ゆかりさまとほのぼのしたいだけのじんせいでした 作:織葉 黎旺
「ん……」
左手の感覚がなくなってきたな、と右手をグーパーしながら思った。すると彼女もそれを察したのか、反対側に回って右手を握り直した。あたたかい。私もまだ、あたたかい。
「わざわざ動いてもらってすいません」
「いえいえ、構いませんわ」
そういうと、彼女は右手どころか、右腕に抱きついてきた。絶対に放さない、といいそうなほど強く。ただ、このやわらかさも、あたたかさも、もうそれほど長く続かないであろうことは、ぼんやりとわかってしまっていた。
「怖い?」
いつもみたいに胡散臭く笑う彼女に、いいえ全然、と答えた。
「ああ、でも、私がいなくなったあと、貴女が寂しがらないか心配ですね」
「あら、人が一人いなくなった程度で、私が動揺するとでも?」
「ですよね、それならよかったです」
はあ、と嘆息し彼女は右腕どころか、全身へと抱きつき、「酷い人ね」と一言言った。その声はどう聞いても震えていて、何かを堪えているようで、だから私は、感覚の消えかけた左手を、彼女の頭へと乗せた。上質な金糸のような感触は、まだ味わうことが出来た。
「……ごめん、ごめんね」
「長生きしないと、許しませんわ」
「……努力します」
頭に乗せた手は腰へと回された。深く抱き合う体勢。落ち着くなあ、と目を細めた。彼女の腕の中で逝けるなんて、私は前世でどれだけの德を積んだ幸せ者なんだろう。
「まったく、人間風情がよく頑張ってきたものね」
「好き勝手生きてきただけですよ」
「本当にね。逝く時まで、勝手なんだから」
「紫……」
「でも、そんな貴方が好きでしたわ」
「……照れますね」
「ふふ」
彼女は微笑む。声はもう、震えていない。
「何年も、何十年も一緒にいた気がしますけど――本当にあっという間でした。外にいた頃の時間はあんなに長く感じられたのに、貴女に会ってからは本当に……」
「……ええ」
「貴女からしたら、私以上にあっという間だったでしょうが――」
「いえ――むしろ、とても長かったわ」
彼女はゆっくりと目を瞑る。つられてそうしてみると、思い浮かぶのは二人で過ごした日々だった。色んな思い出が、脳裏上に浮かんでは消えていく。彼女も、同じ景色を夢想しているのだろうか。
「私の日々は、深い眠りと幻想郷の管理――監視、ほとんどその繰り返しでした」
「…………」
「でもある時家族が出来て、友人が増えて、そして貴方が来た。そこからは本当にもう、一日一日が千の秋を越えるかのごとく、長く感じられましたわ」
シクシクと泣いて見せる紫さんに「……いや、流石にそれは嘘でしょう」と返すと、「前半は本当よ」とケロッとした顔で言われた
「貴方にはたくさんの物をもらったわ」
「……私の方こそ、もらってばかりでした」
居場所も、生活も、家族も、愛情も――みんなみんな、彼女がいなければ私にはなかった。迷って落ちて、野垂れ死ぬだけの命だった。目頭が熱くなる。
「それがこんな風に大往生するところまできたんですから――ええ、感謝しかありません」
「あら、泣いてるの?」
「ええ、感謝と感動で」
「そう」
紫さんは目を細めて、優しく私の頭を撫でた。体の震えが止まる。どうやら、私ごときの嘘はお見通しらしかった。
「……もう少しくらい、貴女の隣にいたかった」
「まだいますわ、ここにしっかりと」
「あと一歩だけでも、貴女と共に歩きたかった」
「こうやって共に寝ている方が、私たちらしいと思いますわ」
「それもそうですね」
苦しみはとうに消えた。かわりに眠気が、耐え切れないほどの眠気が目蓋を叩いてくる。永遠の眠りとは言い得て妙で、死っていうのは意外と安らかなものなんだな、とぼんやり思った。運がいいだけだろうか。
「……そろそろ、寝そうです」
「ええ、ゆっくりおやすみなさい」
「……紫さん、幸せになってください」
「……貴方のいない世界で幸せになれ、なんてそんな――」
「…………はっ」
意識が覚醒する。はっきり、明瞭に。私は死んだのだろうか。さてはここは天国? そう思いながらキョロキョロしてみるが、いつも通りの寝室であったし、いつも通り、隣には彼女がいた。寝息も立てず、とても静かに眠っている。そういえば、もう冬眠の季節だったかもしれない。
「夢――か?」
それにしては嫌にリアルだった、と思う。今でもさっきの感覚が残ってるし、感情まで残ってる。
「あー……なんか涙出てきた」
着物の袖口で目元を擦って、傍らに眠る彼女の、錦糸のような手触りの髪を撫でた。――絶対に長生きしよう。そう誓って、布団から這い出すのだった。