紅葉が沢木と別れてから、三十分ぐらい経ったところで迎えがやってきた。その迎えとは当たり前だが紅葉を知っている生徒なのだが、彼自身がすぐには思い出せないでいた。
「や、久しぶりだね。阿僧祇くん」
迎えに来た生徒の名前は
そう紅葉は記憶している。だから明るく呼びかけられた時、紅葉は最初、誰だかわからなかった。
「…………?」
「ちょっと! 忘れてるとか酷いなあ。歌倉宗一郎だよ!」
「あ、ああ。歌倉……先輩でしたか。あー、確か……に?」
言われてハッとするもまた首を傾げる。さらには顎に手を当てどこかの探偵じみたように考えるポーズになっていた。
「なんでまだ疑ってるの?!」
「いやだって、そんな明るい性格してました?」
紅葉は頭の中で二年前の記憶と今の宗一郎を重ねていた。身長や顔付きが少し成長しているが彼が歌倉宗一郎というのは理解できる。しかし、この明るい物言いはまったく一致していなかった。
「そういう事ね。確かに一年生の時は暗かった自覚はあるけど、色々あったんだよ。変わりもするさ」
「あー、そこら辺は会長とか会頭から聞いてますよ。大変だったみたいですね」
色々とは、一高襲撃事件やら横浜事変など去年あずさや服部、宗一郎が二年生の時に起きた出来事を言っている。紅葉があずさ達からその話を聞いた時は一年間にしては濃密すぎやしないかと思ったほどだ。
「あの大変さ、キミにも味わってほしかったよ。……ここじゃなんだから歩こっか」
特に行き先は言わずに歩き出した宗一郎を追って紅葉はようやく講堂から離れることができた。そして紅葉が隣にきたところを見計らって会話が再開する。
「でも、キミの方が大変だったんじゃない? 九校戦後に入院したって聞いてたのに、二学期が始まった時に休学になったって聞いてビックリしたんだよ」
「あー(そういえば学校には
不意に休学するまでの話になったが、元級友に会えばその話になるのはわかっていた。だから紅葉は嘘をつく。入院していたのは事実だが、入院に至るまでの経緯はとても話せるものではない。
「そういうことだったんだ。完治したんだよね?」
「もちろん。治ってなきゃ復学出来ませんって(完治はしてないけどなー)」
笑いながら問題なし元気ですアピールをするが、心の中ではぼやいてしまう。自分の身に
「それもそうか。良かった」
しかしながら、宗一郎の嘘をつかれているなんていっぺんも思っていない笑顔に罪悪感から顔を背けたくなった。というか、背けようとした。
「ところで阿僧祇くん」
しかし改めて呼びかけられてしまい、背けることもできず
「なんです?」
無視することもできないので聞き返すしかない。
「その敬語やめない?」
「……今更ですね」
紅葉は数瞬止まる。宗一郎が迎えに来てからそこそこ時間が経っているのだから本当に今更な話題をふられては止まってしまうのも仕方がないだろう。
「いや、だって、キミから敬語で話されるとか違和感しかないし」
「いままで違和感なく喋ってたじゃねーっ……話してたじゃないですか」
思わず素のツッコミをしかける。途中で言い直したが、その慌てた様子を笑って見られたので恥ずかしさを紛らわせる為に睨み返していた。
「キミが勝手に自爆しかけたんじゃないか。ほら、敬語のままだと話しづらくない?」
昔ならこの睨みだけで黙らす事が出来たのにな、と思いながら隠すことでもないかと紅葉は敬語を続ける理由を話すことにした。
「一年生に留年してること言う気がないんですよ。わかるとは思いますけど、一年生初期ってプライドガッチガチな連中が多いじゃないですか。そんな連中に余計な情報与えて肩身狭くなるのは勘弁なんですよ」
一年、さらに一科生だとエリート思考が強いためかプライドがやたら高い生徒が多い。そこに理由がなんであろうと留年しているなんて言えば誹謗中傷ややっかみを受けるのは容易に想像がつく。そうなってしまうと悪目立ちしてしまい自由に行動できなくなってしまう可能性があった。だから少なくても今の三年生が卒業するまでは留年していることを言わないと決めていた。
「そんな訳で楽しい高校生生活をおくるために、しばらくは敬語を続けさせてもらいますよ、先輩」
「そういう理由なら仕方がないかな。キミから先輩呼びされるとか薄気味悪いけど」
「気味悪いとか酷いですねー。ところで、いい加減どこに向かってるか教えてくれませんか?」
雑談をしながら歩き続けているが時間はだいぶ経過している。沢木に捕まって待っていた時間を合わせると入学式が終わってから一時間も経っていることになる。
「んー、教えたいのは山々なんだけど、まだ連絡がこなくてね」
「なにを企んでるんです?」
「人聞きが悪いね。悪い事じゃないのは確かだよ。ま、もう少しつき合ってよ。なんだったら座ろうか」
「宛もなく歩くよりはいいですね」
「歩き回らせて悪かったって。飲み物奢ってあげるから」
「あざーっす」
飲み物を買い適当なベンチに腰を下ろした二人はプルタブを開けてひと飲みする。宗一郎はひと息つき、紅葉はふた飲み目を仰いだ。
「そういえば今年は七草と七宝が同学年なんだよね。一悶着ありそうかな?」
「ぶっ、ゲホッケホッ」
そんなところで予期せぬ事を言われて吹き出してしまう。
「ああ、ごめん。大丈夫?」
「たく、いきなり不吉なこと言わないでくださいよ。そいつらと同じクラスになる確率が高いんですから」
宗一郎は謝りながらもは楽しそうに、他人事のように笑っていた。
七草と七宝の間に確執があるのは魔法に関わっていれば耳にしたことはあるぐらいに有名である。特に家が
一学年のクラスは一科生四クラス、二科生四クラスの計八クラス体制になる。三人とも一科生であるため四クラスで分かれるとなると、七草も七宝もいないクラスは一つだけ。回避する方が難しいだろう。
「しかし、同じになるなら七草の方がいいですかね」
「女の子だから?」
「そういうことです」
口にはしないが、紅葉にはもう一つ理由がある。
七宝家は、七草家との確執の対抗心で十師族への執着が強い。その家の息子ともなれば、影響を受けてない訳がない。実際、答辞で『常に上を目指し』と言っていたのを紅葉は覚えていた。普通なら向上心がある言葉として受け取る事ができる。しかし、確執理由を知っている彼としては、『上しか見ていない』と聞き取っていた。彼が穿った見方をしているのかもしれないが、七宝とは馬が合わないだろうなと思ったのが同じクラスになりたくない理由でもあった。
「七草と言えば、七草先輩だけど、あの人と性格は同じなのかな?」
七草先輩と言われて、すぐ頭に浮かんだのは今年卒業した前生徒会長の七草真由美だ。紅葉と真由美は彼が休学する前、とある関係から彼女に名前を知られ、少し話せる関係ではあった。彼女の性格を思い出しながら、そこに双子の口調を重ねてみる。
「片割れは似たような感じでしたね。というか、七草先輩を割ってお転婆とお淑やかに別れた感じかな」
「ん? もう喋ったの?」
「いや、さっき入学式で俺が座ってた前に双子がいて、その会話が聞こえただけですよ」
そこで宗一郎がニヤリと怪しく笑う。
「なるほどね。なら、どちらがいいとかある?」
「ほんっとに良い性格になりやがりましたね。後ろ姿しか見てませんから、どっちがいいとかないに決まってるでしょうが」
さすがに後ろ姿と少しの会話しか聞いていないのだ。それだけでは判断しようがないと言うと宗一郎は残念そうな顔をしていた。
「なんだ、いい土産話になると思ったんだけど」
「土産話?」
不思議な、それでいて悪い予感がするキーワードに逃げたい気持ちなる紅葉だが、そんな気持ちを抱いた彼を逃がさないとばかりにタイミング良く宗一郎の端末が震え、それを慣れた手つきで手に取り画面を見て笑った。
「ん、準備できたってさ。それじゃ行こうか」
「(鬼がでるか、蛇がでるか)」
言い寄れぬ不安を抱きながら、紅葉は宗一郎の後をついて行き二人がたどり着いたのは第三演習室前だった。
「じゃあ、どうぞ」
宗一郎はなんの説明もなく道を譲り紅葉を先に行かそうとするも、彼の足は前にでない。
「どうしたの?」
「いや、どうしたの? じゃなくて、ですね。この先に何があるんです?」
演習室とは名前通り、魔法などの演習に使う教室である。授業以外で演習室を使う場合、何が多いかというと模擬戦や実技などで使われることが多い。まさかここにきて、誰かと模擬戦させられるのではと思ってしまったのだ。
「大丈夫大丈夫。なんにも悪いことじゃないから。さぁ入って入って」
「おい、ちょ、まて」
紅葉の不安を余所に宗一郎は彼の背中をグイグイ押していく。演習室の扉が迫り、このままいけば扉に激突しかねなかった紅葉は扉に手をつき思いっきり押し開くしかなかった。
パン!パン!
「!?」
紅葉が中に入ると小気味良い音が鳴り響く。それはクラッカー音。クラッカーはあずさや服部など見知った面々数人が持っていた。
「阿僧祇紅葉くん、復学おめでとう!!」
間髪入れずに、祝福の言葉が贈られる。あずさの「おめでとう」を皮切りに全員から「おめでとう」が贈られた。
「……」
当の言葉を贈られた紅葉は何が起きたのかわからないままボーッと目の前の光景を眺めていた。その中で何が起きたのかゆっくりと思い出す。
演出室の中に入るとクラッカー音が鳴り色とりどりな紙テープが宙を舞い全員から「おめでとう」と言われた。
「(何がおめでとう? あ、俺の復学にか……)っ」
そこで全てを理解したのがまずかった。入学式前にあずさ、服部から「おかえり」と言われた時と同じように心の底から嬉しさが込み上げてくる。そして目元に何かが溢れるのを感じた。
「(マテマテマテ。あー、くそ)」
溢れ出るのは涙。咄嗟に手で目元を拭うも涙は止まらない。
「え、えっと、阿僧祇くん?」
そんな、手で顔を隠し身体を振るわせている紅葉の様子に、この場を設けた首謀者中条あずさがワタワタと慌てている。彼女はまさか彼が泣くとは思ってもいなかったのだ。
それを紅葉は指の隙間から見てしまったがため、今度は笑いがこみ上げてくる。
「ぷっくくく」
「あ、阿僧祇くん?」
紅葉の泣きながら笑う姿にあずさはさらに戸惑う。彼は右手で顔を隠しながらあずさの様子を見つつ、左手で笑いを抑える様にお腹を抑えていた。器用なことをするなとあずさ以外が思っていると、ダムが決壊したような大音量の笑いがあがった。
「あははは! 苦しっ、死ぬっ、ひっ、ゴホッ……」
息も絶え絶えに両手でお腹を抑える紅葉。しまいには笑いすぎて咳き込んでいた。
「阿僧祇くんが壊れた!?」
「ゴホッゴホッ、壊れてないわ! くっそ、こんなの泣くに決まってるだろうが! なのに、なんでお前が慌てるんだよ。あー、おっかしい」
「だ、だって泣くとは思わなかったんだもん」
「嘘つけ。完全に泣かせにきてる布陣じゃねーか!」
改めて周りを見渡す。目の前にいるあずさの後ろに服部と五十里、その隣にいるのは当然とばかりにいる花音、帰ろうとしたところを捕まえにきた沢木、それに見覚えがあるのが数人と懐かしい面々が揃っていた。
「ふふっ、みんなで阿僧祇くんの復学を祝いたいって話してたら、集まってくれたんだよ」
「たく、暇人が多いことで」
本来なら今日は入学式だけしか行われない為、入学式に関係がない生徒、すなわちこの場に集まった生徒の半数以上が休日になっていた。それにも関わらずこの場にいることに紅葉は照れ隠しからそんなことを言っていた。ただやはり、自分の為に来てくれたのは嬉しいのも事実。
「でも、ありがとうな」
だから彼は微笑みながらそう言うのだった。
演習室は軽い立食パーティーのようになっている。簡単に手掴みで食べれるサンドイッチや切り分けられた果物など様々な料理が置かれていた。紅葉はそれらを食べながら集まった元クラスメイトに話し回り、一休みとあずさと服部がいる場所に戻ってきたところだった。
「そういやぁ普通、演習室って飲食禁止なんじゃ?」
「教室や食堂だと知らない奴らに不審がられるからな。それは嫌だろ?」
「まあ確かに」
「だから今回だけ特別に許可貰ったの。先生も事情は知ってるからね。ちなみに料理は女子のみんなで作ったの。そして今、阿僧祇くんが食べてるのはよっちゃんと私が作ったんだよ」
無い胸を張って頑張ったというあずさに微笑ましい瞳を向けながら、よっちゃんって誰だ? と思っていると二人の男女が近寄ってきた。
「あーちゃん。その呼び方だとそいつわからないと思うけど、まっいっか。やっほー、阿僧祇久しぶり」
肩甲骨付近まである髪を首辺りで纏め、快活な雰囲気をまとった女子生徒が陽気に声をかてきた。こいつがよっちゃんかと思いながら、誰だっけと思い出していると当てはまるのが一人。
「えっと、久我原か?」
「まさかの疑問系?! そうよ、久我原黄泉よ! 私達、信号機トリオだったのに忘れてるとか酷くない!?」
「それお前が言ってるだけだろ。そっちは柊か。久しぶりだな」
「ああ、久しぶり。元気そうで何よりだ」
紅葉は黄泉の後ろにいる背が高く肉付きのいい男子、
黄泉曰く
『クラスメイトの名前を見ていたら
とよくわからない嬉しさから二人に声をかけて信号機トリオを結成したらしい。
蒼真は軽く手を上げて薄すらと笑みを返していた。
「ちょっとー! なんで蒼真のことは覚えてるのよー!」
「単なる消去法だ。ってのは嘘で柊は昔と比べて背が伸びたぐらいの変化だったからすぐわかっただけだよ。お前は……まぁ、変わってないところもあるが髪が伸びてて一瞬わからなかった」
黄泉の身体を一瞥しある一点で目が止まる。そして一瞬だけ哀れみの目を向けたあと何食わぬ顔でわからなかった理由を言ってやった。
「ねえ、今どこを見たのかしら?」
しかし黄泉はその一瞬の視線に気が付いていた。両手で自分を抱くように、控えめな胸を隠し顔を赤くしてプルプル震えているではないか。これは突っついたらダメなやつだと紅葉はすぐに察する。
「でも、やっぱり歌倉が一番ピンと来なかったな。性格変わりすぎだろ」
だから、さわらぬ神に祟りなしとばかりにスルーしたのだが、
「無視するなー!」
結局は黄泉が爆発。彼女のストレートパンチが鳩尾に突き刺さるのだった。
「そろそろいい時間だな」
演習室に備え付けられているデジタル時計に目を向けた服部が、あずさに言う。あずさも時計に目をやり「そうですね」と相槌を打った。
「阿僧祇くん、そろそろ終わりにしたいと思います」
「おお、もうそんな時間か」
苦しい時間は長く感じて、楽しい時間はあっと言う間だなと、自嘲してしまう。わざわざ自分から思い出すなよと頭を振って思い出した事を消してから、集まってくれた元クラスメイト達を改めて見回した。
「あー、それじゃ、お開き前にお前らに頼みたいことがある」
各々の会話が止まり視線が紅葉に集まる。これから言う事はすでに何人かには伝えてあること。
「俺のことは後輩扱いしてくれ」
数人が悲しそうな表情になる中、紅葉は説明を続けていく。
「一年二年に留年している事を知られると、面倒事が起きる可能性があるからな。そのフォローをするのが面倒くせぇ」
しかし、続いて言われた彼の本音に悲しそうな表情をする生徒はいなくなり、みな苦笑いへと変わっていた。何人かは「本音ダダ漏れだぞー」と野次を飛ばしている。
「うっさい。俺は平穏な一年生を送りたいんだよ。あとは不用意に一年のクラスに来るなよ。俺もそっちには行かないしな」
「それは来いっていうフリかな?」
「フリじゃねーよ」
最後は目の前にいた黄泉から言われた言葉を強く否定してから説明を終わらせる。周りから「了解ー」やら「ほーい」やら「いつ凸るよ」などなど、数名怪しい事を言っているが概ね後輩扱いする事を了承していた。
「まあ、そんなわけでこれからよろしくな!」
こうして紅葉の復学祝のパーティーはお開きとなった。
その後、紅葉は片付けを眺めていたのだが、数人からさっそく後輩扱いらしく「手伝え!」と命令が飛んできたので態度は渋々と、しかし笑って元クラスメイト達と片付けに勤しむのだった。