「……暗い」
月風陽は暗いどことも知れない場所に佇んでいた。気付けばこうなっていて一体どうやってここに来たのか、何しにここに来たのか……色々覚えてなかった。
「それに……暑い」
空であろう上の方を仰げば真っ暗な天井に月だけが浮かんでいた。だが、月明かりだけの割には妙に暑いと感じていた。
とりあえず歩き始める陽、ここがどこなのかもよく分かってないがとりあえず歩き始めないと何も分からないからだ。
しばらく歩き続けて陽は一つだけ気付いた事がある、この妙な暑さの原因だ。自分の歩いている場所の下から熱が来ている事に気付いたのだ。
「……太陽……?」
そう、下を向けばその存在を主張するように眩しく輝いている太陽がそこにあった。そして、気付けば
「……本当、どうなってるんだここは」
ふと、歩いていた時に足に何かぶつかる様な感覚があった。下を見てなかったのである意味では仕方無かったのだろうと思いながら陽は足にぶつかったものを拾い上げる。それは一本の刀だった。
「……青い刀身……月魅の……?」
青い刀身の刀、それは彼のよく知る人物のものだった。そこでようやく彼は自分の歩いてる場所が『水面』だと気づいた。しかし、どれだけその水面を歩いていても水が靴に染み込む事は無い。それ以前に、水面の下が綺麗に向こうの景色を写し取っていた。
「……俺が持ってるのは月魅の刀、けど水面の向こう側の俺は陽鬼の篭手を持っている。じゃあ……向こうのものは取れるって事かな」
そう言いながら陽は手を伸ばした。本来、水面の向こう側の虚像の世界のものはどう足掻いても取れるはずが無い。そういう能力を持っていなければ……意味が無い、そう彼は考えていたが何故か取れるような気がしていた。
そして、彼の手が水面に触れた瞬間……
「っ……!?」
水面に手を付けた瞬間辺りの景色がぐるぐると回り始める。自分の立っていた水面がいきなり消失して宙を浮いてるかの様な感覚とともに上に黒い空に浮かぶ月が来たり、白い空に浮かぶ太陽が来たりと景色が回転していく。
そうやって回転し続けてる内に陽はとある事に気付いたのだ。
「……太陽と月が……だんだん近付いてる?」
月と太陽、真反対の位置にあったはずの物が回っていく内に段々とその距離を縮めていっている事に気付いた。月と太陽が描く円の直径が段々と短くなっている、という事である。
そして、そうやってしばらく回転していく内に太陽と月が遂にぶつかり合う様な距離まで近付いてくる。ぶつかるのか、それともぶつからないのか。
そう思っていた陽だったがその二つはぶつからずに
「……っ!?」
月と太陽、日食であっても月食であっても同時に姿を見る事の無い二つが今、陽の目の前に存在していて一つとなった。
そんなものは存在しない、月と太陽の二つを同時に拝見する事や月と太陽が一つになるなどという事なんて起こりうるはずが無い事。
矛盾の存在、存在しえないもの。
闇と光でさえも一つとなって全てが混ざっていく光景を彼は目にしていた。
「…………えっと……」
八雲邸、頭が回らない陽だったがすぐに自分のいる場所だけは理解出来た。そして、先程見ていた光景を陽は考え込んでいた。アレが夢だと分かっているがどうにもそう簡単に割り切れないでいたのだ。
「……何なんだよ、あの光景」
部屋を出て、縁側に出る。外は既に暗くなっていた。どうやら夜が更けてしまっている様だ。
しかし、先程まで寝ていた事が原因で今の陽には眠気が特に無かったのだ。寝巻きから着替えていつもの服装に着替える。
幸い、陽の創造する程度の能力は服でも作り出せるのですぐに服の用意は出来た。
「……新月か、月が完全に見えないな」
月の無い夜空を見上げながら陽は溜息を吐く。既に冷え込んでいてかなり寒いが、妙に体温が高いのか陽にとっては心地良い冷気となっていた。
「……ちょっと、歩くか」
縁側を歩いていく陽。既に皆寝ているのか八雲邸には人気が無かった。だが、やる事の無い陽はそれでも歩き続ける。
「……みんな寝てるっぽいな。まぁ当たり前か……」
そう言いながら陽は靴を作り出してそれを履いてから縁側から外へと身を乗り出す。
ただ何をしよう、と考えているつもりは彼には無かったが、ただ外に出て見たかったのである。
「はぁー……こんなに冷え込んでるってのにおかしな話だ、全然体が寒いとは思わない。別に分厚い上着を着込んでる訳じゃ無いんだけどな。」
誰かに聞かせる訳でも無く自嘲気味の笑みで陽は外の森を歩いていく。しかし、どれだけ歩いても紫の能力で隔離されたこの空間だけはどれだけ歩いてもその境界線に触れた瞬間前後逆にされて結局八雲邸に戻ってきてしまう。
そんな空間の壁にいつの間にか触れていたのか陽は真っ直ぐに歩いていたのに八雲邸の前まで戻ってきていた。
「……マヨヒガのところ行ってみるか」
何となく橙の顔を見たくなった陽はマヨヒガに向けて足を運び出す。あの地帯は橙と仲のいい猫で溢れているが寒い事には変わりないだろうという事で密かに何かを差し入れにいこう、と考えていたのだ。彼の能力さえあれば暖かいものの差し入れは可能だからだ。
「……お、いたいた。みんな固まってるな……まるで猫団子だ」
マヨヒガ、そこで陽はある程度橙を探し回っていると、とある大きな物体の中に大量の猫が固まっていた。だいたいこういう時は橙が真ん中にいるのを陽は知っていた。
だからこれ以上寒気が入ってこない様に陽はその物体の立て付けが悪くなっている扉の代わりにカーテンを静かに取り付ける。風が吹いた時に空気が中に入ってきてしまうかもしれないが、猫の暖かさがあれば一瞬の寒さはすぐに無くなるだろうと思っての事だ。
「……おっと、とりあえず紙とペンで書いておくか」
陽は能力で紙とペンを作り出してカーテンが横にスライドすれば開く事を書いた紙を貼り付けたあと陽はすぐにやる事が無くなってしまった為、そのまま八雲邸に戻っていく。
こんなに歩いたのに言うほど疲れない為に未だに眠気が来ないのだ。
「……ん?」
しかし、戻っていく最中で何かに服を引っ張られる感覚があったので後ろを振り向く。
そこには━━━
「にゃー……」
「……橙か、起こしちゃったか?」
寝ぼけ眼で目を擦る橙であった。
陽は少しだけ驚いてしまったが服を引っ張っているのが橙だと分かると頭を撫でながら顎も撫でる。
それが気持ちいいのか橙は耳をピコピコさせながら目を瞑っていた。
「よいしょっ、と……ほら、猫達のところに戻ろうか。お前がいなかったら心配するだろうしな」
橙を抱っこして陽はマヨヒガに脚を向け直す。橙は嫌がる事も無く、むしろ陽に抱きついていたが陽は何故自分についてきたのがよく分かってなかった。
マタタビの匂いでも知らない間に付いていたのかと考えていた。
「ほら、ちゃんとここで寝とけ……って、お?」
陽が橙達のところに戻ると、橙だけではなく他の猫達も陽に群がってくる。何故こうなってるのか陽は全く分からないまま押し倒されていた。
「……えっと、橙?」
仰向けになった陽の上に橙が丸まって乗っかっていた。そして、それに
「……まるで猫人間だなこりゃ。いや、猫団子人間か……」
何故橙達が群がるのか、陽にはよく分からなかったが橙の寝顔を見てたらどうでも良くなってきたのだ。
軽く溜息を吐いた後、陽も折角だからこの動物達の暖かさに触れながら眠ろうと目を瞑った。だが━━━
「……熱い、眠れねぇ」
元々白い息が出る程冷え込んでいたのに、薄い服を着ているだけなのに寒さを全然感じない程体温が高くなっていた事。これにより猫達が暖かい方へと寄っていった為に群がった事。そのせいで更に陽の体温が上がり続けていっている事。
これらの要因のせいで陽の体はすっかり熱で火照っていた。元々眠気が無かったのに熱気のせいで更に寝づらくなっているせいで陽はひたすら天井を眺めるハメになっていたのだった。
「んー……あたたかいでしゅう……あ! おはよーございます!」
「あ、あぁ……おはよう……とりあえず猫達どかしてくれないかな……熱いし動くに動けない……」
朝、陽は固まりに固まった猫達に既に疲労が溜まっていた。朝になるまで彼はずっと寝ていなかったのだ。当然だ、全く寝れない時であり体温が高いタイミングで毛が濃い猫達に身体中にくっつかれたのだ。既に彼の体は汗だくで服に汗が染み付いていた。
「あれ? 暖かくなかったですか?」
「いや、暖かかったけど……寧ろ高温過ぎたというか……」
陽はこの服をどうするか悩んでいた。未だに体の体温は下がらない。汗を掻いているというのに未だに彼はこの寒さに全く寒さを感じていなかった。
「……ま、とりあえず俺は紫達のところに戻るよ。橙もあまり無理をして風邪をひかない様にな」
そう言って陽は毛糸の腹巻の様なものを大量に作り出す。陽なりの寒がりな猫達へのプレゼントと言ったところである。
「ちゃんとそれ付けとけよ~まだマシになるはずだからな」
「分かりました! 気を付けて帰って下さいね!」
そう言って陽は橙達のところから離れる。汗だくになった服をどうするかを考えながら彼は帰路についた。
「……太陽、眩しいな」
ふと、天を仰ぎみる陽。そこには綺麗な青空に自己主張をするかの様に輝いている太陽があった。
『まだ普通』と陽は思っていた。何故か無性に夢の光景が彼の脳裏にこびり付いているせいで、いつあんな風景になるかもしれないと変な心配をする様になってしまっていた。
「……あれ、まだ誰も起きてないのか?」
屋敷に着いてから未だ誰の気配も感じさせない状態に彼はそう思ったが、流石に太陽がその姿の全てを晒してしまっているのだから少なくとも藍だけは起きている筈だろうと思ったので、一応屋敷内を探し回る事に決めたのだ。
「……いないな、みんなどこに行ったんだ? 置き手紙みたいなのも見当たらなかったし……」
そうして暫く歩いていると誰かが玄関から上がってくる音が聞こえてくる。もしかして入れ違いで出掛けてしまっていたのだろうかと思った陽はそのまま玄関に向かった。
「あ! 陽どこに行ってたのさ今まで!!」
「あー……ちょっと夜に散歩に行ってて……そしたら橙率いる猫達に何故か群がられてなかなか帰れなくて……ってどうした?」
「……何か陽に触ってるとスゴく暖かい、移動式の炬燵みたい」
陽に抱き付いている陽鬼は彼の体温が何故か暖かいのが気になったが、そんな事は暖かさの前で彼方へと消えていってしまい、橙の猫達の様に抱き付いていた。
「炬燵って……うぉっと?」
「マスター……暖かいです…………」
いつの間に後ろにいたのか月魅が陽の背中に掴まっていて陽鬼と同じ様になっていた。困惑している陽だが、正直陽鬼が腰に掴まっているせいで足を動かせないので玄関でじっとしているしかなくなってしまったのだ。
「……これ、どうしよう……っと? 今度は紫か……」
「しょうがないじゃない暖かいんだから……ちょっと汗臭さと獣臭さがあるけどもうこの際気にしてられないわ……外寒過ぎるんですもの……」
遂には紫まで抱き付いてしまったのでもうこれ以上体を動かせなくなってしまったのだ。そして、すぐ側に藍がいたが彼女だけ抱き付いてこなかったのだ。なぜかと思いよくよく考えてみると、彼女はイヌ科である狐、九尾なので恐らく寒さには強いんだろうと思う事にしたのだった。
「……なぜ、そんなに体温が高いのに体に不調を来たしてないんだ? この寒さを感じないくらいには 体温が高くなっているんだろう?」
陽の体について藍が質問をする。しかし、なぜ風邪をひいている訳でも無いのに体温が高いかなんて自分でもよく分かっていないのだ。
「いや、俺にも分からない……汗掻いたのだって晩に橙の所の猫達にひっつかれて熱かったからだし……」
「……永遠亭に行ってみたらどうだ? また行くのも少し億劫になるかもしれないが」
藍に提案された事を少しだけ陽は頭の中で考える。確かに、永遠亭に行けばこの異状も分かるかもしれないからだ。
ならば、拒否する理由も無いので陽は行く事にしたのだった。
だが、紫達が暖房がいなくなるからという理由で少し渋ったのはあとの話。
何時間も顔以外のところに猫が密集してたらそりゃ寝れませんね。