ソードアート・オンライン マザーズ・ロザリオ ボクの生きる意味 作:むこ(連載継続頑張ります)
長いので前編後編に分けました。今回で本番前の各々の気持ち、次回で本番といった流れで行こうと思います。
後編は週末までに書き上げる予定ですので引き続きお待ちいただければと思います。今回は少しだけ糖分過多になるかもしれません。
それでは31話、ご覧ください
西暦2026年2月5日木曜日 午前9:10 神奈川県横浜市金沢区 横浜港北総合病院 和人の病室
「…………何もすることがない」
和人が過労で倒れてから二日が経過した。思わず独り言を呟いてしまった和人は相も変わらずひたすら暇な入院生活を謳歌していた。食事と睡眠とトイレ以外にやることが全くなかったのだ。
天井のシミや描かれている模様の数を数えるか、病室の窓から見える木々の葉っぱの数を数えるぐらいしかやることがなかった。
緊急入院する人の場合はしょうがないが予めの入院が決まっている人は絶対に暇つぶしの道具を持ってくることをお勧めする。
本当に、本ッッ当に暇で暇で死にそうになるからだ。丸腰で入院は死んでもお勧めしない。
「外出、しちゃだめ……だよなあ……」
窓の外の風景を眺めている和人は愚痴をこぼしていた。部屋から出てはいけないアミュスフィアも取り上げられている、スマホは使用禁止。
まさに現代若者としては拷問に等しい仕打ちであった、木綿季の様子も気になる。
「うぅ、折角リハビリして鍛えた体がまたなまっちまうぞ……」
言うほど体を鍛えていないがSAO帰還直後のガリガリの状態を考慮すれば立派な肉体になったといえよう、それでも和人は常人に比べてまだ細いが。
既に和人の体調はもう概ね良好である。熱も下がったし血圧も安定、意識もはっきりしている。
解熱剤も抗生物質も必要なくなり、今は食事と点滴だけで過ごしている。その点滴も残量が残りわずかとなり栄養供給が終わろうとしていた。
「ん、点滴お終いか……ナースコールしないと」
和人は点滴を交換してもらおうとナースコールのボタンを押そうと手を掛ける。そのタイミングと同時に彼の病室のドアがコンコンとノックされた。それに気付き、ナースコールをやめて扉に向かい返事を返す。一体誰の訪問だろうか?
「はーい起きてますよ、どうぞ」
和人の声が聞こえたのか、その声に反応するようにゆっくりとドアがスライドしていった。
「おはようございます和人君、体の調子はどうですか?」
入ってきたのは木綿季の主治医の倉橋だった、今回は和人の面倒も一緒に見てくれている。
「おはようございます先生、もうすっかり良好です。体のだるさもとれましたし熱も引きました、許可があれば今すぐにでも退院したいぐらいですよ」
倉橋は笑顔で「そうですか」と返すと看護師に和人の腕から点滴の針を抜くよう指示を出した。
和人はキョトンとしながらも腕を差し出し、看護師に針を抜いてもらった。
「あれ? 点滴……もういいんですか…?」
和人は点滴が刺さっていた箇所を押さえながら倉橋に質問を投げかける。まだまだ本調子ではない気がするし、もう少し継続していた方がよいのではないかと、倉橋を見つめ続ける。
「ええ。血液検査の結果を見ましたが、和人君は若いこともありかなり回復が早いです。食事もしっかり取れてますし血圧なども安定してます。今日一日様子見して、明日退院としましょう」
和人は明日退院出来ることよりも、今日までまだ入院なのか……という残念感を感じていた。 自分ではもう表を出歩けるぐらい回復していると思うとこほだが、しかし医師の指示は絶対である。勘違いしないでしっかり休息をとるべきだ。
「そう残念がらないでください、今日もお友達が面会に来られてますから」
和人は頭に?マークを浮かべ、今日は一体誰だろう? という気持ちでドアが開くのを待った。気のせいでなければドアの外が慌ただしい。何やら声ががやがや聞こえる気がする。
「失礼します」
和人はその姿を見て驚愕した。まさかまさかと思っていた人物が和人の見舞いに現れたからである。
小学校ぐらいの身長の女の子、やたら身長の高い男、そして母性をくすぐりそうな雰囲気を持った高校生ほどの女の子が入室してきた。
倉橋は三人を案内するとそそくさと部屋から看護師を連れて退室していった。
変わり身の早い先生だ。
「プリヴィエート! キリト君! 元気そうで安心したわ」
このロシア語での挨拶、言うまでもない。セブンこと七色・アルシャービン博士が和人の見舞いに現れたのだ。
部屋の外ががやがやしてたのはセブンの所為だった。
「キリト君……! ユウキちゃんから倒れたって聞いたからびっくりしたよ……」
明るいピンクのダッフルコートに身を包んでいるこの白髪の少女はレインこと枳殻虹架からたちにじかだ。
「わざわざ見舞いに来てくれたのか……ありがとう、レイン、セブン。ってことはこっちのガタイのいい男はもしかすると……?」
和人は背の高い男を見上げて言った。髪の毛の色こそ水色ではないが厳しい雰囲気を醸し出しているこの男前な男性はまぎれもなく、彼だろう。
「うん、スメラギ君だよ! 本名は住良木陽太君っていうの」
「フッ、貴様ともあろうものが自分の体調管理も出来んとはな……」
現実世界でも相も変わらずのきざったらしい性格な住良木の態度に、和人は若干ムッとした。わざわざ体調を崩して倒れた知人に放つセリフか、と。しかしそんな彼を他所にするとセブンがこちらに近づき、和人に耳打ちをする。
(スメラギ君はああ言ってるけど、キリト君のことめちゃめちゃ心配してるからね?)
(……ふふ、あいつらしいな?)
「どうかしたか? 随分ご機嫌なようだな? キリトよ」
「いやいやなんでもないなんでもない! あ、あはは……」
他愛もない挨拶を交わす。病室の外にはまだがやがやと話し声が聞こえる。無理もない。
世界的に有名な七色・アルシャービン博士が一般人である和人のお見舞いに来てるなどと聞いて誰が信じるだろうか。実際に来てるわけだが。
「それでセブン、今日はわざわざ俺のところにただ単純に見舞いに来ただけじゃないんだろ?」
「やっぱりキリトくんは察しがいいね。今日はこれを渡しに来たのよ。どうせ外出出来ないでしょ?」
「これは……なんだ? 台本? んでもう一冊はMMOトゥモローの最新号か……」
和人はまじまじと本を見る。台本らしき本はライブ本番当日のプログラムの進行などが書かれていた。
ほとんどセブンの役割ばかりであったがどのようにユウキが登場して、およそ何分間パフォーマンスをするかなどなどの細かいことが書かれていた。
「え……なっ、スペシャルゲストに……アスナ!?」
和人が台本を眺めていて驚いたのがアスナの名前であった。確かに一昨日アスナからユウキの手伝いをするということは本人から聞かされていたのだが、歌うとは聞かされてなかったのである。
寝耳に水どころか、寝耳に炭酸コーラ、と言っていいような驚きだ。
「あれ、アスナちゃんから聞いてなかった? ユウキちゃんとデュオの形で一曲だけ参加することが決まっていたのよ。昨日、一昨日と猛特訓積んだんだからね?」
「そうだったのか……それならそれで、一言教えてくれればよかったのにな……」
「アスナちゃんは驚かせたかったんじゃないかな? ここ最近キリト君にまかせっぱなしだったし。まあ折角こうして休める機会が来てるんだから私たちにまかせてキリト君はしっかり体力を回復させておいてね?」
和人はMMOトゥモローの記事を読みながらセブンの話を流し気味に耳を傾けている。
MMOトゥモローにはセブンのチャリティーライブの記事がでかでかと載っていた。もちろんスペシャルゲストとして参加するユウキ、アスナのことも大々的に取り上げていた。
やはり、セブンが絡むとどのようなイベントと規模がデカくなる。そして初のチャリティーともなると、今まで以上に注目が集まる。
「これ、すごい宣伝だな……」
「うん、シンカーさんが頑張ってくれたんだって。キリト君のお母さんから一世一代の大イベントだから過去にないぐらい大々的に取り上げて! って頼んだみたいよ?」
「え……母さん、シンカーと交友があったのか……そりゃパソコン情報誌の記者だから、関わり合いがないわけでもないか……」
SAO時代の知人、シンカーは和人とSAOクリア後も交流があった。
オフ会でしょっちゅう顔を合わすし何より、MMOトゥモローの責任者ともあって今の日本のVRMMO界の最新情報の第一人者を担っているといっても過言ではない。
そのシンカーにいつの間にか根回しをしたのか母さんは裏でいろいろとすごいことをやっていたのだな……と、和人は自分の母親に脱帽であった。これ以上ない宣伝にお手上げ状態であった。
「AIDSのことについても載ってるよ? 薬剤耐性型のウィルスに感染している患者さんが世界でどれだけ苦しい思いをしているか……とか。病的な被害とは別に周りからの迫害を受けてきた人たちの体験談も載ってるの。ネットゲーム雑誌としてはかなり暗い記事になってしまっているけど……これがユーザーのみんなにどれだけ響いていくか、だね……」
虹架は暗い表情で淡々と語り出していた。
そう、HIV感染者は何も木綿季だけではない。世界中で同じようにHIVに苦しめられている人たちは山ほどいる。 だが、今回のチャリティーが成功して彼女が治れば、世界中のAIDS患者の人たちに希望を与えることになるのではないかと、今回のライブの新たな可能性を浮かび上げる。
「そうなったら木綿季は……世界のAIDS患者の希望の光になる可能性があるんだな……?」
それは大いにありがたいことだ。最初はただ単に木綿季を助けることだけしか頭になかったが、世界中の助けになると考えると後ろめたさが少しなくなっていた。堂々と表立ってこのイベントに臨むことが出来る、そう考えたのだ。
しかし、和人はまた別の意味で将来を懸念していた。木綿季が完治して無事退院するとする。そうしたら今度予想されるのがマスコミの殺到だ。国内初のAIDS完治者となると当然取材やらが殺到すると読んでいるのである。
そんなことしたら木綿季のプライベートはもちろん俺たち桐ヶ谷家も静かな日常に土足で踏み入れられる可能性がある。
木綿季と退院後はゆっくりと過ごしたいのにそれは絶対にゴメンだ。
少し癪だが和人はあの男のコネを使うことにした。借りを作るのはゴメンであったが、今回はやむを得なかった。
「セブン、ここまで協力してもらっておいて厚かましいんだけど……もう一つ頼まれてくれないか?」
「構わないけど……ここまできて今更厚かましいも何もないでしょ」
「すまない、ちょっとある男に連絡をいれてほしいんだ。木綿季の退院後に、俺は安心してあいつに静かに日常を過ごさせてやりたいから……」
「
和人は七色をベッドの近くまで手招きで寄らせると、静かに耳打ちした。この小さな病室に三人しかいないのだから、小声でなくても普通の声量で話せばいいのに、わざわざ抑えて声を伝える。
それほど表沙汰にしたくないのだろう。
「わかったわ。住良木君もいるし多分大丈夫だと思う。あの人には私からも情報提供とかしているから、逆にここで借りを返させるのもいいかもしれないわね!」
「あ、あはは……すまないな、恩に着るよ」
「いいのよ、その代わり……いつかキリト君今度食事に誘ってよね?」
そのセリフを七色言った瞬間、その隣で仁王立ちのように構えている住良木の顔が引きつっていくのがわかった。
その形相を見るやいなや、和人は何故そんな穏やかではない顔で自分を見るんだ。俺がなにか悪いことでもしたかと、苦笑いを浮かべなが彼の事を見つめ返す。
「と、ともかくありがとう三人とも。俺も明日には退院出来るから……リハーサルまでには間に合うと思う」
「ええ、正直言ってキリト君が倒れたと聞かされた時はものすごい心配したのよ? ユウキちゃんのメンタル面とかもね」
「……そうだな。一番負担かけちまったのはあいつだよな……」
和人は申し訳ないといった表情で自分の点滴が刺されていた箇所を見つめていた。もっと体調管理していれば、もっとしっかりしていれば、ユウキの側にいてやれる時間が増えたのにと、己の未熟さを悔いる。
「今更後悔しても仕方ないわよ。休暇だと思って明日まではしっかり休みなさいね?」
「あ、ああ……」
――――――
「さて……と、それじゃあ私たちはそろそろおいとまするわね?」
「もう帰るのか?」
「うん、今日も一応レッスンはあるんだけど、仕上がりを見るだけになると思う。あとは各々がセルフトレーニングをして明日のリハも含めて最終調整するだけね。全く……ユウキちゃんもアスナちゃんもついこの前まで素人だったとは思えないわよ」
「ユウキ……」
掛け布団に顔をうずくませた和人は彼女の名前を呟いた。
考えてれば、もう二日も彼女に会っていない。今では和人の中で隣に彼女がいることはもう当たり前となっていただけに、尚寂しさがこみ上げてきた。
「ユウキちゃんに会いたい?」
セブンがそう尋ねると、和人は迷わす無言で首を縦に振る。言うまでもない。
「はぁ……まったくしょうがないわね。私たちこれからユウキちゃんのとこにも面会に行ってくるから、その時にキリト君のこと伝えておくわよ」
その言葉を聞いた瞬間和人は頭を上げ、何故ここに木綿季がいることを? と若干身を見開き、穏やかではない表情で七色を見る。
しかし七色はVR技術の第一人者。あの茅場晶彦と関わりがないわけでもないし、メディキュボイドのことを知っていても不思議ではない。
「私を誰だと思っているのよ? これでも現代VR技術の第一人者よ? メディキュボイドのことだって知ってるんだからね? まあ……現物はまだ見たことないけど」
それを聞き届けると和人は掛け布団を翻しベッドから上半身だけ外に出して畏まった姿勢で話し始めた。
先程までなよなよしていた様子とは打って変わって、キリッと表情を一変させて、雰囲気がガラリと変わる。
「三人とも……これからユウキに……あいつに会うつもりなら、覚悟を決めた方がいい」
「か、覚悟……?」
「ああ……だけど、現実から目を背けないでほしい。俺も最初は驚いたが……いや、これ以上言わないでおこう……」
メディキュボイドを見たことがないということは、当然それを使用している彼女のことを見たことがないということになる。
つらくて過酷な現実と、今もなお闘い続けているあの姿を、まだ見ていないことになるのだ。
「今日は来てくれてありがとうな。あいつにさ、俺はもうすっかり元気になったから安心してくれって伝えておいてくれ」
「どういたしまして、気にすることないわ。私たちが来たくて来ただけなんだから」
「……それと、一刻も早く会いたい。会って側にいたい。って伝えておいてくれ……」
その一言を聞いた瞬間七色虹架姉妹のの顔が引きつった。何も今この状況で惚気なくてもいいじゃないかと、軽蔑にも近い眼差しを彼に向ける。
そんな様子などつゆ知らず、住良木は相も変わらずのポーカーフェイスで「ふっ……」とキザったらしく場を受け流す。
「はいはい、仲が良くて素晴らしいことだわ。まあ、忘れてなければ伝えておくから、私たちは失礼するわね? ちゃんと休んでおきなさいよ? キリト君」
「ああ、ありがとう」
三人が退室すると途端に和人のいる病室に静寂が訪れた。そしてまたもや和人は若干の寂しさを感じてしまっていた。 お見舞いに来てくれる人がいなければ、患者は基本的に孤独と退屈さとの闘いになる。和人は何もしていないがため、そんな強敵と闘っていたのだ。
「……木綿季……」
和人は木綿季に会いたくてたまらなかった。木綿季が恋しくてたまらなかった。今の非力な自分が支えになれるとは思えないけど、とにかく会いに行きたかった。
しかし本人に明日まで来るなと言われてしまっていた。本人の気持ちを裏切りたくないという理性がわずかに勝り、静かに和人はその身をベッドに横たわらせた。
寝よう、寝て今日一日がすこしでも早く過ぎ去るようにしてしまおう。
そう考えた和人はそそくさと瞳を閉じて、再び眠りにつこうとした。
最初は寝ることを意識しすぎて眠れなかったが…やがて眠気は自然と訪れてきた。
――――――――
同日同時刻 横浜港北総合病院 メディキュボイド無菌室前
七色、虹架、住良木の三人はメディキュボイドが設置されている無菌室へと足を運んでいた。
場所は事前に倉橋から聞き出していたので、案内なしで現地へと向かっていた。 長い病棟の廊下を渡り歩きながら、未だ見た事のないメディキュボイドを見るために。そして、これから命を救おうとしてる木綿季に一目会うために。
「キリト君の言っていた……覚悟するってどういう意味なんだろ……?」
レインが歩きながら話を振った。セブンは真剣な表情をしてレインに返事をする。
「……お姉ちゃん、引き返すなら今のうちかもしれないよ? 多分これから見る光景は……そうだと理解してても過酷な現実を見ることになると思うから……」
「え……? ど、どういうこと……七色?」
当然、虹架は知らない。知る由もない。 現実のユウキが、紺野木綿季が、どのような形でそのか細い命を長らえているかを。
「行けばわかるわよ……ここの奥が……そう、みたいね……」
普通の病棟とは雰囲気が違った廊下にさしかかる。角を何回か曲がると黒いブラインドが張られたガラス張りのパネルの前に倉橋が待っていた。 彼は七色御一行に気付くなり、軽く会釈をし、丁寧な仕草で彼女らを出迎える。
「七色博士、お忙しい中ありがとうございます。話に聞きますとVRの世界で木綿季君の歌のレッスンも見てくれているとかで……」
倉橋はセブンを見るなり畏まった態度で感謝の意を表した。
「別に大したことしてないわ。あの子の才能がすごかっただけよ。正直……このイベントっきりで引退ってのは勿体ないぐらい」
倉橋は「ハハハっそうなんですか」と呟きながらパネルの操作を続ける。 あの七色博士にそこまでの太鼓判を押して貰えるとは、木綿季君はなんてすごい子なのだろうと、少しばかり鼻が高くなっていた。 カタカタと操作を続け、ボタン一個押すだけでブラインドが解除される状態までもっていく。
「今からお見せします木綿季君の姿は……人によっては残酷な光景になるかと思います。その覚悟があるのなら……今、このブラインドを解除しようと思いますが……よろしいですか?」
数分前にも、和人が似たようなことを口走っていた。 残酷な光景? 一体どのような光景だというのだろうかというこが引っかかりつつも、三人はお互いの顔を見合った後、倉橋に対して頷いて返事を返した。
「構わないわ、やってちょうだい……」「……分かりました」 七色が最後通告を承諾すると、倉橋は首を縦に振りながら、パネルのボタンにそっと指を乗せる。 そのボタンを押すだけで、もう木綿季の姿が、メディキュボイドが見ることが出来る。「木綿季君、おはようございます。体の調子はいかがですか?」
倉橋が話しかけるとスピーカーから元気な声が聞こえてきた。
『はーい! おはようございます! 倉橋先生! 今日も絶好調です!』
その聞き覚えの声に三人がピクリと反応を見せた。やっぱりここに…ユウキがいるんだ…そう実感していた。
「それは何よりです、今日も木綿季君のお友達がお見舞いに来ていますよ?」
『え…そうなんですか…誰だろ…アスナかな…?』
倉橋は一瞬セブンたちを見ると「ブラインドを解除します」とだけ言い残し、パネルの最後のボタンを押した。
無菌室のガラスに張り巡らされた黒いブラインドが解除され、その奥にメディキュボイドに包まれた木綿季の姿があらわになる。
「――ッ!」
「これが…ユウキ…ちゃん…?」
「………」
レインは大変なショックを受けていた、この機械を使わないと延命出来ないぐらいユウキは…追い詰められているんだ。そう思ってしまうとレインの目からは涙が零れ落ちていた。
セブンはメディキュボイドのことを知っていた、知っていたが…話に聞くのと現実にそれを見るのとでは全然感覚が違う。12歳の少女ということもあってその心にショックを与えるのには十分すぎるほどであった。
スメラギも流石にこの光景を想像していなかったようでその表情からは焦りが見受けられた。
『あれ…もしかして…セブンにレインに…スメラギ…かな…? すごい…みんなALOのアバターとそっくりなんだね…! セブンは知ってたけど』
「ユウキちゃん…なの…?」
レインが恐る恐る声を掛ける。
『うん…これが現実のボクだよ…レイン。ボクはこのメディキュボイドを使わないと生きていけない体なんだ…』
「そんな…そんなことって…」
レインは残酷すぎる現実を突きつけられ、膝から崩れ落ちてしまった。
『泣かないで…レイン、ボクは大丈夫だから。和人が…セブンが…ボクの病気を治そうと頑張ってくれてる…。だから…ボクも頑張れる。絶対に病気を治してみせる…だから…泣かないで…?』
レインは泣き続けていた、木綿季の声は聞こえていたがそれ以上に悲しい現実に打ちひしがれていた。
セブンはレインの肩を抱き、落ち着かせようとしていた。
「ユウキちゃん、キリト君すっかり元気になったよ? 点滴も外れて体力も回復してる。今日一日様子だけみて明日退院の見込みも出てきたって」
それを聞いた木綿季は声のトーンを上げて喜びを表した。
『ホント!? …よかった…和人が…元気になって…』
自分の所為で体調を崩させてしまったと感じた木綿季はその言葉を聞いて心底安心した。
すると突然に和人に会いたいと思うようになってきた。
『和人…なんか言ってなかった?』
木綿季は少しだけバツが悪そうに和人のことを尋ねた。
「うん…寂しそうにしていたよ、ユウキちゃんに会いたくて会いたくてたまらないって感じだった。今も寂しさを紛らわすために必死で寝ようとしてるんじゃないかな…」
『そっか…、ボクも…和人に…会いたいな…』
その言葉だけ言い残すと、木綿季は途端に無言になってしまった。そこにセブンが話を切り出した。
「ユウキちゃん…もう変な意地張らなくてもいいと思うよ? キリト君はもうあんな無茶しないだろうし…それにユウキちゃんに会いたくて会いたくて死んじゃいそうだったよ? ユウキちゃんももう我慢しなくていいと思うの。レッスンはもう完璧だし…今日ぐらい休んでもいいよ?」
『…いいの?』
セブンは木綿季の問いに頷く形で返事を返した。
『セブン…ありがとう…! ホントにありがとう…!!』
その言葉を聞いたセブンにようやく笑顔が戻ってきた。レインも少しずつ落ち着きを取り戻してきた様子だ。
「んじゃあ…私たちは行くね、明日のリハの準備もしないといけないし。ユウキちゃん遅刻しちゃだめだよ?」
『うん…! 絶対に遅れないようにするよ…! ホントにありがとう…セブン』
「いいから気にしないの、それよりキリト君寂しくて死んじゃいそうになってるから早くしてあげなさい?」
木綿季はありがとうと何回も繰り返しセブンに感謝の意を込めた。
『先生…というわけなので…和人にアミュスフィアを返してあげてもらってもいいですか…?』
「わかりました。木綿季君がそう言うのなら…彼に返しておきますね」
倉橋はそう言うと奥の部屋から和人のアミュスフィアを持ち出してきた。勝手に病院のランチャーがインストールされている和人のアミュスフィアを。
「んじゃあユウキちゃん、元気でね。詳細はまたALOでメッセージ送っておくから…後で絶対に確認してね?」
『うん…! 今日はありがとう…セブン、レイン、スメラギ…ボク…本当に嬉しい…!』
「ううん…私も…ユウキちゃんが元気みたいで何よりだよ…」
レインは心がすっかり落ち着いたのか、少しだけ笑顔を作ることが出来た様子だ。
三人は帰り支度を始め、無菌室を後にしようとした。
「それじゃあ、また明日ね。何度も言うけど遅刻厳禁だからね?」
『ウン! 今日はありがとうみんな! また明日ね!』
三人は木綿季への挨拶を済ますと倉橋先生に頭を下げてから、無菌室を後にした。
その様子を見届けた倉橋は緊張が解けたのか、ほっと胸をなでおろすような仕草をした。
『先生? どうかしたんですか?』
「あ…いや…七色博士をいざ実際に目の前にしたら…柄にもなく緊張をしてしまいましてね…アハハ…」
『へえ~…倉橋先生でも緊張なんてするんですね!』
木綿季がジョークをかますと、倉橋は「そりゃあしますよ、私はまだ若いですから」とジョークにジョークで返す。
親子とはちょっと違うかもしれないが微笑ましいやり取りだった。
「それでは私は…和人君の病室にこれを届けてきますね、キャリブレーションをやり直すのですぐにはそちらにはいけないかもしれませんがそのまま待っていてくださいね」
木綿季は『はい! 了解!』と返事をして、仮想空間の自分の部屋の中で和人が来るのを待った。
――――――――
同日同時刻、横浜港北総合病院 院内廊下
セブン、レイン、スメラギの三人は病院の出口に向かって歩を進めていた。
「…お姉ちゃん、大丈夫?」
セブンがレインに気を掛ける、この中で一番ショックを受けていたのはレインであった。
「うん…もう大丈夫…ありがとう…七色…」
「私も…ユウキちゃんがあの状態であることは知っていたんだけど…現実にあの姿を見たら…ちょっと声が詰まる想いがしたわ…」
「うん…私…目を背けちゃった…あとでユウキちゃんに謝らないと…」
「………」
スメラギは終始無言であった、普段から自分で進んで話すようなやつでもないが。
「お姉ちゃん…スメラギ君…お願いがあるの…」
二人は顔に? マークを浮かべ、セブンの顔を見る。
「絶対にユウキちゃんを助けよう…、このライブを絶対に成功させて…ユウキちゃんを現実の世界に…帰してあげよう。だから…二人ともお願い…私に力を貸して…!」
スメラギとレインはお互いの顔を見て、何をいまさらという表情でセブンに声を掛けた。
「何言ってんの七色…スメラギ君もそうだけど私だって絶対にユウキちゃんを助けたいって思ってる。私に出来ることがあるのなら…喜んで協力させてもらうよ?」
「お姉ちゃん…」
「俺はセブンがそうしろと言うのなら…そうするだけだ。お願いも何もないだろう…」
「…スメラギ君は相変わらず素直じゃないんだから…」
最後に軽い笑いを交え、この三人は改めて固い決意を交わした。絶対に木綿季を助ける、何があっても現実世界に帰す。そうお互いの心に誓いを立てて…。
――――――――
同日同時刻 横浜港北総合病院 和人の病室
結局あれから寝付けなかった和人は暇そうに病室の天井を眺めていた。
眠気より木綿季に会いたいという気持ちが勝ってしまい、もうどうすることも出来なかった。
「木綿季…」
和人の目には涙が浮かんでいた。心にぽっかり穴があいてしまったようなそんな感覚に見舞われていた。
そんなことを思っていると突如病室のドアがコンコンとノックされた。
もうすっかり慣れた和人は「どうぞ」と短い一言だけ放った。
「失礼します…和人君、起きてたんですか」
「こんにちは倉橋先生、ええ…一生懸命寝ようとしたんですけど…寝付けなくて…」
倉橋は「まあ、仕方ないですよね」とだけ言い放つと、徐に和人のアミュスフィアを取り出した。
「先生…それは…」
「ええ…和人君のアミュスフィアです。すみません勝手に病院のランチャーをインストールしてしまいました」
和人は一瞬ぽかんとなった、何で倉橋先生が俺のアミュスフィアをもって俺の病室まで来たんだろう、そう考えていた。
「和人君、木綿季君からの伝言を伝えますね。”和人と会いたい" 以上です」
そう言い残すと倉橋はアミュスフィアのLANケーブルを和人の病室のLAN差込口に繋ぎ、和人にアミュスフィアを手渡した。
「大丈夫だとは思いますが…長時間のダイブはまだ避けてくださいね。しっかり休憩を挟んでください」
「あ…は…ハイ! ありがとうございます! 倉橋先生!」
倉橋は「いえいえ」とだけ言い残して笑顔で退室していった。
「木綿季…今いくからな…」
和人はアミュスフィアを被り、電源を入れるとキャリブレーションを10分で完了させ、病院のランチャーを起動させた。
「よし…リンク・スタート!!」
和人の意識は仮想世界へと旅立っていった。
――――――
同日同時刻 メディキュボイド仮想空間 木綿季の部屋
セブン達と別れを済ませた木綿季は少しだけ寂しさを感じていた。
「和人…まだかな…」
昨日までライブのことしか考えてなかった木綿季だが、一旦和人のことを意識しだすともう会いたいという気持ちで押しつぶされそうになっていた。
「和人がいなくても頑張るって決めてたのにな…やっぱり…ボクは和人がいないと何も出来ない…のかな…」
「そんなことはない」
木綿季は突如背後から聞こえたその声に体をビクンとさせると、ゆっくりゆっくり声のした方へと体を振り向かせた。
その方向には…二日会ってなかった…一番大好きなあの人がいた。
「か…ず…と…?」
「木綿季…!」
「かずと…かずと…!」
和人は木綿季に駆け寄り、力いっぱい抱き締めた。
「木綿季…会いたかった…」
「ボクも…ボクも…会いたかったよ…! かずと…!」
木綿季の目には涙が浮かんでいた。久しぶりの和人だ…忘れかけてた和人の温かさだ…。
ボクに…いっぱいの大好きをくれた…和人が…またきてくれた…。
「木綿季…すまない…すまない…! お前に…心配をかけてしまった…俺の…落ち度だ…」
「そんなことない…そんなことないよ…ボクが…和人に頼りっぱなしなのがいけなかったんだよ…」
「ごめんな…独りにさせちまって…でも、これからは寂しい思いはさせないからな…木綿季…」
和人は木綿季をさらに力を込めて抱き締めた。お互いを感じあうために長い長い時間強く、抱き合った。
「あのね…和人、ボク…歌…すっごい上達したんだよ…セブンがね…もう教えることがないなんて言い出してさ…」
「そうなのか…傍で聞いていたかったな…木綿季の歌…」
「今…ここで歌っても…いいよ?」
和人がいいのか? と聞き返す。木綿季はそれに「いいよ」とあっさり承諾すると少し和人から距離を置き伴奏なしで静かに…ゆっくりと口を開いて歌い始めた。
「…………」
和人は決して広くも狭くもない仮想空間の中で、木綿季の歌声を聞いていた、聞き入っていた。
美しい、心からそう思えた。つい先日まで聞いていた歌声とは全然違う…神秘的なものをその姿と歌から感じ取っていた。
ずっとこの素敵な歌声をいつまでも聞いていたい、そして…いつか現実世界でも聞きたい…そう思った。
「今日を越えて…みたいんだ…」
木綿季が最後のフレーズを歌い切った。今回歌ったのは2曲目としてセブンから言い渡されていた曲だった。
木綿季の今までの人生を体現したような歌詞の、あの曲だった。
歌い終わった木綿季は少しだけ深呼吸をすると、胸に手を当てた状態で和人の方をちらっと見て、照れくさそうに感想を聞いた。
「えっと…どう…かな…」
和人は木綿季に見惚れていた。改めて木綿季が俺の恋人で良かったと、心からそう感じた。
やがてハッと正気になった和人は木綿季に歩み寄り、再び抱き締めた。
「素敵だった…素敵すぎて…感動したよ…」
「…ありがと和人…ボク…嬉しいな…」
木綿季は和人の胸を借りて、その温かさに酔いしれていた。ずっとこのままでいたい、ずっと和人の傍にいたい。
「今日は…レッスンはいいのか?」
「うん…セブンがね、今日は休んでもいいって…明日リハーサルもあるから今のうちにしっかり休息をとってなさい。だって」
「そうか…セブンに感謝だな…」
「うん…」
やがて二人は抱き合ったまま腰を下ろした。大好きな人が隣にいてくれる幸せを嚙みしめながら、その心地よさを感じていた。
「木綿季…しばらくこのままでいさせてもらっていいか…?」
「うん…ボクも…和人とこうしていたい…」
二人はしばらくそのままの姿勢でひたすら時間の経過を感じていた。ただひたすらにお互いのぬくもりを感じていたかった。
和人は一瞬木綿季の顔を見ると、木綿季の後頭部に右手を回して自分の顔に一気に近づけた。
仮想空間に表示されているうっすらと光を放つウィンドゥに照らされた二人の影は、完全にその形を重ねていった。
お読みいただきありがとうございます。結局、お互い三日間待てませんでしたね。前編はここまでとなっております。次回の後編でライブ本番を描いていきます。
余談ですが、この闘病編が完結した後、同じ時間軸で別のキャラを主人公ヒロインとした話を書き綴っていこうかなと思います。
タグで検索したら主人公予定のヤツは一つも作品が存在せず、ヒロインは3つしか話がありませんでした。
SAOのSSに新しい風を吹き込めるんではないかと今からちょっとわくわくしています。まあなんにしても、まずは木綿季を助けてからになりますね。
引き続き全力投球で行かせてもらいますので今後もよろしくお願いいたします。