ゆかりさまとほのぼのしたいだけのじんせいでした   作:織葉 黎旺

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あつかんですね、ゆかりさま

 廊下を足早に歩く。炬燵やストーブで暖められた室内から一歩出ると、途端に冬の乾いた香りがして、刺すような寒気にぶるりと身を震わす羽目になる。厠を経て台所に向かい、徳利を片手に居間に戻る。すると、細い腕と橙の果実がお出迎えしてきた。

 

「んー!」

 

「お帰りなさい、寒かったでしょう? お駄賃代わりにどうぞ」

 

 口の中に放り込まれた蜜柑にびっくりして、彼女の手ごと噛みかけたが、うまいことかわしてくれたらしく、口の中には甘酸っぱい果汁だけが広がった。が、それが喉に跳ねてしまって、ケホケホと噎せる羽目になった。優しく背中を摩られる。

 

「あらあら、大丈夫?」

 

「まあ、何とか……」

 

 誰のせいだと思いつつも、怒るのも面倒なので嘆息するのみに留めた。小さな葛藤を知ってか知らずか彼女はクスリと笑い、「お酌しましょうか」とおどけるように言った。

 

「お願いします」

 

 小さなグラスにとくとくとく、と透明な液体が注がれていく。室内には湯気とともに仄かな酒気が広がっていった。注ぎ返そうと思ったのだけれど、自分の分はぬかりなく用意していたようなので、つまみのさきいかを差し出すに留めた。

 

「乾杯」

 

 ごくごく、と二口一気に煽る。40℃程度に温められた20度のお酒が、食道を通り胃に落ち、全身を熱が巡っていくのをひしひしと感じる。一言で言えば心地いい感覚だった。これぞ熱燗の醍醐味といえる。

 

「はー、すっかりこれが美味しい季節になりましたね」

 

 長く太く息を吐いてそう言うと、「そうね」と、彼女もしみじみと頷いた。炬燵机に頬杖をつくその顔は、既に少し上気しているように見受けられるが、珍しく回りが早いのだろうか。人のことを言えない私は、続けてグラスを口に運ぶ。鼻をつく、噎せ返るような酒の香りに一瞬たじろいだが、喉に入れてしまえばそんなものは関係ないのだった。

 窓の外を覗いてみれば、降り始めた雪が庭を白く化粧している。紫様がぼそっと呟いた。

 

「映えるわね」

 

「えっ?」

 

「味の話よ」

 

「ああ、なるほど」

 

 てっきりイマドキのSNSの話かと思った。燗酒の味はそういう風に褒めるんだっけ、と記憶の隅から掘り出して納得した。熱したことで味が開く、とか映えるとか。私にはよく分からない、常温で一杯飲んどきゃよかったか。

 

「おつまみは如何?」

 

 机上に開いたスキマに手を突っ込み、チー鱈カルパス生ハム菓子類と王道の肴セットをポンポン机の上に出していく紫さんに、「いただきます」と頷いていくつか貰っていく。スキマをそんな風に使われると、脳裏には青猫ロボットのポケットしか浮かばない。もらった肴をダラダラとつまんで、少し酔いの冷めた頭になって気づく。

 

「え、それならわざわざ私に徳利取りに行かせた必要なくないですか?」

 

「あら、そんな野暮なことを言うの?」

 

 少し眠そうな、とろん、とした瞳で彼女は胡散臭く笑う。

 

「貴方に持ってきてもらう方が、何倍も美味しいからに決まってるじゃない」

 

「……紫さん」

 

 それは──人を使っていることから生じる優越感では? 

 聞いてみると、「つまんないこと言うわねえ」と呆れたように嘆息された。

 

「なら貴方にも、何か取ってきてあげましょうか?」

 

「大丈夫です。私はもう──十分満たされているので」

 

「欲がないわねえ」

 

 もぞもぞと、猫のように体をよじらせてこちらに擦り寄ってくる。「暑くなってきましたね」なんて苦笑して、彼女の口内に蜜柑を突っ込んだ。


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