ソードアート・オンライン マザーズ・ロザリオ ボクの生きる意味 作:むこ(連載継続頑張ります)
今回でハロウィン編を終わらせるつもりだったんですけど。
木綿季が自分のアミュスフィアを手に入れる所にドラマ性を盛り込ませたくて今回エピソードが長くなってしまいました。
従ってハロウィン編は次回までの持ち越しとさせていただきます。
時期が大きく外れてしまいますがご了承ください!
さて、今回のお話は私と同じ世代を生きてきた人なら共感をしていただけるかと思う物語となっております。今回も是非、お付き合いください。
それでは、どうぞ。
詩乃が木綿季に過去の秘密を明かしてから一夜が経った。
それは幼少期に人を殺してしまったという壮絶な過去であった。
母親を守るためとはいえ人を一人殺めたという事実は、当時小学生だった詩乃にとって、心に大きな傷を負う出来事となった。
詩乃はどうして木綿季にこのことを打ち明けてしまったのか、未だにわからなかった。
木綿季ならどんな自分でも受け入れてくれると、心のどこかで無意識に思っていたからなのか?
何故だかわからないが詩乃は打ち明けずにはいられなかった。
打ち明けたことで、今までの関係が変わってしまうかもしれない。しかし木綿季は詩乃を軽蔑するどころか温かく受け入れた。
過去にどんなことがあってもシノンはシノン。そう声を掛けてくれた。
母親の温もりを忘れていた詩乃にとって、木綿季からの言葉は何よりも温かかった。
自分より年下の女の子の胸を借りて、詩乃は7年分の涙を流した。
木綿季は詩乃にとって数少ない心から信頼できる親友の関係になったのだ。
壮絶な過去を持つ詩乃を理解できる、数少ない親友と…。
西暦2026年10月31日土曜日 午前8:30 桐ヶ谷邸
そんな詩乃だったが昨日は桐ヶ谷家に一晩お世話になり、今朝は和人や木綿季たちと一緒に朝食をとっていた。
「あの…すみません朝食までいただいてしまって…」
詩乃は桐ヶ谷家の食卓につきながら、申し訳なさそうな顔を浮かべていた。
今朝方の桐ヶ谷家の献立はパン食だ。今回の付け合わせはバター、イチゴジャム、シナモンシュガーにサラダといった内容だった。
「何言ってるのよ、気にすることないわ。たくさん食べてね、まだいっぱいあるから」
翠は遠慮しがちな詩乃に対して優しい表情をしながら言葉を掛けた。
詩乃はその言葉を聞いて笑顔が戻り、感謝の気持ちを胸に抱きながらトーストに手を付けていた。
詩乃の向かいに座っている木綿季は大きな口を開け、一口でイチゴジャムトーストの半分を頬張っていた。
この細身の体で大変に食欲旺盛だというのだから驚きだ。
一体この体のどこにそんな大量の食べ物が収まるというのだろうか?
「んー! 美味しい!」
目玉焼きやスクランブルエッグ、ベーコンが乗ったトーストも悪くないが。
今回のような甘いトーストも木綿季にとっては大変に大好物であった。というよりも木綿季に好き嫌いなどあるのかどうか? それを感じさせないほど、木綿季は今まで出された食事全てに大満足していた。
「木綿季、頬っぺたにジャムがついてるぞ」
「ふぇ?」
和人はそう言いながらテーブルに置いてある使い捨てナプキンで、木綿季の頬についてるジャムを拭きとってあげた。ふき取られている木綿季は実に幸せそうな表情を浮かべていた。
「えへへ、和人ありがと!」
仲睦まじい二人のやり取りを見ながら詩乃は苦笑いを浮かべていた。
「…いつもこんな感じなの…?」
「えっと…毎回というわけじゃあないですけど…大概こうです…」
詩乃が直葉に質問を投げ掛けると、直葉は目を細めながら答えを返した。
その様子を微笑ましく見守っていた翠が食卓についた。
「仲がいいことは素晴らしいことよ? 私も孫の顔が早く見れそうで安心だわ」
翠が期待の想いを膨らませながら椅子に座ると、和人と木綿季は満更でもないような表情を浮かべながら顔を真っ赤に染めていた。
「否定しないのね…アンタたち…」
「あの…その…えへへ…」
木綿季は「参ったなあ」という顔をしながら頭をポリポリかいていた。
和人は和人でコーヒーを飲みながら視線を逸らし、照れくささを誤魔化していた。
直葉と詩乃はその様子をみて大きなため息を吐いていた。
木綿季が退院し、桐ヶ谷家で暮らすようになってから早くも一週間が経とうとしている。
始めは少しだけ遠慮しがちな木綿季であったが、持ち前の明るさと活発さですぐに桐ヶ谷家に馴染んでいった。
退院する前から直葉や翠と仲良くなっていたのもあり、今ではすっかり桐ヶ谷家の一員だ。
五人はそれから仲良く談笑しながら朝食を済まし、翠は寝室でスケジュール張を開いて予定の確認。
直葉は剣道部の部活の準備。和人と木綿季と詩乃は朝食の後片付けをしていた。
「なあシノン、今日はもう帰るのか?」
食器をスポンジで洗いながら和人が詩乃に今日の予定を尋ねる。
「そうね…、今日…お昼頃に友達がこっちまで迎えに来てくれることになってるの、だからそれまでには帰らないと」
詩乃が帰ってしまうというを知ると木綿季が寂しそうな表情を浮かべていた。
昨日一晩だけということであったが、やっぱり帰ると聞かされると寂しい気持ちになる。
木綿季はテーブルを拭いていた手を止めると、小さいボリュームで詩乃に声を掛けた。
「シノン…帰っちゃうんだね…」
詩乃は寂しそうにしている木綿季の姿を見ると、洗い物の手を止めて木綿季に歩み寄った。
木綿季の目の前まで来ると、頭の上にぽんと手を乗せ、優しく声を掛けた。
その姿はまるで、木綿季の本当のお姉さんのような雰囲気を醸し出していた。
「木綿季…また遊びに来るから…ね? ALOでもいつでも遊べるでしょ?」
「あ…うん…。絶対遊びに来てね…? 絶対だよ?」
「ええ…、必ずまたお邪魔させていただくわね…」
「うん…! ボク楽しみに待ってるね!」
木綿季に笑顔が戻った。
詩乃はその笑顔を見ると、自分に妹が出来たとしたらこんな感じなのだろうなと思っていた。
必ずまた遊びに来るという約束を取り付け、二人は再び食後の片付けへと戻っていった。
一通りの後片付けが終わると、三人はテーブルへとまた落ち着き、時間までどうしようかということを話し合っていた。
「シノンが友達と落ち合うのってお昼頃なんだろ? それまでどうする?」
「あ…うん…どうしようかしら…、本当なら昨日帰ってたから何も考えてなかったわ…」
「それじゃそれじゃ! 午前中はお出掛けしようよ!」
何をしようか悩んでいる詩乃と和人の間に、木綿季が口を割って入った。
目をキラキラとさせて、希望に満ち溢れた表情で二人を見つめていた。いつもの木綿季の常套手段だ。
「木綿季…、毎度毎度その顔を浮かべれば、望む通りになると思っているのか?」
「うん! 和人なら聞いてくれるもん!」
「…はぁ…仰る通りです…」
和人は諦めたような表情を浮かべつつも、やれやれといった様子で頭を抱えていた。
どうせ断ってもぶーたれて機嫌が悪くなるだけだ。
それに…二人きりではないかもしれないが、現実世界でお出掛けする約束もしてたこともあり、和人は承諾した。
「わーいやったー!」
木綿季は和人の許可を得ると両手を上げ、飛び跳ねて喜んだ。
詩乃はその様子を見ながら、こりゃあ将来は尻に敷かれるなと確信していた。
「そういえば…二人はこの辺りのことよく知らないよな? 折角だし俺が案内しようか?」
和人は、地元川越を二人に観光案内しようかと提案を投げかけた。
木綿季は元神奈川県横浜市在住、詩乃は東京都文京区在住なので、和人が住むここ埼玉県川越市のことについては何も知らなかった。そもそも埼玉県に観光出来るようなところなんてあるの?といった認識だった。
「二人とも…、今埼玉に観る所なんてあるのか?って思っただろ…?」
和人が目を細めて木綿季と詩乃に疑いの視線を向けると、二人は首を横にぷるぷると勢いよく振り、否定の回答を返した。
「…ホントかよ…」
和人は若干疑いつつも、そそくさと外出の準備をした。
2階から1階の寝室にいる母、翠に出掛けることを伝え、ついでにほしいものはないかと聞いてみる。
「かあさーん! 俺ちょっと木綿季とシノンと出掛けてくる! 何か買ってきてほしいものあったら買ってくるけど、何がいいー?」
「そうねー!…そしたらお芋買ってきて頂戴ー!」
「あいよー了解ー!」
大声で会話を済ませると、和人と木綿季は出掛ける準備を、詩乃は帰る準備を進めていた。
詩乃は自分のつけていた下着と持ってきていた勉強道具を鞄に仕舞った。
Yシャツに母校のブレザー、更にその上にダッフルコートとマフラーを着込んで寒さ対策万全といった格好となっていた。どこからどうみても今時の女子高生だ。
木綿季は和人に買ってもらった少し厚めのジャケットに身を包み、頭にイヤーマフをつけていた。
ジャケットは木綿季のイメージカラーにぴったりな紫色、イヤーマフは可愛らしいピンク色で、耳当ての部分はキュートなうさぎさんの形をしていた。
一方和人は何着持ってるかわからない全身真っ黒の厚着で済ましていた。
本人曰くポケットの位置だとか使ってる生地が違うと言い張るのだが、当人以外から見てもわからないし、正直どうでもいいと思ったのか二人は冷めた反応を見せていた。
その反応を見て和人は二人から見えない角度で、少しだけ涙を流していじけていた。
「そうだ! シノンの友達も誘ってみなよ! 人数は多い方が楽しいよきっと!」
「ええ?…ん~まあ…こっちに来てくれることになってるから、多分大丈夫だと思うけど…」
詩乃はそう言うとスマホを取り出して、友達だと思われるアドレスにメールを送信した。
返事は速攻で詩乃のアドレスへと返信され「すぐに行くよ!」とだけ書かれていた。
「…OKだって、今から来てくれるみたい」
「わーい! 楽しみだなー! どんな人なの? シノンのお友達って」
「そうねえ…、将来はお医者さんを目指してるの。今も予備校とか通いながら猛勉強してるのよ」
「え…そんな人をほいほい遊びに呼び出して大丈夫なのか?」
「うーん…私も日頃から心配してるんだけど、本人が大丈夫って言ってるんだから大丈夫なんじゃないかしら…?」
和人は苦笑いを浮かべていたが、友人の詩乃がああ言うんだから、多分大丈夫なんだろうと思って納得していた。いや、大丈夫だということにしておいた。
――――――――
「翠さん…お世話になりました」
一晩泊めてくれた桐ヶ谷家、そして出張で家を空けている峰嵩の代わりに留守を守っている翠に、詩乃は礼儀正しくペコリと頭を下げた。
「また…遊びに来てね。私も嬉しいし…、何より木綿季が喜ぶから…」
翠の言葉を聞いて詩乃は木綿季と視線を交わした。木綿季は満面の笑みで詩乃を見つめ返していた。
その笑顔をみた詩乃にも笑顔が零れる、絶対にまた遊びにこよう、そう心に誓いながら。
「はい…その時はまた…よろしくお願いします。今度は手土産でもお持ちします」
「あらあら…そんな気を使ってくれなくてもいいのよ…? でも…期待しちゃおうかな?」
他愛のない冗談を交わすと、詩乃は桐ヶ谷家を後にしようとした。
「それじゃあ…お邪魔しました。また遊びに来ます」
「元気でね? 帰り道気を付けるのよ?」
詩乃は「ハイ」とだけ答えて笑顔を絶やさず玄関の扉を開き、桐ヶ谷邸を出た。
和人と木綿季は「暗くなる前には帰るから」とだけ告げて、詩乃に続いた。
外はすっかり冷え切っており、秋というよりは冬の光景に近いものだった。
視界に入る木々のほとんどは葉っぱが茶色に染まっているか、既に枝から落ちてしまっているものばかり目立っていた。
三人は詩乃の友人と落ち合う予定の川越駅へと進んでいった。
「もう…冬になろうとしてるんだねぇ…」
木綿季が感慨深そうにこの風景を視界に映していた。
「そうだな…寒くなるけど…、温かい料理が美味くなる季節だ」
「もう…和人ってば食べ物の話ばっかり…」
「ホント、ALOでも戦いか食べ物の話題ばっかりだもの。よく飽きないわよね」
「む…いいだろ別に…。腹が減ってはなんとやらってやつだよ」
説明になってない説明をしながら、和人は地元の一番近い川越駅方面を目指して歩を進めていった。
道を歩いていると余計に視界に移る木々が、冬の到来を知らせているような景色を描いていた。
「…ねえ和人…シノン…」
木綿季が歩きながら二人に声を掛けた。その様子は少しだけ考え事をしているようだった。
声を掛けられた和人と詩乃は、同じ速度で歩を進めながら木綿季の方へ首だけ向けていた。
「…なんだ?」
「…あのさ…。その…ありがとう…」
突然お礼を言われた二人は頭に?マークを浮かべていた。
何で木綿季は急にお礼を言ってきたんだろう? お礼をしてもらうほどのことを何かしてあげただろうか?…と。
「えっと…どういたしましてなんだけど…俺たち…何かやったっけ…?」
「うん…。勿論和人とシノンだけじゃないけど…ボク、こうして生きていられることが…嬉しくて…」
「…木綿季…?」
「えとね…昨日…、シノンが泊まってくれてさ…、ボクすっごく楽しかったんだ。病院暮らししてる間は…ALOでみんなと遊んでたけど…、昨日みたいなやり取りはなかったし…」
感慨深そうに話を続ける木綿季を、二人は心配そうな顔を浮かべながら見つめていた。
急にこんなことを話し出してどうしたんだろう…と思いながら。
「えっと、和人には前話したと思うんだけど。ボク、骨髄が見つからなかったら…今年いっぱい生きられないって言ったこと…覚えてないかな…」
和人は神妙な顔をしながら思い出していた。
半年ほど前メディキュボイドの仮想空間で一緒に過ごしていた時に話した内容の事だった。
「覚えているよ…、あの時も木綿季が急にあんなこと言うもんだからびっくりしたよ…」
「うん…ごめんね、突然変なこと言っちゃって」
和人は木綿季に歩み寄り、右手を木綿季の頭にポンと乗せて撫で始めた。
「和人が…皆が助けてくれなかったら…ボク今頃は死んじゃって、この世にいなかったのかもしれない。そう思ったら…色々感じちゃうことがあって…」
詩乃も木綿季に歩み寄り、小さくなって消えてしまいそうな木綿季の手をぎゅっと握った。
「今…こうしてボクが生きていられるのは、皆のお陰なんだなって実感が湧いてきたんだ…。楽しく毎日を過ごしていくうちに…これが今のボクの日常なんだって…」
「木綿季…」
「そう思ったら…なんか…嬉しくなっちゃって…」
和人は木綿季を抱き締めた。今でこそ木綿季は健康な体を取り戻し、ごく普通の毎日を過ごしていられている。
しかし…半年ほど前まではHIVで死の境目を彷徨っていたのだ。そのことを考えると…こうして普通にしていられることが奇跡と言えるだろう。
同年代の子が当たり前にしていたことを、木綿季は何年も出来ていなかった。
しかし病気が治り、退院して、現実世界の日常を過ごしていくうちに、本当に自分は今「生きているんだな」と感じられるようになった。
本当ならとっくに死んでいたかもしれない、そう思うと尚更だった。
「何だろね…外の風景が寂しくなっていったからかな…、ボク…ちょっと変だ…」
木綿季は泣き出してしまった。
和人は木綿季の流している涙の理由を何となく理解はしていた。
感謝の気持ちや嬉しい気持ち、色々なものが混ざり合った涙なのだろうと。
程なくして泣き止んだ木綿季は、目ゴシゴシと擦りながら冷静さを取り戻していた。
「…ごめんね突然こんな…、困らせちゃったよね…」
「そんなことない、泣きたいときは泣けばいいんだよ」
「そうよ木綿季…貴女が私に言ってくれたように…、泣きたいときは泣いていいのよ…」
「うん…うん…、ありがと…和人…シノン…」
和人と詩乃は視線を合わせてニッコリと笑った。
共に木綿季を大切に想ってる身として、木綿季が安心して過ごせる日常があることに嬉しさを感じていた。
「そういえば…シノンの友達ってのは…いつ頃こっちに来るんだ?」
話題を切り替えるべく、和人が詩乃の友人の話へと路線を変えた。
「ああ…そうね…、私の住んでる所とそんなに離れてないから、電車で1時間ぐらいじゃないかしら?」
「そうか…んじゃあ先に買い物済ましちまうか。その後でそのシノンの友達と落ち合おうぜ」
「そうね…、そうしましょうか」
三人は再び、川越駅がある方へと歩を進めていった。
「そいや和人、川越を観光って言っても…どこいくの?」
「そうだな、ここいらで観光出来る所っていったら一ヵ所しかないんだけど、きっと楽しいと思うぞ」
「へぇー! そうなんだ! どんな所なんだろー!」
木綿季は楽しそうに笑顔を振りまきながら両手を前後にまっすぐ伸ばしながら歩いていた。
「でもその前に、木綿季のアミュスフィアを買っておこうぜ。俺の行きつけのゲームショップがあるから、まずそこに行こう」
「へぇ…今時ゲームショップなんて珍しいじゃない…、みんな総合家電量販店とかに、お客を奪われてるってのに…」
「昔は全国的にあったんだけどな、今じゃ関東近辺にちらほらあるだけになっちまったんだよ。店長がゲームに関して妥協しない姿勢を持ってるから、今でも強く地元のゲーム好きの子供や大人たちに支えてもらってるんだと」
「ほぇ~…、いい店長さんなんだね!」
「ああ…俺も昔から結構お世話になっててさ、まあ顔なじみってやつだ」
和人達三人は、ゲームの話題で盛り上がりながら、和人行きつけのゲームショップへと足を運んで行った。
和人がまだVRの虜になる前から通っていたゲームショップへと。
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同日午前9:30 埼玉県川越市トップキッズ鶴ヶ島店
「あれ…おかしいな…10時の開店までまだ30分ほどあるのに…もう開いてるぞ?」
「ほんとだ…ねえ和人、なんかお店のドアの脇にワゴンみたいなのがたくさん並んでるよ?」
木綿季の言われるがままの方向を見ると、確かにワゴンがたくさん並んでいた。
そしてそのワゴンに貼られているPOPには、和人の認めたくない文字が書かれていた。
「え…嘘…だろ…」
和人の向けた視線の先には「閉店セール」と書かれたPOPが物寂しそうに風に揺られていた。
そのPOPが貼られているワゴンには昔懐かしのレトロゲームから、最近出たばかりであろうVRMMOのソフト、テレビに映し出すタイプのコンシューマーゲームまでそろっていた。どれもこれも半額以下の値段で投げ売りされていた。
「え…和人…、ここ…閉まっちゃうの…?」
目の前の現実が信じられない和人に、木綿季が心配そうに声を掛ける。
そう…、和人が昔から足を運び続けていたゲームソフト専門店「トップキッズ鶴ヶ島店」は随分と前から閉店の危機を迎えていた。
時代の進歩に従って、ゲームショップ以外でも普通にゲームソフトを扱うようになり、品揃えもより豊富なこともあって、総合家電量販店に客を奪われている店舗は全国に数多く存在していた。
このトップキッズも歴史の深いゲームショップであったが、その煽りを受けていた。
しかし会社全体で幅広いジャンル、レトロゲームや最新ゲームまでカバーしている姿勢が、多くの人の根強い人気を得ていたのだが、それももう限界に来ていたのだ…。
和人達が訪れたこの鶴ヶ島店も、この週末で閉店を迎えるとのことであった。
その事実が信じられず、和人は絶句していた。いくら時代の波がこようとも、この店だけは未来永劫ずっと存在し続けると信じて疑わなかったからだ。
そうして突きつけられた悲しい現実に、和人はショックを隠せないでいた。
「……和人…大丈夫…?」
木綿季に手を握られて、和人はハッと我に返った。うっすらと瞳に涙を浮かべながら…。
「あ…ああ…大丈夫だ。ただちょっと…ここが閉店するのが信じられなくて…」
トップキッズの外観は白を基調としており、ところどころ何回もペンキを塗り替えたであろう形跡が見受けられた。壁が劣化している部分も見られたが、逆にそれが今までここで足を張り続けていたという事実を物語っていた。
のぼり旗も太陽光で変色してしまっており、自動ドアの真上にある横長ポスターもところどころ破けて色あせており、長い歴史を感じさせていた。
「だから…通常の開店時間より早く開いてたのね…」
詩乃は煮え切らない表情を浮かべつつも納得していた。
和人の紹介のゲームショップということもあって、地元の子供たちが開店を待ちわびている光景などを想像していたのだ。
しかし現実は違った。
今の時代、こうして閉店を迎えるゲームショップが全国各地で頻発している。
お客を取られているのもそうであったが、メーカーからの無理な発注を強いられたり、採算が取れない売り上げをなんとか創意工夫して利益を出し、店を存続させていたのだったが、ほぼ個人経営に近い体制ではどうしようもない段階まで来ていた。
「和人…入る…?」
「…ああ…入ろう…、店長の顔も見ておきたい」
和人はそう言うと、ゆっくりとした足取りで開けっぱなしの自動ドアをくぐっていった。
木綿季と詩乃もその後に続くようにトップキッズのドアをくぐった。
「…嘘だろ…」
和人は入店するなり、再び目を丸くしてショックを受けていた。
店内の棚はほとんど空っぽになっており、僅かな商品がカウンター周りのワゴンに陳列されているだけであった。
かつては1980年代から活躍していたレトロカセットゲーム機や初の光DISCを採用したゲーム機。
メジャーどころやマイナーどころまで、幅広い品ぞろえを誇っていたこの自慢の店の棚が、蛻の殻となっていた。
「……本当に閉まっちゃうんだね…ここ…」
木綿季が悲しそうな表情を浮かべると、店の奥から店長と思われる老人が姿を現した。
「いらっしゃい…もう残ってる商品は少ないが…良ければ見てっておくれ…」
「じっちゃん…俺だよ…和人だよ…、わかるか…?」
和人が店長に歩み寄って声を掛ける。店長は最初は和人のことがわからなかったが、昔見た面影があることに気付き、目の前の少年が幼い頃から通ってくれた和人だということを思い出した。
「もしやお前さん…カズ坊か…?」
「ああ…俺だよ…。なあじっちゃん…本当にここ…閉めちまうのか…?」
和人からの問いに、店長は寂しそうな顔を浮かべながら胸ポケットから煙草を取り出し、ライターで火をつけて吸い始めた。
「ふぅ…、まあな…。昔からいろいろやりくりしてきたけどよ…、もう限界だ…」
「何でだよ…じっちゃんのゲームに対する愛情は半端じゃなかった! それなのに何で!?」
「…そうだな…俺も年を取って、体が昔のように動かなくなっちまってよ。まあそれだけなら気力でなんとかしていくだけの自信はあるんだけどな…」
「…じゃあ…なんで…」
和人が一歩踏み込み、店長に質問を投げる。
店長は一瞬和人の表情を見ると視線を下に落とし、煙草の煙を吐きながら語り始めた。
「…ただのゲーム屋じゃ…もうやってけねえんだ…。赤字を抑えるのがやっとだ。あらゆる面で工夫を重ねたけど…もう限界なんだ…」
「そんな…」
店長が一本目の煙草を思いっきり吸い込んだ。
煙草は酸素をどんどん吸引していき、火が一気に燃え渡っていった。
吸い込んだ煙を一気に吐き出すと、傍らに置いている灰皿に押し付けて煙草を消した。
「悪いな…、ここはお前さんの大事な遊び場でもあったのにな…。本当にすまん…」
店長はそう言うと、深々と和人に向かって頭を下げた。
「そんな…やめてくれよじっちゃん…、まだやれるさ…今やゲーム界隈はVRで大きく盛り上がっている! ラインナップを揃えればきっと…!」
店長に諦めるなと歩み寄る和人の左肩を、詩乃が右手で掴み制止させた。
掴まれた和人は振り返るが、詩乃が静かに首を横に振った。店長が店を閉めた後、経営のことを気にすることなくゆっくりと過ごさせてあげようと、詩乃の瞳がそう訴えていた。
「シノン…」
「キリト…店長の気持ちを汲んであげなさい…」
「………」
和人はまだ納得のいっていない顔をしていた。
閉める理由も、閉めなければいけない現実が迫っていることも理解していた。
しかし、それだけ突きつけられて納得がいくわけがない。だが現実は現実だ…、悲しくとも受け入れなければならない…。
「ねえおじいちゃん、ここのお店のおススメって…何かな?」
木綿季が両手を後ろで組ませながら和人より一歩前に出て、店長におススメを尋ねていた。
もうほとんど目ぼしいものは閉店セールで持っていかれてしまっていて、売れ残りばかりが目立っていたが。
それでも木綿季は何か買おうと店長におススメを聞いていた。
「お嬢ちゃん…カズ坊の彼女かい?」
いきなり聞かれるとは思わなかった木綿季は顔を赤くして、恥ずかしそうにしながら返事を返した。
「あ…えと…はい…」
「がっはっは! あのゲームにしか興味がないカズ坊に、こんな可愛い彼女が出来たってのか! こいつは傑作だぜ! わっはっはっはっ!」
店長は木綿季からの返答を聞くと、腹の底から笑い声を狭い店内に響かせていた。
声はガラガラで聞いてて少しだけ痛々しかったが、それと同時に周囲を安心させるような温かみのある声をしていた。
「じっちゃん…からかうなよ…」
「がははは…あぁ…すまんな。…大事にしろよ? カズ坊…」
「言われなくてもわかってるさ」
和人は木綿季の手をぎゅっと握りしめた。その様子を後ろから見ていた詩乃がわざとらしく大きい咳ばらいをしていた。
「オッホンッ!」
その咳ばらいを聞いた和人は本来の目的を思い出した。いつまでも感傷に浸っている場合ではない。
非常に名残惜しいが要件を済ませなくては。といってもここの今の品揃えじゃとてもアミュスフィアがあるとは思えなかった。
「なあじっちゃん…、アミュスフィア…置いてないか?」
「ああ…? アミュスフィアだあ? それならお前さんならもう持っとるだろうに」
「いや…俺のじゃない…木綿季の…彼女のを探してるんだ」
店長は和人の目的を聞くと、視線を木綿季へと移した。
この子がゲームをやるようには見えない…といった視線で木綿季を見つめていた。
「お嬢ちゃん…ゲームやるのかい?」
「あ…はい…。和人と同じゲームをやってたんですけど…ハードを手放してしまったので…」
木綿季の言うハードの事とは言わずもがなメディキュボイドのことである。
木綿季の個人的に保存していたローカルデータは、外部ストレージに保存して持ち帰っていたのだが、流石にあの巨大なメディキュボイドを持ち出すわけにもいかなかった。
「…すまんなお嬢ちゃん…、生憎目ぼしい品物は…もう買われちまってな…、VR関連のものもほとんど売り切れちまってんだ」
「あ…そう…なんですか…」
店長が申し訳なさそうに答えると、木綿季は肩を落として落ち込んでいた。
別にここじゃなくてもアミュスフィアは買えるのだが、和人が紹介してくれたお店だ。折角なのでここで買いたかったところだったのだが…生憎売り切れてしまったという。
「まあ…そう肩を落としなさんな、ちょっとそこで待っとれ」
店長はそう言うと重い腰を上げて、店の奥へと消えていった。3分ほど時間が経過すると、何やらミカン箱ぐらいの大きさの段ボール箱を抱えて店頭へと戻ってきた。
「ふぃ…、年を取るとこの程度の大きさでも…一苦労だ…」
カウンターの卓上にミカン箱を置くと、店長は今ので痛くしたのか腰を支えていた。
在庫一つ運ぶのにも一苦労している今の肉体を考えたら、やはり閉店して正解だったのかもしれない。
「じっちゃん…何だこれ?」
「…まあ…開けてみな…」
和人と木綿季は頭に?マークを浮かべながら、店長が運んできた段ボールを開け始めた。
引っ張るだけできれいに切れるガムテープを剥がし、四方からたたまれている蓋を開けると、中には驚きのアイテムが入れられていた。
「え…じっちゃん…これって…」
「すごい…こんなのあるんだ…」
木綿季が段ボールから取り出したのはアミュスフィアだった。
しかもただのアミュスフィアではない。メーカーが店舗贈呈用に限定生産したオリジナルカラーリングが施されたアミュスフィアであった。色は偶然か必然か、木綿季のイメージカラーの紫を基調としたカラーリングとなっていた。
「…それやるよ、お嬢ちゃん」
「え…でも…」
「いいから…やるって言ってるんだ…」
「いいのか…じっちゃん…」
「……もともと売りモンじゃねえからな、メーカーから贈呈されたもんだ。俺が持っててもしょうがないからな、お嬢ちゃんに使ってもらうことにするよ」
保存状態がよかったのか、店舗贈呈用のアミュスフィアは外箱すら全く劣化してない超美品の状態だった。
木綿季は嬉しい反面、ホントにもらっていいのだろうかという困惑の表情を浮かべていた。
「いいよじっちゃん…金払うよ、いくらだ?」
「うるせぇ! やるっつってんだろうが! 黙って持ってけ!」
店長は声を荒げると、カウンターをバンと叩いた。
叩いた影響ですぐ横にあったレジと、それに貼られていたPOPが少しだけ揺れた。
「わ…わかったよ…、ったく…頑固なところは昔っから変わんねーんだから…」
「…何か言ったか?」
「何も言ってません!」
まるで木綿季と和人と似たやり取りを交わしていた。
そのやり取りを見た木綿季と詩乃はくすっと笑みをこぼしていた。
「おじいちゃん…ありがとう…。これ…大切に使わせてもらいます」
木綿季がアミュスフィアの入った外箱を胸で抱えながら礼儀正しく頭を下げると、店長の顔にも笑顔が零れていた。
「ああ…大事に使ってやってくれ…」
店長はそれだけ言うと、二本目の煙草に手を伸ばした。
「それじゃじっちゃん、俺たち…行くよ。この後約束してるから…」
「お…あ…ああ…、わかった。目ぼしい商品が残ってなくてすまなかったな…」
「何言ってるんだよ…、俺…昔からここでたくさん楽しい思いをさせてもらったんだ。むしろ…何も買ってやれなくてごめんよ…」
「けっ、今更いい子ぶってんじゃねえぞ。しつこく値下げを迫ってきたヤツは何処のどいつだよまったく…」
「あはは…でも文句言いつつも…じっちゃんは負けてくれたじゃないか。子供の小遣いが少ないってことを知ってたから…融通利かせてくれたんだろ?」
木綿季と詩乃は、この店が長年愛されている理由がわかった。
妥協しない姿勢やゲームに対する愛情だけではない、何よりそれを支えてくれたゲーム好きのお客さんへの心遣いがあったからこそ、このお店が今まで続いていたんだなと理解した。
店長は和人からそのことを聞くと、しわくちゃの顔に似合わないぐらい照れくさい表情を浮かべていた。
「う…うるせえ! このクソガキどもが! 用が済んだならとっとと消えやがれ!」
「わーっ! 因業ジジイがお冠だ! 木綿季! シノン! 逃げろー!」
店長が怒鳴ると和人は一目散に入口目指して駆け出していった。
しかし、驚いたり怖がっている様子はなく、この状況を楽しんで駆け出していった。
木綿季と詩乃は店長の声に驚きつつも和人に置いていかれないように、和人の後を追っかけた。
そして走っていた和人は入口の地点に辿り着くと速度を落とし、やがて足を止めて再び店内へと体の向きを変えた。
「……?」
「あの…じっちゃん…、今までありがとうな…。今度また遊びに来るから…それまで元気しててくれよ!」
木綿季も振り向いて、改めてアミュスフィアのお礼を店長に向けて贈った。
「おじいちゃん…、これ…本当にありがとうございました! 絶対にまた遊びに来ます!」
木綿季はペコリと丁寧に頭を下げた。詩乃は軽く店長に向かって会釈をした。
その様子をカウンターから見ていた店長の目には、そのいかつい顔からは想像出来ない涙が浮かんでいた。
「……おう…こっちこそ…今まで…ありがとな…、カズ坊…」
店長のその言葉を聞き届けると、和人たち店長に笑顔を見せた後再び店に背を向けて、川越駅へと歩を進めていった。
およそ30年以上続いたゲームショップ企業「トップキッズグループ」はここ川越市鶴ヶ島店を最後に、完全撤退した。
一つの長い歴史を持つ、多くの人に愛された場所が、一つ…失われた。
はい…、このトップキッズなる企業の名前の元となったお店、私の地元からもなくなってしまいました。
これだけに限らずゲームショップ自体が衰退していっている気がします。
私も大手の家電量販店を便利だからという理由で使っていますが…、たまにはこういう所に足を運ぶのもいいかもしれませんね…。
ていってもすっげー遠いんですけどね!!
次回こそハロウィンイベントを終わらせます。
それと同時にシノンの心の変化があるかもしれません。そちらもご期待ください。
それでは以下次回!