パチリと目を醒ます。
俺を迎えたのは見知らぬ、薄暗い学園寮の天井だ。目覚まし時計の類いは無い。そもそもノイマンには必要ないし。
しっかりと覚醒した俺は枕元に置いてあった懐中時計を掴み、ベッドから降りると携帯電話で時報にかけ、機械式の懐中時計の竜頭をまくと同時に時刻を合わせる。
その後、衝立の奥のベッドで眠る簪を起こさないように静かにジャージに着替えると、備え付けの小型冷蔵庫に手を伸ばそうとして──そう言えばバナナを買ってなかった──諦めた。いつもの軽食を諦め、部屋を出る。まだ薄暗い通路を進み外へ出ればまだ肌寒い朝の空気が俺を迎えてくれた。
ノイマンの体調管理のお陰で目覚めている身体を、寮の玄関先で入念な準備体操を行い、良く解してからジョギングを開始する。さすがに二日目から走ろうという人間は少ないが、それでも注目されてしまうため、軽めに──それでも常人に比べれば十分に速いが──流す。
──今度、パワーリストやアンクル辺りを買ってみるか。全然物足らん。
時にダッシュを交えたジョギングを続けながらそんな感想を浮かべる自身に内心苦笑する。前世の俺なら天地が引っくり返ろうとも絶対に考えないことをさらりと考えたからだ。
前世の俺は控えめに言っても自堕落な生活を送っていた。特に一度堕落を始めると人としてヤバいレベルまで何の躊躇いも無く真っ逆さまに堕ちていく。そんな生活を選んだのは自分だし、それについては後悔はしていない。だからと言って今世でもそういう生活をする気は毛頭無かったため、ノイマンの能力を総動員して生活態度の大改革を断行した。
……まあ、知り合いからしてみれば元からクソ真面目な男だと思われているようだが。
最初こそキツかったが、今では逆にやらないと落ち着かなくなってしまった。習慣ってホント恐ろしい……。
そんなこんなでいつも通りの時間を走り終えた俺は、寮の裏庭で腕立て伏せ、腹筋などの筋力トレーニングをこなす。単純作業故に無心になって続ければ身体から珠のような汗が浮き出るが、構わず続ける。周囲の少ない女子が唖然としていた気がするがこちらも気にしない。気にしたって仕方がない。
黙々とメニューをこなし、トレーニングを終えれば、部屋に戻り、目を醒ました簪と挨拶を交わしてから汗で汚れた身体をシャワーで洗い流す。温水と冷水を交互に浴び、冷水でシメてからさっさと制服に着替え軽く身嗜みを整える。
先にシャワールームを使わせてくれたことに感謝しながら簪と代わり、携帯電話のネットニュースを流し読みしながら簪が身支度を終えるのを待つ。そして簪の身支度が終われば晴れて朝食となる。
☆★☆
「──八雲は朝から食べ過ぎだと思う」
「何だよ藪から棒に? つかお前が食わなすぎなだけだ」
現在朝の八時。学生寮の食堂での朝食タイムでのことだ。俺が選んだ和食セット『大盛二人前』を見た簪の一言だった。そんな簪は驚くほどに少食だ。クロワッサン二つにサラダ、そして牛乳のみ。良くそんなんで持つな? って良く見ると周囲の女子たちは大なり小なりそんな感じだ。女子の燃費の良さに呆れるやら感心するやらだ。
「こっちは朝から運動してるしな。腹が減るんだよ」
量もあるので長々と食事するわけにもいかないので手早く食事をかっ込みながら答える。それにしても昨日も思ったが
「かんちゃん、やくもんおはよ〜」
朝食に舌鼓を打っていると朝食を手にした本音が背後に二人の女子を引き連れ現れた。後ろの二人はクラスメイトだったな。
「おはよう本音」
「おはようさん。朝っぱらから眠そうだな本音」
「隣いい〜?」
「別に指定席って訳でもなし、座れんなら好きにすりゃ良いんじゃね?」
「ありがとね〜」
後ろの二人も軽くガッツポーズをかまして席につく。なんか背後から他の生徒がこちらを見ながら小声で会話をしているが気にしても仕方ないし無視しとこう。
「うわ、斑鳩くん凄い食べるんだね……」
「流石男の子だね!」
「ん? まあ、夜食う量を減らす上に早朝から運動とかしてるしな、このくらい食わんと昼まで持たないんだよ」
俺の食事の量に目を丸くする鏡さんや妙な賛辞を向ける谷本さんに軽く事情を説明する。健全な男子高校生の食欲ナメんなと言っておこう。
「あれー、やくもんまだあのトレーニング続けてるの〜?」
「今のところな。一日でも休むと途端に堕落するから」
「堕落なんて言い続けてるのは八雲だけ」
俺の物言いに呆れたようにツッコミを入れる簪。まあ、前世の俺の堕落ぶりを知らなけりゃそうなるわな。
「えっと、カンザシさん? 貴女、斑鳩くんと仲が良いんだね?」
「そこにいる本音と一緒で八雲の幼馴染みだから。私は一年四組の更識簪。趣味は八雲に高いスイーツを奢らせること。名前で呼んでくれると助かる。よろしく」
鏡さんの問い掛けにあまり表情を変えず肯定し、自己紹介をした簪。初対面の相手にもきちんと挨拶できるようになって……、成長したんだなぁ──ってちょっと待て! 妙なフレーズが混じってたぞ!?
「おいこら簪。そんな趣味いつ出来たいつ!」
「昨日。財布の重みが減ったことを嘆く八雲を見ながら食べる高級パフェは凄く美味しかった。また食べたい」
あらやだ、簪さんたら目がマジだよ。ついでに本音も期待の笑顔をこちらに向けてきやがる。
「……奢らねーぞ?」
「うん、前フリいただきました」
「いや、フリじゃねーから!?」
突発的に始まった漫才に鏡さんと谷本さんがクスクスと笑う。……笑いをとるのと笑われるのは似て非なるモノ。つまり、恥ずかしい。
「なんか斑鳩くんを見る目が変わったかも」
「うんうん! ワタシもついさっきまでちょっと怖い男の子だな〜って思ってたんだ。でも結構ノリ良いんだね!」
「八雲はそんなに怖くないよ? しょっちゅうお姉ちゃんにからかわれてヘコんでるし」
……楯無と同じくらいお前にもヘコまされてるけどな! 情けないから明言しないが。
「お姉ちゃんって──あ、簪さん。貴女の名字の更識ってもしかして……」
「……うん、ロシアの現役国家代表、更識楯無は私の姉」
「ついでにかんちゃん自身は日本の代表候補生なんだ〜」
おお。楯無の話題が出ても平然としてるな簪。以前とは凄い違いだ。前なら楯無の話題が出た途端ブスーッと席を立っていただろうに。
「姉妹揃ってエリートなんだね〜」
「私はともかくお姉ちゃんは凄いよ。
「ヘタレなシスコンだけどな」
姉を自慢する簪に思わず口に出てしまった俺の呟きに谷本さんたちの表情が固まる。……やべぇ失言しちまった。簪と本音が獲物を見付けた狼のような顔でこちらを見てる。
「……八雲。今日もデザートよろしく」
「ゴチになりま〜す♪」
「いや、ちょっと待て! 流石に
「二人もどう? 八雲がお昼にデザートをご馳走してくれるけど?」
「え、いや、悪いよ……」
「ゴチになりまーす♪」
人の話聴けや簪。ためらってくれてありがとう鏡さん、君はいい人だ。そして君は躊躇しないんだね谷本さん。ふりでも良いから少しはためらおうぜ?
「つか二人にまで奢るのかよ!?」
「ならお姉ちゃんに話す? 絶対拗ねて面倒ごとを起こすと思うけど」
「……
簪の脅迫に、数秒のためらいの後、俺は
こうして四人に口止め料としてデザートを奢ることになってしまったのだが、IS学園が三食無料なのが本当に助かったのは言うまでもない。言うまでもない!!
☆★☆
《彼女》は苛立っていた。
理由は今年彼女の職場に現れた
IS──インフィニット・ストラトスは
彼女は必死に反対した。ISは私達女性に与えられたものであり、男などがそれの扱いを学ぶなど烏滸がましいと。そんな二匹など、それを調べたがっている研究所に与えて
しかし、そんな彼女の
自身の主張は受け入れられず、逆に《主義者》であると許し難い烙印まで押されてしまう始末。
彼女は主義者などではない。奴らのように義務を果たさず権利だけを声高に主張する愚か者たちと一緒にされるなど、心外の極みだ。
……あの二匹目は目を覆いたくなるような愚物であったらしい。三日も準備期間を与えてやったにも拘わらず、事前学習を
あげくの果てに
あの愚かな二匹目には身の程というものを教えてやらなければならない。
どうするべきかと悩みながら仕事を終え、教員寮の自室に戻ってきた彼女を待っていたのは化粧台の鏡に張られていた封書だった。当然ながら彼女の仕業ではない。戸締まりも完璧だ……世界最高水準のセキュリティを誇るIS学園敷地内にある
気味悪さを覚えながら封書を剥ぎ取り中身を確認。中には一枚の便箋と一個のフラッシュメモリだった。
なんなのだと思い便箋の内容を確認し──読み進めるうちに身体が歓喜に震えるのを押さえきれなかった。
そうか。『あの方』も二匹目には辟易していたらしい。これに従い行動すればあの目障りな二匹目は無様をさらし『学園に通う資格無し』と判断され、この楽園から追放されるだろう。あの二匹目が研究所にでも連行されて行く姿を想像すると笑みが込み上げてくる。早速明日から行動を開始しよう。
──心地好い妄想に耽る彼女は窓の外から自身を観察する存在がいることに最後まで気付くことは無かった……。