ゆかりさまとほのぼのしたいだけのじんせいでした   作:織葉 黎旺

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はろうぃんですよ、ゆかりさま

 

「……今日何かあったっけ」

 

 出不精の私にしては珍しく、人里をぶらぶらと宛もなく歩いていたところ、各所に施された妙ちきりんな飾り付けが目に留まった。家々から南瓜、ランタンなどの装飾が垂れ下がる。極めつけにはとんがり帽子の魔女だの白シーツを被ったオバケだの、どういう理屈かデュラハンの仮装などをした子どもの集団が練り歩いている。見渡せば、道行く人々も足早に急ぎ、心なしか浮き足立っている。はて、何の催し物か。俗世から離れきってしまった私は、駆け寄ってきた幼女に声をかけられるまで気づくことが出来なかった。

 

「とりっくおあとりーと!」

 

「と、とりっくおあとりーと」

 

 予期せぬ接近と予期せぬ来客に、思わず面食らってしまい、新手の挨拶か何かと勘違いしてオウム返ししてしまった。しかし差し出された小さな手のひらを見て、ようやくこれが何の催しか思い出した。ハロウィンである。Trick or Treat.(お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ)この少女は、私にお菓子を求めているのだ。

 

「…………」

 

 はて、困った。流石にお菓子は持ち歩いていない。とはいえ、純真無垢なまんまるの瞳で明らかにトリートを期待する幼女に、『トリックでお願いします』と答えるのは色々と忍びない。何かあげられる物はなかっただろうか、とポケットをまさぐってみる。

 

「はい、どうぞお嬢さん」

 

「ありがとう、おねえさん!」

 

 紫色の手袋に包まれた華奢な腕から、幼女の両手いっぱいの飴玉が渡された。幼女は顔をぱあっと輝かせ、喧噪の中に駆けていった。と思ったら戻ってきて、「はい!」と私に何かを握らせ、帰って行った。

 

「……飴だ」

 

 先程彼女から貰っていた物の一つだ。子どもなら一つたりとも手放しがたい大事な甘味であろうに、何故くれたのだろう。

 

「貴方が軽率にTrick or Treatなんて言うから、それに応えてくれたんでしょう」

 

「なるほど、迂闊でした。窮地を救ってもらって感謝します、紫さん」

 

「対価として飴を求めますわ」

 

 どうぞ、と手渡す。そもそもこの人の物だったのだから何の異存もない。包み紙から赤い飴を取り出し、口に運ぶ紫さんの様子に私は目を奪われた。

 

 彼女は普段通りドレス姿ではあったのだが、その色が普段と比べて全体的に濃いめの紫だった。白い帽子は旬の甘藷のように紫だったし、何なら悪魔みたいな小さな角が付いていたし普段は赤いリボンが、髪の物も含めて全て薄橙だ。腰元には猫耳のついた南瓜型のポーチがついていて、つまりまあ、彼女なりの仮装ということだろうか。

 

「大変お似合いですよ」

 

「あら、ありがとう」

 

 くるりとその場で一回転。スカートの先の方は橙との美しいグラデーションになっていて、それが西日に映えながらひらりと舞う。よく見ると太股から足先にかけて紫色のリボンがぐるりと巻き付いているが、何のラッピングだろうか。私だったらもつれて転けてしまう自信がある。

 

「折角返ってきたパーカーで出歩きたいな、と思って着て来てみたんですけど、日取りを間違えましたね」

 

「てっきり、知っててきたのかと思っていたわ」

 

「いえ全然。ここ数年、ハロウィンだとかイースターだとか、そういうイベントとは無縁の生活でしたからね。今の今まで忘れてましたよ」

 

 それにしても、と続ける。

 

「幻想郷にもハロウィンってあったんですね」

 

「誰が言い出したかわからないけれど、ここ数年で広まったようね。ハロウィンはそもそも秋の収穫祭だし、それもあって定着しやすかったみたいよ」

 

「なるほど」

 

 厳しい冬に入る前の一つの節目だし、行事と聞けばとりあえず集まって騒ぐのが幻想郷の住民である。私が知らなかっただけで、恐らく博霊神社でも宴会があるのではなかろうか。

 

「さて、少し歩きましょうか?」

 

「そうですね。あー、紫さんがおめかししてくるなら、私も何か仮装してくればよかったですね」

 

「貴方も立派な一張羅じゃない。それに、現代人の仮装って言えば通るでしょう?」

 

 くすくすと楽しそうに笑う紫さんを連れて、喧噪の中をゆく。今年は例年よりも取れ高がいいらしく、立派に育った作物を見ながら夜ご飯の話をしたり、数軒出ていた屋台に寄って、射的に興じたり。何気ない話をしながらずんずん足を進めていく。幸せな時間はあっという間で、夜が降りてくる頃にはもう人里を一周してしまっていた。賑わっていた街路からはほとんど人が消えている。大人は飲み始める時分で、子どもは家に帰る時間だ。誰彼時である。

 

「楽しかったですね。そろそろ帰りますか」

 

「その前に」

 

 足を止めた彼女を振り返る。ランタンの光に照らされて、彼女の金髪が煌めいていた。

 

「Trick or Treat。お菓子をくれなきゃ悪戯するわよ?」

 

「一択問題じゃないですか」

 

「ならTrickね」

 

 目を瞑りなさい、とベタな展開を要求される。私は言われるがままそうする。唇に柔らかい物が当たる感触。どきっとしたのも束の間、口内にそれが入ってくる。甘い味がした。

 

「ふふふ、美味しかったかしら?」

 

「……マシュマロですか」

 

 もきゅもきゅと口の中で溶けていく感触を味わう。甘いものは不得手なんだけど、不思議と美味しく感じた。

 

「あら? 何か残念そうね?」

 

 いつも通りの胡散臭い雰囲気で彼女が笑う。

 

「いえいえ、満足ですよ。ただ、求めていたはずのトリートを消費しちゃってよかったのかなと思っただけです」

 

「トリックの犠牲になったのだから、トリートも本望だと思いますわ」

 

 その言葉を聞いて閃いた。「とりっくおあとりーと! お菓子をくれなきゃ悪戯しますよ!」と高らかに叫ぶ。

 

「あらあら、困りました。今のが最後のお菓子だったのよね」

 

「ふふふ、なら甘んじて悪戯を受け入れて貰うしかないですね」

 

 目を瞑ってください、と囁く。「どんな悪戯をされちゃうのかしら?」と艶のある声で嘯いて、彼女が瞳を閉じる。私は──


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