シンと静まり返った第二演習室で、紅葉は周囲を見回す。香澄と泉美は驚愕の表情を浮かべ、十三束はオロオロと達也と七宝を交互に見ていた。
「(状況から見るに、七宝が試合結果に納得がいかなくてあれこれ言ったが、達也はそれを正論で返しまくって、たまらず吠えたってとこかな?)」
紅葉の推測は概ね合っている。違うとすれば、試合結果に納得していなかったのは七宝だけではなく香澄と泉美もである。最初は香澄と泉美が抗議していたが、途中から七宝に変わりそのままヒートアップして行き爆発して、逆上したところだった。
さらに紅葉は雫へと目を向ける。彼女はこの中で一番顔色を悪くしていた。「なんでそんなに顔が青ざめているのか?」と思いながらその視線を辿ると、そこには今にも七宝を凍りつかさんばかりの表情をした深雪がいた。
「(あ、七宝終わったな。自業自得だがご愁傷様)」
七宝が氷付けになる未来が見えたのか紅葉は心の中で彼に合掌する。しかし、その未来は訪れない。深雪が動く前に達也が口を開いていた。
「俺に言われるのは不満か?」
達也の冷酷で冷静な問いと、追い詰められ冷静さを欠いている状態で良い知恵など中々出てくるものではない。しかしそれでも七宝の口は閉じなかった。
「ふ、不満なのは公平性に欠いたジャッジに対してです! 七草が窒息乱流をコントロールできていて、俺がミリオン・エッジをコントロールできていないというのは司波先輩の主観にすぎないじゃないですか。俺はミリオン・エッジを完全にコントロールしていました! 司波先輩のジャッジは明らかに七草を贔屓しています!」
「(なーるほど、そういう言い訳か。しっかしあいつ、達也が審判でその主観を否定するとか、ガキじゃねー……いや、ガキだな)」
紅葉は七宝の姿がただの駄々をこねている子供にしか見えなかった。確かに年齢上まだ子供と呼べる年齢だが、それよりも幼く見えていた。
「(それにどう見ても、コントロールできてるようには見えなかったしな)」
先ほどの試合内容を思い出す。七宝が放ったミリオン・エッジは威力の面でコントロールが甘かったのは紅葉だけでなく、この場に立ち会っている二年生全員の目にも明らかだった。
「七宝……お前、言ってることが支離滅裂だぞ」
その感情的な反発に駄々っ子のような言い訳をしている七宝を、呆れ声でたしなめたのは達也ではなく十三束だ。
「あのまま続ければ、お前の魔法が七草さんたちに試合の限度を超えた傷を負わせていたと、さっきは自分で認めていたじゃないか」
「(認めてんのかよ)」
認めた上で言い訳を続けているのかと、紅葉の中で七宝に対する呆れ度が百点ぐらい加点された。
「それは七草が熱乱流を使ったからです!」
「(ん? ミリオン・エッジはコントロール出来ていたが、熱乱流が来たからコントロール出来なくなったってか? 自分でコントロール出来てないって認めてんじゃねーか)」
コントロール出来ていると言うのはどんな状況下であろうと制御できる事だと紅葉は思っている。その考えは二年生全員も同じだ。だから七宝のセリフは、今この場では責任転嫁にしか聞こえなかった。
「もう良いよ、七宝」
白けた声が七宝と十三束の間に割って入った。その声は香澄から発せられていた。
「そこまで負けたくなかったんだったらさ、もうアンタの勝ちで良いよ」
「(へー)」
「香澄ちゃん、本当に良いんですか?」
紅葉は軽く驚いていた。程度の強弱はあるにせよ紅葉以外も意外感に打たれていた顔が並ぶ中で、香澄にそう問いかけたのは彼女を最も理解しているであろう泉美だった。
「うん。さっきのもよくよく考えてみたら、そこまで熱くなる事じゃなかったし。大体高校の非公式試合で乗積魔法使って、しかも窒息乱流に熱乱流のマルチ・キャストなんて、どう見てもやり過ぎでしょ。司波先輩の言うとおりだよ」
「(七宝と達也のやり取りを見てて冷静を通り越して、どうでもよくなった感じだな)」
気持ちはわかるぞと香澄に同情の目を向ける。その香澄は紅葉が思っている通り、すっかり冷めてしまっていた。七宝を見る目も敵意ではなく無関心に変わっている。
「……香澄ちゃんがそう言うのでしたら」
泉美も割とあっさり香澄の言い分を受け入れた。元々彼女は双子の姉のお手伝いのつもりだ。香澄がそれで良いと言うなら、泉美が拘るべきものは無かった。
香澄と泉美は達也の方へと歩いていく。
「司波先輩、ご迷惑をお掛けしました」
二人が達也に向かって頭を下げた。泉美の意識が七割ほど深雪に向かっていたのはご愛嬌と言うべきだろう。
それを七宝は歯を食いしばって見ている。
「ただ、一言だけ良いですか」
もっとも謝罪だけで終わらないのが香澄らしかった。
「なんだ」
達也の表情も七宝に対していた時とは打って変わって苦笑気味だ。
「私は──私たちは魔法の制御を失っていませんでした。あそこで試合を止めたのは、先輩のミスジャッジです」
強気な瞳で早口にまくし立てて、香澄は達也の返事を待たずに歩き出す。その途中、妙にニヤついている紅葉が目に入り、通り過ぎながら一睨みして演習室を出て行った。
「あ、あの」
香澄の背中と達也の顔を交互に見て、泉美が本気で困惑していた。
「泉美」
「はひっ!」
「ぷっ(はひっだってよ、はひ。くくくっと、おお怖い怖い)」
達也に名前を呼ばれるのが予想外だったのか、泉美が飛び上がるように背筋を伸ばし答えた。直後、舌をもつれさせてしまった事を恥じらい俯く。
その様子を見ていた紅葉の漏れた微笑が聞こえたのか、泉美から向けられた鋭い睨みを澄まし顔で受け止めていた。
達也は軽く咳払いをして、泉美の意識を自分へと戻し厳しさもない穏やかな顔で言葉を続けた。
「香澄に伝えておいてくれないか。不満なら何時でも相手になると」
泉美が目を大きく見開いているのは意外感の故か。達也のセリフが香澄を気遣ってのものだと泉美はすぐに理解した。
「……承りました。先輩、ありがとうございます」
達也にそう答えて、泉美は深々と腰を折った。長すぎず短すぎないお辞儀のあと、顔を上げた泉美は何故か、その場に留まっていた。
「何だ?」
達也がそう水を向けると、泉美が達也に向け始めて素直な笑みを見せた。
「私、先輩のことをちょっぴり見直しました。少しは深雪お姉さまのご兄弟らしいところがおありだったのですね。それでは失礼します」
泉美は達也に一礼して、歩き出す。そして紅葉の前を通り過ぎる時、意味ありげな睨みを向けて演習室を出て行った。
「(たく、ちょっと笑っただけじゃねーかよ。さて、どうすっかなあ)」
紅葉は出て行く泉美の背中に向けて、睨みに含まれた意図に対して反論の念を飛ばしたあと、頭を軽く振った。
無言で泉美を見送った達也の顔は、無言で立ち尽くしたままの七宝を見るのではなく、やれやれといった顔をしていた紅葉の方へ向いていた。
「紅葉」
「なんです、達也先輩?」
泉美のように驚く事もなく、紅葉は普通に応じる。
「二人を頼めるか?」
達也の言葉は簡潔だったが、紅葉は意味を理解できていた。達也はさっき、香澄を気遣っていた。それだけでは不十分と感じたのか、紅葉にさらにフォローしてほしいと言っていた。そして紅葉の頭の中でそれは即決される。
「了解です」
紅葉にとったらそれはありがたい命令だった。彼は元から七宝に興味はなかった。この試合で少しは意識するかと思ったがそれもない。だから、残っているのは七宝だけというこの場からどう退散しようかと考え始めた時に、命令されたのだ。断るわけがない。
「それでは先輩方、失礼します」
紅葉は達也達に一礼して、七宝を一瞥してから演習室を出る。
「さて、あいつらは」
そしてすぐに紅葉は、二人に会える場所に向かった。
「よう、お疲れ」
「なんで、ここにいるのよ変態」
「……」
二人に会える場所、それは女子更衣室前である。香澄と泉美は紅葉よりも先に演習室を出ていたが、二人は実習服で試合をしていた。さらに汗を流す以外にスッキリしたいだろうなと考えてシャワーを浴びているだろうと思って、女子更衣室前で待っていた。実は二人が女子更衣室から出てきて紅葉はホッと安心していたのは内緒である。
「おう、ただ待ってただけで変態呼びするなよ」
「ふんだ」
「それで、阿僧祇さん。どうされたのですか?」
心外だと抗議するも香澄か顔を逸らしてしまう。変わりに泉美がどこか冷たい感じで問い掛けてきた。それを紅葉は苦笑しながら受け止め
「なに、お前等を労いにきただけさ」
そう言っていた。
「ではでは、ごゆっくり~」
配膳し終えたベテラン店員がニコニコ顔で去っていく。
ここは第一高校と駅の間にある和菓子店「那由多」。紅葉は二人を連れて「那由多」に来ていた。三人は第一高校を出てから「那由多」に来るまで会話はなかった。いや、香澄と泉美はコソコソと何かを話していたが、二人と紅葉に会話はなかった。
その三人の目の前には白玉ぜんざいが置かれている。紅葉は匙を手にして食べようとするもピクリとも動かない二人に首を傾げた。
「なんだ、食べないのか?」
「……」
「……」
香澄と泉美は無言で紅葉を見ている。二人は彼の意図がわからなかった。最初は労うと言いながらあれこれ試合について言ってくると身構えたが、紅葉は「ここではなんだから、落ち着ける場所に行こう」と言って歩きだしていた。それに付いていく必要はなかったが、二人は無視するのも気が引けたので付いていくことにした。
そして、「那由多」に着いた際に二人の頭に「本当に労われるだけ?」と同じ疑問が浮かび今に至る。
「味は保証するぞ。この店の品はどれも絶品だからな」
「いえ、それは、以前来た時にわかっています」
紅葉は二人が困惑しているのがわかっていながら、試合について自分から何かを言う気は一切なかった。ただ香澄達から何かを言ってくれば聞くし応じる。何も言わなければ触れない。そうすると決めていた。だから今も当たり障りのない事を言う。
「なら、遠慮すんなって」
匙で白玉を掬い口へ運ぶ。程よい甘さが口の中に広がる。
「うん、うまい」
本当に美味しいといった顔をしている紅葉を見て、香澄と泉美は顔を見合わせてお互いに匙を手に取った。そしてそれぞれ小豆や白玉を口にする。
「うん、美味しい」
「はい、美味しいです」
二人の顔には笑みが浮かんでいた。
「ねえ、阿僧祇」
それから、三人のお椀が空になりかけた時、香澄が紅葉に呼び掛けた。
「ん、どした?」
「……あんたから見て、どうだった」
香澄からの主語とか色々なモノが足りない質問に、紅葉は匙を置く。何の事を聞いているかなど考えるまでもなくわかっていた。七宝との試合の事である。
「どうってのは勝敗についてか?」
香澄が縦に頷く。紅葉は緑茶で口を湿らせた。
「勝敗については、達也先輩のジャッジが妥当だと思ってる。双方の反則負けだな」
「っ。なら、あの時司波先輩が止めなかったら、どうなってたと思う?」
「(たら、ればの話は好きじゃないし、達也が止めてなかったら)俺が止めてただろうよ」
「え?」
予想していた答えとはだいぶ違うのか、香澄がポカンと口を開けて呆けている。
「七宝はまあ最悪ぶっ倒れる程度だが、お前等は違う。ズタズタになる女の子なんか誰が見たいんだよ」
「えっと、あの」
「とにかく、あれが続いてたら俺が全力で止めてたってのが答えだ」
それこそ紅葉は八握剣を使うことさえ躊躇わなかっただろう。
そう言い切った紅葉の目には顔が赤くなっている香澄が映っていた。
「って、顔が赤いが大丈夫か?」
「だ、大丈夫! なんでもない、う、うん、ありがとう」
自分でも顔が赤くそして熱くなっているのがわかったのか香澄は両手をワタワタと振って、なんでもないと装っていた。どう見てもなんでもないように見えないのだが、ありがとうと言われては追求しづらい。
「お、おう、どういたしまして? つか、お前も大丈夫か泉美?」
赤い顔の香澄から謎のお礼を言われたことで、気恥ずかしさで香澄から視線を外すと、泉美の顔も赤くなっているのがわかった。
「え? な、なにがですか?」
どもっている事から本人は元から顔が熱くなっているのがわかっていたようだ。しかし、無駄な足掻きと思いながらもとぼけていた。
「いや、まあ、うん。なんでもなきゃなんでもないんだろう」
泉美の珍しい反応で、紅葉は珍しく返答に困っていた。
「(あー、もう、またカッコイいって思っちゃったよ)」
「(……この気持ちはなんでしょうか)」
香澄はさらに意識した事で余計に顔が赤くなり、泉美は胸がドキドキしている事に困惑していた。そんななんとも言えない空気は解消される事なく、最後はお互い少しぎこちない感じで帰路についたのだった。
次の日、一限目を終えたあと、紅葉は妙な噂を耳にした。
──七宝が校則違反で謹慎になった。
──いや、風紀委員にたてついて制裁を受けた。
──休んでいるのは下剋上を目論んでいるからだ。
などなど。どうやら、昨日の騒動が数人に目撃されていたようだ。七宝は新入生総代であり、一年生の間では知らない生徒はいないほど有名人である。その彼が騒動を起こした後に休んでいるときたら、騒動の処分で学校に来れなくなったのではないのかと想像出来てしまうのは難しくない。
「(あいつ、休んでんのか。あのあと、何かがあったってことだよな)」
香澄達を追って演習室を出たとき、紅葉が一瞥して見た七宝は拳を震わせながら俯いていた。
「(ま、どうでもいいか)」
しかし、紅葉の興味はそれ以上湧くことはなかった。
元から七宝に対する興味が薄かったので、休んでいようが何をしていようが紅葉に害がなければ勝手にしろといった姿勢だった。
「さて、次の授業はっと」
そうして紅葉は日常へと戻っていった。
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予告
「あなた達にお兄ちゃんは渡しません!」
「おい、てめえら! さっさと起きやがれ!」
「彼は私の友人です」
「なんで効いてない!?」
「かっちーん、今のはボク、頭に来たよ」
「阿僧祇くん、無事だったの?」
「なんでしたら私が介抱しますよ、お爺さん」
「あの人を悲しませることだけは許しません」
「あの計画は終わってない」
「いい具合に育ってるではないか」
「さあ、紅葉。私のモノになりなさい」
「第一高校生徒会書記、阿僧祇紅葉」
「いざ、勝負!」
西暦二〇九六年、七月。
九校戦が開幕する。
ダブルセブン、終了です。
ここまで読んでいただき有り難う御座います。
最後に、多くのお気に入り、評価、感想、有り難う御座います。
今後も魔法科高校の留年生を宜しくお願い致します。