼れる男の顔つきになり受付のお姉さんに自分も木綿季を探しにいくことを伝えた。

 

 

「すみませんお姉さん、俺も……探してきます」

 

「畏まりました。お連れ様が見つかりましたら館内アナウンスでご案内しますので、聞こえましたらばまたここにお戻りくださいませ」

 

「……わかりました」

 

 

 和人はそう言うとポケットからスマホを取り出し、LINEで全員に現在の状況の確認を取った。

 

 

[センターに捜索をお願いしてきた。そっちはどうだ? ]

 

[おう、三階から調べているがまだ見つかってねえ]

 

[今リズさんと二階を探し終わりましたけどここにはいないみたいです。四階を探してみます]

 

「……まだ木綿季は見つからないか……、なら俺は……」

 

[わかった、俺は五階からクラインと合流するように探してみる]

 

 

 和人は自分の捜索範囲を皆に送信すると、通知がわかるように右手にスマホを握ったまま、丁度和人のいるフロアに降りてきたエレベーターに乗り込み、リビングやキッチン用品が置いてある家具売り場の五階のボタンを押し、エレベーターの到達を待った。かつてこれほど落ち着かない気持ちでエレベーターに乗り込んだことがかつてあっただろうか、いや……ない。和人の乗り込んだエレベーターの扉がゆっくりと閉まり、ゆっくりと上昇を続けていった。その間も和人は気持ちを落ち着かせることが出来ず、木綿季の無事をただただ祈るばかりであった。

 

 

(頼む木綿季……無事でいてくれ……!)

 

 

――――――

 

 

 同日 午前10:50 円広百貨店 七階屋上 わんぱく広場

 

 

 和人達が百貨店館内で必死に木綿季を捜索している中、肝心の行方不明になっている木綿季は、一人でデパートの七階の屋上部分のベンチに座り、空を見上げて佇んでいた。屋上の遊園地では木綿季より小さい子供たちが親同伴のもと楽しく観覧車やゴーカート、コーヒーカップ等で遊んでいる様子が見受けられた。その光景を見て、木綿季も昔小さい頃に両親と姉と一緒に遊園地に連れて行ってもらったことを思い出していた。よく姉ちゃんとメリーゴーランドで遊んだなあ……、よく二人そろって迷子になってパパとママにめいっぱい怒られたっけ……懐かしいなあ……。

 

 

「……ボク、大きくなっても昔とちっとも変わってないんだな……」

 

 

 木綿季もあれから和人を探してあちらこちらのフロアをうろうろしていたのだが、一向にその姿が見つからずに、下手に動くよりはどこか一ヵ所でじっとしていた方がいいだろうと判断し、子供がよく立ち寄るこのわんぱくランドへと足を運んでいた。ここは子連れ客が多いためにそれに比例して迷子の確率も高い場所だ。また、ここの存在を知っている子供が親元を離れて勝手にここに来てしまうこともあった為、あながち木綿季の選択は間違っていなかったのである。

 

 しかし最初に下手に動いてしまったことが災いして、うまい具合にここまで木綿季を探しに来た従業員とすれ違いにあってしまっていた。木綿季は和人が自分を探しに来てくれるのを待った。どれだけの時間が経過しても和人なら自分を探し出しに来てくれると信じて、ベンチから頑なに動こうとしなかった。しかし最初のうちはじっと我慢出来た木綿季であったが、時間が経つにつれて寂しさが増していき、視線の先の親子が遊園地で楽しく遊んでいる光景を見ると、心が空っぽになっていく感覚を覚えてしまっていた。

 

 考えてみれば現実世界に戻ってからはずっと隣に和人がいた。いつも傍で支えてくれていた、だからついつい甘えてしまっていた。そして気が付いたらボクは和人なしじゃ何も出来ない人間になっていた。いくら病気で今まで何も出来ていなかったとは言え、ボクはただ単に和人に甘えていただけなのではないか、いや……依存してしまっているだけなのではないか。木綿季はそんな考えを巡らせていた。しかしそれを自覚したからといって、心に生まれた寂しさが紛れるはずもなかった。逆に和人のことを考えれば考えるほどに心の穴は広がっていき、木綿季自身を苦しめる要因となっていた。

 

 どうしてだろう、HIVが治って五体満足な体を取り戻したというのに、どうしてまた胸が苦しくなる思いをしなければならないのだろう。神様はまだボクに試練をお与えになるつもりなのだろうか、ボクはあとどれだけつらい経験をすればいいんだろう……。もうわからないよ……、どうやって生きていけばいいかわからないよ……、ボクはどうしたらいいの……? 和人……教えてよ……。ボクを……ボクを助けてよ……和人……!

 

 

(助けて……かずと……)

 

 

――――――

 

 同日午前11:25 円広百貨店 一階インフォメーションセンター前

 

 

 和人を含む四人の木綿季捜索隊は一階から七階へ渡るフロアの探索を終え、一度状況を整理するために再び一階へと戻ってきていた。百貨店側が手配してくれた従業員のほとんどが平日より多い他の客の相手に人手を割かれていることもあり、中々に進捗が見られなかった。合流を果たした四人はこれからどうするかを話し合っていた。

 

 

「参ったぜ……これだけの人数で探して見つからないなんて……」

 

「ねえ、もしかしたら店の外に出てしまったってことは考えられないかしら……」

 

「えっ……」

 

 

 里香がそのことを口走ると和人の表情が凍り付いた。もし里香の言うことが本当だった場合、本当にマズいことになる。それこそ建物の外に出られでもしたらアウトだ。たった四人でどうこう出来る範囲ではなくなるし警察に通報しなければならない事案となりえる。一人でうろついていれば何かしらの事件に巻き込まれてしまう可能性だって高くなる。崖っぷちに立たされた和人は体を震わせて、本当に最悪の状況を脳裏に描いてしまっていた。

 

 

「外に出ちまったらそれこそアウトじゃないか……。どうしようもなくなっちまう……。ゆ、木綿季は俺がついててやらないとダメなんだ。俺がずっと傍にいてやらないとだめなんだよ! さ……探しに行ってやらないと……」

 

「お、おい……落ち着けキリの字! お前が取り乱したってどうにもならないだろうがよ!」

 

「落ち着いてなんかいられるか! 木綿季は先週退院したばっかりなんだ! 俺が守ってやらないとだめなんだよ! 第一お前に何がわかるんだ! 木綿季は……木綿季はな……!」

 

 

 その時だった。木綿季のことを考えるあまりに興奮し取り乱した和人を、見るに堪えなくなった里香が目を覚まさせるために和人の左頬を右手で思いっきりビンタを放っていた。頬をはたかれた和人は突然の衝撃に一瞬何が起きたか理解できずに、痛みが走った自分の頬を左手で押さえてぼーっと放心していた。里香の突然の行動に遼太郎と珪子は呆気に取られ、ただその光景を見つめていた。

 

 

「目を覚ましなさい、キリト」

 

「リ、リズ……」

 

「アンタが取り乱して何になるってのよ。……木綿季の恋人なんでしょ? だったら……一番胸を張ってしっかりしてなさいよ!!」

 

「…………」

 

「キリトさん……」

 

 

 里香にはたかれたことによって、ようやく自分が冷静でなかったことを知った和人は叩かれた頬を手で押さえて、物思いにふけっていた。そういえば前にも木綿季にALOで思いっきりビンタをされたことがあったっけな。あの時は仮想世界だったから痛みはなかったけど、今回は現実世界で叩かれたからかしっかり痛いや、ははは……。

 

 和人は自分が追い詰められたときには、周りの仲間がちゃんと支えてくれることをすっかり忘れていた。明日奈と別れて不貞腐れているときは木綿季が、そして木綿季の病気を治そうとしたときには周りの仲間が力を貸してくれた。今回も行方不明になった木綿季を探し出すために、そして和人自身をも助けようと里香たちが力を貸してくれていた。

 

 

「……すまない、少し……取り乱した……」

 

「……ううん、あたしも叩いたりしてごめんなさい……」

 

 

 里香は叩いてしまったことを謝ると、すっと和人の肩に手を回して体重を預け「元気出しなさいよ!」と先ほどまでの気まずくなっていた空気が嘘のように明るく振舞っていた。その気さくな性格の里香の声掛けもあってか、和人にも自然と笑顔が戻っていた。その和人の笑顔に釣られるように、遼太郎と珪子の顔にも、思わず笑顔がこぼれていた。

 

 

「しっかしよう……もう大体探し尽したはずだぜ……。木綿季ちゃん……いってぇどこへ消えちまったってんだ……」

 

「……わからない、まだひょっとしたら探していない場所があるのかもしれない……」

 

「あ……! そういえば私、ここに最初に入ったときに入口でこんなものもらいました!」

 

 

 珪子は両手をパンッと自分の胸の前で一本締めのように叩くと、自分の鞄から何やらパンフレットのようなものを取り出して、皆に見えるように広げてみせた。どうやらこの円広百貨店の案内図のようだった。フロアガイドの欄を指さしながら、どこか探し漏れがないかどうか考えていた。地下一階と地上一階は和人が捜索済み。二、四階は里香と珪子が探し終わっている。三階は遼太郎が一人で、七、六、五階は遼太郎と和人が既に見て回っている。八階から十階にわたるフロアは宴会場となっており予約した団体客しか使えないようになっており、木綿季が立ち入れるはずはない。

 

 そしてこの百貨店から外に出てしまっているというのも考えづらい。自分が迷子と自覚しておきながらわざわざ建物の外に出るなんて考えられないし、例え出ていたとしてもインフォメーションセンターのお姉さんが目撃しているはずだ。よって退店の可能性はゼロも同然だ。となると残された答えはまだこの百貨店内のどこかにいる可能性が非常に高い。つまり、どこかですれ違ったかまだ探していない場所があることを意味していた。

 

 

「きっとまだ探していない場所があるんだ、するとどこだ……」

 

 

 和人は珪子からパンフレットを見せてもらうと、各フロアで売っているもののガイドを眺めていた。地下一階は食料品、地上一階は化粧品などのレディース雑貨、二階は婦人服、三階は宝石や時計などのアクセサリー類。四階はメンズ系の紳士服やスポーツ用品。五階は家具売り場。六階は子供用品や玩具、そしてファミレス。七階はペット用品と屋上遊園地のわんぱく広場。それから上の階層は全て団体客専用の宴会場となっている。この中で木綿季が立ち寄りそうなところといったら……。

 

 

「うん? わんぱく広場……、わんぱく広場だと……?」

 

「わんぱく広場って……七階の屋上遊園地のことだろ? そこなら従業員が調べたぜ? でも木綿季ちゃんはいなかったみたいだぞ?」

 

「…………」

 

 

 和人はパンフレットに書かれた「わんぱく広場」の文字を見ると、何故かそこに木綿季がいるような気がしていた。自分がまだ幼い頃、おぼろげだが覚えていた。今の両親に引き取られた後、初めてここに連れてきてもらった時だ。妹の直葉と一緒に迷子になり、誘い込まれるようにこのわんぱく広場へと足を踏み込んだ時のことを……。その後、両親からこっぴどく叱られたことも覚えていた。

 

 

「わんぱく広場だ……」

 

「……え?」

 

「木綿季はここにいる! 七階のわんぱく広場に……絶対に行ってる!」

 

「で、でもキリの字……そこは従業員が調べたってさっき……」

 

「そんなのただのすれ違いかもしれないだろ!? とにかく行ってみよう! 俺はそこに……木綿季がいる気がするんだ!」

 

 

 和人はそう言い放つとパンフレットを珪子に返し、我先にと近くのエレベーターに駆け寄り、上行きのボタンを強く押し込んだ。ボタンはランプを灯し、オレンジ色に光ると和人たちのいるフロアより上にあるエレベーターが、下へ下へと移動してきた。和人がエレベーターの到着を待っている間に里香たちも和人に追いつき、四人で屋上のわんぱく広場へとエレベーターの扉の前で仁王立ちをするように待ち構えていた。

 

 

「キリの字よう、お前さんが言うなら黙ってついてくけどよ……何でまた調べたはずの遊園地に木綿季ちゃんがいるって思ったんだ?」

 

 

 遼太郎は真っ赤なジャケットのポケットに両手を突っ込みながら和人の考えが解せない様子を見せ、エレベーターの階層ランプの点灯を目で追っていた。七階から動き始めた階層ランプは六階、五階へと少しずつ和人達のいる一階へと近づいていった。

 

 

「いや……実際根拠はないんだ。ただ……俺も昔、ここでスグと一緒に迷子になったことがあったんだよ。その時……ふらっと七階のわんぱく広場に迷い込んだんだ。だからか……な」

 

「なるほどね、自分と同じところに木綿季も行ってるかもしれないって思ったわけか……」

 

「あ、でもそれ……わかる気がします。私もよく遊園地とか動物園で迷子になったことがあります。それでお父さんやお母さんにものすごく叱られました!」

 

 

 珪子が両手を背中に回し、首をかしげて可愛らしいツインテールを揺らして微笑ましそうに自分の迷子談を語ると、緊張感に包まれていた場の雰囲気が和み、捜索隊一行の肩に入っていた無駄な力も抜けていった。それから程なくしてエレベーターが一階フロアに降りてくると、ゆっくりと扉が開き、中にいた買い物客がエレベーターから外に出るのを見守り、入れ替わるように和人ら四人は一斉にエレベーターに乗り込んで、七階のボタンを押して扉が閉じるのを待った。

 

 エレベーターが一階から七階へ移動してる間、しばし無言の空気が流れ続けた。どうもエレベーターの中というのは不思議でどんなにおしゃべりな間柄の友達同士でも、この狭い閉鎖空間にいる間は口を閉じてしまうのだ。そんな経験ないだろうか? 明るい性格の遼太郎や里香や珪子も例外なく、この狭い箱の中にいる間は無言で階層ランプの移動を見守り続けているばかりであった。そんな無言の空気が流れ続け、一行が乗っているエレベーターは着々と階層を登り続け、一分ほどの時間を掛けて、木綿季がいると踏んでいた七階、わんぱく広場がある階層に辿り着いた。

 

 ガコンという音と共に金属でできたエレベーターの何重にもなっている扉が重々しくゆっくりと開くと、目の前にペット用品売り場が広がっていた。どうやらペット用品だけでなく、生体も扱っているようで、フロアのいたるところからワンワン、ニャーニャーといった動物たちの鳴き声が元気に聞こえてきた。ペット用品売り場を早足で通り抜けていくとその奥に古いものから新しいものまでのゲーム機筐体が彩り豊かに並んでおり、四方八方から小うるさいゲームの音が鳴り響いていた。その光景は見ているだけで楽しい雰囲気が伝わってきた。

 

 和人はこの遊戯コーナーの空気を懐かしく思いつつも、木綿季を探すためにゲーム機筐体の横を通り過ぎ、屋上へと続くガラス扉の前に足を運んでいた。そこから見える外の様子はゲーム機がある遊戯コーナーとはまた別の楽しさを醸しだしていた。和人がガラス扉を開けて屋上に足を踏み入れると、子供たちがコーヒーカップやメリーゴーランド、ゴーカート、観覧車等で遊んでいる光景が飛び込んでた。見渡す限りどこもかしこも楽しそうであちらこちらから笑顔と笑い声が飛び交っていた。

 

 和人はよく自分も昔ここで直葉と遊んだなと思いつつも、ここにきた目的を忘れぬように、遊具の影等に目をやり、木綿季がいないか探していた。そして屋上の入り口から一番離れた観覧車の、さらに奥の方にある自動販売機とベンチが置かれている方向に目をやると、そこの端っこの、さらに一番隅の位置にある白いベンチに、自分の愛する女の子が小さくなって座っている姿が飛び込んできた。

 

 

「――ッ!!」

 

 

 木綿季だ、見間違うはずがない。あの髪型、あのヘアバンド、あの顔、あの服装、そして俺がプレゼントした……アメジストのペンダント……!!

 

 和人は駆け出していた。考えるよりも早く、本能で頭より脚の方が先に動き出していた。早く木綿季の元に行きたい、行ってあの細い体をめいっぱい抱き締めて、木綿季を感じたい。木綿季……木綿季……ッ! 木綿季――ッ!!

 

 

「木綿季ッ!!」

 

「――ッ!!」

 

 

 和人は精一杯腹の底から木綿季の名前を叫び、愛する彼女のもとへと走り続けた。和人の大きな叫び声に周囲にいる子連れ客は驚いていたが、和人はそんなもの気にも留めずに、無我夢中で木綿季のもとへと急いでいた。自分の名前を呼ばれた木綿季はずっと会いたかった大好きな和人の姿を目に映すと、心の底からどうしていいかわからない感情が一斉にこみ上げてきて、顔をゆがめていた。

 

 かずと……かずとだ、ボクの大好きなかずとだ……。ああ、かずと……ずっと、ずっと会いたかった。ずっと君の声を聞きたかった……、ずっと……ずっと傍にいてほしかった!

 

 木綿季はすっと立ち上がり、ゆっくりとした足取りで、涙を流しながら走ってくる和人に向かって歩き出していた。和人も全速力で木綿季に駆け寄っていき、そして次第にお互い距離を詰め、やがて密着すると互いを力の限り抱き締めあった。はぐれたのはつい先ほどのことだったが、もう何年もの間会っていなかったのような感覚だった。

 

 

「か、ずと……ッ!」

 

「木綿……季ッ!!」

 

「かずと……! かずと……ッ!」

 

「木綿季……! 木綿季……ッ!」

 

「会いたかった……、会いたかったよ……、かずと……」

 

「俺もだ……、もう絶対お前を離さない。離すもんか……!」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 




 
 ご愛読ありがとうございます。この年齢で迷子になるのも相当なレアケースですけど、木綿季の場合仕方ない気がしますよね。でも段々と世間に馴染んでいけばいいんだと、私は思います。次こそはスマホ買ってもらえるといいね、木綿季。
 
 

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