コードギアス Encore   作:騒樫無音

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2_Recusal

『はじめまして、ですね、ナナリー。僕に一体何の用でしょうか。僕はもう君に興味がないんですが』

 

 

 

 Recusal

 

 

 

「おはよう、ナナリー。よく眠れたか」

 

 差し込む朝日は暖かく、部屋にはコーヒーの香りが漂っていた。

 身体を起こしてみると、薄手の寝衣が汗でじっとりと張り付く不快感が際立つ。顔はべとつくし、頭が重い。

 朧気に映る寝室は昨日までと同じだが、その中に昨日までと違う人影が1つ。

 

「……C.C.さん」

 

「言いたいことは色々とあるだろうが、まずはシャワーを浴びてくるんだな。ひどい顔だ」

 

 ベッドから這うようにして出て、蹌踉めきながらも立ち上がる。

 世界を遠ざけるように弱った視力と不自由な両足には嫌気が差すが、身から出た錆、誰に恨み言を言うこともできない。

 壁を背に優雅にコーヒーを楽しんでいたらしいC.C.は、やはり上は男物のシャツ1枚、下は下着だけの状態だった。

 はしたないから控えて欲しい、きちんとした寝衣の方がリラックスして眠れるはずだとナナリーが再三訴えても無視をして、結局ナナリーが根負けする形で押し通してしまったのだが、案の定、朝起きてすぐに着替えるということはなかったらしい。

 

「では、少し失礼しますが……」

 

「分かっている。早く行って来い。勝手に出て行ったりしないし、聞きたいこともちゃんと教えてやるから」

 

 シャワールームまで重い体を引きずり、汗で透けた寝衣を脱ぎ捨てた。

 勢い良く飛び出したシャワーに身を晒し、あまりの冷たさに心臓が止まるかのような錯覚を覚えながら、寝乱れ髪をかき上げる。どこか熱に浮かされたような感覚で、体がだるい。流れ落ちる水流で全身の汗を洗い落とすうちに不快感はなくなったものの、未だ頭は重く考えもまとまらない。

 

――これが私のギアス。

 

 無意識のうちに押さえていた左目。

 ギアス。

 その力を手にする誰もが幸福を求めて、しかしあまりにも多くの不幸を生み出した人の身には過ぎたる王の力。

 昨日まで光を失っていくだけだった左目には、ジクジクと疼く様な熱と確かな力を感じる。

 今の自分の中にある昨日まではなかった何かと、それを使うことができるという確信がある。

 

「……これでお揃いですね、お兄様。私たちは兄妹揃ってどうしようもない嘘つきで、殺戮者で、人の道を踏み外した外道です」

 

 左目の熱がそのまま溶け出したかのように興奮で震える声で、地下で眠る兄に話しかける。

 昨夜、力を与えられたと同時に発動条件は理解した。C.C.のシャワーが済むのを待つことすら惜しく、速やかに眠りについたのはそのためである。睡眠を鍵とする発動条件は兄のそれと比べれば随分と内向的なものにも思えるが不満はない。仮に兄と同じ力を得ていたとしても、それでは無用の長物となったに違いない。わずか一夜、たった一度の使用をもって、ナナリーは手に入れた力を自分にこそふさわしいものと自負している。

 生者に命じて叶える願いなどあるものか。この嘆きと喪失感を誰が鎮めることができよう。

 

「さあ……やり直しましょう」

 

 なるほどたしかに、この力は異常だ。常識も道理も捻じ曲げて壊してしまう。崩してしまう。

 垂れ落ちる水滴に構わず鏡の前に移り、額を押し付けるように顔を近づけた。

 現実を遠ざけて濁った右目、異なる理に輝く左目、弧を描いて吊り上がった口元。

 思い描いたとおりのおぞましい顔の女が、早く早くと夜を待ち望んで覗き込んでいる。

 

 

 ナナリーにとって、賑やかとは言わないまでも誰かと囲む食卓というのは、随分と懐かしいものに思われた。

 C.C.にはナナリーの服を着させている。少なくとも魔女が身につけていた着古した衣服よりは着心地は良いはずとの気配りから提案したのだが、10年間という月日、美しく華々しく実った元皇女の成長が、胸元の生地の余り具合という形で如実に明らかになっていた。

 無駄に余った脂肪、そのうち垂れるから覚悟しておけ、いらぬところでマリアンヌに似て私は悲しいよなどと口を尖らせる様子は、外見相応に少女らしい。

 まさか永遠の魔女がこんな顔をするなんて。

 思わず口角を上げるナナリーにますますへそを曲げた魔女が勢い良く椅子に腰掛けてそっぽを向いてしまったので、それを宥めること数分。給仕が次々と運び込む料理にはしっかりと目が行くようで、ピザはないのかとの催促が出る頃にはすっかり元通りの魔女だ。

 またのお楽しみにしてくださいと微笑んで、日本式に則って食前に手を合わせ、2人揃っての朝食。

 温かい食事が恋しいとは思わなくなって久しくとも、今日の食卓は暖かい。

 

「太るぞ」

 

「ご心配なく」

 

 病に臥せってからはおよそ考えられなかったほどの空腹感に任せて、料理に手を付けていった。目を丸くする魔女には気付いていたし、給仕の者達もさぞ驚いたことだろう。

 食後、テラスに出て、こちらはナナリーが手ずから用意したお茶をC.C.に振る舞うと、彼女は懐かしげに目を細めた。聞けば、所作がどこか兄に似ているという。単純なもので、たったそれだけのことでも、年に見合わぬほど頬に朱が差す。

 おかわりは、と尋ねても魔女が首を横に振るようになったので、自分の分も空にして、ナナリーは庭に目を向ける。ぼやけた視界に滲むように映る庭園。空と木々の境目を白く細い指でなぞっていく。

 昨夜の夢と同じ庭だった。そっくりそのままとはいかないが、美しい庭園を夢の中に取り込んでいたように思える。

 かつてこの場所で、幼い少女が走り回り、陽光に目を細め、色とりどりに咲き誇る花を愛でた。

 そばにはいつも優しい兄がいて、少女のそれより濃く澄んだ紫色の双眸で、彼女がどこに行こうとも追いかけてくれた。走り回る勢いそのままに飛び込んだ兄の体は、少女より幾分かは大きかったけれど、未だ少年と呼ぶには幼く、華奢で暖かかったことが思い出される。

 懐かしい記憶。愛おしい記憶。

 2人きりの兄妹の記憶。

 

「でも……私が知らないところで、お兄様には弟ができていたのですよね」

 

「ほう。会ったのか、あいつと」

 

 首肯すると、魔女は意外だなと呟いた。ナナリーもまた同じ気持ちだ。

 ロロ・ランペルージを、彼女はまだよく知らない。ナナリー・ランペルージが抜けた空白を埋めた偽りの存在は、ナナリーのためだったはずの何もかもを手に入れて、そのまま返してくれることなく動乱の闇に消えてしまった。

 

「知らなくてもよい方だと……知らないままの方がよい方だと思ってきました」

 

 思って、思い込ませて、考えないようにしてきた。

 ゼロレクイエムの後、エリア11の総督として過ごした間の『ナナリー』が過ごせなかった空白の日々を埋めたいという気持ちは、狂おしいほどに強く胸を焼き、その焦りは喪失感を何倍にも膨らませていた。

 そんな中で招いたミレイやリヴァルが語ってくれたルルーシュとロロの仲の良い兄弟としての姿や、見せてくれた生徒会の日々の活動の写真は、ひどくナナリーを傷つけていた。兄を失ったナナリーに少しでも思い出をくれるために彼らが良かれと思ってそうしてくれていたことは、彼女自身も今となっては理解しているし、感謝もしている。

 しかし、ルルーシュに自分の代わりとなる存在がいたこと、本来一身に受けられるはずだった愛が自分以外の誰かに注がれたことは、弱りきっていたナナリーをさらにひどく打ちのめした。

 

「嫉妬していましたし、恨んでいました。――いいえ、もしかしたらそれ以上に恐れていたのかもしれません。知りたくもなかったというのが本音です」

 

 10年前に見上げた真昼の花火を思い出す。

 それは兄が願った、脆くて鮮やかな日々。きっと誰もが帰りたかったはずの賑やかな日常。揃うべき者たちが何人も欠けたあの花火で満足してはいけないとナナリーは思う。

 届かないかもしれない場所にもう一度手を伸ばそうとしていた兄に代わって、今度こそ取り戻せばいい。それができるだけの力は与えられたのだから、嘆きだけを抱く必要はもうない。

 

「それでも、お兄様が望まれるなら、私が……」

 

 空になったカップをソーサーに戻すことなく手の内で弄びながら、C.C.はカップの底に僅かに残った水滴を追っているようだ。あの兄にしてこの妹ありか、と呟く声が聞こえた気もするがナナリーは無視することにした。朝の陽光を弾いて輝く鮮やかな髪は若草よりも眩しく、この姿を見て誰が彼女を魔女と呼ぶだろうとあらぬことが頭に浮かぶ。

 

「坊やもそうだったな。私が会いに行った頃には、自分ひとりで実験まで重ねていて何とも可愛げがなかった」

 

「お兄様ですから、当然です」

 

「よくできた兄妹で、お似合いだよ、お前らは。さて、聞きたいことがあれば教えてやるとは言ったが、必要はなさそうか?」

 

 愉快そうな魔女に対して、ナナリーは首を横に振る。

 言葉にしながら改めて思考を整理して、ロロに対する感情が言葉にできるほどに落ち着いていることは分かった。未だ燻ったままの思いには、大事の前の小事と蓋をせねばならない。協力を仰げるならば素直に頼るべきだろうと考えて、口を開く。

 

「今夜、もう一度ロロさんと会おうと思います。いいえ、必要なら何度でもそうします。ですが、少し困っていることがあって……」

 

「相談してみろ、優しい優しいこのお義姉様に」

 

「あの方も私のこと嫌いなんです」

 

 今度こそ、魔女が声を上げて笑った。ナナリーにとっては切実かつ危急の真摯な懸念事項だというのに、失礼極まりない。

 冷ややかな視線を物ともせずたっぷりと笑った後、カップをソーサーに戻して立ち上がったC.C.は、軽やかに手すりを乗り越えて庭の芝生に降り立った。くるりくるりと踊るように数歩進んでから振り返り、未だテラスから不満げに見下ろす女に向かって片手で銃を形作る。

 

「お前もロロも必死になりすぎているんだよ。欲しいものは2人で1つ。だからといって、それは奪い合うものか? 私たちが愛する男は不器用だが、その実、強欲な男だ。お前もいい女になりたいなら、男の我儘に目を瞑ってやれ」

 

 夕食までには帰るからピザを用意しておいてくれ、と締まらない捨て台詞を残して、魔女は庭園を横切ってやがて木陰に消えていった。ピザを求めてか、あるいは炭酸飲料の味でも恋しくなったか、街に出ていくつもりなのだろうが、理由はそんなところだろうと当たりをつける。

 ため息を付いて、ナナリーは手元の鈴を鳴らした。すぐに現れた使用人に茶器の片付けを頼み、自らは着替えてから散歩に出る旨を伝える。付き添いには旧知の従者を指名し、部屋で身支度を整えて玄関口に降りた頃にはメイド服の女が丁寧にお辞儀をして待機していた。

 

「おはようございます、ナナリー様」

 

「おはようございます、咲世子さん。よろしくおねがいしますね」

 

 杖を突きながらの歩みは遅いが、柔らかい日差しと冷たい風が心地よい。疲れ果てて夢も見ないほどに熟睡してしまっては元も子もないが、適度な疲労は溜めておきたかった。そして、あくまでこちらはついでだが、やはり朝食を取りすぎたようにも思うので、余計なお肉が付かないようにもしておきたいと思う。魔女が羨む体型も、その維持は楽ではないのだ。

 アリエスの庭園は一息に歩くにはやや広すぎる。途中、休憩を取ることにした四阿で、ナナリーは咲世子にC.C.が出かけたことを話し、咲世子からは、不躾にも夜半に訪れた魔女を招き入れたのは咲世子だったとの事後報告を受けた。

 身体に引きずられて心まで病み始めたとあって、さぞ彼女には心配をかけていたことだろう。他人の心に触れることができるにも関わらず、気を配る余裕はまったくなかった。

 

「咲世子さん、ありがとうございます」

 

 咲世子の手を両手で包み込む。僅かに戸惑った様子だったが、咲世子もまた屈んで目線を合わせ、空いている手を重ね返してくれた。鍛えているはずなのに柔らかさを損なわない手の感触が、10年前と変わらず優しい。

 違うのは、成長したナナリーには咲世子の手を十分に包んであげることができるようになったこと。生真面目な彼女は、ふっと姿を表した気ままな浮浪者を主の許可なく通した罪悪感を感じていたのかもしれないが、いらぬ心配だ。

 

「本日はお身体の調子も良いようです。もう半分、頑張りましょう」

 

 咲世子には、今のナナリーが活力に溢れているように見えるのだろうか。

 瞳の奥で澱むこの凝りがはたしてそんな前向きなものなのかどうか、ナナリーには分からない。左目から広がって全身を高揚させるこの熱も、身体機能に作用してはいないはず。病んだ体は病んだままだ。

 

「咲世子さん、昔、私に折り紙を教えてくださったことがありましたね。願い事が叶うという……ええと」

 

「千羽鶴ですね。ナナリー様はとても丁寧でお上手でしたから、教えがいがありました」

 

 当時、不在がちで帰りが遅くなることも多かったルルーシュに寂しさを感じて、何か2人で時間を共有できるものがないかと咲世子に相談したのだった。たった1枚の紙から様々な形の物が出来上がるというのが、とても不思議で楽しかったことを覚えている。

 試みは大成功で、兄と楽しい時間を過ごすことができた。何でも知っているルルーシュにナナリーが何かを教えてあげるということも新鮮だったし、折り紙を折っている間はずっとそばに居てくれるというのがよかった。

 器用な兄にしては意外にも度々折り方が分からないと言ってナナリーに尋ねてきていたのだが、今になって思えば気を遣い過ぎるくらいの気遣いだったに違いない。無論、当時のナナリーはそんなことには気付きもせずに、嬉々として広いテーブルでルルーシュの隣に陣取って、文字通り兄の手に自分の手を重ねて折り方を指導していた。

 そして、気恥ずかしくも幸せな2人の記憶に、千羽鶴は欠かせない。

 

「そう、千羽鶴です。千羽も折るのは大変なことでしょうけど、私また始めてみたいのです。咲世子さんさえよければ、また教えていただけませんか?」

 

「な、ナナリー様っ!」

 

 両手を包む暖かさにきゅっと力が込められた。見れば、咲世子は感極まったと言わんばかりに涙を浮かべている。驚いて手を引っ込めようとしたナナリーを逃がすまいと、咲世子の手が痛いほどの力で捕まえて離さない。

 

「弱気になってはいけません! ナナリー様のご病気は難しいものではあっても、まだ治らないと決まったわけでは!」

 

「え、え?」

 

「病は気からという言葉がございます。お気をしっかりとお持ちください。ナナリー様がそのようなご様子では、私は陛下に合わせる顔がありません」

 

 そういえば、とはたと思い出す。

 千羽鶴には快気祈願や生きたいという願いを込める風習があるのだった。ナナリーの現状を考えればあながち間違ってはいないのだが勘違いだ。朝の散歩で生きる死ぬの話をするほど間近に感じてはいないし、理由ができた今では引き伸ばす必要すらある。

 

「あの、咲世子さん。私は千羽鶴にお願い事をしたいんです。私の病も今日明日でどうこうというものではありませんし、ね?」

 

「……申し訳ありません。取り乱しました。」

 

 それからしばらくナナリーの新しい願い事の話をして休憩は終わりとし、2人はまたゆっくりとした足取りで棲家へと戻っていく。穏やかな時間は10年前にもあった散歩の時間を思い出させるが、お気に入りだった学園の散歩道はもう少し短かった。

 

「咲世子さん、夕食はピザにしていただけますか? うんと大きいのがいいと思います」

 

「かしこまりました。ですが、今頃街で十分に召し上がっているのでは?」

 

「昼、夜と続いても、文句を言うどころか大喜びしてくださると思います。ああ、それと」

 

 頬を緩ませた咲世子に、折り紙を早速用意してほしいと合わせて頼んでおく。

 在任中に文化等のレベルで日本との積極的な交流が見られたおかげで、今のブリタニアでは折り紙の入手もそれほど難しくない。早ければ今夜からでも取り組めるはずなので、夜の楽しみがまた1つ。

 汗を流しながらも懸命に、そして楽しげに歩くナナリーを、咲世子もまた微笑んで見守っていた。

 

 

「話してやってもよかったと私は思うがな」

 

「もちろん、咲世子さんは最も信頼のおける方の1人です。ですが、私のギアスをどう説明せよと?」

 

 ベッドに飛び込んだC.C.は、夕食でも巨大ピザにありつけたとあって上機嫌だった。そのままゴロゴロと転がって端から端まで行ったり来たりを繰り返しながら、どこから持ってきたのか黄色の巨大なぬいぐるみを抱え込んでいる。

 

「昨日の夜、ロロさんと話しました。今夜も話します。大丈夫、きっと説得しますから――まあ、なんてひどい世迷い言ですこと。いよいよ気が触れたと思われてしまいます。ただでさえ、咲世子さんはナーバスになっている様子なのに」

 

「あれはそんな神経の細い女じゃない。ただの天然だ」

 

 なんでもチーズ君なる名前のキャラクターらしいのだが、ナナリーにはまるで馴染みがない。お前にもやろう、と手のひらサイズの小さな人形を土産に手渡されたが、いまいちナナリーの琴線には触れなかった。

 昼食、夕食とピザに溺れたような身体で、使用人たちが完璧な仕事をして整えたベッドを荒らさないでもらいたいものだが、眉をひそめるに留める。C.C.様のご機嫌取りには陛下もたいそうご苦労されていました、とは咲世子の弁で、ルルーシュを通じて繋がった2人の関係が親しかったことを伺わせたのだが、彼女が柔和な表情で話しながらも、その眉尻を下げていたことをナナリーは見逃していなかった。

 

「昨夜、お義姉様から私もギアスをいただきました。私のギアスは、死んだ人を使って過去を捻じ曲げるギアスです――ほら、簡単じゃないか。小難しく考えるなよ。坊やのように眉間に皺を寄せ続けるつもりか?」

 

「そこまで都合のいいものでもないことはあなたも分かっているでしょう」

 

 ギアスについて、ルルーシュから最低限の知識は与えられているであろう咲世子に話すことに支障はなく、信を置いてもいるが、兄のそれと比べてナナリーのギアスは実証が難しく、些か以上に突飛だった。

 死人を使う。過去を捻じ曲げる。

 荒唐無稽にも程があり、一笑に付されても致し方ないような話に思える。

 

「お前が手に入れた力は、私が知るかぎりでもなかなか特殊だ。そういうところも、マリアンヌ譲りと言えるかもしれないな。とはいえ、お前自身の素養がなければまるで意味をなさないものとして終わるだけだったが」

 

「……お母様の話も、あまり聞きたいものではなくなってしまいましたね。私の知るお母様は優しくてお美しい方でしたし、閃光のマリアンヌの逸話には今でも胸が高鳴りますけれど」

 

 父と母が、存在さえ知らなかった叔父が、そして目の前の魔女が叶えようとし、兄が否定して阻んだその願い。世界が至る新たな姿を理想とする父母らの気持ちを理解できないナナリーではなかった。むしろ、その場に立ち会ったのがルルーシュではなく自分であったなら、受け入れてしまったのではないかとすらナナリーは考えている。

 だからこそ、あまり聞きたくないのだ。自らの容貌が母のそれに次第に近づきつつあることさえ、誇らしくも忌まわしい。

 

「それにしても、『死人を使う』なんて言い回しはやめていただきたいですね。ネクロマンサーじゃないんですから」

 

「似たようなものだと私は思うが。死者を縛り付ける行為に違いはなかろう?」

 

 断じて違う。ナナリーは憤慨した。

 ナナリーには、手に入れたギアスを使って死者を玩弄する意思など欠片もない。双方合意の上でその力を行使すると決意しているし、ナナリー自身も望む結果――この表現が正しいかは別として、過去を得られないようではそもそも意味がない。そのための条件として、当然ながら対象は選別するが、その先は互いに自由意志で交渉するだけだ。

 嫌な笑いを浮かべる魔女にはせめてもの抵抗として抗議の視線を送ったが、通じないのは百も承知。実力行使とばかりに、ベッドの端まで転がってきた彼女をそのまま引きずり落として、代わりに自らがその場所に上がり、柔らかいシーツに身を委ねる。床に落ちた拍子に上がった無様な声で良しとしようと決め、抗議の声を遮るように口を開いた。

 

「どうぞ、C.C.さん、ご退室を。私はもう休みます。時間を有意義に使いたいので」

 

「……ナナリー、覚えておけよ。いつかお前も同じ目に合わせてやろう」

 

「そうですか、結構です。シャワーをきちんと浴びてから休んでくださいね、ニオイ移りが心配ですから」

 

 おやすみなさい、と打ち切ってシーツを頭の上まで引き上げて意思表示をする。ガミガミと抗議の声が一頻り文句を並べ立てた後、足音が部屋の出口の方へ向かい、灯りが落とされたのをナナリーはシーツ越しに透かし見た。

 

「私、がんばりますね。C.C.さん」

 

「……ああ。仲良くしろとは言わんが、少し冷静になって向き合ってみろ。ロロもお前とそれほど変わらない。アイツの事が好きすぎるだけだ。おやすみ、ナナリー」

 

「はい、おやすみなさい」

 

 たしかに、仲良くはできないだろう。

 血の繋がった本物の妹と血の繋がらない偽物の弟。肩書だけなら間違いなく優位のはずの自らの妬心は、しかしあまりにも抑えがたい。自覚があっても如何ともし難いのが愛憎の情であって、自らの内にあるそれに振り回されることを苦痛とは思わない。あまりにも甘美で鮮やかな毒だった。

 

 

 目を開けたとき、そこに天蓋はなかった。

 それどころか、ナナリーは横になってすらいない。赤色の豪奢な衣装を身にまとい、杖を必要とすることもなく、その両足でしっかりと立っている。

 目の前には美しく整えられ、濃淡様々な草木と様々な色合いの花々に彩られた庭園。立っているのは今朝方に休憩場所として利用した四阿であり、眼前に広がる景色は今は僅かともぼやけてはいない。はっきりと細部まで見通すことができる。庭園の末端、遠くにありえないものが見えた。

 アッシュフォード学園と、併設されたクラブハウス。

 それらはブリタニアから遠く日本がエリア11であった頃に存在し、そして数年前に取り壊されたはずの建物だった。かつて過ごした学び舎は遠目でも一目見ただけでそれと分かる。

 熱いため息が漏れた。ここは、思い出深い好きな場所だけを寄せ集めた都合のいい箱庭なのだ。

 

「随分と遅いご到着じゃないですか。人をこんなところに閉じ込めておいて」

 

 振り返らずとも分かる冷たい声だった。

 会話を言葉のキャッチボールと言い表すことがあるが、これではボールですらないとナナリーは思う。

 

――差し詰め、投げナイフといったところでしょうか。

  暗殺者にはふさわしいでしょう。

 

 やはり、この男と同席し、対話までせねばならないというのはあまりに気が重い。

 振り向けば、1人の少年がベンチに腰掛けてカップを片手に紅茶を楽しんでいた。

 薄い茶色のふわふわと柔らかそうな髪の毛は短いが、整った顔立ちや全身の線の細さと相まってどこか少女的な印象さえ与える。

 

「連日、皇女殿下のお目にかかれるとは恐悦至極の次第ですが、やれやれ、望まぬ拝謁に僕はどのように喜びを歌い上げましょうか」

 

「私は、つまらない詰り合いに時間を使うつもりはありませんよ、ロロさん」

 

 茶菓子に伸ばしていた手を止めて少年、ロロがナナリーを視界に入れた。

 冷たく無感情なその視線を受け止めて、ナナリーも睨み返す。10歳も年下の少年を相手に採る対応として適切かどうかは、人目のないこの場においては棚に上げ、再び余分な罵倒が始まる前に口を開いた。

 

「前向きな話をしましょう。私とあなたにしかできないことの話を」

 

「死人を叩き起こして、何の世迷言ですか」

 

 小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、少年が肩をすくめたが無視する。挑発のためだけのポーズに構うつもりは毛頭ない。

 

「私は、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを取り戻します」

 

「はい?」

 

「ロロさん、あなたにはその手伝いをしてもらいます。拒否は許しません。あなたが本当にお兄様の弟でありたいと願うのなら、私の手を取る以外の道はありません」

 

 困惑した様子のロロに、手を差し伸べる。視線に込められた不信の色合いが一層濃くなった。

 構図は、昨夜のC.C.とナナリーのそれに近い。

 しかし、ナナリーは契約を持ちかけるつもりはない。絶対遵守の力は持たずとも、その身に流れるのは王の血筋。悠然と高らかに下賜するのみである。

 

「ナナリー・ヴィ・ブリタニアが許します。あなたに世界を変える選択を」

 

 

 

 

 

 




メインタイトルに「コードギアス」を追加しました。
タグについては、まだ不慣れなので、適宜修正すると思います。

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