五限目が終了し、放課後。
紅葉は手早く荷物を片して、立ち上がっていた。そして、ある生徒の下へと向かった。その、ある生徒とは言わずもがな泉美である。目的は生徒会室へ行く道中で、仕返された文句を言う為。なぜ、生徒会室で言わないのか。それはあずさ達に聞かれた場合、逆に責められると思っていたからだった。泉美の周囲には数人の女子生徒がいるが、紅葉は構わず近づいていく。
「七草」
声が泉美に届く辺りで声─紅葉はクラス内で泉美のことを七草と呼んでいる─をかけると、彼女以外の女子生徒も反応して一斉に紅葉を見やった。その内の二人の女子生徒が振り返った目の前に紅葉が居たことで彼の迫力に負けて左右に後ずさる。それを特に気にすることなく、紅葉は泉美を囲っていた人壁が割れた場所に立って彼女と対面した。
「どうしました阿僧祇さん?」
その泉美は紅葉が来たことに特段驚く事もなく淡々と鞄に荷物をしまっているところだった。
「生徒会室行くぞ」
「?」
言われなくても生徒会室に行こうとしていた泉美は小首を傾げる。
紅葉と泉美は同じ生徒会役員だが、二人で一緒に生徒会室に行く事は少ない。生徒会活動中は同じ一年という事でよく話すが、生徒会活動以外では一緒に行動することは少なく、少し話す程度。泉美は仲の良い友達や休み時間は香澄といる事が多く、紅葉は一人でいるか、龍善と連んでいる事が多い。その為、五限目終了後、教室を出るタイミングがマチマチでお互いを待つ意味もないので、別々に生徒会室に行くことが常であった。だから、今日も例外なくそれぞれのタイミングで生徒会室に行くと思っていた泉美の頭に疑問符が浮かぶ。
「今日はなにかありましたか?」
「いや? 特別な話し合いはないと思うぞ」
お互いの頭に疑問符が追加される。
泉美は「では、なぜ一緒に行くのか」と考え、紅葉は「なにかあったか?」と考えている。お互いがお互いを見て、固まっている様子は周りから見てもおかしいものだった。一部では色めいたことをヒソヒソと話している。それをうっすらと耳にしながら、このまま変な噂を立てられるのも面倒だなと思った紅葉は、踵を返した。
「行かないなら、先に行ってるぞ」
当初の文句を言うという目的は年下にやられたままなのは癪なだけで、絶対に言い返したい訳でもなかった。
「いえ、行かないとは言っていません」
歩き出した紅葉を見て泉美は少し慌てた様子で立ち上がる。
「それでは皆さん、また明日」
そして、周りにいた友人達に挨拶を送り紅葉の後を追って教室を出て行った。
泉美が教室を出ると、少し先で紅葉は止まって待っていた。その隣に付くと同時に彼はゆっくりと歩き出す。
「なんか急かしたようで悪かったな」
「いえ、生徒会室にはすぐ向かうつもりでいましたので、大丈夫です」
突然の謝罪をやんわりと受け流しながら、隣を見上げる。
「ん? ならなんで答えに困ってたんだよ」
対して紅葉は、生まれた疑問を見下ろしながら返していた。
「それは、阿僧祇さんが珍しく、その」
泉美は『誘ってきた』という言葉が妙に恥ずかしく口ごもってしまう。なんで口ごもっているかがすぐにわかった紅葉は、これで弄り返すのも有りだなと思ったが、1-Cを横切ったところで「泉美」と声をかけられ実行に移せなかった。
呼びかけられ泉美が足を止めたことで、紅葉の足も止まる。二人して声のした方を向くと、1-Cから香澄が出てくるところだった。
「香澄ちゃん」
「おう、お疲れさん」
「や、阿僧祇。二人ともこれから生徒会?」
泉美の右隣についた香澄は反対側にいる紅葉に軽く挨拶を返すだけですぐに意識を8:2の割合で泉美に向けていた。
「そうですよ。香澄ちゃんは風紀委員会ですか?」
「そ、実験が終わったから、ようやく通常巡回だよ」
風紀委員の巡回は当番制だ。しかし、実験で第四態相転移魔法を担当していた香澄は実験準備中、巡回から外されていた。外されていたとはいえ月火の二日間だけなのだが、その二日間で大変な目にあった生徒がいた。
「(そういえば、龍善がぼやいてたな)」
火曜日、教室に入った紅葉が珍しく机に突っ伏していた龍善に声をかけると彼は疲れきった声で言っていた事を思い出す。
「(確か香澄の分の仕事が回ってきたとか)」
同じ一年の風紀委員ということだけで、花音から「これも経験よ」とにこやかに言い任されたらしい。自分の分+香澄の分か、それは疲れるな、と心の中で龍善に改めて合掌をしておく。
その後、三人で当たり障りのない会話をしながら廊下を進み階段を上っていく。そして、風紀委員会室がある三階へと着いた。生徒会室は四階なので、香澄とはここで別れることになる。
「それじゃ、泉美、ボクはこっちだから。生徒会頑張って。阿僧祇、問題起こさないでよ!」
香澄が後ろ歩きをしながら二人から離れる。危ない歩き方だが、二人は香澄の背後が見えていて、誰も歩いていないのがわかっていたので特に指摘はしなかった。
「はい、香澄ちゃんも頑張ってください」
「安心しろ。生徒会室で籠もっててやる。お前こそ、問題起こすなよ」
代わりに泉美は応援を、紅葉は茶々を贈る。
「ボクが起こすわけないでしょ!」
そう言って踵を返した香澄は風紀委員会室へと向かった。
「さてと、俺達も行くか」
「はい」
香澄を見送り、二人は生徒会室のある四階へと続く階段を上っていく。もうこの時点で紅葉は、文句を言う気は完全に失せていたので短い道中は適当な会話しかしていなかった。
生徒会室で仕事をしていると、外部から連絡を受けるテレフォンが鳴りだした。それに素早く反応した泉美が受話器を取る。泉美以上に素早く反応した人─あずさ、五十里、達也、深雪─も居るが、一年生に経験を積ませるために上級生は極力テレフォンには出ないようにしていた。そんなもう一人の一年生の紅葉は、泉美より早く反応すれば受話器を取るが、今のところ反応速度は負けっぱなしである。真面目にしていれば話は別なのだが。
電話対応している泉美の声を聞きながら紅葉は自分の仕事に戻ろうとして、戻れなかった。
「会長、一年生二名が魔法を使っての私闘未遂があったようです」
テレフォンの保留を押して、泉美が電話内容をあずさに報告した。泉美からの報告で生徒会室に居た全員の手が止まり視線が彼女に集まる。彼女の顔はなんとも気まずげそうだった。
「私闘未遂ですか? その誰と誰が」
泉美の表情から嫌な予感を感じたあずさだが、さすがに聞かないわけにはいかなかった。
「1-A七宝琢磨くんと1-C七草香澄ち、さんです」
泉美は香澄を呼び慣れた敬称で呼ぼうとして、報告でそれはまずいと判断、咄嗟に改めた。
その報告にあずさは嫌な予感が的中したのか、あからさまに顔をしかめている。紅葉達も苦笑いやら呆れの表情を浮かべていた。
「それで、処罰を検討するので風紀委員会本部に来てほしいと」
「そう、ですよね。わかり、ました。今から行くと伝えてください」
「はい」
指示を受けた泉美は申し訳なさそうな表情を浮かべながら保留を解除してあずさの言葉を相手に伝える。泉美に指示を出したあと、あずさは頭をかかえて縮こまってしまっていた。
「……司波くん」
縮こまりながら、あずさはチラッと達也に目を向ける。どう考えても厄介事なので、この件から逃げたいあずさは会長代理で副会長の達也を向かわせる気でいた。
しかし目を向けられた達也は、あずさが考えている事がお見通しとばかりに即カウンターを返す。
「ここは会長が行くべきだと思いますが」
「うっ」
反論の余地無き正論に、あずさは泣きそうな顔になった。その顔のまま、達也の反対側にいる五十里に向ける。彼女は五十里に行ってほしいではなく、達也を説得してほしいと目を向けていた。
あずさの考えを理解しながら、五十里は内心難しいなと苦笑していた。達也の言った事は正論中の正論。今頃、風紀委員長の花音と部活連会頭の服部が揃っているはず。これで生徒会長が来ないのはさすがにおかしい。しかし、あずさが人を罰するのを苦手なのは知っている。どう説得するかなと、生徒会室をぐるりと見回して紅葉が目に入った。五十里としては珍しく瞳に怪しい光が灯る。
「司波くん、阿僧祇くんを連れて行ってくれないかな」
「俺?!」
それまで我関せずでいた紅葉はいきなり名前を上げられて驚いた。そんな驚いている紅葉を無視して、達也は五十里に聞き返す。
「意味がわからないのですが」
「こういう言い方は失礼になると思うけど、生徒会の荒事担当は司波くんだからね」
達也はいつそんな担当になったんだと少し目を細めた。
「今回は司波くんが行った方がいいと思うんだ」
「……そうですか。それで紅葉を連れて行く理由は?」
了解も拒否もしないまま、達也は続きを促す。
「うん、阿僧祇くんは今後、生徒会の荒事担当になるからね。何事も経験させないと」
五十里は人の良い笑顔を浮かべながら、紅葉にとって聞き捨てならない事を言った。その言葉に副音声を付けるなら『今回行ってくれたら、今後は紅葉に担当させればいい』である。むしろ、紅葉にはそう聞こえていた。
「ちょいまて! その担当になることが確定してるってのはどういう──」
そんなの認められるかと抗議しようとするも
「わかりました。今回は俺と紅葉が行くことにします」
それを良しとした達也が行くことを了解して立ち上がっていた。そして、紅葉が座っている隣に立つ。
「行くぞ、紅葉」
本当に年下かと思わせる有無を言わせない威圧感に圧された紅葉は、五十里に覚えてろよとひと睨みしてから立ち上がった。
「りょーかいです」
そして、二人は風紀委員会本部と繋がっている直通階段を降りていった。